二年
第11話 研修旅行事前学習
研修旅行事前学習
(二年生になって最初のロングホームルームの時間、研修旅行実行委員になった七海が教壇に立つ)
七海(デスゲームのゲームマスターのような冷淡な雰囲気で)
教室にお集まりの皆さまこんにちは。初めましての方は初めまして。
私は来る研修旅行の実行委員をしております、七海と申します。これから研修旅行の日まで、ロングホームルームの時間は事前学習の時間に変わります。つまり、これからこの時間の主導権は、先生から私に移るということです。皆さんには、私がひれ伏せと言えばひれ伏し、プリンを作れと言えばプリンを作ってもらいます。
まず初めに、今日の学習のワークシートを配ります。
(ワークシートを配る。学級委員の戸崎も手伝う。七海が戸崎に一礼する。戸崎が席に着いたのを確認してから)
見ての通り、このワークシートは穴埋め式になっております。しかしながら、その穴は全て、すでに埋まっています。これは、穴を埋めることに集中して、理解することが疎かになるのを防ぐためだと聞いています。
それなら最初から穴埋め式にしなければいいじゃないか、と思った方もいらっしゃるでしょう。
……。同感です。
無駄話もほどほどに、早速ワークシートの中身に入っていきましょう。覚悟はよろしいですか。
それでは参りましょう。
(言い忘れていたことを言うように)あ、名前のところは埋まってないので各自で自分の名前を埋めておいてください。(冷淡な口調に戻して)よろしいですね?
では、まずは行き先です。私たちが今回研修旅行で行くのは……、
(ゲームマスターがゲーム名を言うように)精神科学実験場跡です。
さすがに行き先ぐらい穴埋めにしなくても覚えられるわ、と思った方もいらっしゃるでしょう。……。おっしゃる通りです。
次です。なぜそこへ行くのか。それは、そこが人類史上最悪の負の遺産だからです。
何をもって史上最悪と言えるのか。それは、エゴと傲慢さです。
人類は、我々に理解できないものは存在しないとし、目に見えない一切のものを否定しました。そして、その否定は「心」にまで至り、何としてもそれを物質的に人間の体から取り出そうと、生きた人間を何人も犠牲にし、挙句の果てには取り出せないからと言って、存在しないことを証明したと嘯いたのです。
人類の英知は全てを征服した。そう言っておきながら、他の者を犠牲にするエゴと、自分が最も高貴であるとする傲慢さを征服しようともしなかった。言い換えれば、自分を省みることなく、世界を支配しようとし、結果、己の弱さに支配されてしまったと言えます。
……。そろそろ疲れました。皆さん、プリンを作りましょう。おやつの時間です。
五十嵐(前の方に座っている)
職権濫用しないでください。そうしていいなら私もとっくにそうしています。
七海(お腹を押さえて)
……失礼しました。では話を戻しましょう。
この研修旅行の最終的な目的とは何か。それは、周りのものを支配しようとするのではなく、自分を省みるということを知ることにあります。
実験場のような醜態を二度と曝さないようにするには、自分は本当に正しいのか、もし自分が逆の立場だったらどう感じるだろう、そういったことを自問自答し続けることが肝要です。
その第一歩として、過去の凄惨な行いを現地でこの目で見、加害者と被害者両方の立場を自分事であると我が身に引き受けることを学びます。
というわけで、これからはそのための学習をしていきたいと思います。
ここまでで何か質問のある方はいらっしゃいますか。
(数人が手を挙げる)
ではsさん。
生徒s
さっき言っていた人間のエゴと傲慢さは他の場所でも学ぶことはできるように思います。どうしてその中で精神科学実験場跡のエゴと傲慢さだけが史上最悪なのですか?
七海
ありがとうございます。プリンが食べたくなるぐらい良い質問です。
どうして精神科学実験場跡が史上最悪なのか。それは、真理を直接的に否定しているからです。
確かに、戦争の爪痕が残る場所や資本主義によって自然が汚された場所などに行っても、エゴと傲慢さを知ることはできるでしょう。
しかし、それは自然界の悲惨さに翻弄されていた時代のことです。当時は今より簡単に人が死んでいたんです。そういった時代のエゴや傲慢さというものは、恐怖の反動によるところが多いと思います。
その一方で、精神科学実験場の時代は違います。日々の退屈さにうんざりできるぐらい安全な状態で、落ち着いてものが考えられる状態で、真理を否定し、「心」を否定したのです。
昔は「真理」というものが荒ぶる自然の中に隠されていました。ですが現代以降は、直接「真理」と、その結晶である「心」と向き合うことができます。
それなのに否定した。だから史上最悪なのです。
これで答えになりましたでしょうか。
生徒s
ありがとうございます。
(両手でプリンの形を作って一礼する七海)
七海
では次に、tさん。
生徒t
どうしてプリンがいいのですか?
七海(はっと気づかされたような表情の後)
ドーナツでもいいでしょう。先生、ドーナツは、
五十嵐(遮るように)
駄目です。
(顔を上げて目を閉じながら手でドーナツの形を作る七海)
七海(祈祷を終えてから)
では次に、uさん。お願いします。
生徒u
当日のスケジュールはどんな感じですか。
七海
具体的にはまだ決まっていませんが、大体、一日目は午前中に現地まで移動し、午後から資料館などを回り、夜に語り部さんのお話を聞いて終わります。二日目は夕方ぐらいまでは自由で、そこからヒッチハイクで帰ることになると思います。
(教室中が騒然となる)
間違えました。バスで帰ります。
それでは、今日はこのあたりで終了です。残りの時間でモンブランを作りたいと、
五十嵐(遮る)
七海さん。
七海(目を閉じて)
……間違えました。対話の時間にしたいと思います。
(生徒たちが話し合いを始める。七海が自分の席に戻る)
野山(七海の隣の席にいる)
お疲れ様。
七海(席に座って)
ありがとうね。どうだった? ちゃんと伝わったかしら?
野山
ちゃんと伝わったと思うよ。研修の意義と、あとは君が甘いものを欲しがってることが。
七海
それは良かったわ。ただ今度からはもっと楽しそうにしないと駄目ね。このまま生死をかけたゲームのゲームマスターみたいな感じで行くと、現地に実験台として行くみたいに思われてしまうわ。スイーツのコスプレでもしようかしら。
野山
ゲームマスターが憑いてたんだね。まあ俺はその時その時に七海さんが振る舞いたいように振る舞えばいいと思うよ。
七海
(感動したような目で)野山くん……。
(ゲームマスター風に)ありがとうございます。
(その日の昼休み。野山が二冊の本をかばんから取り出す)
野山(七海に本を渡しながら)
本ありがとう。
七海(受け取りながら)
いいえ。どうだったかしら? 「荒野の一匹おおかみ」は。
野山
すごく良かったよ。この作者さんが人間というものに対して熱意を持って向き合っているのがわかるな。人格は無数にあるだとか、あらゆる矛盾を肯定する、思想的な意味でのユーモアだとか、人間に対して諦めで接して型にはめようとする人間からは出てこないような考えが出てくるからね。
七海(微笑みながら)
それを感じ取れるってことは、野山くんの中にも同じ波長があるってことだと思うの。野山くんのその波長はどこから生まれたのかしら?
野山(一瞬言うのを躊躇って)
……君だよ。君という人間との出会いが、人間を信じる心を目覚めさせたんだ、と思う。
七海(目だけで少し驚いた後、優しい笑顔に変わる)
それはとても嬉しいことだわ。あらゆる営みは一人の人間に対して、人間の持つ可能性を信じられるようにすることが目的なんだもの。
野山
でも君には敵わないな。まだまだ君のようにはなれないよ。
七海
私のようになる必要はないわ。あなたはあなたになればいいのよ。「心の底」からなりたいあなたにね。
野山(軽めの「まいった!」という笑顔の後)
「心の底」、か。俺も辿り着けるかな。
七海
きっとできるわ。極度の方向音痴である私でも辿り着けたんだから。
野山(軽く笑って)
それは心強いな。
七海(上の空な顔になって)
ここはどこ? 私は誰?
野山(子供の遊びに付き合ってあげる親のような顔で)
それは方向音痴っていうか記憶喪失だね。
七海(二冊の本を鞄から取り出し、野山に渡す)
そうそう、こっちもありがとうね。「項羽アンド劉邦」。この作者さんも、人間が大好きなように感じるわ。歴史というものを、人間という虫眼鏡を通して見ているというか。それもやっぱり、人間に対して割り切ってしまえる人間にはできないことだと思う。
野山(一礼しながら本を受け取って)
そうだね。人が歴史を解釈する時には、どうしてもその人の持っている思想が影響を与えてしまうものだけど、この作者さんは人情の機微に明るいから、その分解像度が高いと感じるよ。
七海
確かにそうね。それと、歴史を物語にする時には何かしら必ず仮定をしないといけないものだけど、その仮定も滑らかで、生きている感覚がすごく伝わってくるわ。
野山
歴史に躍動感を感じながら接することができるのも、この本のいいところだね。
七海
そういう私たちは、世界を、人間をどのように解釈しているのかしらね。
野山
急ブレーキをかけて後ろを向くように自分を見るのは君らしいね。
七海(ちょっとだけわざと狙っている感じで)
野山くんは、私のことをよく見てくれているわね。
野山(急ブレーキをかけて後ろを向くように我に返って恥ずかしくなる)
そ、そうかな。まあ、君は目立つからね。
七海
そう? じゃあ犯罪は犯せないわね。
野山(冷静さを取り戻し、軽く微笑む)
目立たなくても駄目だけどね。
(その日の放課後にあった実行委員の集まりを終え、職員室へ向かう七海)
七海(扉を開けようとすると、金城が出てきて遭遇する)
金城くんじゃない
金城(職員室を出て)
七海ちゃん、お疲れ様。
七海
お疲れ様。気を付けて帰るのよ。
金城(長い前髪の下で悲しい目で微笑む)
じゃあね。
(金城の後ろ姿をしばらく見てから職員室に入り、五十嵐の座っている机まで行く)
七海(机に向かっている五十嵐をほんの少し覗き込むように)
先生、お疲れ様です。少しだけよろしいでしょうか。
五十嵐(机に置かれたお金を手で覆って)
七海さんでしたか。お疲れ様です。どうかしましたか?
七海(五十嵐がお金を隠したのを一瞬見る)
次回のロングホームルームの内容についてですが、実験場跡の歴史を学ぼうと思います。
五十嵐
そうですか。わかりました。あと……。
七海
どうかしましたか?
五十嵐
プリンを作ろうとするのはやめてもらえますか?
七海(まさかという顔で)
先生……。もしかしてコーヒーゼリーの方が良かったですか?
五十嵐
そういう問題じゃありません。
(用が全て済んだので下校する七海)
七海(下駄箱で革靴に履き替えながら)
『さあ! 一人の時間がやってきたわね! 好きでも嫌いでもない一人の時間が!』
(下駄箱のある空間を出て校門へ向かう)
『孤独を感じている時に真の自己が現れる。それは孤独が人間の本源的な状態の一つであるからだ。by ナ・ナーミカ・オリ、職業宇宙人、阿魔異喪之管歳、独身は、タコに無理矢理タコ焼きを食べさせた疑いで、誤時羅野分不当逮捕されました。「かつ丼ご飯大盛かつ一つ増量玉ねぎ少なめ、サイドメニュー味噌汁、ドリンク処女の生き血」付き取り調べの際、ナ容疑者は、「職業病だから仕方ない」と供述しています。引き続き、続報とボーナスが入り次第お知らせします』
(校門を出て、坂を下っていると、大人数で仲良くゆっくり帰っている生徒がいたので、追い越す)
(𝄞mp)『私by人といるから孤独でないとは限らない。現に私は誰といる時も孤独を感じている。しかしだからといって一人が好きだというわけでもない。一人でいる時も孤独を感じて寂しくなる。そもそも孤独でなくなると、それはもはや私でなくなるような気がする。孤独ではあるが孤独ではない状態が存在するならば、それこそ目指すべきものであろう. P.S.この文章は文法的に正しい』
(駅で電車を待っている間、反対側のホームにいる高校生カップルを眺める)
『光と影の方向に限りなく伸びていく二本の生糸は、時が黄金に輝くところで交わった。その邂逅は、天がたまゆらに起こした一度きりの気まぐれで終わるはずだった。しかしその二つの生糸は、永遠が引き起こす張力によって絡まる。そしてそのもつれは、夜の煌めく眼が曇りなく映された水面に一粒の水滴が墜落し融合するかの如く、零となり正と負へ二重の螺旋を編んだ。とでも思っているのであろう? 若き迷い猫ちゃんたち』
(その日の夜、自分の部屋の椅子に座り、SNSを開く七海)
七海
『実行委員のグループトークに通知があるわね。何かしら』
(グループトークを開く)
青戸「病院に行く時だけ症状が良くなるっていうのはもはや病気じゃないだろうか」
楓「同感だ。それに対する治療法を発見してもらいたいものだ」
青戸「その治療法ならもう既にわかっている。病院に行かなければいい」
楓「そしたら元の病気が治せないだろ」
青戸「だが行ったら行ったで例の病が悪化するぞ」
楓「これは不治の病か?」
青戸「不治の病だな。人類にはどうすることもできまい」
生徒u「ここで関係ない話はしないでください」
七海「あなたたちはどうでもいいことを真剣に考えてしまう病気ね」
青戸「そうだったのか。それはどうすれば治るんだ?」
楓「その病気はお前もかかってると思うぞ七海」
七海「私も?!」
生徒u「お前ら全員保健室行ってこい!!」
七海 青戸 楓「すいませんでした」
七海
『「怪物と戦う者は自らも怪物となってしまわぬよう気をつけなければならない」んだったわね。私も処女の生き血を求める怪物になってしまったのかしら。
あ、金城くんからもメッセージが来てたみたい』
金城「今日も実行委員頑張ってたね。お疲れ様」
七海「ありがとうね。言ってたことは理解できたかしら?」
金城「香織ちゃんが頑張ってたからね。でももっと君のことが知りたいな」
七海
『他の子にもこんな言い方してるのかしら。あの甘い見た目でこんな事言ったら、大体の女の子は勘違いしちゃうわ。元女の子の怪物より』
七海「何学的に知りたいの?」
金城「じゃあ全部で」
七海「それは私も知りたいです」
金城「香織ちゃんは面白いね。ますます知りたくなっちゃったな」
七海「じゃあ金城くんのことも教えてちょうだい」
金城「俺の何が知りたいの?」
七海「何を考えているのか」
金城「君のことだって言ったら?」
七海(若干動揺しつつも)
『ぬしは女子より女子なのかもしれぬな。わらわの女子であった部分が鳴いておる』
七海「警告するわ。私はヒョウモンダコの次に危険なのよ」
金城「だったら余計考えちゃうな」
七海「どうしてかしら」
金城「だって、香織ちゃんなら危険を冒す値打ちがあるから」
七海「まあ、それは間違いないわね」
金城「でしょ。じゃあもっと考えさせてね」
七海(悔しそうに)
『ちょっと! 隙を突かれてるじゃない! てゆうか返信早くないかしら? きっと、こっちも早く返さなきゃって思わされてペースを乱されているんだわ。こうなったら茹でだこ作戦よ』
七海「じゃあ私はその間にお風呂に入ってくるわね」
金城「いってらっしゃい。ずっと香織ちゃんのこと考えながら待ってるね」
七海(スマートフォンの電源を切って立ち上がる)
『後ろめたさを感じさせて自分のことを頭から離れられないようにする作戦ね。あくまで私を攻略しようというのなら、受けて立つわ! ナ一族の名に懸けて!』
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