覆るゴット・イスト・トート
少女の名前はアリス・ハービンジャーという。日本人の父とアメリカ人の母を持つハーフで、アメリカの高校を首席で卒業し、MITへの進学が決まっていた才女だ。誕生日がクリスマスイブであるという少しロマンチックな経歴と金髪碧眼の整った顔立ちを除けば、いたって普通の少女だった。そのはずだった。
「彼女はおそらくウィスパードでした」
新たに居を構えた作戦本部、銚子から220kmに新設された人工島の司令室でモニタを見つめながらテレサ・テスタロッサは呟いた。
「私たちと同じ、ソフィアのささやきを受け取っていたものと思われます。しかし、その共鳴度は低く、覚醒も浅かったはずです」
銀髪のお下げ髪をクルクルと弄びながら、アリスの診断結果に目を通していく。
「しかし、彼女はウィスパードであることを差し置いても天才だった。いえ、私と同じように後天的に学ぶことに意義を見出していたのかもしれません」
結果、とテッサが結論を告げる。
「『ささやき』が消えても、彼女は世界の先を行く発表をしてみせた。そこに目をつけられたのでしょうね。ひらめきと努力の結晶だというのに、転がり出た金の卵だと勘違いした連中が、空のブラックボックスを覗き込もうとした」
「リバブレーション、ですか」
玄士の口からその名前が漏れる。
「ええ。彼女は狭義の意味でそうだと言えるでしょう」
非道な人体実験の果てに生まれた少女の亡霊、世界を創りなおそうとした彼女は数十年をスキップした技術をもたらした。そのレセプターとなっていたのがウィスパード――囁かれた者――である。
ソフィアの残留思念が消えるのと同時に、世界中のウィスパード達への啓示は消えた。しかし、彼ら彼女らの脳に焼き付いた情報は消えずそれらの技術を欲する組織は少なくない。さらに、ウィスパードによってもたらされた飛躍した理論を正確に理解し、発展させることができた一握りの天才達も存在した。ウィスパードの条件を知らない組織や、既に『ささやき』が消えたことを知らない組織から「金の卵を産む鶏」として狙われる人々をまとめて囁きの残響リバブレーションと呼んでいる。
「彼女は、その、大丈夫でしたか?」
「薬物の影響は抜け、もう会話も可能です。あなたに会いたがっていましたよ」
リバブレーションの保護はテッサ率いる新生ミスリルの最優先目標事項の一つだ。
「しばらくは保護観察ですが、回復次第、フロント企業か研究所での勤務になるでしょう」
「そう、ですか」
「なんだ加藤! お前、惚れたのか!?」
司令室に響き渡る大音声でロバート・ヘイゼル曹長ががなる。
「違いますよ! 元の暮らしに戻してあげられないのが、引っかかっただけです」
「すみません。私たちの戦力も人員もまだ万全ではなくて。即時対応が可能な設備を備えた場所で生活してもらうのが精一杯なんです。かなめさんみたいに一般的な生活を送りながら護衛、とはいかなくて……」
「いえ、司令を責めたつもりはないんです! その、相良の時は色々事情が複雑だったのは、小官も把握しておりますので」
ずん、と急激に司令室内の空気が重くなった。
あ、コイツ、地雷踏んだ。と周囲の面々が顔を背ける。
「そうですよねかなめさんは特別でしたからズルいですよね私はあの後も事後処理に追われていたのに相良さんは帰ってくるなり移動手段をくれとか言って日本に飛び立ったと思ったらそのまま辞表出して二人でいちゃついてリバブレーションの保護でこちらが駆けずり回っているというのに専属ボディガード付きで人並みの幸せを手に入れてまあたしかに残党に襲われたり各地を転々としてるのは大変だと思いますけどそれだって愛の試練とかいってなんだかんだ楽しんでるに違いないし……」
「き、機体の戦闘データの確認がありますので、本官は退席します!」
大声に器用に狼狽を滲ませて、ヘイゼル曹長が回れ右して司令室を後にする。
それに続くように、「失礼します!」と敬礼して各員が一糸乱れぬ回れ右をした。
「し、失礼します!」
地雷を踏みぬいたことで冷汗が噴出していた玄士はワンテンポ遅れたが、なんとか退出しようとした。
「あ、加藤軍曹は待ってください」
「は、はいっ!」
減給だろうか。それならまだマシな方か。以前、浮気の懺悔を館内放送で流され、パンツ一丁で亀甲縛りにして食堂に吊るされていた上司の姿が頭をよぎる。
ごくり、と喉を鳴らして覚悟を決めるも、冷静沈着な指揮官から発せられたのは罰ではなかった。
「アガートラムには慣れましたか?」
「……はい。使いどころを選ぶとはいえ、確実に発動できるのは兵器として信頼に足るものだと思います」
くすりとテッサが笑う。
「すみません、以前同じような発言を聞いたことがあったので。それでも貴方一人にかかる負担が大きいことも承知しています。量産体制はもうすぐ整うと思うのでもうしばらく辛抱してください」
「はっ!」
敬礼をとり、司令室を後にする。
玄士は「相良宗助」なる人物を知っている。面識は無い。しかし、上司からの話と組織内の記録を読み、同年代の日本人エージェントとして親近感のようなものを覚えていた。彼が使用していた機体、アーバレストとその後継機、レーバテインにはラムダ・ドライバが搭載されていた。先日戦闘になったコダールが装備していたものと同じ、思考を物理現象に変える装置だ。
ミスリルの現時点の技術力を持ってすれば、ラムダ・ドライバの量産は可能である。レーバテインほどの機動性、高出力の機体は難しいが、M9程度のスペックを持つラムダ・ドライバ搭載機であれば配備可能だろう。しかし、問題は操縦者側にある。適正診断の実験において実戦投入可能とされたエージェントは全体の10%程度だった。
玄士も「発動に至らなかった」側の人間だ。
薬物の使用による使用効率の向上案はその副作用の危険性から却下された。
さらに問題として、ラムダ・ドライバ搭載機同士での戦闘では機体の純粋なスペックと操縦技量が勝敗を左右するといった問題があった。つまり、ラムダ・ドライバが使えたとしてもせいぜい『互角』なのだ。主な敵対勢力であるアマルガム残党は資金面、人員面でも新生ミスリルを凌駕していると見積もられている。物量で勝負されてしまえば勝てない、というのが現上層部の総意だった。
「銀の腕、か」
そういった経緯を持って開発されたのが「アガートラム」である。それは搭乗者の思考によらず、機体搭載AIによる「力場のベクトルを曲げる」イメージの生成を行う装備だ。この技術は先のレーバテイン等に搭載されていた戦術AI「アル」がラムダ・ドライバを発動させるに至った学習データを基に構築された。
欠点は、初同時に塗装が分解され剥がれ落ちてしまうこと、腕を中心として数十センチの空間と把持している武器にのみ作用し、発射された弾丸等には付与できないことだった。
それでも、対ラムダ・ドライバ搭載機としては破格の性能を誇る。
メタルフレームが露出し銀の腕が輝く姿から、ケルト神話におけるトゥアハー・デ・ダナンの王、ヌァザの別名で呼称されている。
現在開発されたのは試験用の玄士の搭乗機一機のみ。量産体制が整い次第、部隊全員に配備される予定だ。
「俺だけの機体」
玄士とてプロだ。専用機で一喜一憂するようなことは無い。
だが、相良宗助にライバル心が無かったと言えば嘘になる。ラムダ・ドライバを発動できなかった時の悔しさは胸に残っている。
だから今、ラムダ・ドライバ搭載機を単独撃破可能な機体を自分が駆り、性能向上に一役買っているというのは、確かなやりがいにつながっていた。
「おっと、ここか」
そんなことを考えながら歩いていると、気が付けば医務室の前だった。
先日助けた少女、アリスはここで治療を受けていたはずだ。
「失礼します」
ドアを開けると、あの日と同じように金髪碧眼の美女がベッドに腰かけていた。
「初めまして、でもないか。えーと、アリス・ハービンジャーさ――」
「トウジーー!!」
挨拶を言い終える前に、少女は爆発的なスタートを切った。
ヘイゼルにはからかわれたが、確かに彼女を一目見たときに「綺麗だ」と感じた。次に浮かんだのが、あの尊敬しきれない上司と髪と目の色がにているな、という感想であまりの失礼さに自分を蹴り飛ばしたくなった。
そして、今。
「ぐぇっ」
鍛え抜かれた軍人と言え、不意打ちで50kg弱の物体が突然飛び込んできたら受け止めきれない。バランスを崩し、したたかに後頭部を打ち付けた玄士が暗転する思考の中で抱いた感想は。
「柔らけぇ……」
ぐりぐりと胸板に押し付けられる頭を抱えるようにして、鍛えられた腹筋に触れる「柔らかさ」を噛みしめながら、天井を見上げる。
玄士はサムズアップして無駄に白い歯をキラリと輝かせるクソ上司の幻覚を見ながら、意識を手放した。
完全被鋼の残響 桑原 樹 @graveground
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