完全被鋼の残響
桑原 樹
飛び交うトゥインクル・リトル・スター
張りつめた静寂が夜の闇を支配している。
音響センサは鳥の鳴く声も、虫のさざめきも拾わない。自機のかすかなモーター音すら、逆位相の振動によって聞き取れないくらいだ。
密閉されたコックピットは、外気を侵入させることもなく、改良を重ねられたフィルタを通して取り込まれた空気には特有のオゾン臭もない。
容姿端麗、金髪碧眼のおちゃらけた上司は「俺くらいになれば、生身で鼻を頼りにメインカメラをブチ抜ける」などと豪語していたが、自機のオゾン臭でかき消されるのだから、敵と同等の条件なら不快な匂いをかぐ必要性はないだろう。戦闘中などもっての外だなおさらだ。
『光学センサ、敵影無し。赤外線センサ、敵影無し。電磁センサ、敵影無し。進行しますか?』
機体搭載AIが各種センサからの情報を統合し、敵がいないのなら進むべきだと言外に促してくる。静音モードでの進行を停止して5分が経過している。これ以上は作戦の進捗に支障をきたすだろう。
「……いや、ここで仕掛ける。戦闘モードに移行」
『了解。戦闘モードに移行』
機体のギアが上がり、パラジウムリアクターが低く唸る。非常に高い静音性と常温核融合による発電は、ほとんどセンサ類に写らないとはいえ、モード移行時は特に負荷が高い。敵が熟練の兵士であれば、この僅かな変化を見逃さない。
しかし、一向に仕掛けてくる気配はない。
コックピットに収まる青年、加藤玄士は目を細めた。
――いるな。
歩みを止めた時から感じていた疑念が確信に変わる。戦場での特有の感覚。場に緊張の糸が張り巡らされるような、文字通り死線をこれからくぐるのだという実感だ。
「そこ」
勘を頼りに、アサルトライフルを連射する。
夜闇を曳光弾が切り裂く。
木立など粉微塵にしてしまう40mm弾が着弾し――
弾かれた。
「ビンゴだ」
土煙を上げるでもなく、火花を散らすでもなく、まるで見えない壁にぶつかったかのようにあらぬ方向に飛んだ弾丸をみて、玄士は唇を舐める。それは、歓喜というより、これから始まる命の削り合いに向けた戦士の儀式だった。
互いにECSを停止し、二体の鋼鉄の巨人が滲みだすように姿を現す。
玄士が登場しているのは、黒塗りされた最新鋭機。アーム・スレイブと呼ばれる人型兵器のうち、M9と呼称される西側モデルを基礎とした機体だ。
「コダールタイプか」
対する敵機は赤黒く塗装された東側モデルの意匠の機体。おそらく、純粋な機体のスペックであれば互角だろう。
しかし、敵機にあってこちらにない兵装が存在する。
『敵機よりラムダ・ドライバを検知。光学モニタに情報を表示します』
ラムダ・ドライバ――正式名称を虚弦斥力場生成システムというそれは、思考の力を物理現象に変換する、ありていに言ってしまえば砲弾を弾くバリアを生成してしまう埒外の兵装だ。
現在もモニタ上に表示される敵機は、サーモグラフィのような色の分布を纏っている。特殊なセンサを用いて観測される力場は、敵機全体を覆うようにして、特にコックピットが存在する胸部付近が赤く強いことを示していた。
「っ!」
敵機の力場が右腕付近に収束する。
それを視認すると同時に玄士は横に転がるように機体を操作し、最新鋭機はそれを忠実に追従した。
瞬間、先ほどまで機体が存在した地面がめくり上がる。
反動にそぐわない、迫撃砲クラスの高威力。
防御だけでなく、攻撃にも流用できる兵装を見てつい悪態が口をつく。
「クソッ、チート野郎がっ!」
起き上がりざま、間髪入れずに後ろへ飛びのく。
横なぎに地面を叩いた弾丸の雨が眼前をよぎっていく。
敵はおそらく慢心している。足元を狙い、機動力を奪うことであわよくば鹵獲しようという魂胆が透けて見える。
「舐めてんじゃねぇぞ」
敵の攻撃は予想できる。力場は思考に従って強弱を帯びるため、攻撃のタイミングが一瞬早く知覚できる。とはいえ、敵も素人ではない。走り、跳び、沈み、機体を三次元的に動かしながら、予測とブラフを織り交ぜてこちらへの攻撃を仕掛けてくる。
「今ッ!」
しかし、防御と同時に攻撃する意志を練るのは至難の業だ。力場が発生する前、攻撃の予備動作のさらに手前を予測して、40mmアサルトライフルが火を吹く。
敵機はついに、防御ではなく回避を選択した。
「さあ、ラウンド2だ」
一瞬の空白が生じ、両機が互いの出方を伺う。
先に動いたのは敵だった。
先ほどまでとは違う、明確な殺意のこもった弾丸が胸部装甲を掠める。
「ちぃッ!」
衝撃にコックピットが揺れる。ショックアブソーバーが吸収しきれなかった振動が玄士の体を揺さぶった。
「余裕がなくなってきたな」
それは、自分だけでなく、相手に対する評価でもある。敵の攻撃には明らかな焦りと苛立ちが見て取れた。
戦場での動揺は、致命的なミスを招く。
攻撃の機先を制すタイミングで、再度玄士がアサルトライフルを構える。
しかし、銃弾は発射されない。
弾切れだった。
停止しているASを見て敵機が笑ったような幻覚が見えた。
攻性の力場が右腕に集中し、赤を超えて白く表示される。
リロードの隙などない。そうしている間に弾丸は機体を貫くだろう。
銃口が確かにコックピットを捉え、斉射された。
マズルファイアを見た玄士は諦めるでも、悔しさを表すでもなく、嗤った。
「行くぞ、アガートラム」
機体名にして、搭載された兵装の名前、ケルト神話の神の異名を呼ぶ。
瞬間、機体の右腕が白く発光し、黒の塗装が分解され、銀色のメタルフレームが露出する。
アサルトライフルをその場に落とし、コックビットを敵機の射線から庇うように右手を掲げる。
必殺の力場を帯びた凶弾は、しかし装甲に触れることすらせず、輝く右手を畏れたように逸れた。
理解の及ばない事象に敵機が固まる。
その動揺を目で捉える前に、玄士は走り出していた。
輝きを保つ右手で、背部にマウントされた高周波ブレードを抜き放つ。6mに及ぶ長大なそれは、ナイフではなく、「剣」と呼ぶに相応しいだろう。
彼我の距離を一息で詰め、剣を大上段に振り上げる。
敵機からの迎撃はない。次は相手のマガジンが空になっていることは知っていた。
モニタには防御のために展開された力場が映し出されている。
絶対防御の盾を前に、玄士は刃を振り下ろした。
「ーーッ!」
決定打の際に声は上げない。長い訓練によって、そういう風に染みついている。
モニタに映し出された力場が歪み、高周波ブレードが装甲に達する。
ギィィィィンという金切り音と共に大量の火花が飛び散り、周辺が真昼の明るさを取り戻す。
切断面を赤熱させながら、剣は振りぬかれた。
コダールの崩れ落ちる轟音を最後に、夜の静寂が戻ってくる。
『敵機沈黙。周辺に敵影なし。サスペンドモードに移行しますか?』
「サスペンドモードに移行。バイラテラル角を3に。無線を起動して、フォックス1にコールしてくれ」
『了解。フォックス1へのコールを実施』
『こちらフォックス1。無線がオフになっていたから心配したぞ、フォックス7』
「すまない。敵機と交戦していた。こちらはコダールタイプ一機を撃破した。襲撃は通知されたはずだ。このまま進行して問題ないか?」
『問題ない。こちらも先ほどコダールタイプと交戦した。事前情報どおりなら敵の残存勢力はサベージが3機だ。作戦は継続する。10分後に敵基地を強襲するが、間に合うか?』
「
『承知した。警戒は怠らないように。通信終了』
周辺を警戒しながら、敵基地へと向かう。
東ヨーロッパの森林の奥に設営された、社会主義勢力の溜まり場は煌々と照らされていた。先に突入したヘイゼル曹長たちが暴れているのだろう。散発的な銃声と金属のぶつかり合う音や爆発音が響いてくる。
玄士の任務は、単独で基地に侵入し、捕虜となっているターゲットの救出だ。
基地の側面の壁を飛び越える。ECSによる光学迷彩により、それを視認できるものはいない。巨体による着地音はさすがに隠せないが、近くで騒がしく響いている銃声がそれをかき消してくれるだろう。
迷うことなく、収容房へ向かう。メリメリと音を立てて、コンクリートの天井を引きはがす。
月明かりと空を裂く曳光弾の光が粉塵を照らす中、少女はベッドに腰かけていた。
「きーらーきーらーひーかーるー」
少女は白いワンピースのような簡素な衣服を着て、漫然と虚空を眺めている。その瞳に映っているのは、満天の星空か、眼前に舞う埃と戦火か。
「もう大丈夫だ」
少女を鋼鉄の巨人がやさしく抱え上げる。コックピットハッチを開放し、彼女を抱えるようにしてその中に迎え入れた。
「分かるか? 君を助けに来た」
「うぅ……」
少女は暴れたりはしないものの、問いかけに明確な返答をしない。
『こちらフォックス1! フォックス7! まだか!?』
「ひっ」
スピーカーから響いた怒声に少女がすくみ上る。
「大丈夫。大丈夫だ。君を傷つける者はもういない」
少女の方を抱きやさしく背中をさする。震えていた彼女は安心したのか、緊張が極限に達したのか、気絶するように眠りについた。
「こちらフォックス7。ターゲットを確保した。これより離脱する。それと、ターゲットが怯えているので、あまり怒鳴らないでくれ」
『了解! おい、フォックス3! フォックス6! 撤退だ! 下がれ!!』
鼓膜の破れそうな上官の声にこめかみを揉む。ターゲットの目が覚めていないことを確認して、安どのため息を吐きながら、玄士はランデブーポイントに向かった。
「リバブレーション、か」
彼女の細く美しく響く歌声を思い出しながら。
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