第4話

シャチは、最近、自分のしていることに虚しさを感じていた。

自分の手は汚れている。

でも、誰かの命を救うことをやめられない。

この矛盾は一体何なのか。

それは、シャチにもわからない。

シャチが甲板に出ると、フカがいた。

「よう。」

身構えたシャチにフカは短く挨拶をして、シャチに何かを投げ渡した。

シャチは慌ててそれを受け取った。

鍵だ。

この船の、一番上の階の鍵らしい。

フカは何も言わず、去って行った。

シャチは、しばらく立ち尽くしていた。それから、ゆっくりと階段を上った。

廊下の奥の部屋の前で、足を止める。

ノックすると、中からはーいと声が返ってくる。

ドアを開けると、そこは個室になっていて、窓際にベッドが置かれている。

そのベッドの上に、女がいる。

彼女は、シャチを見て微笑む。

「あら、先生。」

彼女の名前は、エイ。

大陸出身の、美しい女だ。

彼女の顔には、見覚えがあった。

確かフカと一緒にいた…

美しい彼女に、シャチは思わず見惚れてしまう。

「どうぞ入って下さい。」

言われるままに、シャチは部屋の中に入った。

「座ってください。」

「ああ……」

「お茶飲みます?」

「いやいいよ。それより、お前さんどうしてこんな所に居るんだ。」

「わかりませんか?あなたが仕事をする時、私はいつもここにいるの。」

「ここはどこなんだ。」

「手術室よ。」

「誰に言われて俺を出迎えた。フカか?」

「フカ?ああ、ビーのことね」

シャチは、眉をひそめる。「どういうことだ。」

ビー?フカの本名だろうか。

シャチはもう一度問うた。

「手短に答えてほしい。俺に一体何をしろというんだ。」

するとエイは微笑みながら答える。「私を殺すんです。そうすればもう働かなくて済むわ。」

は?と言って呆然としているシャチに、エイは近付いて来る。

そして首筋を指差して囁くように言った。

「ここですよ。頸動脈。一刺しです。簡単でしょう。私が暴れないように後ろから刺せば良いんですよ。」

まるで買い物に行くような気安さで彼女は言って笑う。

「何を言っている!」怒鳴りつけようとしたシャチだが、すぐに我に返り口をつぐんだ。

「ビーがお金を稼ぐのは、私のためよ。私、不治の病に侵されています。血を入れ替え続けなければ、血が腐って死ぬの。体中、腐って死ぬのよ。だから、フカにはお金が必要なの。私の血を入れ替えるために。」 

衝撃を受けたシャチは、何もいえなかった。

フカに護りたい存在がいるなど、想像さえもしていなかった。そして、なぜフカが自分とエイを二人きりにしているのか。それも理解できなかった。

「私たち、エイとビーって名前で売られていたわ。大陸から逃げ出して、やっと自由になれたの。ビーは、お前とシャチは似ているって言っていた。私とあなたは、自分の都合だけで物事を捉えられない。前時代なら優しさと呼ばれていた感情にこだわりすぎるところが、似ているって。」

エイは微笑んだ。

「あなたと話がしてみたかったの。それで、あなたが私を殺すなら、それでいいとビーに言ったの。でも、殺すならその後は早く逃げてね。ビーは、きっと怒り狂ってあなたを殺そうとするわ。」


「俺は……」シャチは何を言うべきか迷い、「人を殺せない人間なんだよ。」と言った。

エイは静かにうなずいた。

「知ってるわ。あなたは優しい人ね。でも、いいの?私がいる限り、あなたはフカの思惑に付き合わされるわ。」

シャチはその言葉を聞いて、エイの優しさに気付いた。エイは、自分を自由にしようとしている。もしかしたら、自分のために周囲から恐れられるギャングにならざるを得ないフカを、解放しようとしているのかも知れなかった。シャチはエイを見た。

エイもまた、シャチを見つめている。

その瞳の色は、フカと同じ色をしていた。

二人はしばらくの間、お互いの目の色に見入っていたが、やがて同時に目をそらした。

「フカは、俺にお前さんの手術をさせたいんだろう。」シャチは言った。

「これから死にゆく人が来ます。その人の血を、私に入れ換えてほしいのよ、あの人は。」私は、自分が呪わしい、と、エイはこぼした。

数々の死の上に成り立つ命。そんな自らを、エイは厭っているに違いなかった。


「イルカはこのことを?」と、シャチは訊く。もしもイルカがエイの存在を知れば、フカとの交渉材料と見做すだろう。

「イルカという少年は、私とビーのことは知らないわ。」とエイは言った。なぜかわからないが、シャチはほっと息をついた。

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刺青 裏 鬼十郎 @uotokaitesakana

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