第3話
台風の過ぎ去った後、少し寒い風が吹く日のことだった。
シャチは、伸びた髪を洗っていた。黒い髪は腰まで垂れ、それを洗いながら、シャチはここで過ごした一年のことを考えていた。
最初の三ヶ月間、シャチはどこにも属さなかった。ただただ、目の前の人間を医療で助けようとし続けた。それが、自分の妹への償いだと思っていた。のみならず、自分を残して戦火の中潰えた家族や、村の人々への。
偶然にも助けられて間一髪で生きて戦地を出られた自分が次はこの弱肉強食の地で他の命を助ける。それが、宿命ではないかと思った。
フカに彼の元へ来いと言われて頑なに拒んだのも自分の宿命は人を殺したりヤクザ紛いのことをするためではないと感じていたからだ。この手は、人の命の火を継ぐためにあるのだと。
シャチは、美しくは決してなかった。しかし、天才的な頭脳を持っていた。主にその頭脳に詰め込まれているのは医学の知識であり、それゆえに、「陸」の人間はシャチを欲しがった。
フカに半殺しにされ、よく考えるようにと言われて、その後イルカのグループに拾われた。イルカは四十人前後から成るグループのリーダーで、大人たちにひれ伏さないことをモットーにしていた。
陸には、二十歳前後の青年たちが結成したグループに忠誠を誓うことで庇護してもらっている十代の子供たちもいる。だが、その多くが子供兵士や殺し屋、小児性愛者むけの売春児童として使われており、決して優遇されているとは言えなかった。イルカは、切れ者だけを集めて、搾取されないグループを作っていた。
イルカの白い体と青い眼は、イルカが混血児であることを示していた。イルカの体格は大きく、子供たちはイルカのその体躯に安心してイルカに全てを任せる。シャチはイルカを、昔読んだ本の主人公のようだと思った。フック船長という悪い海賊をやすやすと出し抜いて、遊ぶように戦う永遠の子供。その子供が部下の幼児たちを大人になる前に殺してしまうのと同様に、イルカは、使えなくなった人員は容赦なく切り捨てる。イルカは恐らく、15,6歳だろうとシャチは思っていた。
イルカがピーターなら自分はさしづめウィンディと言ったところかと、シャチは苦く笑む。イルカと暮らしてから、シャチはイルカのグループの子供たちに情が沸いてしまった。だから、フカの出した条件を呑んで、イルカのグループに彼が手出しをしないようにした。のみならず、イルカに頼まれてではあるが、シャチは今やイルカを始めとしたグループの面々の教師役を務めてさえもいた。応急手当ての仕方、大陸の地図、敬語の使い方、食事のマナーや基礎的な教養など、大人になった時必要な知識を、シャチは皆に教えていた。
刺青を彫り終えてから、もう随分になる。イルカのグループの証である刺青は、シャチの腕に纏わりつき、これが、報復を恐れるまともな組織からシャチを護ってきた。物思いに沈んでいると、不意にイルカが部屋に入ってきて、シャチはびくりと振り向いた。イルカは、シャチを目に留め、悪かった、と言った。
「お前、髪を洗ってたのか。」
女の入浴中に部屋に入るのはマナー違反だと教えた甲斐あって、イルカはマナー通り謝って引っ込もうとした。しかし、シャチはイルカを引き留め要件を聞いた。
「仕事をしてくれという人間がお前に。早く来い。」イルカは手短にそう言い、部屋を出ていった。
シャチの仕事は、死にゆく人間に安楽死を施すことだった。
そしてそんなシャチにフカが頼んだのは、死なせた人間から臓器を取り出す事だった。
人間の体は、実に高価な商品である。シャチはフカの手配で最新技術の行き届いた解剖台を与えられ、そこで臓器を摘出する。心臓、腎臓、角膜、腱…それらは、結構な高値で取引される。シャチは、仕事をさせられる度に自分か歪んでいく気がした。
俺は、何をしている。人を救いたかった俺は…
摘出された臓器は、クーラーボックスへ入れられて、臓器を必要とする大陸の人間の手へと渡る。間接的に人を救っていると言えなくもないが、その想像は、シャチを慰めない。
はあ、と溜息をつき、シャチは髪を束ね、服を着て、客の待つ船の中へ向かった。
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