言獣
裏 鬼十郎
第1話
私たちには、他の日本人と違った役目がある。この、モップのようなもの・言獣、幻獣でも厳重でも原住でもないこの生き物を世話するという役目だ。
私たちのいる街は、地図には載っていない。私たちは、義務教育の中で、あなたたちが知っている歴史とは少しずれた歴史を学んで育ち、お嫁にでも行かない限り、この街から出ることはない。だが、この街出身でない人間と知り合い家庭を持つには要するにこの街を出て広く人と知り合わねばならず、言獣の世話をしている限りそのような機会には恵まれる人間はごくごく僅かなので、実際にはほとんどの私たちは、自分に割り当てられた言獣と共に、この街を一歩も出ずに暮らす。
だからと言って勘違いしないでほしいのだが、私たちは、特に抑圧されているわけでも、不自由なわけでもない。ただ、他の場末の町同様、これと言った産業は言獣という一種類しかなく、娯楽と言えば町に一つしかない居酒屋しかなく、山と海に静かに挟まれて、世捨て人の集団の陽後言われれば、普通にテレビ回線やら電線は通じているので場末の田舎、以上の言葉も以下の言葉も当てはまらないような街である。たまに自由を夢見た若者がこの街を出て行ったり、夢破れて帰ってきたり、ニュースなどそれくらいしかない、鄙びた街であることは確かだ。
モップのような毛深い生き物が、そこにはいる。黒い目は、インクでできているかのような艶を帯び、声は出さない。犬なのかと言われたら、毛深い犬にも見える。猫ではないのかと言われれば、この柔軟な体は、毛深い猫のような気もする。飛ぶことを忘れた鳥の一種ではと言われれば、私たちの手から文字を食む様子は、進化を忘れ、どこかの島にでも楽園を築いて天敵から飛び逃げることを忘れた鳥の一種に見えなくもない。だが、言獣は言獣である。他の何かの面影を見ることができ、しかし、他の何者でもない。
言獣と私たちの歴史は古い。しかし、言獣は、海外はもちろん、国内でもひっそりと、意図的に内密に飼われている。
その昔、言獣を飼いならす僧があり、それが私たちの祖先だという。言獣は、その昔、唐の地に経典を求めに行った日本の祖先たちが持ち帰ったのではないかという説があり、何とはなしに、その説が有力である。
彼らは、文字を主食としている。馬鹿な、と思ったろう、その馬鹿な話が、本当だ。
その昔、平安の世のことである。ある姫君が、病に臥せった。その父親の、これを溺愛すること甚だしく、我らが祖先の高僧に何とかならぬものかと泣きついた。この高僧、普段より言獣と共に清澄の心境で経を読む暮らしをしていたのだが、今風に言えば、パトロンであったその貴族の頼みを蔑ろにできず、泣く泣く言獣を斬った。するとそこからありがたい経文が流れ出し、それを浴びた姫は病から立ち直ったという。言獣は、僧の経文を食べていたのである。
また、これも経文がらみだが、戦乱の世、さる僧が無縁仏に経を挙げる旅をしていたところ、あやしき獣よりて、見るに言獣なり、と、古典にはある。古典によれば、かつて僧に飼われ、経文その他を餌としていた言獣が、僧の言葉を懐かしみ寄ってきたものだったということである。
そのような歴史を学びながら、言獣を保護していくのが、私たちの主な仕事である。馬鹿な話に見えるかもしれないが、日本という国は、実はこのような荒唐無稽の生き物を隠して成り立っている。
私たちがこの生き物を「できるだけいないこと」にしているのは、この生き物の存在が暴露されることによって生物学の基礎が崩壊することを案じてのことだ。そうなれば人心は荒廃し、物理法則は崩れ、あまねく全ての世界の和平が乱れかねない、こともないとは思うが、言獣の存在は、現代の如何なる学問によっても説明が付かない。説明が付かないものは、そっとしておくがいいじゃないか。そういうわけで、言獣の存在は表沙汰にはならないのである。
先ほども言った通り、言獣を一言で説明するならば、言葉を食べるモップという表現ではとても足りない、が、何となく、それでも事足りる。
人間の近くで暮らすうち、人間の言葉を食べることを思いつき、独自の変化を遂げたのではないのかと、研究者は言う。人間の言葉と共に発生し、古くはシルクロードを渡り唐へ入って、日本に伝わったのではないかと言われている。実は、唐草模様やレリーフは言獣を見た各国の祖先たちが各国なりに抽象化して描いたものであるとの説もあるほど人間にとって馴染みのあるものだったが、いつの間にやら日本以外ではその姿を消した。
私たちは、一人に付き一匹以上の言獣を与えられ、言葉を餌として与えることを義務付けられている。
言獣の性質は餌である言葉によって変わるらしく、英語を与え続けていれば、気のせいか、もはもはとした毛は金色になり、目も青くなるように思われる。(気のせいか?)村上春樹を朗読して与えれば、好んで洋楽を聴いたりニヒルな態度をとるようになったりしたという報告もあり、兄が谷崎潤一郎を与えて飼っていた言獣は、若い女性の膝に乗ることを好むようになったりしたので、多少、言葉の性質を帯びていくようである。
言獣を飼う上で気を付けるべきことは、一つに、本を、の手が届く場所に置いておかないことだ。本ごと吞み込んでしまい、コレクションは失われ、また、頻繁に飲み込まれれば言獣の肥満の原因にもなる。それ以外であれば、特に気を付けることもないくらいに、言獣とは頑健で、温和な生き物であり、だが、愛玩以外に特に使役できることもない。褒められもせず、苦にもされず、毒にも薬にもならず、ただ、たまに本を丸呑みしては、文字全てを喰って本だったものを吐き出す本クラッシャーであり、人のそばにいて最も自然に見える生き物、という以外の特徴は、さしてない。
言獣が言葉を代謝してエネルギーに変えるシステムは未だ謎が多く、ここで報告できるほどの情報量は、無きに等しい。
私の言獣についてだが、なんと表現しようか、いたって普通の言獣である。いわば、日本人の典型、と言った言葉を食べてぬくぬくと育ってきた、温和な個体だ。
しかし、特筆すべき点があるとすれば、それは大きさだろう。2メートルは優にあるかと思われる言獣は、祖父から受け継いだ。
大きな言獣には、ある特殊な仕事がある。どうしようもなく更生の見込みのない罪人を飲み込ませ、その記憶に基づく言葉全てを奪ってしまう。刑器としての役目だ。
しかし、感情だけがあって、それを表す言葉がないとは、どういった心情だろう。見ようによっては、死刑よりも残酷な刑罰と言える。人は、言葉があって初めて自己を認識でき、社会の一員として他者と繋がれる生き物であるから、生きながらにして社会の場からおろしてしまうような極刑である。
そうして社会性を奪われた罪人たちは、赤子同然の状態から社会とつながる「言葉」の再構築を行うプログラムに連行される。私たち一家は、元をたどれば遣唐使の中にいた僧であり、その流れの中の、軽犯罪を犯した者たち、つまり私の一族の祖先が、このむごたらしい刑罰を執行することを、いわば罰として引き受けることになったらしい。
さて、兄のことに話を寄せよう。
兄は、犯罪学の研究者である。救いようのない凶悪犯の、中でも無反省の者たちを哀れみながらも、深く憎悪しているという人物だと言えば、この話には充分だろう。兄が研究しているのは、言獣を利用した、「追体験」である。言獣は、言葉を代謝する。その代謝の残りかすが、人に麻薬的な作用として、幻覚を見せる。いたって無害な幻覚だが、それは人の心を揺さぶる何かである。
原爆の追体験、戦争の追体験、犯罪被害の、追体験。これらが犯罪者たちの更生の、ひいては我々人類の心の闇の、心底からの反省のきっかけにはならないものだろうか。というのが、兄の研究テーマである。しかし、代謝の残りかすは極めて不安定の物質であり、時にはかけらも出ないことだってある。いくら戦争文学を朗読して与え、人類の体験として残そうと試みても、言獣は、そのすべてを呑み込んで何も排出しないこともある。それどころか、悲惨なその文面に面したストレスによってか、貴重な言獣が頓死してしまうことすらあり、兄の研究は周囲に反対され、難航している。
言獣は、そう簡単に増える生き物ではないのだ。かと思うと、いつの間にか増えていたりもする。不明なことが多く、簡単に死なせるわけにはいかない。
私は、そんな周囲の難色をものともしない兄を、畏敬しているのだと、思う。頑固だとも思う。呆れてもいる。わからないものである。幼少期から一緒にいたのに、どんな言葉で表現していいか分からなくなるというのは、いったいどのような現象なのだろうか。
今日も、学校からの帰りには、兄の研究室へ行く。見れば、兄はパソコンをカタカタと鳴らし、研究論文を打っている最中だった。
「何やってるの」
と問う。兄に歩み寄る足元には、構ってもらえるのかと思った兄の言獣の三代目チャッピー君がまとわりついてきた。
「実験のデータを打ち込んでるんだよ。」と、兄は言う。ということは、またチャッピー君は変なものを喰わされたのか、と思う。
因みに、初代と二代目チャッピー君は、兄に食べさせられた文章が原因なのか、頓死している。多分、言獣はそこまで死にやすい生き物でもないので十中八九、兄の食べさせた言葉が原因だろう。
兄は、非人間的な性格から実験をしているわけではない。その昔、戦争の時代に、言獣は非人道的な目的に使われた。言獣は、罪なき人間を飲み込まされ続け、また、軍国主義の言葉を食べさせられて、その代謝物は人間に使われた。代謝物を与えられ続けたその人々は、まるで罪人と同じようにすべての言葉を言獣に喰わされることでルーツを失い、帝国主義のみを心に刻まれ、生ける戦闘機と化したという。その心には家族との思い出もなく、ただただ、規律正しき軍の律法があるのみ。
兄は、そういった人々を再び世に生み出すために戦っているわけではない。そういったことも不可能ではないが、倫理的に無理があるというものだし、兄の優しき心はそういったものを作り出すことも、そんなことに言獣を利用することも固く拒んでいる。
「言獣は、書き言葉を与えたほうが、話し言葉よりも代謝の残りかすが多いんだ。これが何を意味しているのか。恐らく、言獣にとっては書き言葉よりも話し言葉の方がいい餌だということだろう。だから、生の言葉や思いは、代謝の残りかすとしては出にくい。それは、言獣が食べてしまうものだから。」
そこに、俺のやろうとしていることの難しさがある、と兄は言う。
「本当は、人間にも思いは必要なんだ。だが、言獣が食べてしまうから人間に伝わる形では残らない。話しは逸れるが、日本語を主食とする言獣のみがこの世に残ったのも、日本語が曖昧さや空気感を多分に含むよう進化して言獣向きの食料となったからだけれど、逆説的に、そういったものが残らないことで、言獣の排泄物は犯罪者の更生に役立たない。」
「因みに、想いを主食としているのが言獣だから、あまりに凄惨な記憶や、暗い思いを書いた文字を食べると消化不良を起こして死んでしまう。日本で生き残れたのは、日本には言霊と言って、言葉が現象を呼び寄せるという考えから、あまり直接的な悲惨な言葉がないのが理由だろう。」
兄は、多感な人間である。チャッピー君を二匹も殺してしまい、何も感じないわけではないだろう。それでも、兄は研究を止めない。いったん始めてしまったことは、とことんまでやらなくてはいけないというのが、兄の意見である。そのような、偏屈さに似た一本気を、私は尊敬する。兄の研究がいつどこでどういった実を結ぶのか、それはまだ、あずかり知らぬところではある。しかし、何かを必ず突き詰めるのだろうと、私は予見している。
「この研究が完成すれば、人は、自分以外の人が経験した世界を味わうことができるようになる。他者の想いを噛みしめて生きることができるようになる。それは、素敵だろう。世界中の人々から、悲しい感じ方のすれ違いが無くなるんだ。」
兄は、ただただその理想のために邁進しているのである。目にクマを作り、コーヒー中毒になりながら、チャッピー君たちの夥しい犠牲の屍の山を作りながら。この街の大体の人間は、言獣を愛している。兄も例外的な人物ではない。しかし、兄の言獣の犠牲をも払って行われる実験は、本来同じように言獣を愛していた町の住民たちと兄の間に、悲しい亀裂を生み出しつつある。
街と言い、人々と言うが、その人口としたら数百人にも満たない、部落と言ってもいいような狭い土地である。部落のご多分に漏れず、過疎化しているかと言えば、外部に出ていく人間が極端に少ない分、若者もちらほら見られる。皆が皆、言獣を家族の一員としており、その光景は微笑ましく見えなくもない。
人間の暮らす脇に、ちょこんと、犬とも猫とも鳥ともモップともつかないものが毒にも薬ともならず、佇んでいる様は、いっそ牧歌的でもある。
言獣は、私たちの祖先である僧を中心に広まった。歴史の隠された闇の中で、言獣は害も利も出さずにうごめいている。一般には公開されないが、枕草子にも言獣についての記述がある。そのかつての光景を再現するがごとく、言獣は今日も人の周りに佇んでいる。
しかし、一部の住民によれば、兄なる言獣の虐待者によって、ほそぼそと続いてきた言獣の原風景ともいえるこの光景は、脅かされつつあるのだという。そこまで言わなくともよいのではないか、というのが、兄の家族である私の意見だ。兄のすることは、確かに言獣の利用であり、素直に言獣を慈しむ地元の住民とは相容れない。しかし、単なる道楽ではないのも事実だからだ。
現に国は、兄の研究を許可している。兄に助成金を与え、犯罪者の更生についての研究を早く進められるよう、支援している。兄はその金で生活しており、研究は難航している。まずは、私が祖父から受け継いだ巨大な言獣のような個体を作り出すことが第一歩かもしれないと、兄は語る。
「葛葉(かつは)の言獣が罪人の言葉や記憶、想いのようなどぎついものを食べても死なないのは、その体の中でたくさんの記憶や思いが新たに食べたものを中和するからではないかと、僕は思ってる。ただ、僕の一世代で大きな言獣を作るのは、もしかしたら不可能なことなのかも。焦りすぎてチャッピー君にエサをやりすぎた結果、チャッピー君は消滅したから。」
兄が私と目を合わせてきたので、私は何事かと思い、兄の目を見つめ返した。
「もしも僕が死んでもまだこの研究が成功してなかったら、葛葉にこの研究を引き継いでほしいんだ。」
と兄は言う。
私は、少し迷ったのち、いいよと返事をする。この退屈な町で、将来やりたいこともさして思いつかなかったからだ。
兄は、生物学上は、私の父である。
兄は高校にいるときに、私の生物学上の母と恋に落ちた。それは情熱的な恋で、高校を卒業して後、私の生物学上の父と母は結ばれるつもりでいた。しかし、犯罪者がこの町逃げ込んできたとき、生物学上の母は犯罪者に殺されてしまい、幼児だった私だけが残された。私の両親、つまり、生物学上の祖父母は、若かった父の将来を案じて私を引き取った。そうして私は、生物学上の父を兄として頂くことになった。そうして兄は、全ての犯罪者にとって、せめて反省が後にやってくるようにと、言獣の研究を始めた。
この世に生を受けたあの時から、私はずっと、一歩引いて生きている気がする。生まれてすぐからそういう状態である。私は、愛情を受けて育ったが、ある意味ではちゃんとした生を生きていない気がする。
そう、だからきっと、言獣を研究する日が来るとしたら、それは私にとっての新しい門出だろう。一歩引いて生きなくていい理由だろう。
兄は私の生物学的な父として、私に一歩引かない生き方までをくれようというのか。いや、それは少し違う。血の繋がりを、象徴する何かが欲しいのではないのか。私の生物学上の母を、兄の愛した人の仇をとることは叶わないが、もう二度とこのようなことが起こらないようにと言う願いを込めたこの実験を、引き継いでほしいのではないか。
いいよ、と、私は言った。兄のそういう思いがなんとなく温かなものであるように感じた。
言獣 裏 鬼十郎 @uotokaitesakana
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