嫌いで語る

メタロン

第1話

好きな人や好きな音楽、好きな漫画、好きなドラマ、好きな趣味。そんな人が好きな事の悪口を言う人は嫌いだ。




 私は最近知って好きになったアーティストの曲を聴きながら歩いていた。外は曇り空だが雲の向こうに微かに太陽の存在を感じられる。お昼だというのに空気の芯が暖まりきらないような、そんな感覚に冬がもうそこまで来てるのを感じる。昼にのんびり外出するのはいつ以来だろうか。去年までは休みの日も仕事の為に勉強ばかりしていて碌に外出もしていなかった。社会人3年目になり仕事も一通り覚えてきて、ここ最近ようやく落ち着いてきた。しかしいざ出かけようと思っても外出の仕方も忘れかけていたので一先ず学生の頃はよく行っていた音楽ライブへ向かっている。ライブ前にグッズ販売があるが今回のアーティストは好きになってからまだ歴が浅く、グッズ購入は見送ったのでのんびり向かっているという訳だ。


 駅に着きホームに向かう。時間帯がちょうど良かったのでほとんど人は居なかった。先頭に並んで待つと予定通り1分も待たずに電車が来た。電車に乗るとドア付近の角の席に座っていた人がちょうど降りたので角の席に座った。社会人3年目ともなると駅に着く時間と電車が来る時間、降りる人のいる位置まで分かってしまうのだと、根拠は何も無しに1人得意気になっていた。そのままスマホでSNSを使ってグッズ販売の状況を確認する。どうやらグッズ販売の列はたくさんの人が並んでいてしばらく動くに動けなそうだ。私は落ち着いてのんびり電車移動の優越に浸ろうとしていたが気付けば休日の電車は学生達が騒がしくしていた。右側では背丈から見て男子高校生が3人横並びに座って恋バナに花を咲かせていた。真ん中の学生が両隣の学生に携帯を見せていた。聞こうとせずとも聞こえてくる程大きな声から察するに、どうやら最近出来た彼女の写真を見せているらしい。右隣の学生が強がったような表情と声色で茶化していた。


「ほんとお前ちょっとブサイクな子が好きだよな」


それを言われた学生は一瞬表情に苛立ちを見せたがすぐに取り繕い笑顔を見せた。


「いやいや、俺の彼女は世界一可愛いよ」電車の中で堂々とその台詞を言える学生に愛おしさを感じると同時に、最初に茶化した学生には懐かしさを感じていた。


 私は体は女性だが心は女性でも男性でもなかった。いや、正確には女性の時もあれば男性の時もあるといった感じだ。私は私。一個人として生きてきた。だから付き合ってきた人も男女問わず私という存在を認めてくれる人とお付き合いをしてきた。そういう多くの人とは違う私という存在を認めてくれる数少ない人達だからなのかは分からないが、私が付き合ってた人たちは他の人が言うには一癖も二癖もある人達ばかりだったらしい。私としてはどの人も素敵な人だったが他の人からの評判はあまり良くなかった。色々と他の人から茶化されたり、時には口論になるような酷い事を言われもした。一時期私のような多くの人とは違う性自認を持った人達と交流する機会があった。最初こそ色々打ち明けられて楽になったが次第にそこでも不和が生じていった。結局のところ私は自分が男性か女性かは重要ではなかった。ただ一個人としての私の人格と好きになった相手の人格が重要であった。だがそこでは性自認がどちらかというのと、相手の性自認がどちらかというのが重要視されていた。結局私は半ば追い出されるような形でそのグループとは疎遠となった。


 私の人生はそういう傾向が多かった。好きになる事や大事な事ほぼ全てが他の人からの評価はいまいちだった。学生の頃はそれで傷付くことも多々あったが社会人になってからは特に気にならなくなった。自分は自分、一個人として自分の気持ちに素直になれたし周りの評価は気にならなくなった。それと同時に学生の頃は他人が好きな事の悪口を言う人や嫌いと表立って言う人達を嫌煙していたが、それも気にならなくなっていった。嫌いであったり不快になるのもその人の大事な感性なんだなと思えてきたからである。それに散々私の好きな事にケチをつけてきた人達が、違う場面では「他人の好きな事の悪口を言う人って最低だよね」等と発言しているのだから尚更私の好きな事にとやかく言われても気にならなくなっていった。また嫌いという感情も人とのコミュニケーションにおいて大事なツールなんだと理解出来るようになった。それは共通の好きな事で仲間を見付けるのも大事だが、共通の嫌いな事で仲間になっていくのも意外と大事だということである。社会で生きていくとそういうのが大事な場面によく出くわすようになる。時には先導して共通の敵を作り他の人と仲良くなったりもした。それが人として良いかどうかはさておき、誰もが意識的にかは問わず、事実としてそういうコミュニケーションの仕方をしてしまうのだからどんな場面も上手くやりこなしていくしかない。敵の敵は味方。よく言った言葉である。


 学生達の話を聞きながら私自身や私の好きな事を大事にしながら、私が何かを嫌う感情も大事にしていこうと改めて思った。一人暇な電車の中そんなことを短い文章にしてSNSに何げなく投稿する。きっと世界には同じ事を考えてる人は一杯いるだろう。共通の事を見つけて人との交流を図っていく。誰かと仲間になる事もあれば敵になる事もある。そんなもんだなと。




ライブを見終え、まだ売場に残っていたグッズを片手に帰路についていた。駅のホームで佇む私は久方ぶりの大きな音にまだ高揚感が残っていた。大人数で同じ曲を聴きながら一体となる様子は、私が多くの人と一緒になれる数少ない機会であり、そしてそこには敵もいない。幸福感に浸りながら到着した電車に乗り行きと同じで角の席に座る。ふと横を見ると電車の中は同じライブ帰りの人がちらほらいた。皆誰しも笑顔である。そんな中同じグッズを持った人の会話が聞こえてくる。


「ご飯ここが良いんじゃない?」


見る感じ男女のカップルが夕飯の相談をしていた。それを見て私もお腹がすいている事に気が付いた。どこかで飲食店に寄ろうと思い携帯でお店を探そうと手に取ると、ライブ前にスマホの電源を切ってそのままであった。電源を入れると時刻は21時前だった。あまり遅くなる前に食事を済ませたいと思い急ぎ地図を開こうとするとSNSに大量の通知が届く。その異様な光景にアカウントの乗っ取りか何かかと思いつつアプリを開くとそこには大量の罵詈雑言が届いていた。ライブ前に投稿した内容に対して


「人の好きな事の悪口を言える人って本当に嫌い」「こういう人って好きなこととかなさそう」「きっと自分の好きな事に悪口を言われたことがない人なんだろうな。そうじゃなきゃこんな事思わないはず」「こういう人がいなくなって皆好きな事で語り合える世界になってほしい」


他にも多くコメントが届いていた。投稿した内容としては敵を作ろうとした覚えなど一切ない。むしろその逆である。しかしどこかで誰かが火をつけたかのように私の投稿は広がって、あれよあれよという間に火の海になっていた。私を敵と見なし一体となった人達が、何の遠慮もなく私に敵意を向けていた。せっかくの幸福感はたちまち霧散し私は気付いた。


「ああ、私は大体敵役の人間なんだな」

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