7. 敵か味方か

「良くまとめたなぁ、青木! これは良いシノギだぞ」



「新崎さん、痛いです」



「ハハハ、いやぁーすげぇすげぇ。なぁ? カシラ!」



「そうだな」



「今日は景気良く行きましょうよー! キャバ行こうぜ、キャバ! その後ソープな! いやー、俺推しのむちゃくちゃ美人いるんだよぉー」



「俺行かないですよ」



「あ!? なんでよ? カシラの奢りだぜ?」



「おい、いつ俺が奢るって言ったよ」



「キャバ奢って下さいよー。青木頑張ったんすよぉー」



「あのなぁ、新崎…」



「そういや、マナミちゃんがカシラ全然来ないーってこの前寂しがってましたよ? 最近顔出してないんすか」



「そういや出してねぇな」



「じゃぁ行きましょうよー! マナミちゃんにも会いたいじゃないすかー」



「それはお前だろうが」



「え、バレました?」



ケタケタと豪快に笑う新崎の横で、相変わらず青木は無愛想で目つきが悪い。人を見下しては態度も悪い。しかし永井が言っていたように仕事は出来る方で、そつなくこなしては、この組織に少しずつ馴染んでいた。きちんと金は稼ぐし、怪しい動きは見当たらない。


だからだろう。若い衆はこいつに懐き出し、取り巻きのように少なからず、青木の周りにはいつも人がいた。今ではこいつの愛想のなさはちょっとした魅力となっている。それは下っ端だけではなく、俺の親父も、こいつの事を気に入っているらしい。それは仕事ができるから、よく金を稼ぐから、その理由が大きいだろうなと俺は頬杖をつきながら無愛想な男を見ていた。親父はきっと、金を稼ぐこの能面男が俺と同じ高校の同級生で、俺が転校までずっと苛めていた男だなんて気付いてないのだろう。


深夜少し前、仕事がひと通り終わった後、ケツモチしているキャバクラへと顔を出す。半ば無理矢理、新崎に引き摺られるようにしてそのギラギラとしたいかにもな店内へと足を踏み入れた。青木は相変わらず無表情で、新崎は着くなり騒いでいる。その隣にいる斉藤は愛想良く、どの女の子にも微笑む為、相変わらず人気の的だった。



「お久しぶりでーす」



俺の隣についたマナミという子は一番人気らしく、新崎のお気に入りであった。挨拶したら俺は帰ろうと思いながら、「久しぶり」と返す。



「本当にお久しぶりすぎますよぉー。全然顔出さないじゃないですか」



「なかなか都合が合わなくてな」



「そうなんですかぁ? あまりご無理なさらないで下さいね」



「ありがとう」



もちろん、俺とマナミが話していると手負いの野良犬の如く睨みを効かせる新崎がいるものだから面倒くさい。俺の隣は誰でも良いのだが…。とは思うものの、店側も気を使って必ず一番人気を横に座らせる。ただひたすらに酒を飲みながら、どのタイミングで帰ろうかと考えてちらりと青木を見た。対面に座る青木は、相変わらず無愛想の塊だった。祝い事として新崎に引き摺られて来たものの、この男とキャバクラはどうも似合わない。



「えー、青木さん、意外と筋肉あるんですね! すごーい」



「筋トレはあまりしませんが、毎日走ってます。たまにサボってしまいますが」



「私もジョギング好きー! 朝とか気持ちいいですよね!」



「はい、スッキリします」



とはいえ女の子に話しかけられると悪い気はしないらしく、口角を少しだけ上げて楽しんでいるのが伺える。それなら俺はもう良いかなと、グラスの酒を飲み干した。



「あれ、帰っちゃうんですかー?」



「ん、悪いな。ちょっと用を思い出して」



そう立ち上がった俺に斉藤も立ち上がろうとするから、「今日は遊んでおけ」と肩に手をポンと置く。



「いえ、でも…」



「あんま飲みすぎんなよ。新崎の馬鹿と青木を頼む」



「分かりました。でも涼司が来るまで俺も一緒に待ちます」



「ハハハ、すぐ来ンだろ。いいよ。マナミちゃん、斉藤を頼むわ」



「はーい!」



満面の笑みを浮かべるマナミちゃんの横で、斉藤は不満な顔をしていた。それがなんとも面白い。美人を横に置いて、そんな顔をするなよ。



「ご馳走様です!」



去り際、そう頭を下げる新崎と、相変わらず何も言わずに頭すら下げない青木、そしていつまで経っても過保護で、少し心配そうな斉藤に見送られて俺は店を出た。外に出てすぐにタバコに火を点けた。涼司が着くまでには少し、時間があるだろう。賑やかな通りを見ながら一服し、煙をもくもくと宙に吐く。

 


「…すんません、やっぱり俺も待たせてもらいます」



突如、声がした。隣からぬっと顔を出した斉藤に俺は心底驚き、心臓が止まるかと思うほどビビり、驚きが顔に出ていたのだろう。その顔に斉藤は「すんません」ともう一度謝る。



「びっくりさせんなよ…。これで死んだらお前の責任だぞ」



「カシラの心臓はノミの心臓だって事、忘れてました」



「ふざけんな」



「驚かせてしまい本当にすんません」



「で、何しに来たんだ?」



「カシラに何かあってからでは責任取れないので」



「過保護だな。そう簡単に何かあるかよ。今ンとこ落ち着いてるし、お前はいつも気を張りすぎだ。少しリラックスしろよ」



「はい、でも、涼司が来るまでは一緒に待たせてもらいます」



頭をペコッと下げた斉藤を見ながら、タバコの煙を深く肺に押し込んだ。ここで俺が大丈夫だから中に戻れ、と言ったところでこいつはもう従わないなと判断し、俺は何も言わずにタバコをふかしている。



「相変わらずこういう所、苦手ですか」



斉藤は少しの沈黙を嫌ってそう尋ねた。



「まぁ、なぁ。あんま好きじゃないな」



「無理に引っ張って来てしまいましたよね、すみません」



「お前が謝る事じゃねぇだろ。それに、新崎も青木も楽しそうだったじゃないか。今日はうんと楽しませてやってくれ。今回の青木の稼ぎはデカイ。だから好きなだけ、好きな事をさせてやれ。あ、あと、お前もな。うーんと楽しめよ」



「はい、ありがとうございます」



斉藤はふっと相好を崩した後、ところで、と眉を顰めて訊ねる。



「あの、ひとつ聞きたい事があるのですが…」



「ん?」



「青木はカシラに対して、いつも、その…なんというか、あーいう感じ、なのでしょうか」



あーいう感じ、という大雑把な言葉に何が言いたいのか全て含まれていて俺はつい笑いそうになった。



「そうだな。あーいう感じ、だな」



「組員の前では一応敬語を使ってるようですが、この前の車内での会話、カシラに対して無礼、というか…。いや、でも、そのあの、同級生ですし、俺なんかが口出しする事ではないと思うのですが…」



素直に無礼だと言った事に俺は堪えきれなくなって、くくっと笑っていると、斉藤は何故笑われているのかと頭にハテナを浮かべている。



「あいつは昔から誰にでもあんな感じなんだ。人を見下しては鼻で笑う。だから俺に殴られたのに、ちっとも変わらない。それに昔から知ってるやつだと、ある程度無礼なもんじゃないか?」



「いや、どうでしょう。親しき仲にも礼儀あり、と言いますし、無礼の類が…」



「親しくはねぇからなぁ。…ま、他のやつに食ってかかるような馬鹿なマネはしねぇだろ。俺に対してだけだ、あまり目くじら立てないでやってくれ」



「カシラが良いと言うのであれば、俺は何も言えませんけど…」



「あいつ、人前では敬語使ってるし、俺に舐めた口を利いたら他の組員から殴られるって、一応は理解してるっぽいしよ。ふたりにならないと、あんな風な口は利かないから安心しろ」



「……はぁ」



しぶしぶ納得させられた斉藤は、どこかやはり腑に落ちないといった表情だった。あの時の車内、こいつは何も言わなかったがやはり気になっていたらしい。この忠犬は俺の事で疲れきらないだろうかと心配になる。



「なぁ、斉藤。色々な事に気を使って、疲れてないか?」



だからそう声を掛けると眉間に皺を寄せていた斉藤は、「いえ!」とその皺を解いて目を大きくする。



「つ、疲れてません!」



「思った事は言ってくれ。俺に対して何でも言える存在ってのは本当に少ないから助かるからな。でも、色んな物に気を張ってると保たないぞ。昔から言ってるが、あまり気を使いすぎるな。だから今日は肩の力を抜いて少しは楽しめ、な?」



「は、はい」



斉藤は素直で愛らしい犬のようで、今も見えない尻尾を振ってんだろうなと俺の口角は上がったままだった。出会った当初からは随分と印象が変わったこの男と、まさかここまで長い時間を共にするとは思わなかった。今じゃ俺の右腕で、この組にとって絶対に欠かせない存在なのだから感慨深い。だからこそ、あまりストレスを溜めていないと良いが、俺には隠してしまうから本当のところは分からない。だが斉藤がストレス溜まってますと言うわけもなく、ただ他愛もない話をしていると時間は過ぎていった。涼司が現れ、過保護な男に見送られながら俺はその場を後にした。



「早かったスね」



「あーいうとこ苦手でね」



俺を迎えに来た涼司はバックミラー越しに俺を見ていた。



「カシラの浮ついた話しって、全く聞かないスもんね」



「そうか? 昔はたまに行ってたけどな。お前はキャバクラとか行くのか」



「いえ」



「そうか。若ぇのに」



「カシラは女の子、嫌いっスか」



「なんでそうなる。俺はただ騒がしい所が苦手なの」



「そっスか」



涼司はあまり話さない。かと言ってとっつきにくいわけではない。ただ、こいつは何かあっても詳しい事は敢えて聞こうとはしないから、詮索されるのが嫌いな俺にとっては心地の良いやつだった。やたら図体のデカイ男で、用心棒兼運転手として俺に付いてもう五年は過ぎたかもしれない。


五年も側にいれば俺の性格もだいぶ把握しているようだった。この点は五年以上も付き合いのある斉藤にぜひ見習ってほしいものだが、過保護なあいつなら、そうはならない。俺に何かあろうものなら根掘り葉掘り聞き出し、フル稼働で動こうとする。あいつ、俺が撃たれたり刺されたりしたらどうすんだろ。焦って応急処置とか出来ないんじゃねぇの。…青木なら、どうすんだろ。ふとそんな疑問が頭によぎった。俺に何かあっても、あいつは表情ひとつ変えないだろうか。喜ぶだろうか。そっちの方が想像つくなと勝手に想像しては、なんで青木の事を考えてんだろうと呆れてしまう。


あいつの事を考えてるのはストレスだと、俺は何も考えないようにしようと窓の外を眺めているうちに車は家のエントランスへ。俺は涼司に見送られながら中へと入って部屋まで上がる。部屋に到着すると疲労が一気に襲った。はぁ、と深い溜息をつきながらシャワーを浴びていると、携帯が騒がしく鳴っている事に気が付いた。斉藤からの着信だ。何か起きたのだろうかと、白いバスタオルで手を拭き、それを腰に巻いて急いで電話に出る。



「どうした」



「斉藤です」



「分かってるよ。どうした」



「今、少し宜しいですか」



「おう…」



キャバクラで楽しくやってんじゃないのかと、広い洗面台に寄りかかる。



「金谷から連絡ありまして、六丁目の土地開発、動きがあったようです。どうやら八坂議員のバックには森鳳会がいるようなんです。こっちは一ヶ月前からマークして金はばら撒いてますし、今になってこの現状は少しキツいかと。森鳳会が絡んでくるとなると厄介になるかと思い、報告だけでもと取り急ぎ連絡しました」



「はぁ…そうか、やっぱり極道絡みか。八坂って二年前に収賄疑惑で賑わせてはいたが、調べたって何も出なかったろ? サツだってお手上げだった。今ンなってその情報は辛いな…」



「しかも相手は森鳳会です。上の組と兄弟盃交わしましたよね?」



「野上の叔父貴が交わしてる。そうなると無闇に出て行けば上に楯突くハメになるよな」



「どうしますか」



「どうすっかなぁ。森鳳会とその八坂議員の関係ってのはどこまで調べがついてる?」



「今、事務所に戻って来て丁度調べている最中なんですけど…」



「え、お前、キャバは?」



「新崎と青木には少し離れると伝えてあります。楽しそうにやってましたよ。新崎は、ですけど」



「ふふ、そうか。…で、どうだった」



「ざっくりとしかまだ分からないのですが、森鳳会会長、森 修と八坂は地元が同じだという事が分かりました。小さな田舎町で、互いの実家は近所です。お互い顔を知っていてもおかしくはないかと。ただ、全て在籍していた学校は違うようなんです。なので、幼馴染とか同級生とかではないようです。近所の友達で古い仲、腐れ縁、もしくは大人になってから知り合い同郷で意気投合、分かりませんが、議員であるにも関わらず縁を切らないとなると、森が八坂を、八坂が森をそう簡単には裏切らないと思います」



「はぁ、…ってことはますます面倒だな。八坂が脅されて連んでンならまだチャンスはあったろうが、お互いメリットがあって好きで連んでンなら難しい。敵のシノギに手は出せねぇ。金谷が持ってきた仕事だが、組として事を構えるわけにはいかねぇ、戦争になっちまう」



「組としては、そうですね。…分かりました。また何かあれば報告します」



組としては。斉藤はその意味をもちろん理解していた。個人で動く分にはまだどうにかなる、と。ただ組をバックにせず個人で動くなら、相当根気が必要で金もかなり必要だ。相手が議員と森鳳会となると難しいだろうなと俺は眉間に皺を寄せた。どうするかな…。



「あまり無茶すんなよ。お前も、金谷も」



「はい、ありがとうございます。…あ、カシラ」



「なんだ?」



「もう家ですか」



「そうだが、何かあったか?」



「あ、いや、なんでもないです」



「……なんだよ、気になるな」



「すみません、なんでもありません。大丈夫です」



「そうかい。何かあったらすぐ言えよ。お前は抱え込むクセがあるから」



「…ありがとうございます」



斉藤の何か言いたいような雰囲気は電話越しでも伝わった。ただそれが何かまでは分からない。


けれど仕事に関してなら俺に言うはずだろうから、そうではないのだろう。もしかするとキャバクラで何かあったろうか。子守頼んじまったし、参ってんのか。新崎も青木も飲み過ぎて、斉藤を困らせてんじゃねぇのかと俺は少し心配になったが斉藤は何も言わず、「それでは失礼します」と俺が電話を切るのを待っていた。俺は「あぁ」と返事をしてプツリと電話を切った。


それにしても森鳳会と事を構えるのは厄介だ。下手に動いて、こっちの損失が多くなるのも困るが、シノギに手を出したとあそこの若頭が出てきたらもっと困る。今回、金が良いからと手を出して、あの若頭の気に触ったら面倒くせぇなぁ…。それに揉めたら野上組長が絶対に出てくるだろうし、そうなったら親父が俺を止めに来るのは目に見えてる。組織の体面を気にする親父が俺の仕事に口を出してくるのも面倒だし、野上組長を敵に回して組織内で孤立するのも面倒だ。あれも、これも、面倒くせぇな。やってらんねぇ。


投げ出したいが、すでに金はまぁまぁな額を使っている。損切りをすべきか、突き進むか。どちらにせよ、使った額はなんとしてでも回収しなければ、俺が親父に殺される。


悩むが今は相手の出方も分からない。引くよりは進んだ方が良さそうだ。成功すれば億単位の金が動くこの案件を、そう易々と引き下がるわけにはいかないよなと俺は自分の中で結論を出した。その時、手の中で携帯が震え、無機質な着信音が鳴り響く。表示される名前にギョッとした。なんとタイムリーな事か。いや、そんなわけねぇな。知ってて掛けてきたんだろうなと、俺は溜息を漏らして通話ボタンを押す。



「はい、もしもし」



「お久しぶりです。ちょっと聞きたい事があります」



「はい」



相手は関東緑翔会系森鳳会若頭、松葉 篤郎だった。かなり昔、大阪のバーで偶然に顔を合わせた事のあるこの男は、会うやいなや、酒瓶で俺に殴りかかってきたイカれ野郎である。今やそんなイカれ野郎も若頭で、何より、気に触ると面倒なあの若頭である。森鳳会は会長がどっしり構え、仁義なんてものを大事にする昔の極道らしい極道だが、この若頭は大人しそうな面してかなりぶっ飛んでいる。



「電話ではなんです、会って話しませんか」



「野上組と兄弟盃交わしたからって、俺が警戒してないわけではありません。会いませんよ」



「俺達、今は敵同士ってわけじゃないでしょう」



「ビジネスの上では敵同士になりうるでしょう」



「そんな事を言って良いんですか? もしかして昔の事、引き摺ってるんですか」



「そうじゃない。とにかく、話す事はありません」



「そっちになくても俺にはあります。君も分かってんでしょう?」



「何の事です」



組としての仕事ではないとすると、俺はシラを切る必要があった。ここで、はい知ってます、事を構えましょう、なんて言えるはずもない。



「会いましょう」



何の事かと聞いてるのに、こいつは会いましょうと言いやがる。本当に話が通じない。



「断ると言ってます」



「兄弟分だと言うのに失礼な態度を取ってて良いんですか。大事になって困るのはそっちでしょう」



「だから何の事を言ってるんですか」



「はぁ、まったく。六丁目の土地開発の件、そう言えば分かりますか」



「分かりません。本当に何の事ですか」



「そうですか。シラを切り通しますか。いいでしょう、分かりました。明後日の午後十時、料亭の橘園で会いましょう。ふたりだけです。そっちの若頭補佐、なんて言いましたか? あの綺麗な顔の子、連れて来ないで下さい。こちらの補佐も留守番させますので」



「おい、勝手に話をまとめないで下さい。俺は行きませんよ」



「はい、待ってます。では」



「話聞いてんのか…」



プツンと勝手に切られた電話に俺は絶句した。恐ろしいくらいに一方的で、無理矢理押し付けられた会合、どうしろと言うのだろう。どうせこちらから電話を掛けてもきっと同じ事だろうと、俺は諦めてリビングルームへ移動して携帯をテーブルに置く。着替えてソファに沈み、携帯を睨みつける。深い溜息を吐く。ズキン、と偏頭痛がしてきて眉間に皺を寄せた。風呂上がりってのは、もっとこう、スッキリとして頭痛とか和らぐんじゃねぇのかよ。頭痛ぇな。じんわりと明るくなる外を眺め、しばらく、そうソファに沈みながら何もせず、ぼーっとしていた。寝るでもなく、情報を探るでもなく、酒やタバコを呑むわけでもない。松葉との会合を考えると一気に疲労が襲ってきたのだ。こうして時間を無駄にしても埒が明かないと、重い体を無理に起こしてようやくベッドへ移動した。ズキズキとまだ痛む頭を枕に埋める。


今頃、青木は楽しんでいるだろうか。斉藤も戻れたかな? 新崎はソープか? 青木のやつも、新崎に連れられてソープに行ったろうか。あいつ、そういうのに興味あんのかな。あるか。あるよなー。男だもんな。で、またあいつの事を考えてんのかと嫌になった。一度考えてしまうと延々と思考を支配され、眠れなくなるという悪循環。頭痛いし、眠れなくなってしまったし、会合については考えたくないし、最悪だと悪態ついて枕を抱いて沈む。


その時、ヴーとメッセージを受信したらしく携帯のバイブがシェルフの上で鳴った。面倒くせぇのなんのって、手を伸ばすのももう嫌であるが、仕方なしに手を伸ばして携帯のメッセージを確認するが、画面の明るさに更に頭痛が増した。が、そのメッセージを読んで少し口角が上がる。



『まだ起きてるだろ。家行っていい?』



青木からだった。



『来るなら早く来い。寝たい』



『何か要るもんある?』



『鎮痛剤』



『わかった』



それから十五分ほどが経ち、ピンポーンとチャイムが鳴る。ドアを開けると酒臭い青木が立っていた。



「今日は自分ン家帰るかと思ったけど」



「お前の家のが近いし、疲れたし、さっさと休みたかったんだよ。はい、これ」



青木は鞄から鎮痛剤を取り出すと俺に手渡し、自分はそそくさとキッチンへ行って冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出している。



「まだ飲むのか」



「キャバでは飲めなかったから。で、…水、飲む?」



「自分でやるよ」



冷蔵庫にあったミネラルウォーターのペットボトルをパキッとキャップを開けて薬を流し込んだ。



「どこか痛むのか」



ビール片手に青木は眉間に皺を寄せて俺を見上げる。



「頭痛がちょっとな。俺は寝てるから、あんたは好きにしな」



キリキリと痛む頭痛を引き摺って寝室へと戻る。これで治ってくれりゃぁ良いが、と願いながら。



「俺は少し飲んで、シャワー浴びたら寝るわ」



「ん」



俺はまたベッドへ転がった。嫌な偏頭痛につい眉間に皺が寄る。頭痛の原因は森鳳会のせいだ。松葉のせいだ。明確だった。あいつが俺を呼び出すって事は、とてつもなく面倒な事になるだろうと予想できるから、ストレスで血管が切れそうな気がした。無理矢理にでも寝ようとして何分が経ったろうか。必死に目を閉じて、考え事をしないように寝よう寝ようと必死になればなるほど眠気は遠のき、バスルームからシャワーを流す音が聞こえてくる。


全く眠れない俺は、またベッドの上でぼうっと考え事をしていた。青木はなぜ、帰ってきたんだろうか、とか、それは本当に家が近いからって理由だけなのか、とか。



「……寝た?」



しばらくして風呂上がりの青木は、真っ白なタオルで髪を乾かしながらドアを開けて、俺を見下ろしながらそう首を傾げた。



「…寝てねぇよ」



返事をするとドアがパタンと閉じて、ベッドが軋む。



「まだ頭痛いのか」



ふわりと香るほのかな石鹸の優しい香りが鼻腔をくすぐる。



「少しはマシになったけど、まだ痛いな」



「…じゃぁ良い事してやろうか」



「あ?」



うつ伏せで枕を抱えていた俺の横に青木は腰をかけると、ひたっと風呂上がりで熱いくらいの熱を発する手の平を俺のうなじに押し当てた。青木は「首、すげぇ冷えてんな」と驚いたように呟くと、首筋から頭にかけてゆっくりとマッサージをした。まるで自分の熱を移すようだった。怪訝な顔をする俺に青木はゆるりと口角を上げる。



「温めてマッサージすりゃぁ、少しは良くなると思う」




青木は俺の背中に腰を下ろすと、両手でゆっくりと頸、首筋、そして頭を指圧する。長い指は筋肉をほぐすように押し込まれ、凝りが解れるようで心地良い。しばらく丁寧なくらいのマッサージをされ、あんなに痛んだはずの頭痛がゆるゆると解けていくようだった。鎮痛剤が効いてきたのか、それともこいつのマッサージがとんでもなく効果的なのか。どちらにせよ、つい、落ちそうになっていた。


しかし落ちそうになったのも束の間、その指先は心地の良い指圧から、スーッと背骨を辿るような愛撫へと変わる。



「……おい、」



ひくっと眉間に皺を寄せると、青木は頸に甘くキスを落とした。



「快楽は最高の鎮痛剤だって言うよね?」



「…言わねぇよ。俺は寝たいって言ったろ」



「んー? 寝てて良いよ」



「……おい、」



寝れるかと、眉間に更に深く皺が刻まれるが、青木の手はお構いなしに下へ下へと這わされる。上体を起こそうとするが、上を取られているから上手く起き上がる事もできない。



「あんた、俺が下やんの嫌だって分かったから、もうやらないんじゃなかったのかよ」



「この前はお前に無理させたから俺が下をやっただけだろ? お前、下やるの本当に嫌なんだな。ますますこっちの方が良いなぁ、ね? 赤澤」



「……ッ」



何の躊躇いもなく細く骨ばった指が中へと入る。空いている片手は首を後ろから絞めるように、多分、起き上がれなくするように、がっちりと固定されていた。中で動くその感覚は違和感でしかなかった。



「……やめ、ろって、…青木…ッ」



「俺も嫌だったなー。でも、お前はそんな俺に何をした? 高校時代の事、よーく思い出せよ」



「……ん、…っ」



「今日はちゃんとローションもあるからさ、快くなると思うよ。でもお前って、無理矢理ヤられて痛い方が快いンだけっけ? 経験ないって言ってたクセに、お前、勃ってたもんな?」



「……離せ、…やめ…ッ」



「やめるわけねぇよな? お前だってやめなかったろ。中にぶちまけて、好き勝手してさ。赤澤、お前の嫌がる事は全部したい」



抜かれた指の代わりに、押しつけられたそれを受け入れるのはやはり怖かった。反射的に抵抗しようとするが、今の体勢でそれはあまりにも無意味で、ただ青木を喜ばせるだけだった。下腹部を圧迫する妙な感覚だった。こんなの絶対に慣れねぇ。そう強い刺激に奥歯を噛み締めた。



「……ッ」



だが青木が動けば動くほど、訳の分からない熱が体を支配する。頸に寄せられていた片手がゆるりと離れ、青木は俺が着ていたTシャツを捲り上げた。



「……良い眺め」



熱い指先が麒麟をなぞる。快楽を助長するように甘く、その線を辿る。ゾクゾクと触れられた箇所が熱を持ち、過剰に反応を示してしまう。下腹部が苦しくて、熱くて、呼吸するのも難しい。



「…ッ、……青木、…っ、腹、苦し…」



だから抜いてくれと言ったつもりだった。でも青木はその言葉を聞き流して甘く笑っている。



「あ、そう」



奥を突かれる度に体に力が入る。こいつは一体、何を考えてんだろ。あんたって、本当に分からないな。なぁ。好きでこんな事してるんじゃ、ねぇよな?



「我慢してんなよ。声、出せば?」



揶揄うような、まるで小馬鹿にするような声に尚更出してやるかと思った。けれど青木の熱い手の平は硬くなったそれを包み込むと、卑猥な水音をわざと立てながら先を弄る。顔が熱くなり、つい声が漏れると、青木は楽しそうに後ろで笑った。



「しっかり覚えろよ。自分の良いトコ」



前を弄られて後ろにも力が入り、シーツを握る。どんどんと余裕が奪われていき、青木は強く腰を抱いた。



「ここら辺、好きだろ」



「……ッ!」



ビリリと全身が痺れるような強い刺激を下腹部で感じて、ハッとして目を見開く。何をされたのか分からなかったが、青木は十分理解しているらしい。満足そうに口を開いた。



「後でイけそうだね?」



執拗にそこを刺激され、呼吸の感覚が短くなった。頭がぼうっとし始め、快楽に腰がひくついた。もう、限界だった。



「青木……、イきそ…」



「イけよ。…でも、まだ終わらせないよ」



「ん、……ッ」



一度快楽を飲み込むと、もう体は限界だと言わんばかりだった。それでも青木は楽しそうに腰を抱いていて、熱い手の平でそれを握ると、そのまま首元に噛み付いた。痛みはあまり感じなかった。快楽は本当に強力すぎるくらいの鎮痛剤なのかもしれないなと、ぼうっと考える。青木はもう動きたくない俺の体に無理矢理に熱を与え、頭がおかしくなりそうだった。



「……は、…ッ」



「声、我慢すると余計に辛くない?」



「うるせぇ、な……。さっさとイけよ…ッ」



「もう少し楽しみたいじゃない。赤澤、こっち向いて」



「やめ……」



「向けって」



拒否をすれば青木の気に障る。髪を鷲掴まれ、乱暴に顔を上げさせられ、横を向かされ、何が何だか理解が追いつく前に背中に青木の熱を感じて、そのまま噛み付くような口付けを食らう。舌が重なって息が続かない。熱い吐息を漏らしながら、俺はまた呆気なく欲を吐き出してては肩で息をした。青木は奥深くに熱を出すと、ゆっくりと体を離した。



「ね? どの鎮痛剤よりも効くでしょう」



得意気な顔に腹が立った。頭痛は確かに何処かに吹っ飛んでしまった事にも腹が立つ。が、今度は別の場所が痛い。



「……風呂、入るの面倒くせぇな」



「でもベタベタだろ」



「あんたが急に盛らなきゃこんな事にはならなかった」



「お前が頭痛いって言うからじゃない。頭痛治ったんだから感謝してほしいくらいだけど」



「あんたな………」



言い返すのも面倒で俺はゆっくりと重い腰を上げ、ずるずるとベッドから下りる。青木はへらへらと笑いながら、シーツを纏めて俺の後ろをついて歩いた。俺が風呂に入ると、青木は洗濯機へシーツを放り込む。



「俺もシャワー」



青木はそう言って俺からシャワーを奪い取り、体を濡らして流している。俺が髪を洗っていると、にんまりと笑いながら俺の首筋を指差した。



「痕、結構目立つね」



そう言われて鏡を見ると、シャツでギリギリ隠れそうな位置に噛んだ痕がハッキリと残っていた。血が少し滲んでいる。快楽のせいで痛みは全然感じなかった、とは伝えず、「良い加減にしろよ」と凄むが、こいつには何ひとつ効かない言葉だった。



「組の大事な大事な若頭に噛み痕つけちゃったからなぁ。俺、殺されるかな?」



「あんた本当、腹立つな。…あーあ、ボタンを上まで留めるヤクザ、どこにいんだよ。ダセェな」



「じゃぁ、いつものように胸元を肌蹴させれば良いンじゃない?」



「うるせぇな、本当」



「ふふ、今度は見えない所に付けるね」



「付けるなって言ってンだよ」



「そう怒るなよ。じゃ、俺は先に上がってる。ごゆっくり」



自由気ままな青木にしてやられてるのを実感し、俺も頭と体を洗い流して風呂を出た。欠伸をひとつして寝室に入る。青木はTシャツとパンツだけを身に付けて、既に眠っていた。俺もその横にごろんと体を休める。すぐに睡魔に襲われ、あっという間に深く心地の良い眠りへと落ちていった。


今の俺と青木の関係にきっと名前は付かない。それでもこいつの側にいる事が当たり前になりつつある今の現状が、少しずつ、ゆっくりと、自分の首を絞めていく。

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