6. 虚構
………
……
…
「状況はどうですか」
「特に変わった事はありません」
「疑いは?」
「晴れました。問題ありません」
「そうですか、良かった。青木さんの事を知ってる人間の元への潜入って、困難極まりないかと思いましたが上手く潜り込めたようで安心しました」
「疑いがかかっても晴らす手段はあります。前の様に簡単に晴れると思いますので、ご心配なく」
「そうですか。引き続き慎重に行動をお願いします」
「分かりました」
「では明日、午前8時西公園にひとり向かわせます。男、黒フード、いつものベンチで『楽園』という文庫本を読んでます。彼に報告書を渡して下さい」
「分かりました。あと、この前の件どうなりましたか」
「あぁ、イノグチ アキオの件ですね。報告通り、マトリの潜入だった可能性が高く、始末された可能性が高いかと。彼の消息は分かってません」
「そうですか、…分かりました」
「それでは、引き続き宜しくお願いします」
「はい」
会話は必要最低限の事しか話さず、不要な事は聞かない。誰かに見られてしまえばせっかく築いた地位や関係を全て失いかねないから、危ない橋は極力避ける。首を左右に傾け、パキパキと骨を鳴らしてうんと伸びをした。公衆電話から外に出て、俺はまたジョギングをしながら帰路に着いた。
部屋へ戻ると安心しきった顔で、大所帯の暴力団上層幹部様が寝ている。寝室の入口に寄り掛かり、腕を組みながら男の寝顔を見下ろした。少し伸びた髪。凛々しい眉。形の良い唇。無駄に鍛えられた体。背中に映える紫色の麒麟。寝ているこいつは牙を抜かれた獣のように大人しい。
「……ん」
赤澤はぱちりと目を開けると、ぼうっとした頭を枕に埋め、手を横に伸ばして隣に誰もいない事を確認してから入口を見た。寝起きの瞳で俺を視界に捉えると、何度か瞬きをする。
「…また朝からジョギングか?」
「うん。今日もいい天気だから」
「そうか。…よく、朝から走る気になるな」
「太りたくないからな」
「へぇ。それは素晴らしい」
「うん、素晴らしいよ」
「少しは謙遜しろよ。…で、もう、寝ないのか? 悪いけど俺はまだ寝るぞ」
「汗かいたからシャワー浴びて、それから二度寝しようかなぁ」
「ん」
目の前の男を殺そうと思えばいつでも殺せる。今、俺はそれくらい近い距離にいる。ようやく、この関係を手に入れたのだ。けど、今はまだ殺さない。殺せという指令がきてから殺さないと。俺は待て、ができる良いコだから。ちゃーんと待たないと。上は赤澤なんてどうでも良よくて、組織の情報が欲しいだけだった。
熱いシャワーで汗を流しながら、こんな生活、いつまで続くのだろうかとぼうっと考えていた。さっさと赤澤を消す許可が下りないだろうか。上が殺せと言うのなら、俺はいつでもこの男を殺せるのに。いや、殺す? 簡単に死なれるのは困るなぁ。地獄に落として、それからだろ。喚き散らして、生まれてきた事を後悔させて、もがいて、足掻いて、味方は誰もいないと気付かせて、命乞いをさせて、それからだ。そこまでしたってまだまだだ。きっちり落ちるとこまで落としてやらないと気が済まない。どん底に突き落として、二度と這い上がれないようにしてやらないと。俺が受けた全ての仕打ちとトントンになんかなりはしない。
ザァーと響くシャワーの音を聞きながら鏡を見る。今の俺はとても生きている。鏡に映る俺の体は痣や鬱血痕や切り傷でボロボロだが、これらの全てが今に繋がっていると思うと楽しくて仕方がなかった。
赤澤に心を開かせるのは容易かった。一度疑った男の疑いが晴れたら、そこからはもう転がるように簡単な存在に変わった。全て奪われ、裏切られた時、どんな顔で縋り付くのだろうか。その時のこいつの顔を想像するだけで、俺はどんなに辛い事があっても生き抜ける気がした。俺がこの長い年月、生きる気力ってのを持ち続けたのはあいつのお陰。あいつが泣き叫ぶ姿を思うと、それだけで生きていける。
最高。
シャワーを出て、ドライヤーで髪を乾かし、下着だけを履いてリビングルームに出る。古い型のノートパソコンが置いてあるデスクの下、コードに少し埃が被っている。電源は挿しっぱなしで放っておかれ、そこに挿さっている二又コンセントの存在なんて気付きもしないのだろう。それを回収し、中身が起動しているか確認した。
次にキッチン。食器棚の上にあるもうひとつの盗聴器、それからリビングルームの入口に仕掛けられた小型カメラ。全てを確認し、カバンに入れた。中身を早く確認したかった。俺といる時の赤澤は仕事に関して何も話さないから、情報は皆無と言って良いほど落ちなかった。さすがに俺がいない時は誰かと仕事の話くらいしてるよな。次のデカいシノギは? 金の出所は? どんな大物が絡んでる? 全てゲロってくれりゃぁ、話は早いのにな。そう思いながら鞄をソファの上に置いて寝室へ戻った。赤澤は何ひとつ疑う様子もなく、気持ち良さそうに寝ていた。
俺に殺されるかもしれない、なんて微塵も思ってないのだろう。そう簡単に人を信用するもんじゃねぇのに。端に腰を下ろすとギシッとベッドが軋んだ。赤澤の頬にキスを落とし、俺はその横で目を閉じて眠りにつく。何度か寝返りをうち、赤澤は俺を抱くように眠った。ぬくぬくと体が温かい。こうして体を許すと心まで許したと勘違いをする。頭の悪いやつは疑いもせず、扱い易くてとても面白い。
「………はい、ご無沙汰しております」
遠くで赤澤の声が聞こえ、俺はパチリと目を覚ました。きっと眠りについてからそう時間は経っていないだろう。
「はい、…はい、えぇ、…500くらいにはなるかと。はい、…はい。斉藤を向かわせます。いえ、…分かりました」
俺に気を使っているのだろう、赤澤はリビングルームで小声で話していた。500の金がポンと動くような話らしい。仕事だろうか。それとも、何かやらかして詫びでも入れるのだろうか。側近で若頭補佐の斉藤をわざわざ向かわせるとは、よほど重要な事なのだろう。
こいつが今抱えてる仕事に関係しているのなら、話は分かり易いがどうだろうか。産廃処分場、それから北ノ原ダムの建設、6丁目の土地開発、この3件は良い金になる。もちろん表立ってヤクザの大看板は掲げてはいないが、金が行き着く先はこの組織。ダムなんて今の市長が絡んでるって話しだから面白い。裏が取れたら最高なんだけど、なかなか尻尾は掴ませてくれないから、それ関連だったら探りを入れたいが…。
けれど中身が読める前に赤澤は電話を切って、大きな溜息を吐きながら寝室へと戻ってくる。俺を起こさないように静かにベッドに潜る男の背中を見ながら、俺はそっと体を寄せた。
「…何かあったのか」
「いや。…起こしたか?」
赤澤は俺の方を向くと、そう首を軽く傾げる。
「うん、起こした」
「それは悪かった」
ふふ、と赤澤が笑うから、俺も釣られて笑う。
「いいよ、別に。それより顔色良くないけど、大丈夫?」
「平気だ。別に大した事じゃない」
仕事に関しては俺に一切話すつもりはないらしい。赤澤はベッドに横になると、欠伸をひとつして眠そうにするから深く聞く事をやめざるを得なかった。こいつがベラベラと何でも話してくれるようになるまで、どれくらい時間が掛かるのだろうか…。気が遠くなる。
「分かった。でも、無理すんなよ」
しつこく聞けば俺は怪しまれる。こいつが話したいと自ら口を開いてくれなければ意味がない。
「あんたがそういう事を言うと気味が悪いぞ」
「失礼だな。この俺がお前を心配してやってんじゃない。有り難く心配されろよ」
「そうだな」
赤澤は俺の方に腕を伸ばすとすっぽりと体を包み、「三度寝するわ」と、眠そうにまた欠伸をした。抱き枕のように扱われている気がするが、まぁ、良いか。こいつの体温は高くて、肌を寄せると心地良くなってしまうのは確かだから。
「うん、俺も。おやすみ」
不意打ちのように赤澤の額にキスを落としてやると、赤澤は驚いた後、眠さのせいだろうか、やけに屈託のない笑顔を見せた。
「あんたってそういう事、平気でするタイプだったんだな」
お前を手に入れる為なら何だってするよ。
「もっとしてやろうか」
「寝ろ、阿呆」
「んふふ、うん。おやすみ」
「おやすみ」
俺は赤澤の胸に埋もれて眠った。こいつはいつ気付くのだろう。いつの日か、俺の正体を知る時、こいつはどうするのだろう。怒るかな。悲しむかな。絶望するかな。楽しみで眠れないよな。だからその時まで、うんと楽しく生きていればいい。
うーんと、楽しく、ね。
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