最終話. 過剰な愛情と執着と共に

そこは日向の中に佇むようで暖かい。体中のひどい痛みは消えて心地良くて眠くなる。でも、どうしてあれほど苦しくて痛かったのに、目を閉じて楽になる道を選ばなかったのだろう。どうして、意識を保たないとと焦っていたのだろう。



「…蓮司君、今日は雨が降ってるよ」



考えても考えても思考が纏まらない。ふわふわと眠気の中で必死に考えるようだった。今すぐにでも、深い眠りにつきたいのに、早く楽になりたいのに、何が俺を邪魔するのだろう。



「あ、午後からは晴れるみたいだね。蓮司君に雨は似合わないよね」



そうだ。この声だ。この声をずっと聞いていたいと思った。この穏やかで優しい声を、ずっと側で聞いていたいと思った。もし心地の良い眠りを受け入れるなら何もかもから解放されるのに、それが出来ないのはこの声が気になるからだ。



「…あぁ、そういえば、アズサちゃんから連絡あってね、柳田組が解散宣言を出したって。僕にできる事はもう何もないのかな。ねぇ、蓮司君。早く、戻って来て。もう、ひとりは嫌だ…」



ひとりにさせたくない。



「……お願いだから」



戻りたい…。この声の主の元に、戻りたい。



「蓮司君、」



ふと温かい掌の感触を頬に感じた。その瞬間だった。体の痛みがぶり返し、心地良かったあの空間から放り出され、目の前が明るくなった。体の至る所が痛い。周りが騒がしくなり、慌ただしく人が部屋に入って来た。年配の男と白衣を着た若い男と、それから俺が一目だけでも最後に会いたいと願った男。あれからどれほどの時間が経っしまったのか。俺にとっては一瞬の出来事が、あまりにも途方もない時間だったようだ。



「蓮司くーん、分かるかー?」



年配の男がそう俺に声を掛け、俺は返事をしようと口を開けたが声が出ない。声の代わりに瞼をゆっくりと閉じて開けると、その男性は「よく戻って来たね」と安堵して微笑んだ。塩田は目に涙をたくさん浮かべている。泣くまいと我慢しているらしいが、それでも溢れる涙は止めようがないらしい。ボロボロと次から次へと大粒の涙が溢れ、塩田は声を堪えて俺の手を強く握っていた。その握る強さから、想像以上にこいつを不安にさせていた事はすぐに分かった。「もう、大丈夫」そう伝えたかった。だからその手を精一杯握り返した。塩田の表情がゆるりと落ち着き、うん、と一度頷いた。


俺はどうやら黄泉の国を12日間ほど彷徨っていたらしい。意識が戻り、塩田からこの12日間の出来事を大雑把に知らされる。


検査に次ぐ検査を受け、脳にも臓器にもどこにも異常がないと結果が出るまで数日。しばらく入院させられ、ある程度声が出せるようになるのに数日。リハビリだと言う呆れるほど単調な動作を毎日繰り返しさせられるが、その単調な動きですら最初はまともに出来ず、できるようになるまで数日。ある程度動けるようになるまで更に数日。その間、塩田は片時も離れず、そばにいて話を聞くには十分な時間はあった。



「明日、いよいよ退院だね」



「そうな。ようやくだ」



カーテンを閉め切った狭い病室で、塩田が作った粥を夕飯に食べながら塩田に笑いかける。塩田はどこか暗い表情のまま、無理に笑顔を作ろうとしているようだった。



「もう、泣くなよ。こうして生還したんだからさ」



「そう、だけど」



塩田は何かを抱えていた。それは見てすぐに分かった。俺は首を傾けてじっと塩田を見る。



「塩田、」



「…うん」



「俺はお前に詳しい事は何も聞かなかった。どうしてお前があの場所を特定できたのか、どうして荒木もあの場所にいたのか。でもこれだけは覚えておいてくれ。例えお前が何をしていたとしても、…人を殺したとしても、俺はお前から離れないよ」



「え?」



塩田は眉間に皺を寄せると、頭にハテナマークを浮かべる。しばらく考えた後、「人殺し…? なんで?」そうポツリと吐いた。



「あ、いや、違うなら良いんだけど。ほら、蓮司の居場所を教える為にターゲットを殺して来い、なーんていうアウトローな事になってるんじゃないのかなーと」



荒木がいた事を考えると、何かを課せられたのではないかと勘繰ったが、塩田は困ったように笑って首を横に振った。



「ふふ、なってない。…なってないよ」



「じゃぁ、何を抱えてんの? お前がなーにか思い詰めてるのは見て分かる」



「…人は殺してない、でも、蓮司君を裏切った事に変わりない」



そんな神妙な顔をしちまうくらいだから、よっぽどなのだろうか。



「へぇ。なに、俺がもう二度と目を覚さないと思ってどこぞの誰かと寝た?」



「ち、違う! 僕は君しか要らない!」



「分かってるよ。冗談。お前が言いにくそうにしてるから、言いやすい雰囲気ってのを作ってやったつもりなんだけど?」



塩田は少し沈黙を作って、視線を下す。



「話してくれないか?」



塩田は俺と目を合わそうとはしなかった。俯き、眉間に深い皺を寄せ、言いにくそうに口を歪めていた。



「何が、あった」



もう一度、そう低い声で訊ねると、「…僕、なんだ」そう塩田は苦しそうに、言葉を絞り出すように呟いた。



「あいつを、…笹野を、逃したのは僕、なんだ」



塩田の手は震えていた。俺はその瞬間、あぁ、そういう事かと理解した。笹野さんを逃す代わりに俺を助ける為の手助けをする、そう荒木に持ちかけられたのかもしれない。それなら何もかも納得がいくのだ。荒木があの場にいた事も、忽然と、笹野さんだけが消えた事も。辛そうに顔を歪める塩田を見ながら、「そっか」と頷いた。



「なら、俺と共に逃避行してくれンだろ?」



「……え?」



塩田は拍子抜けしたような顔で俺を見るものだから、何を言われると思ったんだろうと、俺が塩田を責めるとでも思ったのかなと思っては頬が緩んだ。だとしたら馬鹿だなぁ。



「誰も知らないどこかへ一緒に逃げてくれンだろ? さて、お前を道連れに何処へ逃げようかな」



「蓮司君…」



塩田は複雑そうに顔を顰めている。今にも泣きそうで、大きな不安に押し潰されてしまいそうだ。そこまでこいつを追い詰めていたのかと思うと、俺は自分に嫌気がさす。こいつが気に病むことは何ひとつなくて、全ては自業自得だと言うのに、そう割り切れないからこいつは苦しみ、こいつが苦しむから俺も苦しい。だとするなら、俺は平然としていた方が良いのだろうな。



「笹野さんの存在なんてもうどうでも良い。もう二度と見つからないようにすりゃぁ良い。だろ? だから、そんな顔すんな」



「けど、」



「本当はさ、俺の方こそ謝るべきなんだ」



「…な、なんで蓮司君が謝るの」



「荒木が笹野さんを逃す代わりに俺を助けるとか、そう上手い事を言ってあいつはお前に近付いたんだろ。あいつが笹野さんと関係があって、柳田組のフロント企業にいるってんなら笹野さんの別荘だって知っててもおかしくはない。お前はきっと、かなり葛藤したんだろ。だからそんな風に悩ませて悪かった。何がともあれ、お前が俺を助けた事に変わりはない。それは何があっても変わらない。俺はお前に感謝こそすれ、咎めたりは絶対にない。絶対に」



塩田は何も返さなかった。だから俺は塩田の顔を覗き込んで言い切った。



「だから俺を裏切った、なんて言うな」



「……っ」



そう強く言うと塩田は唇を噛み締める。その姿に俺の胸は苦しくなった。こうして、塩田を苦しめてしまうのも、何もかも発端は自分自身なのだから。



「自業自得、そう割り切ってくれて良いのに」



そう笑ってやると、塩田は低い声で「違う」と否定した。何が違うのか俺は分からず、眉間に皺を寄せて塩田の言葉を待つと、塩田は悔しそうに言葉を吐き出した。



「自業自得、なんかじゃない…。過去に関係があったからと言って、蓮司君に暴力を振るって良いわけない。まして、ヤク漬けにして殺して良いわけない。僕から、…僕から蓮司君を奪って良いわけない!」



塩田が声を荒げる。その怒りについ鼻先がツンと痛くなった。俺は、俺の中のしがらみというか呪縛というか、長年飲み込んできたものから、すっと解放された気がした。自業自得だからと、蒔いた種だからと、何をされたって仕方がないと受け入れようとしてきたが、それは間違っていると、君も嫌だと逃げて良いと、受け入れる必要なんてないと、そう言われた気がしたから。


感情を剥き出したこいつにつられて泣きそうになった。あぁ、こいつに落ちたのは必然なんだなと、俺は塩田の背中に手を回した。



「蓮司君、遠くへ行こう」



「あぁ、もちろん」



お前となら何処へでも。俺はただ頷き、塩田は目を赤くして嬉しそうに微笑んだ。


翌日、俺は無事に退院した。佐伯君に電話し、感謝と謝罪を伝えた。佐伯君は、「やっぱりあれが笹野って人だったんスね」、そう悔しそうに低い声で言った後、俺の事も頼って下さい、そう早口に電話口で少し涙声になっていた。



「でも、無事で良かったっス……」



「心配掛けて悪かった。…ごめんな」



「いえ、店長が謝ることじゃ…。いつから復帰できるンすか? 教えて欲しい事、たくさんあるんスけど」



もう独り立ちできるくらい、何もかもひとりでできるのに。佐伯君の温かい言葉に頬が緩むが、一方、俺はもう君とは働けないのだと、少し沈黙を生んでしまう。



「佐伯君、ごめんな。俺、近いうちに辞めて、この街を離れるつもりなんだ」



「え!? そう、なんスか。寂しいっスけど、仕方のない事っスよね…。あの、オーナーには?」



「これから。アサトさんにもこれから話す。俺みたいなのがさ、真っ当に働けるなんて本当恵まれてたのよな。みんなには感謝しかない…だから、これ以上、迷惑は掛けられない。ここにいるとまた何があるか分からないから」



「迷惑って…。店長、何も悪くないじゃないスか」



「ふふ、どうだろ」



自嘲すると佐伯君は「なんか店長ってさ、」と少し呆れたような声色を出した。



「結局は気ィ使いなんスよ。世間じゃ酷い言われようだけど、あんた、やっぱり貞操観念が低いだけで我儘も言えないような人間なんスよ。だから、さ、あまり抱え込みすぎないで下さい。オーナーもアサトさんも、きっと店長の味方っス。だからこれからは好きな事して、自由に生きて下さい。あ、あと、塩田さんと仲良くっスよ!」



貞操観念が低い、ってのは余計だけど佐伯君ってそんな風に俺の事見てたんだな。自由に生きて下さい、か。佐伯君は俺が店長として店を任されてから入った初めての店員だった。思い入れもあるし、今じゃ俺の右腕みたいなところあるし、この子にはうんと支えられて来た。



「ありがとう。あ、近いうちに引き継ぎするから。顔出すよ」



「待ってます。…店長、いや、蓮司さん、本当にお帰りなさい」



お帰りなさい。お帰りなさい。俺はその言葉を何度も頭の中で繰り返す。ずるいな。泣かせにきてんのかな。



「ありがとう。じゃ、またな」



「はい、また」



佐伯君と話を終え、俺はアサトさんに電話をする。家で家族団欒中だろうかと思ったが、3コールでアサトさんは出た。



「おい! 全然、大丈夫じゃねぇだろ!」



第一声がそれだった。塩田は俺の携帯を使ってアサトさんに、俺のフリをして連絡を取っていた。しばらく怪我で入院するから店に出られません、と連絡して事情を知る佐伯君とも話を合わせていたらしい。だからアサトさんは真実を知らない。でも、それで良い。



「アハハハ、うん、ごめんなさい。今日、退院しました」



「ごめんなさい、じゃねぇよ。店に行ってよ、佐伯君にお前の入院先聞いても教えてくれねぇし、もう、どうしたもんかと……」



「アサトさん、俺ね、引っ越す事にした」



「おう。それは前に聞いたけど…」



「この街を出る事にしたんです。塩田と遠くへ行こうかなって。だから店も辞める事にしたんです。アサトさんやオーナーには感謝してもしきれない。…でも違う場所でやり直そうかなって。だから、最後に飲もうよ。ヒヨトさんも呼んでさ。多分、近いうちに店にまた立つから、その時にでも」



「………そう、か。…そうか」



少しの沈黙の後、アサトさんはぽつりと呟き、そして言葉を続けた。



「安心しろ、何があったかは聞かねぇよ。でも、あまり無理すんなよ。俺は今もこれからもここにいるし、何かあったらいつでも電話して来い。いいな? それはお前が何処に行っても、だ」



あぁ、この人は本当に…。胸がとても温かくなり、俺は唇を噛み締めて口を開く。



「うん。ありがとう…」



「じゃ、近いうちに。ヒヨトにも声掛けておくからよ。塩田君も誘えよ? 最後にパーっと飲もうぜ」



「うん」



アサトさんはずっとカッコいい。きっとこの人は死ぬまでカッコいい。俺はきっと永遠とこの人に憧れるんだろうなと、アサトさんの声を聞きながら思った。アサトさんとの話を終えた時、タイミングを見計らったように塩田が部屋をノックした。薄暗くなっていた寝室のドアを開け、パチッと電気を点ける。



「薄暗い部屋でお話中?」



「いや、もう終わったよ」



「そっか、良かった。…これ、届いてた」



塩田はベッド傍に座っていた俺に、一通の手紙を差し出した。



「何これ、手紙?」



「封は切ってない。荒木から蓮司君への手紙みたい」



その名前に塩田は軽く緊張しているらしい。眉間には皺が寄っている。



「…なんだろ。何か聞いてないのか?」



「いや。荒木とは連絡を取りたかったんだけど、笹野と消えてから音信不通だった」



「そっか。じゃ、…開けてみようか。ここ、座れよ」



俺はポンと隣を叩き、塩田を横に座らせる。手紙はきっちり封がされていた。ペーパーナイフなんて便利なものはないから、ペリペリと恐る恐る封をちぎって開け、中身を確認した。中には写真が一枚だけ入っていた。



「これ……」



高層マンションらしい部屋の一室、男の後ろ姿が写っていた。後ろ姿でも十分にそれが誰か分かる。この背中、この手足の長さ、この髪。笹野さんだ……。シルクの白いパジャマを着て、裸足で、バルコニーから街を見下ろしているようだった。手には赤ワインを、顔はよく見えないがきっと微笑んでいるだろうと思った。


見下ろすその景色は絶景だろう。目立つのはエンパイア・ステート・ビルディング、そしてその周りにも高層ビルがいくつもある。この人は、日本を出たんだなという事はすぐに分かった。そしてもうひとつ。この人はもう、俺に近付けないのだろうなという事も。俺に近付く事を、きっと、この人の飼い主が許さないのだろうな、と。



「…これ、鎖、…足枷、だよね」



笹野さんの細い足首には足枷がひとつ。鎖が写真の外へと繋がっている。



「ニューヨークの一等地で悠々自適に監禁されてるってことかな」



ひらりと裏を捲る。裏には荒木からのメッセージが書かれていた。



『蓮司さん、これ読んだら電話を下さい。直接会って話がしたい』



下には携帯電話の番号が書かれていた。



「電話、するの? 僕は反対だよ」



塩田の不安そうな顔を見ながらも、俺の答えは決まっていた。



「俺も会ってこいつと話しがしたいんだ。大丈夫、今更俺に何かするわけじゃないだろ。笹野さんはニューヨークだろうし、こいつはただ俺に会いたいだけ」



「…荒木は君を殴った張本人だよ」



「ふふ、ついでにヤり倒されたね」



塩田の表情が鬼のように恐ろしくなり、俺はその眉間の深い皺を見ながら、「そんな顔すんなよ」と笑ってしまった。俺はその場で番号を打ち込み、通話ボタンを押す。荒木は直ぐに応答した。



「お帰りなさい」



塩田は腕を組んで俺を見ていた。



「…手紙、読んだけど。いつどこで会う?」



俺は塩田の怖い顔をヘラヘラと表情を緩め眺めながら、荒木へ返事をする。



「あれ、なに、警戒してないンすか?」



「警戒した方が良いのか? あんたには命救われてるんでね」



「あー、そうっすね。…今から出れます?」



「今?」



「えぇ。塩田さんには適当に言って出て来て下さい。もうすぐ着きますので、下で待ってます」



「え? 早くない? ちょっと待ってよ、着替えるから」



「オシャレしなくてもあんたはカッコいいですから、早く出て来て下さい」



「寝巻きなんだけどな…。まぁ、いいや。じゃ、今行く」



「はい」



電話を切り、眉間に皺を寄せる塩田に「すぐに帰って来る」そう言って適当に黒のフーディーを被る。投げ捨ててあったジョガーパンツを履いていると、塩田は「……分かったよ」と不安丸出しの表情で頷いた。眉間の皺はそのままだ。



「帰ったら飯食って、一緒に風呂入って、その後はうーんと楽しもう?」



塩田の眉間に人差し指を押し付け、その皺を伸ばしながら首を傾けると、塩田は呆れたように目を細めた。



「まったく。そう誘えば僕を丸めこめると思ってるね?」



「思ってる」



塩田は溜息をつくと、観念したように俺を見送った。



「……気を付けて行って来てよ」



「いってきます」



「うん。いってらっしゃい」



チュッとわざとらしく音を立てて頬にキスを落とし、俺は部屋を出た。エントランスには黒いスポーツカーが既に停まっていた。運転席に荒木がいて、俺に気付くと窓を開け、「元気そうで何より。乗って下さい」そう無表情に言われる。



「生きてたんだね。てっきり死んだと思ってたからさ、あんたが瀕死の俺の目の前に現れた時、死神が迎えに来たと思ったよ」



乗り込んで早々そう言ってやると、「死神ね」と荒木は鼻で笑った。



「あの人は俺を殺せなかったって事です」



荒木は嬉しそうだった。それもそうかと思いながら、外を眺める。別にこいつと笹野さんの関係なんて興味ない。



「へぇ」



車は賑やかな夜の街の中を走った。陽が沈み、ネオンが輝く夜の街をゆっくりと。前にも後ろにも車の列、そして何処からか湧いて出てくる着飾った人々。派手で良い。夜の街はいるだけで楽しい。



「で、話しって?」



けど、そんな事を思ってる場合じゃない。



「俺ね、昔はあの人のことアキ兄ちゃんって呼んでたんです。大人になって同等に見てもらいたくて、旭司さんって呼ぼうって決めたんです」



「……は?」



話しが読めない。だが俺に説明する気など荒木にはなく、無表情に言葉を続けた。



「まぁでも仕事場で旭司さんってさすがに呼べないんで、笹野さんって呼んでましたけど。でもふたりの時は旭司さんって呼ぶんです。下の名前で呼ぶとね、露骨に嫌な顔するんですよ。興味の無い人間に興味を持たれる事に反吐が出る、そう顔に書いてあるんです」



「……あんたと笹野さんの関係を聞く為に俺は呼び出されたの?」



「アハハ、まぁ聞いて下さいよ。あの人はさ、ある日突然俺の前から姿を消したんです。ガキだった俺を残して、何処かへ消えたんです」



ガキだった…。つまりこいつが子供の頃からの付き合いって事かよ。こいつと笹野さんとの関係なんて興味ないと思いつつ、つい眉間に皺が寄り、荒木の横顔を見てしまう。



「探しまくってようやく居場所が分かった時にはもうかなりの時間が経っていて、あの人はムショの中にいました。俺はどうしてもあの人の側にいたくて、近付きたくて、あの人のフロントに潜り込んで、面会行く度に、旭司さんってわざとらしく呼んで、その度に嫌な顔をされる。何の用? それが久々に会った俺に向かって言った言葉です。俺がそこにいる事に対して、そして"偽名"を使っている事に対して、あの人のフロントで働いてる事に対して驚きもしなかった。旭司さんを探してました、そう素直に言ったら更に嫌な顔をされました。何回目かの面会の時、あの人に、田舎帰って親孝行したら? そう"皮肉"を言われたんです。鼻で笑っちゃったんすよね。孝行する親は殺されました、そう言うと、あの人はケタケタと笑ってさ、殺されたんじゃなくて、失踪したんだろ? って。だから、言ったんです。いいえ、殺されたんです、って。そしたらあの人、君は真っ当に生きるんじゃなかったの? その為に誰かが手を汚したんだろ、なんて言うんです。だからね、俺、言ってやったんですよ。責任取ってもらいに来たんです、観念して下さいって」



「待て、全く話が……」



「あんたとあの人が出会うよりもうんと昔から俺はあの人を知っていて、慕っていて、心酔してます。依存して、執着して、あの人の事となると何も考えられなくなる。あの人の為なら何だってする。ただ、あの人がどんなに願おうと、俺に頭を下げようが土下座しようが、あんたにはもう二度と近付かせない。だから安心して下さい。あの人はもう俺だけのものです」



笹野さんに心酔して良いことなんてない。いつかヤク漬けにされて殺される。無様に死ぬのがオチだ。お前はあの人の仮面に騙されてるだけだ。なんて、言ったところで無駄だというのはすぐに分かった。こいつもこいつでイカれてる。



「あ、そ。なんかよく分からないけど、それは良かった」



「でもそう塩田さんに言ったらね、信憑性ないって顔されました。その怪我、笹野に負わされたんだろ、って。だとするならあなたに笹野をコントロールできるとは思えないって。写真、塩田さんにも見せましたよね? 何か言ってました?」



「何も。ただドン引いてたな。俺は笑っちまったけど。悠々自適に監禁されてんなぁーと」



「あの人はもうあの檻から出られませんよ。だから信じて下さい」



流れる街の景色は繁華街を抜け、少しずつ人気が少なくなる。



「また殴られなきゃ良いな?」



「ふふ、あの人に殴られるのは悪くありませんでした」



「……イカれてんな」



「あの時のは申し訳なかったと思ってますよ。あんたの綺麗な顔、殴らないと気が済まなかったんです。あの人がムショ出るってなって、自分の感情が抑えられなくなって、俺とあんたとを天秤に掛けて、どっちを取るか、賭けたくなったんです」



「言い訳もびっくりするくらいイカれてんのな」



荒木は一瞬俺の方を見ると、ふっと口角を上げ、やけに嬉しそうに笑った。



「あんたからあの人を奪えた事、やっぱり嬉しいものです」



「……はぁ」



「あんたを殴った俺を殺せるかどうか、俺は試したかったんです。あのビデオ見せたら、案の定、あの人は顔色を変えて我を忘れて俺を殴りました。今でも少し腕は痛みますが、その痛みすら愛おしい。でもね、結果、あの人は俺を殺せなかった。あの人の中であんたを断ち切ろうとする葛藤はあったんだと思います。離れていく人間に依存したくない、それが本音でしょうね。だからあんたを殺せば解放されると思ったんでしょう」



「笹野さんもあんたも心底イカれてる。とんだ我儘で反吐が出るほど傲慢だね」



「えぇ、全くその通りです。自分勝手で、思い通りにならないものは要らない」



「よーく分かってるじゃない」



「だからあの人は俺を生かしてあんたを殺した。それが笹野さんの出した結論です。俺に飼われる事を選んだんです。だから俺、嬉しくて仕方ないんです。あんたにはきちんと謝りに来たんですけど、頬がつい、緩んでしまう」



「ふざけんなって、今、お前を殴っても誰も文句言わないだろうね」



「言わないでしょうね。罪にも問われないかもしれません。殴ります?」



「……殴らないよ。人を殴る趣味ないンでね」



荒木は笑うとタバコに火を点け、窓を少し開けると、ふぅと煙を外に吐き出す。



「殴られる趣味はあるのにね」



「……ねぇよ」



「そうでした?」



「……」



けどこの男、本当に何者なのだろう。何が目的なのだろう。笹野さんのフロント企業に"潜り込んだ"、なんて言い方も気になる。少しの沈黙の後、俺は荒木の横顔を眺めながら口を開く。



「あんたさ、…俺をあのまま見殺しにする事だって出来たろ。笹野さんの事しか考えないあんたにとっては、そっちの方が良かったろ。塩田に連絡せず、俺が殺されるのを待って警察の目を盗んで笹野さんだけを逃がす。あんたならその選択肢もあったんじゃないの。なんで塩田に接触して俺を助けたの」



荒木は深く煙を肺に押し込むと、ゆっくりとその煙を吐き出した。



「さぁね。どうしてだったかなぁ」



荒木は人気のない港の倉庫に車を停めた。シートに深く寄り掛かると、タバコを挟んだ指で気怠そうに頭を掻き、そしてまたタバコを一口。



「殺しは違うから、でしょうか。あんたを殺したって金にならないじゃない、ね?」



「ね、って…」



「金にならない殺しは何も得られない。だからね、金にならないのに人を殺したあの人が理解できなかった。何でそんな事したのかなぁ…。馬鹿だよなぁ」



笹野さんは、こいつの為に人を殺したというのだろうか。吐き出された独り言のような言葉に、俺は何と答えるべきか分からなかった。けどもう深入りもしたくねぇなと、窓の外を眺めて口を開く。



「あんたはそれで何かを得たんだろ。だったら笹野さんにとって何も得られなかったわけじゃないだろ」



荒木は一瞬驚いたように片眉を上げ、すぐにその感情を隠すようにふふっと笑う。



「……ね、蓮司さん」



「何…」



「だから、俺はこうなってるんでしょうね。あの人の為なら何だってしたい。あの人にとって価値のある人間になろうと必死なんです。だから、ごめんね、蓮司さん。あんたを殴ったのも、やっぱり俺は自分に価値があると誇示したかったから」



「とんだ身勝手だな」



「ですね。でも、単純にあんたのその綺麗な顔に傷をつけたかった、てのもある。それにあんたって殴られた方が興奮するから」



「………あのなぁ、」



反省の色が皆無なんだな、こいつは。俺は呆れていた。



「けどやり過ぎましたね。ごめんなさい」



「……いい加減、本題、話したらどうだ。こんな人気のない港まで来て。ここまで語ったんだ、俺を殺して海に流す気?」



「勘、良いっすねー。ご名答」



「…は?」



こいつが言うと冗談に聞こえないからちょっと怖くなる、が、荒木は冗談だとケラケラと笑った。



「あんたにちょっと頼み事があります。聞いてもらえないなら、あんたには消えてもらわないといけません」



「俺に対する謝罪じゃなかったのかよ」



「それはもう謝りましたよね? ごめんなさいって」



「……何だか腹が立つな」



「ふふ、イライラしないで下さいよ。俺の願いを聞いてほしいんです。難しい事じゃありません」



「あんたの願い事なんて叶えてやる義理は無いと思うけど」



「でも蓮司さんは飲むしかない」



「…あ?」



荒木は俺の方を向くとゆるりと口角を上げる。



「あの人の事も、俺の存在自体も忘れて下さい。それが俺の頼み事」



「忘れるって…」



「じゃないと、あんたを黙らせないといけないから」



荒木はタバコを灰皿に押し付けた。切れ長の瞳を細め、薄い唇を少し上げている。



「せっかく助けたのに奪わなきゃならないなんて、とんだ二度手間です。だから、あんたの記憶から全て消し去って下さい。笹野旭司なんて知らない、荒木という名の男も。良いですね?」



こいつ、一体何者なんだ……。



「荒木、あんたって…」



「本業は情報屋。塩田さんの同業者です。でも昼はちゃーんと働いてますよ。柳田組のフロントで、カタギとして。あーでも、もう働かなくて良いのかもしれないですね。俺の仕事も終わりです」



仕事も終わり、そう笑った荒木の瞳を見て、ある事を思った。もし、こいつが別の組織から送られた人物だとしたら。マトリやマル暴のような国の仕事じゃなく、裏の人間だったら。情報を盗む為、誰かの命を奪う為、仕事の為に手を汚すような人間だったら。笹野さんを探し、近付く為にフロントに潜り込んだこいつに何かが命じられていたのなら。それがもし、笹野さんの始末だったら。こいつは笹野さんに心酔している事を隠す必要があるし、それに、笹野さんの気を引こうと行った俺への暴力は、何としてでも隠さなければならない事なのではないか。だからあんたを黙らせないといけない、なんて言ったんじゃないだろうか。



「…あ、そ」



なぁんて、そうだったら面白いのになぁ。



「全て忘れて下さい。俺とあんたは会ったことがない、良いですね」



「あんたも笹野さんも二度と関わりたくないんでね。喜んで記憶から消しますよ」



「ふふふ、でしょうね。あんたが抵抗を見せたら、あんたはこの海に沈む事になってました」



その時、あれ、と背筋が凍った。荒木の目は一切笑っていない。へぇ。もしかして俺が思った事は案外当たってたりするんじゃないの。



「それ、冗談に聞こえないね」



「そうですね」



「…で、話は終わり?」



「えぇ。帰りましょう。送ります」



「どーも」



荒木は携帯を確認し、エンジン音を派手に鳴らしてまた街へと戻った。深入りはごめんだなと俺はまた流れる外の景色を眺めている。マンションに着くと、その広いエントランスにはダサいジャージ姿の青年がひとり、不安そうに立っている。



「あれ…」



「塩田さんですね。あの人も大概ですよ。良いんですか塩田さんで。あれも、あんたに酷く執着してイカれてます」



「……ふふ、あいつがいないと俺はもう生きていけないんでね」



「へぇ。そうですか。塩田さんには宜しく伝えて下さい」



「直接言えば良いだろ」



「俺、あの人苦手なんで。じゃ、俺はもうそろそろ行きます。さきほど言った事、お願いしますよ」



「…あんた、誰だっけ?」



そう言ってやると荒木はふっと口角を上げた。俺は言いたくなかったが、言わなければならない事があった。言うのは癪だが、仕舞っておくのはもっと癪。



「………なぁ、」



「はい」



「あんたには散々、酷い目に遭わされたけど、助けてくれた事に関しては感謝してる。あんたがいなかったら死んでたろうから。俺が死んでたら、塩田をすごく苦しめてたと思うから。だから、…簡単に笹野さんに殺されンなよ」



「笹野さんと末永くお幸せに、って言ってくれてると捉えて良いですか」



「あんた、本当にイカれてんのな」



「違いました? 蓮司さん、あの人はね、もう俺を殴れませんよ。首輪、頑丈ですから。それじゃ、お元気で」



首輪、ね。外れないと良いな。いや、外れても、もう笹野さんはこの男の元に戻るしかないのだろうな。そうだとしたら奇妙な関係を築いてるよな。



「……それじゃ」



けれどもう俺には関係がない。知りたくもない。パタンとドアを閉め、駆け寄って来た塩田に「ただいま」と手をひらひらと振ってみせる。後ろで車が走り去り、塩田は相変わらずダサいジャージを着ていて俺は思わず笑ってしまった。



「なぁ、この前買った新しい部屋着どうしたよ。セットアップの。どうしてそのダサいジャージ着てんのよ」



「おかえり。あれは蓮司君からのプレゼントだから」



「着てもらわないと困るんだけど」



「勿体無いからね」



「あ、そーですか。てか、ずっと待ってたのか?」



「あ、いや、荒木から連絡があった。これから帰ります、って」



「なにあいつ、そんな律儀に連絡なんてしてたの? 気付かなかった」



「あれから連絡一切取れなかったのにね。一応、蓮司君を連れ去ってる自覚はあったみたい」



「連れ去ってる、って…」



「連れ去られたじゃない」



「まんまとな」



「そう、まんまと」



部屋に戻った後、塩田が作った夜食を食いながら、瓶ビールを開けてダラダラと過ごす。この時間が何とも幸せであった。



「…あ、そういえば、荒木が宜しくってさ」



そう伝えると塩田はビールを一口飲み、「あ、そう」と想像以上に素っ気のない返事が返ってくる。



「笹野さんの事も自分の事も、綺麗さっぱり記憶から消してくれって。消さないと俺が消されるんだって」



「え、どういう事?」



「とにかく忘れてほしいんだってよ。あいつ、何者なんだろうな。何か裏にあるんだろうなーって、話しててずっと思ってた」



「何を話してたの?」



俺は塩田に荒木が言っていた、荒木と笹野さんの出会いから、今の状況をざっくりと伝えた。



「…んで、あいつが笹野さんにどーれほど重たい感情を持っているかを延々と。俺に対して土下座して謝るくらいの事すんのかなーと期待したのに」



「反省の色なかった?」



塩田という男は案外、血の気の多いやつなのかもと、その時感じては可笑しく思えた。陰気なやつがヤクザお抱えの情報屋なんだもんなぁ。見た目によらず、肝の据わった男だった、ってことだ。



「そう静かに怒んなよ。怖いから。それにあいつ、謝ってはくれたよ。自分の価値を測る為に、俺を殴って悪かったって」



「価値?」



塩田は首を傾げ、俺を見る。



「笹野さんに対して蓮司とかいう男より、俺の方が価値あるだろ? って。で、笹野さんもその価値を認めざるを得なかった。今や荒木は笹野さんの首に頑丈な首輪を嵌めたってわけよ」



「……君は、なんだかんだで優しすぎるんだよ」



「そうか? けどさ自分の為に恐ろしい事もやってのけてしまう相手を、心の底から心酔し、依存し、執着するその気持ち、分からなくもないんだよなぁ。それが愛か否かは当人の間でしか分からないのかもしれないけど。…俺もさ、お前が不毛な恋を諦めろと脅してくれなきゃ、今もまだずーっと苦しいままだっと思うから」



そう微笑むと塩田は唇を尖らせた。



「そ、それを引き合いに出すのは卑怯だろ。…僕と荒木は違うよ」



「ま、違うわな。でも荒木の考える事も分からないでもないなと。自分の為に何かしてくれた人に対して特別な感情を抱いてしまうのは、おかしな事じゃないだろ? ただそれがかなり歪で重い」



「まぁ、そうかもしれないけど…」



「そ。けどもうあいつらとも関わる事もないし、お前は少し肩の力を抜けよ。俺はもう荒木って男も笹野さんも、もう忘れる。そんな名前は聞いた事ない」



「そ、か……」



塩田はそう呟いて視線を下す。これで安堵してくりゃぁ良いんだけど。こいつの不安を少しは払拭できたら良いんだけどな。



「さ、あの人達の話はお終い! 飯、マズくなる! 飯食ったら風呂入ろううぜ」



「うん、もちろん」



「で、その後はたーくさん構ってくれんだろ?」



「やけにストレートなお誘いだね」



「そりゃぁな。久しぶりだから。これでもかと言うほど相手してくれないとなぁ?」



揶揄うように誘うように甘く微笑んでみせると、塩田の眉間に一瞬皺が寄った。



「僕がどれだけ我慢してたと思ってんだよ。君の体に気を使って我慢してたのに、そんな風に煽られるんだもんなぁ」



「優しくなんてすんなよ」



「余裕だね」



「そうだなぁ? 先にどっちがイっちまうんだろーなぁ」



ふっと笑ってやると塩田は頭を掻き、「その余裕ある顔、腹立つなぁ」と呆れながら俺の目をじっと見ていた。



「ふふ。けど割と余裕なんてねぇのよな」



「ないんだ?」



「ないだろ。お預け食らうと余裕もなくなるよ」



「アハハ、そっか。……僕も、余裕ない」



塩田の熱っぽい瞳と言葉は俺は反応した。早く欲しいなと、口角を上げる。



「んじゃ、ご馳走様。皿は後で俺が洗うから、風呂、一緒に入ろうよ」



そう誘うと塩田は頷く。



「いいよ。今日はベルガモットの入浴剤だよ」



「ベルガモ。へぇー。良い香りしそう」



「うん、すっごく良い香り。奮発しちゃったよ」



「楽しみだな」



脱衣所で他愛もない会話に頬を緩めながら服を脱ぎ、ベルガモ風呂に入る。向かいあって湯に浸かり、ざぶっと湯が湯船の外へ溢れるのを眺めた。塩田は濡れた手で真っ黒な髪を後ろに撫で付ける。こいつも良い男になったなと、つい片眉が上がる。内面もそうだが外見もえらく好みになったと、改めて思ってしまう。



「あー、良い香り」



「だな。癒される」



「でしょう」



塩田ははにかむように優しく笑って頷いた。ふたりでくだらない話をしてはのぼせるまでケタケタと笑い合う。風呂から上がって腰にタオルを巻いたまま、冷蔵庫から水を取り出し、テーブルに軽く寄りかかりながら飲んでいると、塩田が目の前に立って俺の方に手を伸ばす。どうしたのかと塩田を見ると、塩田は首を傾けながら抜糸が済んだばかりの腹部に残る傷痕に指を這わせ、俺を見上げる。



「……痕、残るよね」



嫌だろうなと思った。逆の立場だったら俺は気が狂うかもしれないと。心底惚れてるやつが誰かに刺され、その痕が生々しく残っているなんて。見る度に刺したやつの事を思い出してしまうのだろうと。多分、いやきっと、今は俺よりもこいつの方が苦しんでいる。



「そうなぁ。…気になる?」



「ならないわけ、ないだろ」



「…よな。気にすんな、って言ったって気になるよな。俺がお前だったら、すげー気にしちまうと思うし。でも、俺はお前にはなれないから気にすんな、としか言いようがない」



「そう、だよね…」



「……なぁ、塩田」



「ん?」



見上げる塩田の瞳をじっと見ながら俺は続ける。



「この刺し傷、実はさ、自分で刺してついた傷なんだ。観覧車乗りながら気付いたら刺してた。ナイフ挿れてさ、お前の事想像したら、すげー気持ち良くて、色んなもんぶちまけちゃった」



へらっとわざとらしく笑ってやると塩田は驚いたように目を見開いた後、ふっと鼻で笑う。



「快かったンだ?」



「そりゃぁもう。キラキラと宝石のように輝く街を見下ろしてさ、色んな妄想しながら、ひとりヤりまくんの。気持ち良すぎてトんだね」



「キラキラと、宝石のように…。よく覚えてるね」



「そりゃぁ覚えてるだろ。あんな過激な内容。しかも俺がモデルなんだ、忘れるわけないだろ」



「君の恐怖心を煽る為に作った甲斐があったね」



「今やそのストーカーは俺の良いパートナーだもんなぁ。あの本のせい、か、お陰か、俺はお前を意識したし、危ない橋ってのに興奮したね。頭のイカれたストーカーとセックスするなんてゾクゾクしたし、すげぇセックス上手いし、今は俺の方がお前に固執してるだろうからな」



「こ、固執してくれてるの…?」



塩田のきょとんとした表情に俺は何故だと驚いてしまう。



「何その意外そうな顔。自分以外とはできない体するって断言してたろうよ」



「いや、そう、だけど」



「俺はね、塩田。もう忘れて欲しいんだよ。俺が刺された事も死にそうになった事も。俺は忘れた。だからお前も忘れろ。何もかも」



塩田は少し考えるように俯く。何か少し思う事があるようで、何も言わず髪をガシガシとタオルで乾かし、そして少し間を置いてから口を開いた。



「……君が忘れろと言うのなら、忘れるのが優しさなんだろう。でも、ごめん。僕にとってあの出来事は到底許せない。僕が忘れないと、きっと君も忘れる事ができないだろうって事は分かっていて、その上で、僕はやっぱり忘れない。君が忘れても、僕は忘れるべきじゃないと思ってしまう。だから君への責任は僕が取る。僕が君を一生守る。誰も君を傷つけないよう、生涯通して、守り続ける」



固い決意を面と向かって言われると、それはもう、何も言い返せない。忘れろ、なんて簡単に口には出来ない。こいつは辛い過去ごと生きていくことが出来るんだろうな。強い男だなぁと俺の頬は緩んでいた。



「へぇー。グッときた。それって王子様と騎士みたい。王子の為ならこの命、捧げる覚悟です! って」



「そうだね。だから言ったろ。君は王子様なの。そして僕のこの命は王子様のもの」



「…相変わらず、お前ってキモいのな」



「え、ひどくない? 自分から王子様と騎士って言い出したくせに」



「ごめん。冗談よ、冗談」



笑う俺に塩田はやけに真剣な顔した。



「ねぇ、蓮司君…」



「ん?」



「僕は君のもの。君は僕のもの。だから君の過去も傷も何もかも僕に背負わせてくれないかな」



そんな事をさらっと言ってしまうんだなぁと、俺は照れを隠す。惚れ直すとはこの事か。



「どんどんお前は男前になっていくね。お前に惚れられて良かったなぁーって痛感しちまうな」



「うん、痛感してよ。だから僕以外はもう視界に入れないで」



男前になったは良いが、言う事は相変わらずサイコなストーカーで、それももはや最高だなと思ってしまう俺の脳もイカれてる。何であれ惚れたら負けで、俺はふっと笑いながら塩田の頬にキスを落とす。少し照れる塩田を見ながらその腕を引いた。



「さて、君の王子様はお前以外見れないンでね、欲求不満なんだ。うーんと相手、してくれンだろ」



「もちろん。でも体力相当落ちたんじゃない?」



「失礼だなぁ。少しは走るようにしてるし、腹筋も背筋もスクワットも、少しずーつ回数増やしてるし、ほら、腹だって相変わらず割れてます」



腹筋を指差して、どーよ、と自慢気に言うと塩田は「おぉ」と白々しい演技をする。



「す、すごい。さすが蓮司君、見事に腹筋が割れている」



ふふ、なんかちょっとバカにされたのか?



「そうそう、割れてンの。見事な肉体美をキープしてんの。この俺が体力ないわけないだろ? だから遠慮すんなよ。遠慮なんかされたら満足できない。お前に酷くされてぇなって、入院中、ずーっと思ってたから」



誘うように目を細めると、塩田は口を歪め、目を細め、じっと俺を見上げた後に、「煽らないでほしい」と呟くように吐いた。煽るなと言われれば煽りたくなるのが性分で、雪崩れるように寝室に入って甘く塩田の唇に噛み付いた。そのまま歯列を撫でて舌を重ねて絡め合う。まだ乾いていない髪を後ろに撫でつけて塩田の上を取ると、余裕がなさそうな塩田の瞳が俺を捉えた。どうやら余裕がないのはお互い様で、ごくりと生唾を飲み込んだ塩田を見下ろしながら、にやりと口の端を上げてみせた。



「こうなると、体勢変えられないだろ?」



「僕も体重増やしたいよ。君みたいに筋肉をつけたいんだけどなぁ」



「俺の体格に近付くのには何年掛かる事やら」



「うぅ、途方もない…」



塩田は悔しいと顔に感情を滲ませて俺を見上げるものだから、ついつい甘やかしたくなってしまう。なんだろ、この愛嬌。愛らしいったらありゃしない。



「でもさぁ、お前はこのままで良いんじゃないの。良い感じに筋肉もついてきて、今の体型がお前にはぴったりだと思うけど。世の中ではお前みたいな細いクセに脱ぐと案外筋肉ついてる、こーいう体の方が好まれるンだしよ。お前を狙うような輩が出て来たら、どーしよ」



厚みが出てきたその胸に、仰々しく指を這わせると塩田は少し首を傾け、しばらく俺を見上げた後、ふふっと楽しそうに笑った。



「そうなった時、蓮司君は嫉妬してくれるのかな。嫉妬する君を見れるなら最高なんだけど」



塩田は甘い顔をする。心臓をぎゅっと鷲掴みにされ、俺は咄嗟に何を返すべきか分からなくなってしまったほど。



「男の嫉妬って醜いんだぞ」



もごもごとそう口にすると、塩田は「へぇ、そうなんだ」と片眉を上げる。



「だとしても君を嫉妬させたい。嫉妬に怒り狂う君を見てみたい。それほど僕に執着してるって証拠、見せてほしい」



嫉妬なんて感情、出来れば抱きたくないのだけど。



「お前はどう思ってンのか分からないけど、俺は結構、お前に執着してんのよ。きっとお前が思ってる以上に俺はお前に惚れてるし、何だってできるよ」



そう揶揄うように笑って見せて塩田の頬に軽くキスを落とす。そのまま耳を甘噛みして、「お前になら殺されたって良いんだよ」そうわざとらしいセリフを吐き捨てる。塩田の耳はみるみるうちに赤くなる。



「言ったはずだよ、僕は君が望むまでは殺さないって」



「それ、まだ有効だったんだ?」



「死ぬ時は一緒。そう言ってンの。蓮司君のいない世界に価値はないから」



過激な言葉だ。塩田は過剰と言えるほどの愛情を惜しみなく俺に与える。塩田の甘い瞳が俺を捉え、俺はなんだかゆるゆると溶けていく心地がした。そんな風に想われンのって最高だな。



「執着してる証拠だけどさ、」



だから俺は塩田を甘えるように見下ろした。



「うん」



「お前が開けたこの左のニップルピアス、これがまさになんじゃないのかな。これ、俺がお前のものだって証拠の為に開けたもんだろ。だからこうしてつけてるのは、執着してるって証拠にならない?」



そう塩田に訴えた。俺はちゃんとお前に執着してる、そう証拠になりそうな事を探して言ったつもりなのだけど、塩田は一瞬眉間に皺を寄せると目を細めて、すっと手を伸ばして右のピアスを掴んだ。



「だとするならこれはどうなるの。君は未だに笹野に執着してるって事なんじゃないの」



ふふ、それもそうだ。俺はぷっと吹き出して笑ってしまうと、塩田は唇を尖らせた。



「何を笑ってんの」



「いや、確かにと思って」



「た、確かに!?」



「違う違う、そうじゃないんだけど。気になるなら右はもうしない。穴、塞がるかな? 外して良いよ」



「い、いや…それは、ちょっと…」



「なんで。笹野さんの影、消せるよ?」



「いや、ぼ、僕はそれも背負うと決めたから…」



「ほう」



「ってのは建前で、やっぱりこれは君のアイコンだし、両方に開いてるの、すっごいエロい……ので、このままでお願いします」



「アハハハ、なんだそれ。お前が良いなら別に良いけど。でも俺はお前のものよ。お前に執着もしてるし、嫉妬もしちまう。お前なしじゃ、もう生きられない。それは本当だ」



「その言葉は、ずるいな」



なぜか表情を歪ませる塩田を見下ろしながら、俺はクスクスと笑いが止まらなかった。塩田に安心してもらう為の証拠なんて時間をかけないと証明できるものじゃないのだろう。けど今は、少しでもこいつを安心させたかった。だから証明するように俺はそのまま胸に、臍に、下腹部に淡くキスを落とし、すでに硬いそれに優しく食むようにキスを落とし、そして舌を這わす。塩田は俺の髪を優しく撫でる。



「証明する方法って、やっぱりこれしか思い浮かばないかな」



そう言って塩田の目を見上げて再びキスを落とすと、塩田は熱っぽい息を吐きながら頬を緩めた。



「君に主導権を握られると、本当にもどかしい…」



「俺はお前の為なら何でもするよ」



「そっか。…好きだよ、蓮司君」



「じゃぁ、俺は愛してる」



そうにんまりと笑って先に舌を寄せて、見せつけるように咥えると塩田は声を堪えて短い息を吐く。



「…っ、人のをしゃぶりながらそんな事を言うのも君らしくて好き。けど、ちょっと、離してくれないと…」



「いいよ、イって。俺は慣らしたいから」



「……頭イカれそう」



「イカれちまえ」



グズグズにドロドロに。まぐわう相手がこいつだと、どうしてこうも早鐘を打ってしまうのだろう。自分本位に動いては塩田を見下ろし、煽っては、塩田から余裕を奪う。先にイかせてやろうと思ったが、必死に耐えるこいつにちょっと腹が立つ。なんか俺が下手みたいじゃないの、そうヤケになると塩田はここぞとばかりに俺の体勢を崩し、気付けば天井を見ていた。



「…すげー我慢すんじゃん」



下から余裕のない塩田を見上げるのは面白い。



「体力ないって言われたくないからね。それに、やっぱり君の中が良い」



あまりにも熱を帯びた表情を向けられ、食われると期待して喉が鳴った。



「もう、良い? 解れた?」



「良いよ。早くそのデケェの、奥までぶち込んでよ」



「……うん」



その後は何が何だか分からなくなるくらいにまぐわった。あまりにも強い快楽に頭がショートしそうになり、肩で息をしては声を我慢し、涙で霞む視界に塩田を捉えてはもっとと強請った。強く腰を抱かれると、我慢しても声はつい漏れてしまうもので、その度に塩田は嬉しそうに口角を上げていた。唇を噛み締めてただどぎつい快楽に流される。目の前がチカチカと、頭の先から爪先まで全てが熱を持ち痺れだし、どこを触れても脳が勝手に快楽物質とやらを出してるみたいだった。本当、体の相性が良すぎるのも考えものだ。



「まだ、出来るよね」



「ん、…っ、も、一回休憩。……っ、無理、もうイけねぇって…」



「もう少し付き合ってよ。まだイけるはずだよ、蓮司君」



「ほん、と………」



勘弁してくれと喘ぎながら頭の中でそう呟き、そのまま意識を飛ばした。そこから落ちていたらしい。気付けばまた体は綺麗になってるし、パンツも丁寧に穿かされている。薄い掛け布団を掛けられ、横には満足そうに眠る塩田がいた。退院して早々ここまで抱き潰せば、そりゃぁ満足だろうよ。そう思いながらその頬にキスを落とす。



「おやすみ」



呟いて塩田の方に体を向けて眠りについた。翌朝、コーヒーの良い香りと共に目が覚める。のそのそと重い体を引き摺りながらリビングルームに出ると、塩田はキッチンで朝食を作っていた。



「良い香り」



「コーヒーは出来てるよ。朝食ももうすぐできる」



「ありがと。顔、洗ってくる」



そそくさと洗面所へ向かい、歯を磨き、顔を洗う。ふと気付く。首元と胸元のいくつかの甘いマーキング。いつの間につけていたのかと首を傾げるも、思い出せそうにはなかった。これは執着の証拠、って言うのかな。


欠伸をひとつしながら塩田の隣に戻り、「夏場なのに首元にキスマークなんて大胆なことしてくれるな」そう揶揄うように低い声で訴えると、塩田は手を止めて、ハッとしたように俺を見る。



「ごめん、僕、つけてた? 何も考えてなかった…」



愛らしすぎてつい声を出して笑ってしまった。



「発情期の動物かよ。ま、俺は見られても良いけど。見せびらかそうかなー」



「ぼ、僕が困る…。シャツ、…シャツのボタンを一番上まで留めれば、ギリ隠れない?」



「さぁー?」



「ば、絆創膏貼る?」



「貼らなーい」



「蓮司君!」



「何よ。ふふ、どーせ会う人ったって、俺達の関係知ってる佐伯君とかアサトさんとかヒヨトさんだろ? 問題ないって」



「そっちのが問題あるだろ! 僕の事を知られてる方が……」



あわあわと焦る塩田が面白いからしばらくそのまま揶揄い倒す。性癖バレるかな、恥ずかしいなとボソボソと呟きながら眉間に皺を寄せる塩田を見ながら、俺は出来上がった朝食をテーブルへと並べた。



「いただきまーす」



「はい、いただきます」



「なに、不貞腐れてンの?」



「いや、不貞腐れてはないけど。実際、盛ってキスマークつけたのは僕だし。けど、やっぱりそれを人に見せるのはどうかと…。僕がつけたんだよ、それは分かってる。分かってんだけど」



「はいはい、シャツで隠しますよ。こーんなに暑いのに、首元までしっかり閉じますよ。でも今更だと思うよ? 俺と付き合ってる時点でお前の性癖がとんでもない事は周知の事実だろ」



「そ、れを言われると……」



「な? とはいえ、執着の証拠は他のやつに見せるのは勿体ないからなぁ。隠してあげる」



「執着の、証拠…。ふふ、そうだね」



塩田は安心したようにコーヒーを一口飲んだ。俺はそんな塩田を見ながら首を傾ける。



「……なぁ、俺にもつけさせてよ」



「え、どこに」



「その首筋」



「いや、ダメだろ。…あ、いや、ダメではないか。僕、外にもう出ないし」



「アサトさん達と最後に飲もうってなったからお前も強制参加よ。その時、みんなに見えるようにして良い?」



「良いわけないでしょう」



ですよねー。分かっていて言ったのだから、ま、別に良いけれど、と俺はトーストに齧りつく。



「…でも、」



塩田はそうコーヒーをテーブルに置いて俺を見た。



「でも?」



「もうこの街を出たら知らない場所に引っ越して、好きなだけ君にキスマークをつけて、好きなだけまぐわって、好きな時に好きな事ができるんだね。君はもうびくびくと何かに怯える必要はないんだね」



「そうだな。好きな事を好きなだけ。お前となら何をやってもそれが好きな事になりそうだな」



「君はそういう事をさらっと言ってしまうんだもんなぁ…」



塩田は照れたように少し頬を赤らめていた。



「そんな好きな事を好きなだけする場所って、結局はどこなの? どこに引っ越すとか何するとか、もっと教えろよ。俺の持ってる情報って、新しい家の間取りくらいよ 」



塩田は心底楽しそうに笑うと、俺が意識を失くしている間に立てた未来計画をひとつずつをぽつりぽつりと話し出した。



「家は森の中、大自然の中だけど街が近くてね、車があれば不自由はない立地なんだ。冬は雪が降るらしいから薪をくべて暖まる。夏は暑いけど、都会のような暑さではないから過ごしやすいらしい。でね、街の端に良い感じのバーがあるんだ。白髭の渋いマスターがとても美味しいカクテルを作ってくれるんだって。で、週末は結構混むらしくて、人手が足りないから経験者は大歓迎らしいよ」



驚いた。こいつはそんな事まで調べ済みだとは。



「じゃぁ、引っ越して落ち着いたら行ってみるかな」



「うん。あ、けど、街には割と若い人いるからなぁ。…どーせ蓮司君は働いた途端有名になっちゃうんだろうからちょっと嫌だな」



「まぁ、そりゃぁね? 俺だよ?」



「腹立つな…」



「あの蓮司だってバレて誘われたらどーしよ。貞操観念低いって知られてるから」



「蓮司君に近付くやつは排除するから安心して」



「怖い! さすが俺のストーカー」



「僕が一番の常連になるから。太客ね。金落とすから期待して」



「お前、バーとホストクラブは違うんだよ?」



「君には貢ぎたくなる」



「それならお前の為にストリップを踊ってやらないとな。パンツに札、入れてくれよ?」



「万札ね」



「太客ぅ〜」



ケタケタケタ。くだらない事で笑い合う。他愛もない時間の幸せを噛み締めて、俺はこいつとの時間の甘さをただただ感じていた。


それから4日後、バーで大都会最後の夜に華を咲かせる。バーを貸し切り、ひたすら飲んでは過去の話で盛り上がる。オーナーは俺との別れを惜しんで泣いてくれ、「世界一の色男店長、本当にお疲れ様」と100本の真っ赤なバラの花束を手渡して塩田に怪訝な顔をされる。


佐伯君が店長になると言うと、「やだ、この小童が?」とオーナーは目を細めた後、佐伯君をじっと見つめ、「蓮司の後は色々あると思うけど、あなたの色で頑張りな」とケツを叩かれ激励される。26歳の青年は小童と呼ばれるのか。なら、初めて来た時の俺はこの人にとってモデル上がりで問題だらけの小童だったんだなぁと、つい笑ってしまった。


アサトさんもヒヨトさんもうんと酒を飲み、塩田にしつこいほど絡んでは人見知りを発動させる塩田の眉間に深い皺が刻まれる。それを見ながら俺と佐伯君は肩を震わせて笑い、美味い酒を飲み続けた。


結局、朝まで飲み続け、オーナーは彼氏が良い加減心配するからと俺の頬にキスを落として帰って行った。ヒヨトさんはバーカウンターで突っ伏して眠ってしまい、塩田と佐伯君はソファで愛らしく寄り添って寝ていた。静かになったバーで俺は洗い物をする。アサトさんはタバコに火を点け、天井に向かってふぅと吹いている。



「…静かになっちまったなぁ」



「そうだね。もう、5時ですから。眠いのも当然ですね」



「お前は眠くないのか」



「平気。アサトさんは?」



「若干、な」



「若干おネムかー。ね、何か飲みます?」



「そうなぁ、おまかせで。何か美味いの作ってよ」



「了解」



洗い物を済ませて一杯のカクテルを作る。白ワインにカシスを合わせた得意のカクテルだった。



「美味しい白ワインあるんで、キールにしましょう」



「お、蓮司のキール美味いんだよなぁ」



「でしょう? はい、どーぞ」



綺麗な淡い朱色のそれを差し出すと、アサトさんはタバコを灰皿に置いてキールを一口味わって飲んだ。



「…ん。やっぱり美味いな」



そう満足そうに笑ってくれる。



「良かった」



「なぁ、そういや、覚えてるか?」



アサトさんは首を傾げた。



「何を?」



「お前が初めてここの店を任された時にさ、俺に初めて作ったカクテル」



「覚えてたんですか」



これは驚いた。そんな事、この人の記憶には残らないものだとばかり思っていた。



「もちろん。あの時から味は変わってない。すげー美味いんだよな、お前のキール」



「高見さん直伝ですから」



高見さんは前のマスターで俺にカクテルのいろはを教えた人だった。アサトさんは「けどお前の方が好みの味」そう呟くように吐くと、もう一口飲んでから俺を見上げて口を開く。



「……あなたに会えて良かった」



どきんと心臓が強く脈を打つ。そのセリフを面と向かって言ってしまうなんて、本当にこの人は悪い大人だ。



「意味、知ってたんですね」



「お前が俺に飲んでほしいカクテルがある、って言って作ったからね」



「そっか。…そうだったんだ」



「寂しくなるなぁ。もうお前の酒、飲めなくなるんだな」



「永遠の別れじゃありません。またここで飲みましょう。その時は佐伯君のキール、飲ませてもらいましょうよ」



「えー、あいつのキールはいらないよー」



「あ、そんな事言う? 佐伯君に怒られろ」



アサトさんはふふっと笑うとタバコをふかす。ゆらゆらと煙が宙を漂って消えていく。少しの沈黙の後、アサトさんは自嘲するように鼻で笑った。



「一瞬さ、ギムレット出されんじゃねぇかと思った」



「俺の得意カクテルのひとつだから? …それとも別れを意味するカクテルだから?」



「両方、かな。お前のギムレットって、香りが良くて飲みやすいのに良い感じに酔えるんだよ。だからお前のギムレットも最高に好きなんだけど、それ、出されてたら少し悲しいなって思った」



「アサトさんってそういうの気にするんですね」



「お前だから、かな。ちょっとセンチメンタルにもなっちまうのよ」



はぁー、嫌だねぇ、とアサトさんは分かりやすい大きな溜息を吐いた。アサトさんにそこまで言われると後ろ髪引かれるのも確かだった。アサトさんには世話になりすぎた。近くにいすぎた。だから俺もセンチメンタルになってしまう。



「…あ、そういえばね、塩田とまだ付き合う前、あいつがしれっとここに来た時、あいつ、ギムレット頼んできたんです。ほら、覚えてます? 塩田のこと紹介した日。大雨でさ、人が全然いなくて」



「おー、覚えてる」



「俺さ、まだあいつの事をヘテロだと思ってて、俺の片想いだと思ってたからギムレット頼まれて、すっげー悲しかったんすよ」



「別れのカクテルだからなぁ。でもギムレットってハードボイルドだろ。バーでカッコよく飲むならギムレットってやつ」



「カッコいいから頼んだだけ、そうだったのかもね。実際、長い別れにならず済んでるし、カクテルの意味とかあいつ知らなそうですし」



「けどそれはどうだろうな。塩田君って物知りな感じするよ。きっと意味、知ってたと思うなぁ」



アサトさんは目を細め、得意気にそんな事を言った。



「えー。じゃぁ、あの時のあいつは俺に別れを?」



「いんや、俺ね、実はあの時飲んでて思ったんだよね。あー、この子、蓮司の事、すげー好きなんじゃないのかなぁって。ま、そりゃぁさ、お前にそんな事言えるわけもないから言わなかったけど、でも実際こうして付き合ってるならギムレットのもうひとつの意味を込めて頼んだんじゃねぇのかな? お前なら、分かンだろ」



「遠い人を想う、です」



そう俺より早く塩田が答えた。少し眠そうに頭を掻きながら、塩田はアサトさんの隣に腰を下ろす。



「あ、噂をすれば。起きたのか、塩田君」



「すっかり寝てしまいました」



「はい、お水」



塩田に水を出しながら俺は首を傾げる。



「俺は遠い人だった? あの時、既に半同棲みたいなもんだったろ」



塩田はコップ一杯の水を勢いよく飲むとふぅと一息ついて、「遠い人だったよ」と俺の目をじっと見つめた。



「けどそれは物理的な距離の問題じゃない。君は高嶺の花、雲の上の存在、手を伸ばしても届かない存在、あまりにも遠すぎて想うのが精一杯。そういう意味」



驚いた。そんな事を思っていただなんて。



「ほーらな、言ったろ? 塩田君は意味を知ってるって」



「えー、でもさ、俺、こいつに好きだって告白してたよ。高嶺の花とか言いながら断ったのはこいつの方なんだけど」



アサトさんにそう唇を尖らせると、塩田はすぐに続けた。



「だから言ったろ。君の好きはあてにならないの。好きだと言っておきながら相手に飽きたら、はい、サヨウナラ。君の事を知ってる分、僕は慎重になりたかった」



「慎重、ねぇー。どう思います、アサトさん」



「ふふ、分からないでもねぇよ。あの蓮司だからなぁ。問題児だもの。仕方ないんじゃねぇの」



「なんだよ、アサトさんは塩田の味方かよ」



腰に手を当てて拗ねたようにアサトさんを見ると、アサトさんは「かもな?」と豪快に笑った。



「えー。アサトさんは俺の味方でいろよー」



「やだよ、お前のお守りなんて」



「お守り!? 失礼だな」



塩田は楽しそうに口角を上げてクスクスと笑っている。なんだかんだで塩田はアサトさんには心を開いているようだった。3人で他愛もない話しを続け、ヒヨトさんが起きたタイミングでアサトさんとヒヨトさんは店を出た。また会おう、そう約束をして。


それから少ししてバーを掃除しているとソファで寝ていた佐伯君が目を覚ます。目覚めて早々、水を大量に飲み、バーの掃除を手伝い、3人で店を閉めた。最後に俺は店に掛かるCLOSEの札を眺めて別れを告げた。



「…蓮司さん、今までありがとうございました。こっち来る時は絶対に飲みましょう」



「もちろん。連絡するよ」



「店の事は心配しないで下さい。俺、マジで美味い酒作って客増やすんで!」



「おう。楽しみにしてる」



「でね、…これ。餞別っす」



そう言って年季の入った大きな黒革のトートバッグから取り出されたのは、真っ白な包装紙に包まれた箱であった。



「帰ったら開けて下さい。んで、塩田さんと使って下さい」



「ふたりで使う物なんだ」



「はい。…なんか蓮司さんが言うと卑猥な物みたいな響きっすけど、マジで普通の物ですから」



「アハハハ、卑猥って、あのねぇ。でも…本当、ありがとう。今度会う時は佐伯君のカクテル、楽しみにしてるから」



「えぇ。もちろん」



佐伯君との別れはなんだかとても自分の中で響くものがあった。歳は4つしか変わらないけれど、親心に似たものがあった。大丈夫かなと心配をしつつ、この子なら大丈夫だろうなと頼もしく思ってしまう。佐伯君とも別れ、俺と塩田はタクシーを拾って帰路に着く。家に着いて早々箱を開けると、そこにはいかにも高級そうな薄いシャンパングラスが二個、シルク生地に包まれていた。



「引っ越したらコレでシャンパン飲もう」



塩田が嬉しそうに笑うから、俺もつられて嬉しくなる。そうして翌日、俺達はふたり揃って大都会から姿を消した。



「蓮司君って案外荷物少ないよね」



「ほとんど捨てちまったから。…それより新しいベッド最高すぎんだろ」



そうキングサイズのベッドにダイブすると、塩田は箱を抱いたまま呆れたように俺を見ていた。



「まだまだ荷解きあるんだけど」



「ちょっとは息抜き、しない?」



ジッパーを敢えてゆっくりと下げ、誘うように片眉をあげて塩田を見上げる。塩田は腕の中の重そうな大きな箱をぐっと抱えたまま、目を細め、顔には「この野郎」と書いてあるが何も言わなかった。



「荷解き、ご苦労さん」



何も言い返さないのなら少し揶揄ってやろう。するりと下腹部を露わにして、シャツを脱ぐ。



「……絶対夜になる」



塩田の溜息混じりの言葉を聞きながら、今は昼の12時だぞ、何発ヤるつもりなんだと俺は笑ってしまった。



「夜になったらなったじゃない。後でちゃーんと手伝うからさ」



「抗えない自分が本当に嫌だ」



塩田は何故か落胆したようにわざとらしく肩を落とし、箱をドアの前に置いてベッドに腰を下ろした。天窓から太陽がこれでもかと降り注ぎ、塩田は部屋のクーラーを点ける。



「抗わなくて良いじゃない。こうして好きな事を好きな時に自由気ままに生きられンだから」



「ま、そうなんだけど」



塩田はTシャツを首の後ろからするりと脱ぐと、ギシッとベッドを軋ませながら、俺の股の間に体を割って入れる。ひたひたと手を俺の腹の上に乗せて遊んでいる。



「彫刻みたいに綺麗な体。惚れ惚れする」



「俺の体すげぇ好きよね」



「否定はしないよ。でもなんかさ、体とか顔とかそういう事じゃなくて、君に対しての感情って、好きとか愛してるとか、そういう言葉で収まるのかなぁと。前にも言ったろ。僕が君に対して抱く感情はやっぱりどこか歪で危険で、たまに自分でも怖くなる。それを愛と呼ぶのか否かは分からない。執着、固執、依存、心酔、君のことを知りたくて、君の中の一番じゃないと気が済まない」



「相変わらずおっも」



「…よね」



「でも、すっげー甘い」 



にんまりと笑って見せると、塩田は怪訝な顔をした。



「甘い?」



「どんなにお前が俺に対する気持ちを言葉にして並べたところで、お前に心底惚れてる俺にとっては、そんなのただの可愛い愛の告白よ。ストーカーに落ちてこんな事になってんだから、もう観念しなきゃな」



塩田はその言葉を聞くとふっと笑い、俺の顔の横に手をついて目を見下ろしながら「そうだね」とやけに甘ったるい顔をして微笑んだ。だからその頬に手を寄せて、頬を緩めた。



「俺はお前に何されても良い。乱暴に扱ってくれるなら、その方が最高に興奮する」



「言ったね?」



塩田は何かを企むように片眉を上げるものだから、少し身構えてしまう。



「そりゃぁ、本音だからな。でも、何。言っちゃったけど何その顔。怖い。なんなの」



「蓮司君、舌出して?」



「……ん」



ベッと舌を出すと塩田はその舌を見下ろし、人差し指と中指で舌を挟み込む。瞬間、ふと思い出す。こいつと初めてまぐわった日のことを。



「この分厚い舌にぷつりと針、刺してみない? そんでピアスをひとつ入れよう。きっととても痛いけど、とても気持ちが良いよ」



諦めてなかったんだ、こいつ。そう俺は目を細めて塩田を見上げる。ごくっと生唾を飲み込むと、塩田は指を離した。同時に噛み付くように唇が合わさり、舌と舌が触れ合う。



「僕の為なら開けてくれるよね?」



「開けたらうんとしゃぶってやるよ」



「そうだね」



塩田はそう微笑むと首を甘噛みし、つい気分が高まって熱い息を吐くとまた優しく唇を重なった。ゆるりと塩田の細い指先が体を這う。クーラーをつけているのに何もかもが熱い。体の内側も外側も全部が熱くて、声にならない声を漏らしながら強くシーツを握り締めた。塩田はやけに甘ったるくて、体中を愛撫するように唇を這わした。徐々に下がっていく柔らかい口付けは、下腹部に舌を這わせてそのまま付け根に寄せられる。



「塩田…」



顔が熱くなる。きっと頬も耳も真っ赤に染まっているだろう。塩田は満足そうに口端を上げると大きな口で咥えた。わざとらしく音を立てられ、快楽の波はあっという間に俺を連れ去ってしまう。喉仏を突き出して熱を吐き出すと、塩田はごくんと飲んでみせた。まさか飲まれるとは思わなかった。動揺していた俺を塩田はにやりと笑って舌舐めずりして見下ろした。



「顔、真っ赤だよ」



塩田はそう言うと少し落ち着きを取り戻した俺の下腹部に手を寄せた。



「いっぱい楽しもう」



肉を押して奥を抉り、卑猥な音を響かせて、短く呼吸を繰り返す。繰り返し執拗に与えられる快楽に俺は何度も熱を吐き出し、それでも塩田に求められると体の芯が疼いて仕方がなかった。余裕がなくなり、涙を流して塩田を求めると、頬に手を寄せられて貪るように唇が重ねられる。互いに舌を重ねて唾液を飲み込むと涙が溢れた。なんだろう。快楽のせいか高揚感か。訳の分からない涙を塩田は舌先で舐め上げる。


外は眩暈がするほど天気が良かった。カーテンの隙間から差し込む光がチラチラと俺の腹部を照らしている。ひたすらにまぐわっては汗を流し、汗を掻いている事さえもどうでも良くてただただ体を重ねた。



「……塩田ぁ、水、ないの?」



「ん、今はない。冷蔵庫の中」



「一回、きゅ…休憩、しません?」



突かれると頭がふわふわと高揚して何も考えたくないけれど、これは脱水症状なのではと喘ぎすぎて掠れる声のまま訴える。塩田は首を傾けて俺を見下ろすと、俺の唇に親指を沿わせる。



「寝室用の小さな冷蔵庫、買わなきゃだ」



「ん、……っ、そうな。ちょっ、ともう、体の水分…出したくないンだけど…、またイきそ…」



「うん、いいよ。イって。僕も、イきそ…」



重すぎる愛情に溺れるのは心地良い。溺れて浮き上がる事はもう出来ないのだろうなと思う事も、今は心地が良い。外では蝉が遠くから鳴いているのが聞こえていた。夏だなぁと頭の片隅で感じていた。もう力は微塵も残っていなくて、塩田は俺の内腿に軽くキスを落とすと裸のままキッチンのある一階へと降り、水のボトルを二本取って戻って来た。それを受け取って喉を潤し、俺はまた生き返る。



「ありがと」



寝そべったままそう伝えると、塩田は「どーいたしまして」と頷いた。



「……いいな。ここ。夏の強い日差しに、クーラーの効いた部屋。こうして裸でデカいベッドで、お前とふたり、のんびり時間を過ごすのすげぇ良い」



横になりながらそう塩田に笑いかけると塩田は少し照れたように頬を染める。



「気に入ってくれて良かった。…ねぇ、蓮司君、」



「うん」



塩田は俺の横にごろんと寝そべると、俺の顔をじっと見つめた。少し不安そうな顔だなと思った。なぜ、そんな顔をすんのかな。あんな事があったのだから、塩田はやはりどこかでモヤモヤと恐怖心を未だに抱いているのかもしれない。



「これからは死ぬまで一緒。約束、してくれないかな」



そうよな。怖かったろうな。俺ももし逆だったら、それを考えるとゾッとする。こいつがある日突然いなくなって、知らない男に殺されそうになったなら自分を責めるだろうと俺は体を起こし、不安気な塩田を見下ろす。



「もちろん」



そう即答して塩田の唇に軽くキスを落として、その瞳を見下ろしながら提案した。



「太い針でぷつりと、血が流れる中、同じ大きさのピアスを無理矢理に押し込む。考えたら勃ってきた。…塩田、開けたらもっかいヤろ」



どうすればこいつの不安を払拭できるのか。今はただ、時間に身を任せるしかないのだろうな。ひたすらにこいつの側にいて、もういなくならないと証明し続けるしかないのだろう。塩田は嬉しそうに口角を上げてもう一度キスを交わす。


思ったよりも少し太い針だった。刺さる瞬間が一番怖いが一番興奮したのは確かだった。痛みは本当に一瞬で、血はそれほど流れなかった。ピアスを嵌め込む瞬間は何よりも痛かった。痛みに顔を顰めると塩田は満足そうに俺を見下ろして手際よく処理をする。消毒を済ませるとゴム手袋を捨てながら、「上手くいった」と誇らしそうに塩田は呟いた。



「おー、本当だ」



手鏡を見ながら感嘆した。綺麗に嵌め込まれたピアスが舌先で光っている。



「ピアスは嵌める時が一番痛いって言うものね。気になると思うけどあまり動かさないでね。あと、しばらくは刺激の強い食べ物はダメ。分かった?」



淡々と説明されるが俺はつい笑ってしまう。



「何、笑ってんの」



「興奮した?」



こういうのやっぱり優越感に浸れるよなぁと俺は首をあざとく傾げてみせる。反応してしまいました、と顔に書いてある目の前の男は気まずそうに頭を掻き、「開けたばかりだから、無理させたくない」と勝手な事を言い出した。



「もっかいヤろって誘ったの俺の方だけど?」



「けど…」



「じゃそれどーすんの」



「治るの待つよ」



「じゃ、俺のは?」



塩田の視線がそっと下がる。目視した後、俺と目を合わせる。



「…我慢、は、できないよね? 蓮司君だもんね」



「分かってンじゃない」 



そう煽るように見つめると塩田は「あーもう!」と眉間に皺を寄せる。



「本当に片付けが終わらない! 夜になっちゃう」



「後でやりゃぁ良いじゃない。もう急ぐ事はなーんにもないんだからさ。寝室行く? それともここでおっ始めちゃう? あの本革のソファの上なんてどうよ」



へらへらと楽しくて笑っていると塩田は呆れたようにしばらく俺を見つめ、その後、ふっと笑って椅子に腰を掛けていた俺の目の前に立つ。するりと手を頬に寄せ、俺はその手に擦り寄った。塩田の甘い瞳を見上げると、塩田はどこか安心したように表情を緩めた。



「君に対する感情が日々大きくなって怖くなる。君が死ぬ時は僕も一緒が良い」



ぽつりとそう呟かれ、俺は塩田の掌にキスを落とした。



「俺が望めば俺を殺してくれンだろ?」



「うん、そうだね」



こいつと共に生きることができれば俺は他に何も要らない。塩田さえいてくれれば俺はどこでだって生きていける。こいつと一緒ならどこで死んだって良いとすら思ってしまう。


毎日毎日、乳繰り合い、うまい飯を食い、好きな音楽や映画を楽しみ、サド丸出しなストーカーにしてやられては刺激の強い毎日を送るのだろう。死ぬまでずっと俺はこいつの過激で過剰で、少しばかり重くて甘ったるい愛情を独り占めするのだろう。それは命尽きるその瞬間まで、きっと。


ギシッと新しいソファが軋む音を聞きながら、俺は頬を緩めた。



「だとしたら、俺が死ぬ時はお前の手で」






人生を君に

END

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