第六章 the course of life 第二話 留年危機

◆◇◆◇◆

 

 「はい、はい。わかりました。こちらはいつでも。頑張ってとお伝えください。」


 介護のねこや、メインクーン所長は受話器を戻すと、椅子に寄りかかり大きなため息をついた。この事務所で人間用の椅子に座って寄りかかれるのは彼女だけだ。所長が事務所内を見回すと玄関口辺りで、後輩のアビシニアンと利用者の申し送りをしている黒猫係長を見つける。


 「係長、ちょっと」


 係長は、所長を見て会釈をすると、アビシニアンに一言、二言付け足すように何か言って肩を叩いた。アビシニアンはそのまま活動に出ていく。係長は急ぎ足で所長の元に向かうと、机に一息で飛び乗った。


 「すみません、お待たせしました。なんでしょうか」


 「美里ちゃんのお母さんから電話。美里ちゃん、学年末テスト忘れてて全教科赤点だって。強制補習授業で三日ほどインターン来れないって」


 前足で係長は顔を覆った。


 「ええ! あいつマジか」


 「あの子、卒業できるのかしら」


 「わ、わかりません。わたし二週間ほど六条坂君と過ごしましたが、彼女からあまり知性というものを感じたことはありません。これは所長、はっきりと言うチャンスかもしれませんよ。君にはインターンの前にやることが……」


 「そうよね。チャンスよね。あー、いっそのこと留年しないかしら」


 「え? 所長?」


 「だって人間は留年すると退学率がかなり高いって聞くわ。そうしたら彼女完全にフリーじゃない。学歴のいらない介護職に誘う絶交のチャンスよ」


 「しょ、所長、獲物を狙う顔になってますよ」


 「係長、ちょっと邪魔してきなさいよ。あなたが行けば勉強どころじゃなくなって絶対あの子留年するわ」


 係長は目を細めて無表情になった。


 「本気で言ってます?」


 「冗談に決まってるでしょ」


 係長は少し安心したように鼻息を出した。所長は背もたれに寄りかかり、真剣な目で係長の顔を見る。


 「で? どうなの本当のところは」


 「はい?」


 「美里ちゃんの評価よ。インターンもあと二回。わかってると思うけど、ずっとあなたと組ませるわけじゃない。訪問介護は一人で回るのが基本よ。を抜いて、介護職としてやれそうなの? あの子」


 係長は、所長から目線を外し、あごに前足を添えてしばし考えた。

 所長の目力が強くなる。


 「問題はないと思います。我を通す所がありますが、それも基本的に利用者を想ってのこと。猫である私達より人間らしい観察眼を持っているなあ、と感心するシーンもあります」


 「なによ。満点じゃない。じゃあ何がそんな不服なの? あなたからは否定の雰囲気が出てるわよ」


 係長は、メインクーン所長の目を見た。


 「残念ながら六条坂美里からは、ある種のやる気というか決意を感じません。あえてうぬぼれた表現をさせて頂きますが、あの子は私が目当てであって、この仕事に興味があってやっているわけではない可能性が高い。いくら人間で基本スペックが高いと言っても、そのような者を受け入れるのが良いのかどうか私には判断がつきません」


 所長は腕組みをして首をかしげた。


 「やる気ねぇ……。そんなこと言ったら、私もこの仕事は給料をもらう手段に過ぎないわよ。係長はすこしマジメすぎるわね。やる気とか、やりがいとかそういうのは後で付いてくるって者も多いと思うわよ」


 「ま、まぁそうかもしれませんが……」


 「いいわ、係長の評価はわかった。とりあえず次の活動は私も同行して確認する。でも最終日を待たずに、その後契約の交渉をするわよ。あなたの意思は飲み込んで、その時は賛成してね。ここだけの話。本社からもここで人間の採用が決まれば、あなたの実績と認めて評価すると言ってるわ。もしかしたら別の事務所の所長として呼ばれるかもしれない」


 「そんなにですか?」


 「まぁ、それほど貴重ってことよ人間の労働力は……人口も減ってるし若者は特にね」


 所長は椅子から机に乗ると係長の肩をポンと叩く。


 「頼んだわよ」


係長は、自分の足元を見つめた。

 

 「もしも……」


 タブレットで次の会議のスケジュールを確認し始めた所長は、大きな耳だけ少し動かした。


 「もしも、人間がみんないなくなったら私達の仕事ってどうなるんですかね」


 所長は前足を止め、天井を見た。


 「まぁ廃業でしょうね。あなたも私も露頭に迷って、次の仕事があればいいけど。最悪あなた、野良猫ってことでしょ。そうしたらまたテリトリーだのなんだの。壮絶な奪い合いの世界がやってくるんじゃないかしら」


 係長は思わず前足に力が入った。所長はニヤリとして係長のお尻を叩く。


 「コロナが流行ってるからあんまり今笑えないけど、まぁ一つの種族がそんな簡単に絶滅するわけないでしょ。バカね、仕事しなさい」


 係長はゆっくりと机から飛び降り、自分の机に向かう。

 つやつやの黒い毛がはみ出る襟足えりあしから白いカメムシが出てくる。

 肩のあたりに留まるとじっと、係長の表情を見つめた。

 口を一文字に締め真剣な瞳で、係長はただ前を向いていた。 

 係長が机に着くと、別チームのチンチラが向かいのデスクで動画ニュースを見ていた。


 『続いてはコロナのニュースです。他国では、特効薬もワクチンも効かないニューコロナと呼ばれる突然変異により、かなりの死者も出ており経済が止まっている事態となっています。ほぼ全世界で渡航禁止になっていますが感染は留まることを知らず依然感染者は増え続けているとのことです。このニューコロナは、従来のコロナウィルスが突然猛毒を生成しだすと言われ、何をきっかけにそんな現象が起こるのか世界中の医療チームが研究していますが、いまだ詳しいことがわかっていません。幸いわが国では、まだニューコロナの発症は発見されていませんが、本日一日だけの従来のコロナ感染者は10万人を越えました。政府はすでに潜伏して羅患している人が相当数いると予想し、検査キットを今週中に国民全員に配ることを発表しました。尚、陽性だっ場合……』


 チンチラは、無言でニュースを凝視している。

 係長は、軽く会釈だけするとカード型端末を充電器から抜き机から降りた。

 玄関まで二足歩行で歩きながら、カード型端末を握りしめる。

 肩に止まっている白いカメムシは触覚をクルクルと回した。


 “今日も行けるかね?”


 白いカメムシを通して八津目の声が伝わってきた。


 「ええ、夕方六時には退勤します」


 係長は独り言のように答えると、事務所の駐車場に止まっている自動運転車まで速足で歩いていった。


◆◇◆◇◆


 二日前に三日月だった月は更に薄くなっていて、巨大で真っ黒な丸い何かの輪郭でしかない。周期的な事は知っていても、完全に真っ黒な円になった時、きっと不吉なことが起きるのではないか。そんな予感を持たせる月が、雲に見え隠れしている夜だった。


 係長と八津目は古いハイブリッドカーで、街の外れの自然公園に来ていた。駐車場で八津目は、笑いながら車から降りる。


 「ハッハッハ、よもや全科目赤点とはね」


 係長は手動で開けるドアに戸惑いつつも、なんとか開けて飛び降りる。


 「笑いごとじゃありませんよ。ホントに留年ピンチですよ。中卒と高卒じゃ生きる条件だって変わってくる」


 係長は思い切りドアを閉めた。


 「まぁそうだが。君も猫のくせに頭の固い発言だな。人生なんてやりようによっては成功なんていくらでも出来るさ」


 「六条坂美里に、そんな器用な生き方ができるように見えますか?」


 八津目は笑い顔を隠すようにハットを深くかぶった。


 「見えんな。だが、それも人生さ」


 「まったく」


 係長は怒って、八津目を抜いて大股で公園の方に向かって歩いて行く。


 「しかし……」


 八津目のつぶやきに係長は立ち止り、振り向いた。


 「まるで自分の事のように心配しているね。君は」


 黒猫である係長の顔が赤く見えるほど熱くなる。

 ニヤリと笑う八津目から思わず顔をそむけた。


 「べ、別に。一般論を言ってるだけですよ。そんなことより今日は大丈夫なんでしょうね。コロナの流行は相当進んでいるようですよ」


 八津目の表情から緩みが消える。


 「そうだな」


 硬直している係長を抜いて、八津目は公園の方に向かっていく。係長は顔をもみもみしてから、八津目のあとを追った。


 この自然公園は昭和の時代からある。

 山自体はきっと昔からある場所だろう。広大な芝生でキャンプが出来たりする一方で林もあり、坂道にはアスレチックコースがあり丸太にのってロープを滑るジップラインや、安全にネットで包まれた筒状のつり橋があったり、休日には家族連れで子供たちが楽しめるようになっている。

 

 公園の奥に、かつて田んぼがあったような土地があり、そこで八津目は立ち止った。

 ここまで十五分は山坂を歩いてきた。高齢者である八津目は、すでに息を切らして腰を押さえている。心配そうに係長は八津目を見上げた。あぶら汗を出しつつも、八津目の瞳の奥に緑色のインクを垂らしたような光が、ゆらゆらと現れる。


 “私は八津目、人間のプランツだ。虫の知らせで、ここに困っているプランツがいると聞いた。何か力になれることはないか?”


 八津目はプランツの言語でその地に向かって話しかけた。言葉とはいえ、音ではない言語なので辺りは静まり返っている。風で木々が揺れ、重なりあう音が響く。係長も辺りを見回す。


 “私は、八津目という人間のプランツ……”


 もう一度、八津目が名乗り口上を上げようとした時、係長の耳がピクリと動く。係長は八津目の膝のあたりを触り、静かにしてという合図で前足の人差し指を唇に添えた。係長は目を閉じ耳を澄ます。

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2024年11月20日 06:54
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「介護のねこや 黒猫係長」〜猫好きって言えばなんでも許されると思うなよ!〜 かよきき @chaozu

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