第六章 the course of life 第一話 手作り弁当


 この街は海も近いが、山も多く、坂道がたくさんもある。

 街道を走ると、鬱蒼とした森がある小高い山をいくつも通り過ぎる。

 風に吹かれ、ゆさりゆさりと緑がなびいている小山は、まるで大きな生き物のようだ。


 この街には、その中でもひときわ高い山がある。

 その山の入り口には延々と連なる石段があり、そこを登りきると古びた神社があった。そこにはいつも、麓まで列が出来るほどの沢山の猫達が並んでいる。


 通称、ボス猫神社。

 ボス猫と言っても強い猫がいるわけではない。人と文化が交わり6年ほどで、猫の生き方は一変した。上手く溶け込めた猫は良いが、年老いて時代の変遷についていけない猫や、働くことで生活に弊害が出た猫はやはり沢山出ていたのだ。そんな困り果てた猫達の相談事を取りまとめ、役所に掛け合って猫の住みやすい社会にしていってくれるというボス猫の事務所が、その神社の境内にある。


 石段を登りきった所に、鳥居へと続く石の道がある。

 そこには数人で手をつないでも、抱えきれないほどの大木が何本も、石道に沿って生えていた。それらの樹木は、立派なしめ縄も付けられ人々や猫からは、神木と呼ばれていた。

 今、その神木の根元には、沢山の赤いつぼみを付けた菜の花が群生していた。


 「お母さん、ここにも生えてるよ」


 「ああ、魔除けの花だって、ボス猫さんが各地に植えさせてるんだって。咲いたら可愛い花がつくらしいわよ」


 列に並ぶ三毛猫の親子が、赤い蕾の菜の花を見ながら話していた。

 それをまた、神木の太い枝の上から眺めている白い猫がいた。


 「ナギさま、花は全国に入植し終えたようです。長老プランツ様たちの動きはどうでしょうか?」


 白猫のナギがいる枝よりすこし低い位置の枝に、かしこまって座る大きなトラ猫がナギに声をかけた。


 「ごくろうさま。遠藤よ、私はニダーナを持っていないので正確にはわからない。だが変わってしまった環境の前で様々な動物やプランツがため息をついている。海で、山で、遠くの地で、人間へのうらめしい気持ちを高ぶらせているのを感じる。もう時間の問題ではないだろうか」


 香箱座りをしているナギは、下で列をなす猫達を見つめながら、遠藤に顔も向けず答えた。


 「例の黒猫と八津目という人間のプランツですが、どうも他の若いプランツと接触している模様です。何かプランツの頼み事を聞いているようですが」


ナギはすくりと立ち上がり伸びをした。


 「八津目は人間のプランツ。自身の消失もかかっているから必死なのだろう。気の毒だな」


 遠藤の目が鋭く光る。


 「手を回しますか?」


 ナギは初めて遠藤の目を見た。


 「止めておきなさい。ニダーナは全てのプランツとつながる因果因縁を司る時計だ。下手に手を出せば、必ず見つかり我々の存在を消しにくる。我々だけで済めば良いが猫族に迷惑がかかる場合がある。それは本末転倒という奴だろう?」


 「そうですか。確実なものにしたくてつい。申し訳ありません」


 遠藤は頭を下げる。

 ナギは、しばし黙り天を仰いだ。


 「それより、お前はしっかりボス猫の仕事をしなさい。見なさい、あんなに並んでしまって子猫もいるではないか」


 「はい。では戻ります」


 遠藤は立ち上がり会釈をすると、もう一つ下の枝に飛び降りた。


 「ところで遠藤よ」


 ナギの声かけに、遠藤は枝の上でバランスを崩しながらも制止した。


 「あの女はどうしている?」


 「六条坂美里のことでしょうか? あの女はたしか、今日は学校に行っているはずです。黒猫とは別行動です。特に変わりありません」


 「……そうか。すまない。邪魔したな」


 「いえ、いつでもお呼びください。神木のナギさま」


 遠藤は、そういうと再び器用に枝を飛び移って行った。

 ナギは、その高い神木の枝から街並みを見渡す。

 

 「学校、か……」


◆◇◆◇◆

 

 教室の時計は午前七時半を回っている。

 登校したての生徒たちが雑然と朝の挨拶をしあっていた。

 六条坂美里は、自分の席で友達に囲まれていた。


 「すごーい!」


 「え? これ美里が作ったの!? 」


 美里の机の上には、フタの開けられた弁当が出ていた。

 黒猫が走る様を海苔で象ってあり、アスパラやウインナーで背景を表現している、まるで絵画のような出来栄えだ。


 「へへーん。ちょっと頑張ってみた」


 美里は、偉そうに顎を上げた。

 陽葵が関心してまじまじと弁当を見つめる。


 「本当にすごい見事なキャラ弁だよ。一口もらってもいい?」


 「えー特別だよー」


 美里は箸を取り出すと弁当の端っこをすくって、陽葵の口に入れた。


 「うん、おいし……ん?」


 陽葵は、口を押え咀嚼しながら、美里の後ろの自分の席からペットボトルのお茶を出して流し込んだ。


 「気のせいかな? 味、薄くない?」


 「何言ってるの、味濃くしちゃだめでしょう。人間じゃないんだから」


 「え?」


 「え?」


 陽葵と美里は顔を見合った。他の友達も眉を潜めて美里を見る。


 「まさかこれ、猫用の……」


 陽葵の呟きに周りの友達が笑いだす。


 「なるほど! 頑張れよ美里。あたしら応援するからね」


 「うん 頑張る!」


 陽葵は驚いて、赤くなっている美里の顔を見た。

 美里は目を背けて弁当をじっと見ている。


 「ちょ、ちょっと待って。美里それって、そういう意味なの? 正気?相手は猫なのよ?」


 美里の口がすこしとんがる。


 「大丈夫だし。多様性の時代だし」


 陽葵は、眉を寄せてがくっと頭を下げる。

 

 「美里らしいじゃん。あたしらも冗談で応援するなんて言ってないからさ」


 そう言うと、友達が美里の肩を触るともう一人も背中を触った。

 陽葵は美里の机に、強めに体重をかけると、真剣な顔で美里の顔を見つめた。


 「わかった。じゃあ、ちゃんと聞いてるの? あの係長さん、猫年齢40歳って言ってじゃん。結婚してるとか、子供がいるとか、そのへんのところ。40って言ったらかなり大人だよ? あたしらの親世代だよ? わかってるの?」


 陽葵の質問に美里は硬直した。


 「き、聞いたことない」


 「でたよ、このメルヘン女。あんたね下手すると不倫よ」


 「……ふりん……!?」


 美里の顔から血の気がひいて瞳から色が抜けたように無表情になる。


 「ふりんって何? なんか嫌な響き……」


 美里がすがるように陽葵の目を見た。

 陽葵は紙屑をクシャクシャにしたような顔になる。


 「あんたもう! とにかく突っ走らないように慎重になんなよ」


 陽葵が美里の肩に手を置いた時、担任の先生が教室に入ってきた。


 「よーし、みんなおはよう。ほら、ちゃんと席につけよー」


美里は慌てて弁当をしまい、教科書と筆記用具をだす。

 陽葵や友人たちは自分の席に戻っていく。


 「はい、じゃ。筆記用具以外は全部しまえー」


 先生の言葉にクラス中の生徒が、ガタガタと言葉どおりにしていく。


 「え?」


 ひとり教科書を出していた美里は、まわりをキョロキョロと見回す。


 「え? なに?」


 陽葵が美里の様子を見て驚く。


 「美里、あんたまさか」


 先生が教壇の机の上に分厚めのクリアファイルをどさっと置いた。


 「はい、今から学年末テスト、国語の問題と答案用紙配るぞー。じゃあ右端の小林からこれ回していってくれー」


 先生が列の人数分の問題と答案用紙を一番前の生徒の机に置いていく。


 「ちょ、ちょっと待って、みんな受験終わったのにテストってあるの?」


 青ざめた美里は先生をみる。

 先生は目をぱちぱちしながら言った。


 「あるよ。補習の時言ったけど」


 「ウソでしょ? 聞いてません」

 

 先生は再び瞬きをした。


 「言ったし」


 後ろの席の陽葵は頭を抱えた。


 美里にも用紙が回ってくる。

 首をふるふるしながら、後ろの陽葵に用紙をわたす。

 陽葵は、自分の分を机に置いて更に後ろの生徒に用紙をまわすと、美里の肩を叩く。涙目の美里が振り向くと、陽葵は目を閉じ合掌をして呟いた。


 「なむさん」


 先生の号令と共に、シャーペンの芯が文字を書きだしていく小さな音が、次々となりだす。

 美里の声にならない悲鳴が、陽葵だけには聞こえていた。


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