第五章 convey 第十五話 プランツヘルパー

◆◇◆◇◆


 その夜――。

 働く猫が癒されにくるバー『ロストキャッツ』。

 静かなにジャズが流れる店内で、酒や肴をつまみながら疲れた猫たちが語らっている。カウンターでシェイカーを振るマスターは、怪訝な表情で入り口を見つめる。


 入り口の隙間が少し飽き、誰かが覗いている。

 音を出して作業台にシェイカーを置くとマスターは入り口に速足で向かい、おもいきりドアを開けた。覗いていた者の額にドアが当たって鈍い音がする。


 「痛っ!」


 バンダナでほっかむりした美里が額を抑えて尻餅をついている。

 マスターは膝に手を置いて美里に顔を近づける。


 「あのね、お嬢さん。お酒は二十歳になってから! ここはあなたの入っていい場所じゃありません。帰ってください。営業妨害よ」


 美里は目線を外し頭を下げる。


 「す、すみませんでした。その……今日は来てませんか?」


 マスターは腰を伸ばして困った顔で美里を見る。


 「係長さん? 来てないです」


 「そうですか。あの……くろの家なんて、知らないですよね?」


 「知ってるわけありません。例え知っていたとしても教えると思いますか?」


 「あはは、そうですよね」


 美里が作り笑いをしながら残念そうに俯く。尻餅をついたままの美里に、マスターが手を差し伸べると美里はその手を掴み立ち上がった。

 マスターは優しく微笑む。


 「係長さんとちゃんと友達になりたいんだったら。大人になることですよ」


 美里は声を出さずに頷いた。


 「じゃあね」


 マスターは、店に入り扉を閉める。

 ビルの隙間から雲に隠れそうな三日月が見える。


 「大人かぁ」


 空を見上げながら、美里の白い息が霧散していった。


◆◇◆◇◆


 “見たまえ、奇麗な三日月だよ”


 係長の肩に止まる白いカメムシから八津目にプランツの言語で声が届く。


 「はぁ、はぁ、悪いですけど話かけないでくれます? 普通に死ぬんで」


 夜の中学校――

 校舎屋上にはフェンスがあり、その外側の古い手すりにロープが括り付けてあった。そのロープに体を巻きつけ係長は慎重に校舎裏を下っている。


 「ここらへん三階あたりじゃないですか?」


 校庭側の道路に止まっている古いハイブリッドカーの中で、八津目は金の懐中時計ニダーナを握りしめていた。

 車内の時計は午後十時を回っている。


 “そこのもう少し左の通気口だよ、たぶん”


 係長は壁に爪をたてながら左を向いて目を細める。

 三メートル先に銀色の丸い通気口が見える。


 「もう少しって……」


 嫌そうな顔をしながら体に撒いたロープを確認して壁を蹴って右側に飛ぶ。

 係長は振り子のよう動くが、その勢いでは通気口の方に届かない。


 係長はブランコのように勢いをつけ、振り子の端になった所でもう一度壁を蹴る。より大きな角度が付き、勢いとスピードを増した係長は一気に通気口に手が届いた。

 一息ついてから、胸ポケットに閉まってあったペンライトで中を照らす。


 キラッと何かの目が反射する。


 「いました」


 “おお”


 ペンライトをポケットにしまうと係長はドライバーで通気口のねじを外し始める。

 ねじを一つだけ残し、通気口をずらす。

 係長がのぞくと、紙や葉っぱのゴミにまみれて白いスズメが一羽震えながら奥に隠れている。

 八津目が白いカメムシを通し、係長の肩からスズメに話かける。


 “裏山のどくだみ草から頼まれ助けにきた。この猫くんの後ろのカバンに入りたまえ”


 白いスズメは小刻みに羽を動かした。


 “ありがたい”


 スズメは通気口を外した隙間から、係長の背中に慎重に移っていった。


 「飛んでいかせないんですか?」


 “鳥は夜目が効かないよ”


 「そうでしたね」


 カバンに入ったのを確認すると、係長は通気口を元に戻しねじを締め直す。


 「さて、降りるか、登るか……」


 係長は上を見て下を見た。


 “ロープを片付けなきゃならんから、上一択だよ”


 係長は目をつむって口も真一文字にした。


 「ですよねー」


◆◇◆◇◆

 

 ヘッドライトに灯りがつき、ハイブリッドカーが走りだす。


 「ふわー疲れたー」


 係長が助手席でひっくり返っていると、カバンの中からスズメが出てきた。


 ”助かりました。生徒に追いかけられて、たまたま外れた通気口に逃げたら出られなくなり、ゴミのある場所にハマってしまって。あなたは命の恩人です“


 白いスズメは八津目の肩に乗り、髭にすりすりする。

 係長は頭だけ起こした。


 「いや、わたしでしょ!」


 “ね、猫さんもありがとうございます。ただちょっと怖くて……”


 納得いかない顔で係長は再びひっくり返る。

 スズメは器用に車内をバタバタと飛び、後部座席に降り立つ。


 “どこに連れていけばいいかね”


 “では、依頼されたドクダミの群生地までお願いします”


 “わかった”


 車は、住宅街から裏山の方に向かった。


 田んぼのある裏山の道路沿いでハザードランプを付け車を止めると、八津目は白いスズメを腕に捕まらせ歩いて山に入る。あまり人の歩かないようでぬかるんだ場所がおおい。

 ドクダミの広がる群生地に来ると白いスズメは嬉しそうに飛び立ち、その草むらの中に入った。


 “ありがとうございます”


 スズメの飛び込んだ辺りのドクダミの辺りが白く光る。

八津目はニコリと微笑む。


 “またな”

腰をおさえながらぬかるみを進み車まで戻っていく。

 ドアを開けると座席を倒し、八津目は体重をかけて座った。

 軋む音が車内に響く。


 「ふう。しんどいな」


 「まったくですよ」


 係長はペットボトルのフタに水を入れ飲んでいた。


 「落ちそうになったリスのプランツ、氾濫が多い川べりのアリの引っ越し、埋まった瓦が邪魔で根が生やせないブナの木の瓦除去、取り壊し間近の家屋のヤモリの移動、そして今のスズメ。今日だけで結構やりましたよ。その金時計の反応はどうなんですか?」



 「ん? うん。まぁまぁかな」


 「まぁまぁ……ですか。ふえー」


 係長は肩をがっくりと落とす。


 「正直な話、君の介護の仕事の時の方が、ニダーナは大幅に反応し動いた。今日も二回転くらいして運命測定の長針がニ分は戻ったんだ」


 「今日ですか? 今日は植物やプランツの絡んだ動きは全然してないんだけどなぁ」


 「すまん。とにかく今日はもう遅い。家まで送っていくよ」


 「お願いします」


 八津目はキーを回しエンジンをかけて車を発進させた。


 「君の家、どのへんだい?」


 「とりあえず会社のあたりまで行ってもらっていいですか、そこから説明します」


 「ああ、わかった」


 真っ暗な山道を抜け住宅街に入る。人通りなどまったくない。

 係長は助手席でとぐろを巻き寝息を立て始めている。

 

 信号待ち。

 白い髭を触りぼーっと係長を見て考えこんだ。

 赤信号が青になり、八津目を照らす光も青く変わる。


 「まさか、あの子が関係してるのか……」


 八津目は小声で呟きながらアクセルをゆっくり踏んだ。

 街道に出ると夜間でもやっているレストランやコンビニの看板や街灯が夜の街道を彩り、真っすぐに走る道の先には、いくつも先までの青信号が見える。

 

 「いや、まさかね」


 八津目はすこし擦れた声で呟いた。



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