第五章 convey 第十四話 眞知の答え
「いっつ!」
美里は痛みで立ち上がる。
係長はひらりとソファに直地し静かに座り直す。
「どうもお見苦しいところを」
眞知は笑っている。
「私は今の仕事を気に入っております。ご紹介はさせて頂きますが家政婦には他の方をお探しください。それに……」
「それに?」
「猫をお雇いになるなら、一匹にこだわらず当番制で沢山の猫をお使いになった方がよいと思います」
係長は眞知の顔を見て微笑んだ。眞知は何かに気づいたように頷く。
「……そうですね」
美里は、また係長と眞知を交互にみて恨めしそうな顔をした。
食事を終え母親はソファでうたたねをしている。
美里は玄関で靴を履き、係長は靴から室内カバーを外していた。
眞知は、二の腕を抱きながら美里を見つめる。
「あなた、もしかして高校生? そうとう若いよね?」
「そうですけど」
美里は眞知に目を合わせない。
「職業体験ってやつ?」
「まぁそうですけど」
「へー。ずいぶん変な時期にやってるのね。そういうのって夏休みにやるのかと思ってた」
「い、色々ありまして」
「そっか、じゃぁあなたも介護士になるのね。頑張ってね」
眞知はニコリと笑うと美里の肩をポンっと叩いた。
美里は間をとって眞知の顔を見た。
「あ、あのマチさんは、今の仕事向いてるって思ってますか? 向いてるから選んだんですか?」
美里の唐突な質問に、眞知は構えたように唇に力が入った。
しかし美里の眼差しで意図を感じとると、すこし驚きつつも優しく唇をゆるめた。
「まだ、決めてないんだね」
眞知は一歩前に出た。
「あなた、名前は?」
「六条坂美里です」
「私のこと、知ってるってことだよね?」
美里の脳裏に駅の長くて大きなポスターが映る。
「一応」
「私の仕事は基本的に頑張ってる商店や企業にスポットをあてて無料で応援すること。どうしてそういうことを始めたかは、私の死んだ父が小さなお弁当屋さんで苦労してたから。いつのまにかモデルとか活動資金のためにテレビに出たりしたらタレントみたいになっちゃったけど、まぁそれはいいわ。私は沢山の人に聞いてきた。『なんでこの仕事してるんですか?』ってね」
美里は身を乗り出した。
「ほとんどの人が同じことを言ったわ。『好きだから』って。私も、そう」
係長は美里の足元で黙って聞いていた。
「美里ちゃん。仕事に向いてるか向いてないかなんて関係ない。いや少しはあるけど。やりたいか、やりたくないかだけよ」
眞知が微笑む。
「嫌なことがあっても、それを乗り越えてもやりたいかどうか、それだけ。やりたくないことはしない方がいい」
美里の目が曇る。
「それが、わからない場合は……」
眞知は腕を組みなおして、また笑う。
「探すんだよ。みんな一生それを探してるの」
美里は小さな声で「ありがとうございます」と言うと、係長をまたいで玄関を出てしまった。ドアが静かに閉まっていく。
美里の無礼な態度に、ため息をついて係長は眞知を見上げ、お辞儀をした。
「すみません。そして、ありがとうございます。勉強になったと思います」
「いやいや、それはこっちこそだよ。私の世代って今の働く猫に対して多少なりとも偏見があるわ。急に出てきて仕事奪って、可愛いことだけやってればいいのに。って……」
眞知はしゃがんで係長を見る。
「でも今日思い知った。あなた達は人には出来ない力をもった介護職なのね」
係長は照れて前足で頭を抱える。
「いや、そんなほめ過ぎです」
「ううん。本当に。家政婦の件、ケアマネに相談してみる」
眞知の手が係長に伸びる。
ドアの外に出た美里は静かに待っていた。
しかしドアノブは一向に動かない。イライラした美里のつま先は何度も地面をタップする。我慢できなくなって美里はドアをゆっくり開けて中の様子を覗く。
ドアの隙間から見えたのは、眞知に抱きしめられる係長だった。
美里は慌ててまた玄関に入る。
「ちょ、ちょっと! 何やってるんですか」
美里は眞知から係長を引きはがす。係長は、いやらしい顔をしている。
「何って別れの挨拶?」
「ネコハラって言葉知らないんですか!? 非常識ですよ!」
美里は係長を抱えて廊下に出ていこうとする。
眞知は、廊下にお尻をついて「ネコハラって」と呟きながら笑い始めた。
「ね、たまには係長さんの写真でも送ってよ。私、ファンになっちゃた」
美里は怒りの形相で眞知を睨んだ。
「おことわりします!」
ドアも閉めず美里は係長と出ていった。
ゆっくりとドアの隙間が狭まっていく。
「ふはは。ありゃマジね」
壁に手をつき「よっこらしょ」と立ち上がる。
「ん? あれ六条坂? ウチのマンションのオーナーって確か……」
首をかしげる眞知。
「まっ、どうでもいいか」
眞知は、ぱたぱたと母親のいるリビングに歩いて行った。
エレベーターから降りると美里の腕の中で、係長は服がメチャクチャにされ 放心状態になっていた。美里は係長の匂いを嗅ぐ。
「まだ、あの女の匂いがする、もう!」
係長を抱えたまま自動ドアをくぐり、住居スペースをでてパネルコンシェルジュの前を通るとAIが声をかけてくる。
『お気をつけてお帰りくださいませ』
美里が機嫌悪そうにAIコンシェルジュを睨みつけると、まるで動揺したようにアニメーションにノイズが走る。
「まったく何なのよ偉そうに」
駐車場のエレベーターに乗り込む。
「まったく嫌いだあの女」
駐車場につくと速足で車のまで歩く。係長の胸ポケットからカード端末を取り出しドアを開けると助手席に乗り込み、係長をそっと運転席に寝かせる。
係長は、そこでやっと気がついた。
「まったく上から目線でさ……」
閉めたシートベルトを、美里は、おもいきり掴んだ。
「『好き』とか『嫌いじゃない』とか……なんなんだよ」
美里の表情は泣きだす寸前の苦い顔だった。
「なんなんだよ……」
係長は、体を起こすと伸びをしてあくびをひとつする。
沈黙したまま、美里の手からカード端末を取るとそのまま運転席のスロットに入れ、スタートボタンを押した。車の作動音が静かに響き、動き出す。
沈黙を保った係長は、前方の駐車場の景色をただ眺めていた。
係長の胸ポケットから白いカメムシが、ごそごそと出てくる。
カメムシは係長を見上げ、そして、車窓を見ながら涙目になっている美里を見つめた。
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