1.04

 断末魔の悲鳴を聞くってのは、あまり愉快な体験じゃない。


 だが、今回は静かだった。無音のドキュメンタリーでも見てるみたいに。ミミズが巨大な口を開け、一瞬で女を呑みこんだおかげだ。


 OK。これでハッカーは片づいた。お次は金髪野郎の番だ。


 おれは腰のポーチから弾薬ショットシェルをつかみ取ると、指先でころがした。


 弾を片手で装填しながら、次のゲームの相手を思い浮かべる。アーロン――やつは見たところ、典型的な殴り屋スマッシャーだ。


 近接格闘術を学んだ人間は、歩き方を見ればわかる。警官にドレスを着せても、結局は警官でしかないのと同じだ。


 スラムにも何人か、軍人くずれの連中がいた。軍でニューテコンドーとか、サイバー空手カラテを叩きこまれた連中が。


 アーロンにもよく似た特徴がある。体幹が強く、上体の動きがしなやかだ。金属プレート入りのアーマーを着てるようには見えないほど。


 場所を変えよう。この先には、やつを歓迎﹅﹅するのにぴったりな地形がある。おれが地の利アドバンテージを得られる場所が。


 そうだ、アリジゴクの巣サンド・ピットがいい。おれは獰猛な笑みを浮かべた。


 文字どおり、アリジゴクによく似た巨大モンスターの棲み処だ。やつはもういないが、すり鉢状の巣穴はまだある。斜面は三十度を超える急勾配。ガレ場のようにゴミが堆積し、歩きにくい場所だ。


 うまくいけば、やつを巣穴の底に叩き落とせるかもな――


 ベルトのグラップル・ガンに手をすべらせる。傷だらけの表面に触れたとき、おれはふと気づいた。


 ミミズがじっと動かない。ついさっきまで、ご機嫌に晩飯を貪り食ってたデカブツが。


 それも当然だった。やつは胴体を切り裂かれ、死んでいたのだから。


「貴様――」


 突如、屋上のへりに二本の手が出現した。


 おれはショットガンを持ち上げ、即座に引き金を引いた。弾がはね返り、甲高い金属音が響く。サイバーハンドか。おそらく、チタン合金製だ。


 アーロンは一瞬の動作で壁をよじ登ると、血走った目でおれをにらみつけた。全身を紫色の返り血で染めながら。


「殺してやる! ユイをあんなふうに――」


 おしゃべり野郎め。この距離なら、こっちに分があるぜ。


 引き金に指をかけたまま、左手でポンプアクションを繰り返す。連射撃ちスラム・ファイアだ。真正面から、散弾の雨をお見舞いする。


 だが、照準の先にアーロンはいなかった。速い。姿がかすんで見える。


 一瞬、視線が交錯する。やつの目の奥で緑色のLEDがちらつき、高速でスクロールする。


 スピードウェアだ。おれはようやくトリックに気がついた。神経系に作用するチップを起動ブートアップし、一時的に反応速度をブーストしたのだ。


 そのときにはもう、やつは最高速度トップスピードに達していた。手を伸ばせば、いつでもおれの喉を切り裂ける距離にいた。


 簡単にくたばってたまるかよ――


 弾切れのショットガンを捨て、グラップル・ガンに手をのばす。巨大な巣穴のへり。一本残った街灯を狙い、鉤爪を発射した。


 ワイヤーがぴんと張りつめる。反発力でおれの体が引っぱられ、紙一重で突進をかわした。


 だが、やつは執念深かった。脚をバネのように曲げると、おれに向かって跳躍ジャンプしたのだ。


 空中に逃げ場はない。苦しまぎれに左手をのばし、目つぶしサミングを狙う。


 金属的なカチッという音。やつの右腕が真っ二つに裂けると、死神の鎌のようなブレードが飛び出した。


 おれとアーロンは、空中で稲妻のようにぶつかった。衝撃でピンボールのようにふっ飛ばされる。アリジゴクの巣のほうへ。


 宙に浮く感覚。そして、めまい。まぶたの裏で、赤いデジタル信号が起きろと叫んでいる。狂ったようなサイレンが耳もとで鳴り響く――


 どうやら、三秒ほど気絶していたらしい。目を開けると、おれは巣穴のへりにワイヤー一本でぶら下がっていた。


 斜面に手をつき、体を引き上げようとする。その瞬間、左腕に焼けるような痛みを感じた。


 シャツの袖がはためき、熱いものが穴の底にぽたぽた落ちていく。


 袖のなかにはなにもなかった。なにも。ひじから先は切断され、きれいさっぱりなくなっていた。


 くそ。胃の奥から、強烈な不快感がこみ上げてきた。あの野郎、ぶっ殺してやる。


 おれは歯を食いしばると、片腕でワイヤーをたぐり寄せ、穴のへりに這い上がった。気の遠くなるような時間をかけて。街灯の支柱に両足でしがみつく。


 二十メートルほど先から、アーロンのうめき声が聞こえてきた。巣穴の底だ。おれよりずっと遠くへ投げ出されたらしい。落下地点の壁が崩れ、青いガスが湧き出しはじめていた。


 くそ、腕が痛い。笑っちまうくらい痛い。


 肩掛けカバンを探したが、ずたずたの布切れしか残っていなかった。だが、ジャケットの内ポケットに非常用キットがある。


 中身はまずい携帯食料と、スプレー式の包帯ドレッシング。切断面に白い泡を吹きつけると、ポリマーが傷口を修復しはじめた。


「アーロン、どこにいるの?」


 女の声だ。生きてたのか。プラズマライフルを杖にして、ふらつきながら歩いてくる。


 ひどい有様だ。上半身はミミズの消化液で焼けただれ、まるでゾンビだ。両目は腫れ上がり、ほとんど見えていない。まだ生きているのが奇跡だった。いや、悪夢というべきか。


「ユイ、来るな!」


 アーロンが女に気づき、声をらして叫ぶ。


 だが、やつは声を出すべきじゃなかった。視力を失った人間にとって、声は唯一の道標だからだ。


 女の足どりが次第に速まり、そして走り出す。地獄の淵に向かって。


 転落の瞬間は、スローモーションの映画のようだった。女がゴミに足をとられ、何度もバウンドしながら落下していく。おれの目の前で。最後はアーロンの隣に倒れこみ、ぴくりとも動かなくなった。


 おれは左腕をかばいながら、ゆっくりと立ち上がった。片腕で生きていくのは、きっと簡単なことじゃない。とくに最下層のスラムでは。


 でも、すべてを失うよりはマシだ。あの二人のように。


 罪の意識は感じなかった。使えない﹅﹅﹅﹅やつから死んでいく。それがルールだ。


 ここはゴミ捨て場なのだから。


 ふと、巣穴のくぼみでなにかが光った。じいさんのたったひとつの形見。ドイツ鋼の念火ソウルライターが。


 その瞬間、おれは理解した。勝負がついた今、この場を立ち去ることもできる。それでもこの件は、おれ自身の手でケリをつけるべきだと。死んだじいさんが、そう教えているのだ。


 奈落の底では腐敗ガスが沸きたち、荒々しくうずを巻いている。


 あばよ、じいさん――おれは心のなかでつぶやくと、ライターに信号を送った。フリント・ホイールがカチッと回る。小さな炎がガスに触れた瞬間、青い火柱が噴き上がった。


 まるで葬送の儀式のように。おれはそれを背にして、歩き出そうとした。


 そのときだ。シューズのつま先に、なにかがこつんとぶつかったのは。


 冷たいクロームの反射光。運び屋ミュールからぶん取った、あのサイバーウェアだ。べとべとした粘液のおかげで、穴のへりに偶然ひっかかったらしい。


 揺らめく炎に照らされ、無骨なフィストがメタリックに輝いている。飾りっ気のない、戦うための拳だ。


 おれはそいつを拾い上げ、間近でながめた。手のひらを上に向けると、親指が左にくる。つまり、これは左腕だ。おまけにサイズもぴったり合いそうだった。


 まるで、おれのためにつくられたかのように。


「くそ、重てえ荷物だ」


 おれはフィストを胸に抱くと、足を引きずりながら歩きはじめた。残った戦利品を回収し、生まれ育った街へ帰るために。


 この暴力と混沌が渦巻く街――デトロイトへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

FIST PUNK 黒江次郎 @kuroejiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画