第10話「陸さん山を越える」(2)

 蒋介石軍の勢力拡大は混乱の拡大だ。


 武漢の攻略で漢口の治安は悪化した。


 南京で譲歩したのだから、という蒋介石軍の鬱憤を抜く為にも、あくまで中国人が上であるのだと知らせる為にも、主導がある実績が必要だった。


 辛うじて大規模な略奪や暴動こそ引き起こされてはいないものの、中国人住民は周辺の材木や物品、あらゆる金品あるいは換金できる物を集め始めていて、その手がいつ日本人租界に伸びるかは時間の問題だった。


 起こるべくして起きた。


 4月1日、1100時。


 物漁りで平時とは違う異様な雰囲気のなか、治安維持のため着剣したまま各所に歩哨として立つ日本兵が、子供からの投石を受けた後、複数の中国人による暴行で一時重体となる。


 日本租界内でのことだった。


 これに対し警備を任せられていた陸軍および海軍海兵隊は共同で、下手人の引き渡しと、狂乱が広まりつつある中国人群集に対して、武装後に出撃する。兵士の登場前より殺気だつ群集は刃物や投石、果ては中華鍋やあらゆる物で武装し、暴動へと発展した。


「群集はなまじ固まっているから気が大きくなっている。ガス散布、装甲車前へ。閃光弾用意。五感を奪い、騎馬突撃で一蹴すれば多少は現実を理解しよう」


「それで上手くいきますかな?」


 永沼秀文。予備役の元中将がよく整えられた髭を吊りあげながら寡黙さの滲む声で言う。彼の後ろには騎兵第1旅団で解体された騎兵の1個中隊だ。


「南京では。ここでどうなるかは、陸軍騎兵隊の奮闘次第。サーベルで敵兵を斬りつけるでなく、装甲車で兵隊に突撃するわけではないが、やれるだけの教導はした」


「ですな。しかし陸さん、我が古巣ながら妙に聞き分けがよろしい。宇宙軍との仲は悪かった筈であるがな」


「……永沼さん。それですがどうも上、閣下がボコボコにされたことと関係があるかもしれません」


「瑞端将軍がかね」


「えぇ。陸軍大臣とやりあったと」


「大佐風情がか。ふふふ。クーデターや天誅を自称する輩よりなんとやら。……とはいえ郷土軍人会に深く根差した名士を無碍にもできまい。軍を離れた元兵士は皆が上手く戻れるわけではないのでな。会そのものへの物言いもある」


「えぇ。ですが、今は集中しましょう」


「うむ。話すぎた。これが年か」


 抜剣──しかし抜かれたのは警棒だ。


 伝統的で勇壮だった日本陸軍の騎兵隊は、防毒面を人馬共に顔を覆い、全身には多少の打撃、多くの弾丸を受け止める程の合成樹脂と繊維、セラミックの鎧で覆っていた。


 川島芳子は、馬蹄が都市をゆっくりと進む姿を見守りながら後に続く。だが、馬だけではない。


 鋼鉄が歩く。


 鋼の6脚を歪に使い歩く、巨大で、重く、装甲を立てて徒歩の兵士とこそ肩を並べる機械の象らしき物だ。


 日本人居留民らが、人間よりも遥かに大きな馬の群れにまず驚き道を開け、続いて、その異様な風貌に肝を冷やしていた。


「店を閉じ、隠れておれい」


 暴動と居留民の間に騎馬隊が挟まる。


 対峙する暴徒先頭の顔が引き攣った。


 暴徒先頭は狂ったほどに叫んでいた気は鳴りを潜め、しかし、何も知らない後ろからの熱狂と押しに歩かされていた。


「先頭は子供か。中国人らしいな。いや、共産主義者かな。便衣兵に注意。撃ってくるぞ、死ぬほど痛いが耐えてみせよ」


「瓦斯は?」


「まだ速い。焦るな。やる時は一撃で完全に心を砕く蹂躙が効果的だ。それは長く待つが、一瞬で決まる。驚かせるな。理性的に下がらせることが理想だ。南京では焦った突撃で、群集の足が止まり、何百人もの中国人が転倒して逃げる中国人に踏み荒らされた。馬や象に踏まれる処刑が海外にはあったらしい。それと同じことが起きる」


「ゾッとします」


 先頭の恐怖が浸透していくのを、川島芳子は馬上から見抜いた。


「瓦斯を打ち込もう。混乱する群集の先頭に当てて素早く下がる。蹂躙はするな。馬の足で踏むのにも注意、殲滅戦ではなく治安回復が目的であることを留意!」


「今から軍人じゃない、警察と知れ!」


「良かった! 警察官が夢だったんだ」


「突撃ー!」


 去勢していない凶暴な馬がいななく。


 馬蹄打ち鳴らされる。


 数歩、騎馬隊が進む。


 暴徒は崩壊していた。



「ほぉ……あれが航空宇宙軍の玩具か」


「隠居されていた永沼中将には珍しく見えますか。震災のおりにも活躍した重機です」


「川島くん。私の若い頃は馬さえ満足にいなかったものだよ。ほぉ、時代はあっという間に変わるか。知らぬ戦にもなろうというもの、なるほど」


「永沼中将、騎兵突撃は同じでしょう」


「確かに。だがそれも変わったのだよ」


 川島と永沼は馬首を並べて、暴徒を鎮圧した武漢を巡回していた。あちこち掠奪にあっていたが復興は進んでいる。たくましい人間がそこにいて、暮らしている。


「永沼中将はもっと寡黙な人だと考えていましたが、想像より話上手なのですね」


「聞きたいことが山のようにあるだけだよ、お嬢さん。古い人間だからこそ死ぬまでに現代というものをできるだけ吸っておきたいだけだよ」


「心境の変化でもあったのですか?」


「キミもよく喋る。キミのほうが興味深いがね、川島の養子にされたお嬢さん。話は知っている」


「……そうですか。私の場合は胸を撃ち抜く前に閣下を撃ったことが引き鉄でしょう。2度引いて、私と閣下は死にました」


「瑞端くんだね。あれは忙しない。平賀さんや南部さんやら老人に叩かれながらあちこち飛んでいる。若いね。27歳だったか?」


「そう聞いています、永沼中将」


「嫁を貰い遅れてからに、と、思うてしまうが。子が何人かいて然るべき男だ、あれの歳は」


 永沼中将の話はいつのまにか、ここにはいない瑞端の話に変わっていた。怨みがましい、あるいは呆れてか、少なくとも、好意だとか嬉しさだとかの口振りではない。


「彼の上司は何をやっているのだ。身を固めさせてやるのも仕事だぞ。良い娘さんを紹介し子を産ませ、人を繋いでいかずして国防の職を語るものではない。むしろ破壊しているも同然ではないか」


 永沼中将は、うむ、うむ、と、馬上で頷きながら話を続けた。寡黙な老人は話したりないようだ。


「妾を囲う、娼婦や芸者を囲う、男児たるもの血筋を支配する気でなければいかんな。一国一城の主、新しい軍の大名であればなおさらである。お世継ぎを整え、藩である大日本航空宇宙軍を──」


「永沼中将」


 川島が興奮する永沼中将の話を止める。


「──少し話しすぎたな」


 寡黙な永沼中将が帰ってきた。


 蹄がポックポックと鳴らしながらゆく。


 だが、川島も『まったくその通り』であった。川島芳子は、父親である皇帝、義父である支配者を知っている。嫌悪する男であるが支配者というものを知っている。


 川島も、瑞端がそうあれとは望んではいないが、しかし、支配者であるならば支配的でなければならない、と、彼女に焼き付いている。


 馬上から武漢の民を見下ろす。


 暴徒を鎮圧した力に感謝が入り混じった、恐怖で少し歪んだ顔をチラリと向けていた。


 川島はそれで良いと考えていた。


 力を恐れ、しかし必要も認める。


 力を持ち、それを律する心ある。


 ふと、武漢を巡回するなかで川島は、ソヴィエト帝国の初代大統領になったと聞くアナスタシア大統領を思いだす。


 皇帝を継いだ生き残り。


 ロシア革命を死なずに乗り越えたアナスタシアは、皇族の血をどう使ったのだろうか。どう使っていくのだろうか。


 ロシア帝国の血筋だ。


 私は……。


 川島芳子は、自身の清帝国の血筋が毒のように臓器を犯すのを感じた。彼女を玩具として進呈した皇帝が、血にいる。


 毒ならば──使い道がある。

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おいでませ!大日本帝国航空宇宙軍 RAMネコ @RAMneko1

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