『あなたは今日から我が家の子どもです』【2000文字版】

 双子の月が雲で覆い隠された暗い夜。

 雨の中、首輪をはめられた子供たちが歩いている。


 向かう先にあるのは古びた洋館。

 雨天だというのに、そこには大勢の人間が詰め掛けていた。


「その子の顔を見せてくれないか」


 薄暗い室内。真っ黒な礼服に身を包んだ男。彼の前には檻がある。

 頑丈な扉が開き、鎖に繋がれたなにかが引きずり出された。


 それは少女であった。


 男は頷くと、鎖の端を持つ老人に金貨を握らせた。



 雨が止んだ頃、少女は巨大な屋敷の前にいた。


「おかえりなさいませ。旦那様」


 使用人たちに迎えられ、男は少女を置いて屋敷に入っていく。

 狼狽うろたえる少女の前にメイドが歩み出た。

 メイドは笑って手を差し伸べる。


「あなたは今日から我が家の子どもです」


 少女は銀髪碧眼のメイドに手を引かれて屋敷へ足を踏み入れた。


「私はサーシャ。まずは身体を綺麗にします」


 サーシャに連れられて向かったのは浴室だった。

 泥と垢を洗い落し、髪を乾かして上等な部屋着を着せられる。

 以前と全く違う扱いに、少女は困惑した。


「ここがあなたの部屋です」


 案内された部屋に入り、少女は目を丸くする。

 そこは大きなベッドや豪奢な鏡台など、様々な家具が揃った清潔な部屋だった。


 少女は室内をキョロキョロと見回す。

 ひとしきり家具を触った後、窓に興味を惹かれて近寄り外を覗いた。


 両開きの門が開いており、そこに誰かの後姿が見えた。

 月明かりの中、荷物を持って佇む淡い菫色すみれいろの髪をした女性。


 その女性は不意にこちらを向いた。

 紫色の瞳を細め、悲し気に屋敷を見つめている。


「アンタが新入り?」


 少女は声がした方へと振り返る。

 サーシャの横にメイド服姿の小さな女の子が立っていた。

 少女とそう変わらない背格好。赤髪につり目で活発そうな印象がある。


「アタシ、ランカって言うの。アンタの先輩よ」


 ランカは胸を張って少女の前に進み出た。


「アンタ、名前は?」


 少女は答えられず、押し黙る。


「あなたも名前がないのですね」


 サーシャが屈んで少女の顔を覗き込む。


「今日からメグと名乗りなさい。あなたの名前です」


 少女は目を見開いて驚いた。

 ランカは少女の手を無理やり取って握手する。


「覚えたわ。メグ、よろしくね」


 メグは控えめに頷いて、ランカの手を握り返した。



 それからサーシャは毎日メグの世話をした。

 待遇は実に贅沢なものだった。

 食事は3食欠かさず用意され、柔らかいベッドで眠りにつく。

 メグは幸せな日々に戸惑いながらも、幸福を噛み締めていた。


 数週間がたち、サーシャはメグを勉強机の前に連れて来た。


「今日からはお勉強を始めます」


 理由を尋ねたメグにサーシャは本を渡した。


「勉強しない悪い子はこの家を追い出されるからです」


 メグは昔の生活を思い出して身震いした。この家を出たくない。

 怯えるようにメグは渡された本を開いて机に向かった。


「いい子ですね。そうしていればずっとここにいられますよ」



 さらに1か月後、メグはメイドの服を着せられていた。


「今日からは見習いの仕事をしてもらいます」


 メグはもう理由を尋ねなかった。

 ここで暮らせることがどれほど幸せであるか。

 勉強して知ったからである。


 今の暮らしを手放したくない。

 そのためにはいい子であり続けなければならない。

 サーシャに習って、メグは屋敷の仕事を覚えていった。



 屋敷に来てから1年後。

 メグはすっかりメイドとして一人前になっていた。

 ある日の夜、メグは他のメイドたちと共に屋敷の外でを出迎えた。


 旦那様が屋敷へと入っていく。

 門の前には女の子が取り残されていた。


 丸メガネをかけたメイド長が女の子に近づいて話しかける。


「メグ。早く手伝いなさいよ」


 ランカが開け放たれた門に歩み寄りつつメグに指示を飛ばす。

 メグはランカの後に続いた。


 2人で門を閉め終わり、メグは自室へと戻る。

 途中で、メグはサーシャと鉢合わせた。


 サーシャはメイド服ではなく、真っ黒な洋服に身を包んでいる。

 右手には重そうな荷物を持っていた。


 サーシャはメグの顔を見つめたが、何も言わず玄関へと向かって行った。


 その後、サーシャが屋敷に戻ることはなかった。



 旦那様に拾われてから5年がたち、メグは15歳になった。

 

 メグはメイド長として屋敷の仕事を取り仕切る立場になっていた。

 なぜなら、メグの先輩はランカ以外全員いなくなってしまったからだ。


 ある日、メグはランカの部屋を訪ねた。


「行き先?言えないわ。そういう決まりなの」


 ランカは荷物をまとめながら「そんなことより」と続けた。


「今日からアンタがなんだからちゃんと仕事しなさいよね」


 そう。今日から新しいお役目が始まるのである。


 メグはランカ以外のメイド達を率いて、帰って来た旦那様を迎えに行った。

 

 旦那様はいつも通り屋敷へと入っていく。

 そして、門の前には女の子が取り残されていた。


 みすぼらしい格好で所在なさげにしている。いかにも心細そうだ。

 メグはその子に目線を合わせ、笑顔を作って言った。


「あなたは今日から我が家の子どもです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『あなたは今日から我が家の子どもです』【文字数指定短編集】 尾藤みそぎ @bitou_misogi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ