第7話
伊織と別れ、自室へ戻る廊下を歩きながら結月は心の中でポツリと呟く。
(やっぱり、雫はいなかったな……)
紗蘭の言っていた一定時間を既に経過したのだろう。直接言葉を交わした記憶のない相手でも、もうこの世にいないのだと思うと結月は複雑な気分になった。それでも彼女の犠牲があったから、自分は狙われずに済んだのかもしれない。そう考えて安堵する自分がいることに気が付いた結月は口元を歪めて笑った。
「ホント、人間ってクソだ」
この二日間ですっかり慣れてしまった自室の扉を開け、包丁を戸棚の中に仕舞う。夜の探索には鞘付きのペティナイフだけを隠し持って行くことにした。さすがに自衛目的とはいえ凶器を堂々と持ち歩くわけにはいかない。
「夜まで暇だな……」
紗蘭を見習って仮眠を取っても良かったが、結月は不眠症を患っており思うように眠れなかった。今もほとんど眠気はない。いっそのこともう一度調理場に行って伊織から料理を掠め取ってやろうかとも思ったが、次は本気で怒られそうだったためやめておいた。
結局昼食をいつもよりしっかり食べる以外にやることもなく、結月は待ち合わせ時間の三十分前に紗蘭の部屋の扉を叩く。ゲームの中とは不思議なもので、空腹を感じることもなければ満腹になることもない。発狂しそうなほど暇な時間を何とか乗り越え、今更になって感じる眠気を噛み殺しながら紗蘭を待った。
「お待たせしました、結月さん。おはようございます」
「おはよう、紗蘭。と言っても私は寝てないし今、夜の十時過ぎだけどね」
「え、仮眠取らなかったんですか?」
「うん、ゲームが始まってからは一睡もしてないよ。私は不眠症で上手く眠れないから。でもそろそろ寝落ちしそう」
探索中に気を失ったら不味いな、と思いつつ暗い廊下を紗蘭と進む。普段なら栄養ドリンクのカフェイン効果でもう少し長く起きていられるのだが、ゲーム中は二徹が限界らしい。約束の時間より少し早く待ち合わせ場所の応接室に辿り着くと、ソファをベッド代わりにして颯真が仮眠を取っていた。
「……どうする? 紗蘭。起こした方がいいかな?」
「でも、楓華さんはまだ来ていないようですし……」
と、二人が小声で話し合っていると颯真はゆっくり起き上がる。人の気配を感じて目が覚めたのだろう。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます。あの、楓華さんって……」
「私はここだよ」
突然背後から聞こえたその声に、結月と紗蘭は揃って振り返る。声をかけられるまで全く気付かなかった。
「楓華さん、驚かさないでください。というか今までどこにいたんですか?」
「いやぁ、ごめんごめん。実は一足早く屋敷を見て回ってたんだよ。皆でやろうなんて言い出しといて何だけど、やっぱり一人は気楽だね」
「じゃあ私たち要らなかったじゃん……」
今にも寝落ちしそうな結月が小声で文句を言う。
「そんなことないよ。少なくとも、これで議論を進められる。私が探索した限りではNPCを見つけることはできなかったけど、君たちはどうかな?」
「私と結月さんは、見ていません」
「僕もだ」
「となると、当然犯人はプレイヤーの中に潜んでいることになるね」
結月は心の中で舌打ちした。誰が犯人役かは皆目見当もつかないが、誰が狙われやすいかならば分かりきっている。初心者プレイヤーの結月と千花だ。次に殺されるのは自分かもしれない。そう考えると早い段階で武器を調達しておいたのは正解だった。
「犯人捜しとか、するの?」
「いや、君たちがどうするかは勝手だけど私はしない。ここで私が陣頭指揮を取って犯人役に目をつけられるのはごめんだ。できる限り波風立てず、大人しくしているのが一番安全だろう」
「確かに、そうですね」
誰だって自分が狙われたくはない。もちろん結月も、だ。死ぬのは別に構わないが、だからといって自分から進んで死にに行くつもりはない。
「各自で死なないように気を付けてくれ。私に言えることはもうない。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
「じゃあ僕も部屋に戻るね。結月ちゃんも紗蘭ちゃんも気を付けて」
二人の後ろ姿を見送り、結月と紗蘭も歩き出す。何か言える雰囲気でもなく、互いに無言のまま部屋の前まで辿り着いた。
「あの、結月さんは犯人じゃないんですよね?」
「え?」
部屋の扉に手を掛けた結月の背後から、紗蘭が問う。
「犯人じゃないって、言ってください。嘘でも、いいですから」
「……うん、私は犯人じゃないよ。紗蘭もそうだって信じてる」
結月の返答に、紗蘭は一度頷くのみだった。
「おやすみ、紗蘭。また明日、お互い死なずに会えるといいね」
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