第5話
ハンドルネーム、紗蘭。本名は
彼女の両親は有名な進学校で教職に就いており、娘の蘭を都内トップクラスの高校へ進学させようとした。二つ歳の離れた兄が両親の期待に応えられるだけの学力を備えていなかったことも災いし、親の期待は妹の蘭に重くのし掛かることとなる。
『蘭はお兄ちゃんと違って優秀だから、きっと大丈夫よね?』
『そうだな。そのために塾にも行かせて家庭教師まで雇ってるんだ。受かってもらわなきゃ困る』
両親の言葉は日を追うごとに重圧となり、蘭は次第に追い詰められていった。学校が終わるとそのまま塾へ向かって二時間の勉強、休日は家庭教師。友人と遊ぶ暇もなく、定期考査と小テストの点数に怯える日々。半年足らずで憔悴しきってしまった蘭をクラスメイトたちは心配してくれたが、それでも蘭が勉強をやめるわけにはいかなかった。
全ては両親の期待に応えるため。受験さえ終われば自由になれる。そう信じて、蘭は勉強を続けた。そして、受験当日。
(やっと、この日が来た。もうすぐ私は解放されるのね)
そんなことを考えながら試験問題のページを捲った蘭は突如として頭の中が真っ白になってしまった。見覚えのある問題のはずなのに解き方が分からない。問題文の意味が理解できない。極度の緊張からか、パニック状態に陥った蘭はほとんど全ての答案用紙を白紙のまま提出した。
合格発表を待たずとも、合否など既に分かっている。隠し通すことはできないと悟った蘭は受験に失敗したことを両親に伝えた。
『ごめんなさい。お母さん、お父さん』
蘭の謝罪に母親は泣き叫び、父親は怒り狂った。その惨状を見ていられず自室に逃げ込んだ蘭は、このとき人生で初めて挫折を知る。
『どうしてッ? どうしてなのよ蘭! あなたなら、あなたなら合格できると思っていたのに!』
耳を劈くような母の声。続く言葉は蘭の人生を蝕み続ける呪いとなった。
『こんなことになるなら、アンタたちなんか産まなきゃ良かったわ!』
『……っ!』
この日を境に、蘭はネットゲームにのめり込み始める。『案内役』を名乗る少女から接触があったのは二週間後のことだった。
「それで、招待を受けたの?」
「はい。あの時の私は脱け殻でした。全部どうでも良くなってしまって、それでゲームに参加したんです」
紗蘭の話を聞き終えた結月は、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「後悔とかって、してない?」
「ええ、していません」
「いつ死ぬか分からないのに?」
「確かに、このゲームは命がけですし恐ろしいことも苦しいこともたくさんあります。でも、私は家に帰りたいと思ったことはありません」
その答えは結月にとって意外なものだった。既に三十回以上もゲームを経験し何度も死の淵へ追いやられたであろうに、それでもここに留まりたいと言えるとは。
「それに、お金さえあればプレイヤーはある程度自由に暮らせます。好きなものを食べて、好きなものを買って、好きなときに好きなだけ眠れる。少なくともここは私にとって、あの家より何十倍も居心地がいいんです」
そう言って微笑む紗蘭の憂いを帯びた瞳は、ほんの少しだけ潤んでいるようにも見えた。
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