第4話
『結月』こと月島結香には生まれながらにして致命的な欠陥があった。人が当たり前のように備えている『情熱』が、彼女には微塵も存在しなかったのである。何にも本気になれず、何事にも正面から向き合えない。勉強や運動はもちろんのこと、娯楽の類いですら彼女が熱量を持って取り組んだことは一度としてなかった。
物心ついた頃から彼女の心に燻り続けていた疑問が確信へと変わったのは、小学校の入学式。結香が用意された席に座ろうとすると、そこには既に先客がいた。我が物顔で結香の席を占領する少女は、友人二人と楽しそうに談笑している。
『ねぇ、そこ、私の席なんだけど。どいてくれない?』
かなりの至近距離で伝えたにも関わらず、少女は結香を一瞥しただけで友人と談笑を続けた。それを見て言葉による説得を諦めた結香は少女が座る椅子を、少女ごと蹴り飛ばしたのである。結香の放った渾身の蹴りに椅子は大きく揺れ、バランスを崩した少女は椅子から転がり落ちた。
騒然とする周囲は気にも留めず席についた結香だったがすぐに駆けつけてきた教師に、結香はその場で厳しく叱責されてしまう。当然と言えば当然の結果なのだが、当時の結香にはなぜ自分が責められなければならないのかがまるで理解できなかった。
『私はただ自分の場所を取り戻しただけです』
教師の叱責に納得がいかなかった結香は思っている通りのことを、そのまま教師に伝える。教師は一瞬面食らったような顔をしたものの、すぐに結香の考えをたしなめた。
『でも、暴力はダメでしょう?』
『もちろん、最初は言葉で伝えました。でも聞き入れてもらえなかったので仕方なくああしたんです』
『だからって暴力はいけないわ』
『……』
このままでは水掛け論になると悟った結香は無言で踵を返す。入学式だったため少ない荷物をまとめ、体育館を出ようとしたところで教師は結香の肩を掴んで引き留めてきた。
『待って、どこへ行くの?』
『先生の考えは十分分かりました。もう結構です』
肩に置かれた手を振り払い、結香はすぐに走り出す。追いかけられると思ったためだ。全力疾走で校門から飛び出した結香は、一人静かに息を吐き出した。そしてポツリと呟く。
『社会ってクソだな』
この入学式で起こした諍いが原因で、結香は九年間不登校を貫くことになる。結香の両親は初めこそ根気強く娘と向き合おうとしていたがあまりにも頑なな結香の態度に辟易してしまい、最後には説得を諦めた。
「まぁ、つまり私は社会不適合者の鑑みたいな性格をしていたんだよ」
己の黒歴史を語り終わった結月は苦笑しながら話を締め括る。
「ね? 面白い話じゃなかったでしょ?」
「それで、不登校になったあとはどう過ごされていたんですか?」
「……面白かったの?」
紗蘭は想像以上に真剣な眼差しで結月の語りに耳を傾けていた。結月は少し考え込んだあと、悪戯っぽく笑って口を開く。
「今度は紗蘭の話が聞きたいな」
「えッ? 私ですか?」
「うん。私だって話したんだから紗蘭も話してくれなきゃ不公平でしょ?」
「うぅ、分かりました……」
たどたどしく己の生い立ちを語り出す紗蘭の顔を見つめながら、結月は改めて思った。
(私はやっぱり壊れていたんだな)
物心ついた頃から薄々感じてはいた違和感。自分は人とは違うのではないかという疑問。その疑問に答えをくれた入学式の日を思い出したのは何年ぶりだろうか。そして機会があれば、紗蘭が知りたがったあの話もする気になるのかもしれない。だからその時は。
月島結香が『結月』へと至る物語を、語って聞かせよう。
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