第3話
「結月さん、もしよろしければ朝食をご一緒しませんか?」
紗蘭の唐突な誘いに、思わず結月は振り返る。結月としては今すぐにでも自室に戻って二度寝したい気分だったのだが、ここで断るのも誘ってくれた紗蘭に申し訳ない気がした。
「私なんかと食べても楽しくないよ?」
「それでも、です」
「……分かった。じゃあ一緒に食べようか」
結局紗蘭の押しに負ける形で、結月は頷く。調理場には雫の遺体がそのまま残っていたため、結月の部屋で朝食を取ることになった。部屋に続く廊下を歩きながらも、二人の間を気まずい静寂が支配する。互いに一言も発することなく結月の部屋までたどり着き、ようやく紗蘭が重い口を開いた。
「それじゃ私、食事の準備をしてきますね」
「うん。ゆっくりでいいよ」
念願だった自室に足を踏み入れ、ベッドに倒れ込みたい衝動を抑えつつ結月は備え付けの冷蔵庫を漁る。中には水の入ったペットボトルと冷凍食品が二十一食分詰め込まれていた。紗蘭曰くこれらは『糧食』と呼ばれ長期戦のゲームでは恒例のものらしい。
ゲーム中のプレイヤーが空腹を感じることはないが、現実の肉体はそうもいかない。当然、食べなければ死ぬ。
現実世界のプレイヤーには常時点滴で生命維持に必要な栄養素が送り込まれているのだが、ゲーム中に一切食事をしなかった場合はこの点滴を打ち切られてしまう。そのためプレイヤーはゲーム中でも意識して食事を取らなくてはならないのだと、昨日紗蘭が教えてくれた。
冷蔵庫の中からペットボトルと炒飯を取り出し、電子レンジで温める。するとちょうど温め終わったタイミングで部屋の扉がノックされた。
「どうぞ、勝手に入っていいよ」
温める時間を間違えたのか、袋の端すら触れないほど高温になってしまった炒飯と格闘していた結月は部屋の外に向かって早口で捲し立てる。
「……結月さん、一体何をされてるんですか?」
控えめに開かれた扉の隙間から顔を覗かせた紗蘭が、電子レンジの前で右往左往している結月を見て怪訝そうに眉根を寄せた。
「紗蘭、助けて。袋が持てない。しかも指先火傷した」
そう言って結月が赤くなっている手指を紗蘭に見せると、紗蘭は手に持っていたペットボトルと皿をテーブルに置いて溜め息をつく。そして呆れたような素振りを見せながらも手際よく炒飯の入った袋を取り出し、結月が差し出した皿の上にのせてくれた。
「温めすぎちゃったんですね」
「うん。普段電子レンジなんて滅多に使わないから、いまいち勝手が分からなくて」
事実、結月はこのゲームに招待されるまで不摂生極まりない食生活を送っていた。栄養補助食品やサプリメントなどを多用し、栄養ドリンクを水代わりに飲む。一日三食はおろか、二日間何も食べない日もざらにあった。自炊したことなど二、三回しかないしここ一年は包丁すら持っていない。
「そんな食生活でよく今まで死にませんでしたね……」
「いや、実際何回か死にかけたことはあるよ。倒れて救急車で運ばれたこともあったし」
「……」
紗蘭はもう言葉も出ないらしく、無言で焼きおにぎりを頬張っていた。だがふと思い付いたように口を開く。
「でも結月さんって私と同い年ならまだ高校生ですよね?」
「うん、そうだよ?」
「それなのに一人暮らしされてるんですか? ご家族は?」
「……あー」
家族、という単語に反応し珍しく結月が口ごもる。
「ちょっと言いにくいんだけど、両親とは長い間不仲でね。中学卒業と同時に離れて暮らしてるんだ。生活費はちゃんともらってるから生活には困ってなかったし」
「そうだったんですか……。ちなみに不仲だった原因とかって?」
「私が不登校だったからだよ。小学校も中学校も行ってない。正確には小学校の入学式以降、だけどね」
結月はこのことを今まで誰にも話していない。話す相手がいなかったというのも理由の一つだが、一番の理由は昔の記憶を思い出したくなかったからだ。それなのに紗蘭にはこうして打ち明けられている。不思議なものだな、と結月は思った。
互いにいつ死ぬか分からない状況。このゲームが終われば、きっと二度と会うことはない赤の他人。だからこそ、結月は己の過去を掘り返す気になったのかもしれない。
「不登校だった理由、聞いてもいいですか?」
「……楽しい話じゃないよ?」
「それでも、知りたいです」
「分かった。そこまで言うなら話すよ」
そして結月は『あの日』のことを思い出す。己の人生が変わった瞬間。自分自身の『歪み』に気づいてしまった日。過去最悪の一日として脳裏に刻まれている、あの出来事を。
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