108.『要求』

 

「……え? 勝者って」 

「説明を聞いていなかったのか? 試合中の治療行為はリタイアとみなされ、イコール敗北となる。治療を挟んで問題ないのは、一試合ごとの決着がついてからのみだからな」


 長椅子にどさりと腰を降ろしたハンサを見て、俺は口を噤んだ。

 ミグと言えば、仰向けにされた体勢で動いてくる気配もない。

 どうやらこちらの頭突きを受けた際に、脳震盪を起こしてしまったらしい。

 

 頭部へのダメージは、例え本人が意識を保っていたとしても軽視することは出来ない。

 しかもこれは降ってわいた戦い、模擬戦だ。

 俺のように変に意地を張って、部下に無理をさせる意味も必要性もない。


 それを理解した上で、ハンサは治療を要求を下したのだろう。

 

「今回はいい経験をさせてもらった。実戦でも刃を掴んでくる奴がいないとも限らんしな」

「う……す、すみません。無我夢中で、あれしか思いつかなくて……」 

「なに、気にしないでいい。これから君には、もっといい経験を積んでもらうわけだからな――イアンニ!」 

「はっ!」 

 

 会話の最中跳ね上げられた右腕に合わせて、鋭い応答の声が発されてきた。

 三級神殿従士、イアンニ・カラクルス。

 その腰には、既に練習用の片手剣が帯びられていた。

 

「俺まで回す必要はない。存分に相手をしてやれ」


 そこにいるガキをミグと同じ目に合わせてやれ。

 言外にそれを含ませて、ハンサが腕を下ろす。


「承知」 

 

 その命令に従い、恭しく下げられていた大型兜グレートヘルムがこちらへと向き直ってきた。


「すまん、ミグ……私が試合前にお前の頭を殴打したばかりに、こんな結果に……!」

 

 巨漢の従士が悔恨の言葉と共に肩を震わせて、鎖帷子チェインメイルをジャラリと鳴らす。

 どうやら彼は、同僚の敗北に責任を感じてしまっているらしい。

 

 ……うん。

 正直いって、その影響はあったかもしれない。 

 傍から見ていても、アレはかなり痛そうだったし。


 しかし、次はこの人が相手か。

 ミグと比べれば、明らかに重戦士といった風体だが……


 金属製の防具を身に付けているからといって、彼ら神殿従士を鈍重な相手だと思ってはいけない。

 現に俺は先程、こちらより重装のミグの一撃を避けられずにポイントを取られてしまっている。

 

 例え、継続的な機動力を発揮することは不得手だとしても、瞬間的な攻防に関しては速度の面でも決して侮ることは出来ない。

 そう考えておくのが懸命だろう。

 

 ミグから有効打を奪えたのも、取っ組み合いに持ち込んで動きを制限出来たからだしな。

 加えて言うならば、こっちのほうが背が高かったから、額当てを避けて上から頭突きをいけたことも大きい。

 背が高かったから。 

 

「お待ちください、イアンニ様」 

 

 そんなことを考えていると、フェレシーラが手を挙げてイアンニを制止してきた。

 

「フラム、貴方はこちらに。『体力付与』までは出来ませんが、右手の治療を行っておきます。よろしいですね、ハンサ副従士長」

「こちらは一向に構いませんよ。イアンニ、お前も文句はないだろう?」

「無論です――このイアンニ・カラクルス。手傷を負った子供を相手に臆したとあらば、ミストピア神殿従士の名折れ! 万全の体勢で挑んでくるがいい、旅人フラムとやら!」 


 おおう……急に貴族っぽい人がきたな。 

 なんか勝手に盛り上がってメラメラと闘志を燃やしてるけど、大仰な口調といい、若干芝居がかった仕草といい……

 お伽話の中に出てくる、騎士そのものって感じだ。

 

「私の知る限りでは、イアンニはこの神殿では五指に入る使い手です」 

「……フェレシーラ」 

「そのまま、あちらを見ずに聞いてください」 

 

 治療を受けるために審判の少女に近づくと、小声での指示が告げられてきた。

 これから試合が始まるというのに、何事だろうか。

 そう思い、俺は思わず眉を顰める。

 

 すると突然、右の掌がぎゅっと握りしめられてきた。

 

「あっ……づ!? ちょ、おま……! そ、そんな強く握るなって……!」 

「この感じだと、骨が折れたわけではなさそうですね。それにしても随分と無理をされたようですが」 

「ま、まあな……諸々の実力差を埋めるには、ああでもしないとさ」 


 普段とは違った彼女の口調に、内心では戸惑いながらも……

 俺はそんな、言い訳染みた言葉を口に昇らせていた。


「おぼえていますか。あのときの約束を」

「……? ああ。約束って、アレか」


 唐突にやってきたその問いかけには、自分でも意外なほどあっさりと応えることが出来た。

 

「俺がお前に頼み込んで、シュクサ村に連れていってもらったたときのヤツ。あのときは、ほんと驚いたな……」


 そう口にしつつも、俺は思い出す。

 生まれ育った『隠者の塔』から離れて、彼女と初めて出会ったときのことを。

 フェレシーラが俺のことを影人だと思い込み、問答無用で殴りかかってきたときのことを。

 

 そしてそのあと、彼女と交わした約束の言葉を思い返して、俺は知らずのうちに苦笑いしてしまっていた。


「たしか……一緒に来て欲しい、だったっけか。あ、いや。なんかもうちょっと、色々言われてたような気も……」 

「いえ。それで合っています。ありがとうございます」


 負傷の程度を見極めながらの、やり取りが成されてゆく。

 唐突で、その上質問の意図がまったく掴めない内容だ。

 だが……不思議にも、それが事態がおかしなことだとは俺は思わない。


 おかしいと思うことは、別にあった。

 

「考えてみれば、アレってちょっと変だよな。俺がお前に『一緒に連れていってくれ』って頼んだのに、そのための条件が『一緒に来て欲しい』って。実質、無条件なわけだし」

「そう……ですね」


 俺が口にした言葉に、フェレシーラが視線を逸らして答えてきた。

 平静さに満ちた声だが、その瞳はどこか哀しげにも見えた。


「ついてくぞ、俺は」


 短くそう告げると、青い瞳がこちらに向けられてきた。

 

「約束どおりに、俺はお前についていくからな。だから、大丈夫だ。フェレシーラ。俺はお前と一緒にいくぞ」 

「……そうですか」 

 

 何故だかやや早口となってしまったその呼び掛けに、フェレシーラは短く応じてきた。

 今度のそれに、感謝の言葉は伴われていない。

 それどころか、その瞳はどこか拗ねたような色を宿している。

 

 フェレシーラの唇から、呪文の詠唱が紡がれてゆく。

 ややあって、眩い光が彼女の掌から放たれてきた。

 神術による治療行為。『治癒』の発露を示す、具現化したアトマの輝きだ。 

 

 その輝きに隠れるようにして、淡い、微かな煌めきが俺の体を包み込んできた。 

 同時に、乱れていた気息が瞬く間に整ってゆく。

 肩にのしかかって疲労感が、嘘のように霧散してゆく。

 

 無詠唱による、追加の術法がもたらした回復効果だ。

 

「おい……お前いま、『体力付与』までかけただろ」 

「万全の体勢でと、あちらが仰られましたので」

「そりゃ言ってたけどさ……どういうつもりだよ」


 呪文の詠唱を省くために用いられる、思念法。

 無詠唱での術法の行使を可能とする、高等技術。

 フェレシーラはそれを用いて、『治癒』の影響で消耗した俺の体力を補填してきたのだ。

 

 当然のことながら、そうした運用法には相応の代償が伴う。

 詠唱による術法式の構築補助を省いた分だけ、余分なアトマを必要とするのみならず。

 展開される術法の効果自体も、通常のそれに比べて低下してしまうのだ。


 そんなものを、わざわざ好んで使う理由はそう多くもない。

 戦闘行為などの一刻を争う場面にて、可能な限り迅速に効果を得るためか。

 或いはその静穏性を利用して、人目を盗んで事に及ぶためか。

 理由としては大体そんなところだろう。


 今回のそれがその後者にあたることは、明白だった。

 

「次に戦われるイアンニは、生粋の重戦士です。恵まれた体格を活かしたリーチとパワーを、槌鉾メイス大盾ラージシールドを組み合わせた攻守の入れ替えを最大限に活かしてくる、強敵です。一対一での正面からのぶつかり合いでは、到底敵わない相手でしょう」

「……お前、ほんとどういうつもりだよ」

「お気にさわったのであれば、聞き流してください、用いてくるのが練習用の剣一本では、あまり意味のない情報ですので。とにかく、先程の相手とはまったく異なるタイプだと認識しておいてください。あちらのペースに付き合わないことが肝要です」


 いやいや……聞き流せって言われてもな。

 マジでどういうつもりだよ、こいつ。

 治療だけならともかくとして、入れ知恵みたいな真似までしてきて。


 べつに今回は、無理して勝つ必要はなかったんじゃないのか?

 ハンサとイアンニから隠れるようにして体力を回復させてきたことといい、いまの言葉といい。


 ……いつもと違いすぎる、澄ましたような喋りといい。

 ぶっちゃけ調子が狂うぞ。

 

「そろそろ『治療』は終わりましたかな。フェレシーラ教官」

「はい。お待たせしてしまい申し訳ございません、お二方」


 そんな行いを、いい加減に見かねたのだろう。

 ハンサが声をあげてきて、それにフェレシーラが深々と頭をさげていた。


 しかしその要求は、いまの俺にとっては助け船にも等しい。

 どこか釈然としない、もやついた気持ちを、はやく試合にぶつけてしまいたかったからだ。 


 少しばかり相手を待たせてしまったが、これで試合が始められる。

 

「私も、おぼえています」


 そう思い短剣を握りしめると、声がやってきた。

 

 なんのことだろうか。

 試合の再開を前にして白円に足を踏み入れ、続く言葉を俺は待つ。

 イアンニが、剣を手に白線の内側へと踏み入ってくる。

 

「あのとき、貴方の腕の中で。私に言ってくれた言葉をずっとおぼえています」 


 それと入れ替わるようにして、フェレシーラが去ってゆく。

 長身の従士が眼前に立ちはだかる。

 

「――両者、構え」


 審判の声が響く。

 剣と短剣とが、相対する形で持ち上がる。


 見ればイアンニは、トレードマークとも言える大型兜グレートヘルムを脱ぎ捨てていた。


「――始め!」

 

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