109.重戦士の圧
開始の声に合わせて、俺は一度後ろに大きく退く。
イアンニが兜を外してきたことは、こちらにとっては思わぬ僥倖だ。
直接頭部を狙っただけでは致命打にならないところが、そうでなくなる。
正直言って、これは非常に大きい。
しかしそれだけに、あちらの思惑がわからない。
無論、問答無用で速攻を仕掛けるのも手だ。
上手く機先を制することが出来れば、そこからポイントを奪える可能性もあるだろう。
だが、そんな不利を選んできたことへの不気味さもあり。
つい今しがたの治療行為にて、勝手に感じてしまった引け目もあり。
結果として俺は、相手の出方を待つことを選んでいた――
いた、のだが……
「どうした、旅人フラムよ」
「い、いや。どうしたって、言われてもですね……」
剣を手に仁王立ち、といった風情で構えるイアンニを見て、俺は言葉を詰まらせた。
それはなにも、彼の放つ気迫に圧倒されたからではない。
それは単純に……彼の容姿に目を奪われていたからだった。
肩口まで伸びる金色の髪に、白磁のように透き通る肌。
切れ長の青い瞳と、細く整った眉。
唇はやや薄く、彫りは深すぎず、かと言って浅すぎず。
鼻筋の通った顔立ちは、正に眉目秀麗を絵に描いたよう。
男の俺から見ても非の打ちどころのない、完全無欠の
ぶっちゃけ、一目見ただけですぐに気づきそうな美貌の持ち主だ。
なのにこうして試合が始まるまで、俺はそのことにまったく気付いてなかった。
あまりに整いすぎた容貌を、頭が勝手に自然物として認識していたのかもしれない。
まあ、いままでかぶっていたバケ――もとい、
好奇心から視線を一瞬外して横に向けると、長椅子の上に兜が逆さに置かれていた。
逆台形のシルエットは、やはり非の打ちどころもなく完全にバケツである。
実はその置き方、わざとやってないか?
見た目とのギャップで笑わせにきてないか?
というかこの人、二十歳そこそこぐらいか。
声が矢鱈と渋いから、もうちょい上かと思ってたぞ。
あれ?
そういえばホムラのヤツ、どこいった?
ついさっきまで、観客席側で跳び回っていたような……
「なるほど。私が兜を脱ぎ捨ててきた
「あっ、はい。気になるっていうか、気を取られそうっていうか……」
「フッ――そこまで言うのであれば、教えてやらねばなるまいな」
そこまでってどこまでだよ。
気取った口振りのイケメンに心の中でツッコミを入れていると、練習用の剣の切っ先が「ビシッ」とこちらに突き付けられてきた。
「先程ミグが不覚をとった頭突き……あのような野蛮な攻撃、私には通用せぬということだ」
……は?
え、なに言ってるの、この人。
まさか……自分に頭突きは効かないと証明するために、兜を外してみせたってことなのか?
ノーガードになった頭部への短剣一発で、ポイントをもって行かれるかもしれないのに?
「フン。どうやら私の行動が理解出来ぬようだな……ならば教えてやろう!」
呆気にとられるこちらをスルーして、一人盛り上がるイアンニ。
チラと視線を動かすと、何事もないように試合を見守るフェレシーラとハンサの姿があった。
その様子を見るに、どうやらこれが彼の平常運転らしい。
運転といえば、俺も早くフレン号の運転に慣れないとなぁ……
「先程の試合でミグが倒されたのは、試合の前に受けた頭部へのダメージが響いたことは誰の目にも明白……」
こちらが現実逃避に走っていると、イアンニが割って入ってきた。
わなわなと震える肩を見るに、駆け引きの類ではないらしい。
芝居か冗談の類ではあるかもしれないけど。
というか、この話の流れって……
「ええと。つまりあんた……俺がミグに勝てたのは、最初からダメージを受けていた頭を狙ったからって言いたいのか?」
「然り! 神聖なる一対一の試合の場での、そのような卑怯な振る舞い……断じて赦すことは出来ん!」
……うん。
いまので、ちょっとわかった。
この人、真面目なんだ。
バカが付くほどの、真面目な人なんだ。
あと騎士道物語とか絶対好きだろ。
俺にはわかるぞ。
「フッ……その表情、どうやらわかったようだな。ならば武器を構えるがいい、旅人フラムよ! ミストピア領主、エキュム・スルスが臣下、グラース・カラクルスが次男……イアンニ・カラクルスが、直々に成敗してくれる!」
「いや名乗りなげぇ――じゃなくて! それはあんたが勝手に仕出かしたことだろ!? さっき自分でも言ってなかったか!?」
「問答無用! 死ねぃ!」
「死ね!?」
物騒な言葉と共に、イアンニが突き進んできた。
肩口に剣を担いでの、やる気満々の突進だ。
先程戦ったミグのそれに比べれば、速度においてはかなり劣る。
しかし、触れるものすべてを吹き飛ばさんとする、圧と意志に満ちた猛進ぶりだ。
既に開始の時点で、十分に距離をとっていたにも関わず、その迫力と勢いに、俺は大回りでの回避を余儀なくされてしまう。
「あっぶ……な!」
長剣の一撃を躱しざま、「ごおっ」と吹き抜けていった暴風に、思わず声があがる。
二mに及ぶ体躯が生みだす、副産物。
物理的な力を伴い押し寄せてくる
素早い反撃を狙って、ギリギリで避けたいところだが……
無理をすれば、なにかの間違いでバランスを崩していたかもしれない。
そうなれば、これだけのパワーを誇る相手だ。
一撃の元にのされてしまっていても、なんら可笑しくはなかっただろう。
「どうした、旅人よ! そのような及び腰でこの私が倒せると思ったか! ミグとの戦いで見せた気迫はどこへいった!」
一旦は動きを止めて、長身の従士がこちらに向き直ってくる。
無駄なお喋りが多いヤツ、と言ってやりたいところだが……
気勢で常に、相手に上を行かれていると感じてしまう。
これが案外、馬鹿に出来ない効果があった。
相手の言う事を否定するにせよ、無視するにせよ。
どちらにせよ、精神的な誘導を受けてしまう感もある。
先程戦ったミグの言葉を借りれば、これも対人戦闘の駆け引きの一つなのだろう。
言葉一つで敵の動きをコントロールする。
直接的な行動以外で、戦いの流れを掌握する。
それはたしかに、戦闘においては大事な要素だ。
標的が感情を押し殺せる、もしくは端から心を持ち合わせていない、とかでもない限り、決して無視は出来ない一つの
そう考えれば、口先でやり合うのも選択肢に入れるべきなのかもしれないが……
「そぅら、逃げてばかりでは勝負にならぬぞ! そんなことでは、戦場で敵の首級は挙げられぬぞ! 出来て精々、落ち首拾いが関の山ぞ!」
……いや、やっぱりやめておこう。
正直、言いたい放題で追いかけ回されるのは癪に触る。
だけど戦闘中に吼えまくりじゃ息ももたないし、集中も出来ない。
変に付き合っても、スタミナを浪費するだけだろう。
それに多分、このイアンニって人は……人の話を聞かないし、効かない。
こちらとしても口先に自信がないわけではないが、この場合は相手が悪すぎる。
というか、変に言い返すと勢いに乗ってきそうで、正直怖い。
さっきからだんだんと笑顔になってきてるし。
わりとスローリーに見えた剣の振りも、速くなってきてないか?
……もしかしてこの人、スロースターターだったりするんだろうか。
重装の振りをつくために体力を消耗させる気でいたけど、まさか逆効果だったりするんだろうか。
フェレシーラが言っていた、ペースに付き合うなって意味は……そういうことだったのか?
「ふむ。はしっこいところがあるかと思いきや、考えすぎる部分があるようですな。生き残るためには、慎重さは武器となりますが……」
「勝利のためには、ときには大胆さも必要――カーニン従士長の口癖でしたね。十分に経験を積んだ戦士であれば、殊更意識することでもないのでしょうが……」
「その点、イアンニはお手本のような相手というわけですか。まあそれも、奴の資質あってこそでしょう。付き合わないという判断自体は、間違いではないと思いますよ。誰の入れ知恵かはわかりませんが、的確です」
「……新人潰しのイアンニ、健在のようですね」
一体いつの間に、追い込まれていたのだろうか。
気付けば俺は、場外を示す白線の傍に――ハンサとフェレシーラのいる観客席の近くにまで、追い込まれていた。
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