107.教えを越えて

 

「では、試合を再開します。両者、構え」

 

 審判フェレシーラの合図と共に、俺は細かくステップを刻んでミグとの距離を取る。


「――始め!」


 右手の痺れは、完全とは言えずとも抜け始めていた。

 

 試合場を大きく使い、円を描いて相手の出方を伺う。

 自然、長椅子に向かってゆくフェレシーラの姿が目に入ってきた。 

 

「あの少年、いいですね。剣に迷いがない。かと言って勢い任せでもない。レオスパインを名乗っているようですが、西部からの……エントルザ領の神殿から、引き抜きを?」 

「いやいや、人聞きの悪い……六男ということで、本人の希望を尊重したとの話ですよ。ま、親御さんは十三で神殿従士認定をされるとは思ってなかったようでしたがね。あいつはあと二年早ければ教官越えだったのにだとか、大口ばかり叩いてますが……」


 長椅子の上からは、ハンサとイアンニ、そしてホムラがこちらを見つめてきている。

 そこにフェレシーラが、寄り添う形で収まった。 


「あれでいて結構な努力家なんですよ。なのでさっきみたいに意地を張られたりは、どうも弱くてですね」 

「なるほど。やはり影響されるものですね、そういうところは」 


 今回は、少しは試合が長引くと見ての判断だろうか。

 二人はのんびりした様子で会話を交わしている。

 それが妙に気に障るのは、残る右手の痛み故か、どうか。

 

「あらま。フラムくん、よそみとは余裕ッスね。スパルタ教官さんが気になりますか? おれっちは気になります。なんかこわいんスよねぇ……あの人」 

「そっちこそ、お喋りに夢中とか余裕だな……!」

「や、や。こういうのも駆け引きってやつッスよ。魔物相手では味わえない、対人戦闘の醍醐味ってやつっスよ」 

 

 こちらに声をぶつけつつ、ミグが無造作に距離を詰めてくる。

 武器によるリーチ差を踏まえた上での行動だ。


 模擬戦が始まる直前まで、俺はそんなミグの動きを防具の重量差からくる速度的アドバンテージで打ち消せると想定していた。

 

 だが蓋を開けてみれば待っていたのは、つい先ほどの無様なやられっぷりだ。

 これが実戦であれば、ミグの前で蹲った時点で追撃を受けて命を落としていただろう。


 いったい何故、そんな結果になったのか。

 

 それは実力差以前に……俺は「なんとなく」で「一番手の相手」とは勝負になるだろうという、まったく根拠もない思い違いをしていたからだ。


 己の能天気さに呆れるより他にない話だが…… 

 少し考えてみれば、すぐわかることだった。


 この試合はフェレシーラが実現させたとはいえ、対戦相手自体はハンサが「使える」と判断して選んできたのだ。

 俺のことを知っている人間が、わざわざ能力と技量に合わせてチョイスしてくれたわけではない。


 つまり俺は、冷静にだの時間をかけるだの、なんだのと、足りない頭を使った気分になっていただけで……そんな簡単なことすら理解出来ていなかった、というわけだ。


 我ながら、つくづく甘ったれた考え方に嫌気がさしてくるなホント……!

 

「お。お? なーんか嬉しそうな顔になってきたッスね、フラムくん。わかりますよー、その状態。なんか開けてくるんですよね。視界とか、体の動かし方とか。活路って奴とかが――ねっ!」 

 

 ミグの言葉が弾むと同時に、その剣先が跳ね上がってきた。

 踏み込みを伴う一撃が下から伸びてくる。

 狙いはこちらの喉元、軽く引けば済む部位ではない。

 

 脚を使って機を窺う俺を、体ごと動かさせて追い込んでゆく。

 それを怠れば有効打を喰らわせる。

 そこから短剣を狙って終わらせれば、一応、約束を違えたことにもならないという寸法だ。

 

 理屈に従い、俺は一度後ろに飛び退く。

 あと二回もこれを繰り返せば場外が待っているという、算段だ。


 時間を使わせれば使わせただけ、技量と基礎能力の差、そして最も覆し難い経験の差が響き、どんどんと不利になってゆく。


 悔しい限りだが、それだけミグといまの俺の実力には差があるということなのだろう。

 

 活路が開けてくると、そう眼前の少年は口にしてきた。

 羨ましい限りだ。

 いまの俺に開けてくる活路などない。

 

 あるのは二つ。

 俺が彼を上回るであろうと証明済みの能力と……ミグ自身が俺に見せてくれていた、戦術だけだった。

 

「逃げないでくださいね、フラムくん。おれ、嫌いなんスよ……場外勝ちって」


 来る。

 呼気を浅く肺に取り込み、下半身に力を送り込む。


 距離は2m。

 タイミングは――こちらがあちらに、合わさせる!


 瞬間、俺は両足に籠めていた力を爆ぜさせた。

 

 ズダン! という音が足元で炸裂し、それが試合場に反響しきる暇もあらばこそ。


「ちょ、マジッスか……!」

 

 少年の切っ先が、己に向けて猛進してきた俺の胸元に突き込まれてきた。

 カウンターの一突き。

 最短距離で敵を突き崩す、後の先の一撃。

 間合いに踏み込む外敵を排除するための、刺突攻撃。

 

「ぐぅっ!」 


 ギンッ、という鈍い音があり、俺の腕にまたも痺れが走る。 

 刺突からくる衝撃に、霊銀の手甲が跳ね上がる。

 短剣が、またも手の内から滑り落ちる。


 今度の痺れは、刃のない短剣を横に握りしめていた俺の「両腕」が担ってくれていた。

 

 半ば反射で繰り出したであろうにも関わらず、その狙いは正確無比。

 攻め手もより先に、それを突き弾くための正確さ……俺の無謀とも取れる突進に対して反射的に引き出されたミグのカウンターは、そんな精妙さのみで満たされていた。


「く……!」 

 

 ミグの顔に初めて焦りが現れる。

 カウンターを「受けた」俺の短剣が、石床を叩き跳ねる。

 今度のそれは、こちらに勝利をもたらすために。


『活路というものは、自分から開けてくるものではないわ』

「おお――ッ!」


 脳裏をぎる師の教えを胸に、俺は疾駆する。

 抑え込みきれなかった長剣えものへの反動が、ミグの上体を大きく揺らしていた。

 

 これで現状、俺の持ち得た「一つ目」は使い終えた。

 彼が真っ先に披露してくれた、後の先を利用した反撃法。

 天才的なセンス故に繰り出されるカウンターを、不完全な状態で繰り出させて、無理矢理に跳ね除ける。

 

 踏み込みなしの、片手突き。

 肉を裂く速度こそあれ、骨を断つ重さに欠ける応撃。

 俺はその先端を、真っ平な短剣の腹を盾代わりに、両腕ごと押し付けるようにして受け弾いていた。

 

 破れかぶれの突進など、彼にとっては予想の内だっただろう。

 もしかしたら、カウンターを狩りにいく動きすら読まれていたのかもしれない。

 

 だが、そんなミグの見積もりをなんとか越えることは出来た。

 だから俺は、そこに残る一つの武器を押し付けにゆく。

 

『切り拓きなさい。貴方自身の、その手で』 


 続けてやってきた赤き礼装の導きを超えて――俺は持てるすべての力を籠めて、突進を再開した。

 

 無理はよくないと、そうミグは言った。

 まったく以てそのとおりだ。

 如何に無理をしてみたところで、無い袖は振れない。

 気力でカバーしようとも、それはいかに実力を発揮しきれるか、という範疇に留まる。


 なので俺は見た目からして「敵に勝る武器」であろう「耐久力」で挑みかかるしか、術はなかった。


「んな、無茶な……!」

「それは――こっちが決めることだ!」


 ミグが態勢を立て直しにかかる。

 それは彼のスタイルからもしても、必然だった。

 高速のカウンターと、1を0にする踏み込み。

 そして「場外勝ちは嫌い」。

 それが神殿従士ロードミグ・レオスパインだと、俺は当たりをつけていた。


 故に彼は逃げずに立て直す。

 土壇場になればこそ、頼るべき己のスタイルを優先する。

 

 その結果、俺に殺された距離と引き換えに……少年は、こちらの眼前に存在していてくれた・・・・・

 

 剣の柄に手を絡め、俺はそこにしがみ付く。

 どの道、指は痺れてまともに扱えない。

 なにがなんでも組み付ければそれでいい。

 

 もがくミグを強引に上から押さえつける。

 ミグが反射的に、体を後ろに引く。

 そこにもみあったままの態勢で左の足払いを飛ばして、今度は下に注意をもっていかせる。


「ほう。強引に押し付けましたな。手持ちで通じそうな武器を」 

「大人しそうでいて、すぐにカッとなるほうなので……困ったものです」 

「なるほど。本当に影響されるものですな、そういう部分は」 

 

 ハンサとフェレシーラのやり取りも、いまは意味を持たない音に過ぎなかった。

 刃なしの剣が石床を派手に打ち鳴らした、その直後――


 俺の目の前でもがいていたミグが、頭突きの一発で沈黙した。

 

「……一本! フラム・アル――旅人、フラム!」

 

 そこに、審判の声がやってくる。

 

「ふーむ。相手の攻撃が出きる前にカウンターを取りにいっていたのが、仇になった形ですか。組み付きからの補助武器サブウェポンとしてはやり慣れていても、端から短剣を使ってくる相手の間合いには不慣れと見抜いていた……というわけでも、なさそうですな」 

「そのようですね。私としては無理に勝ちに行ってもらう必要は、とくになかったのですが……」

「はっはっは。まだ1:1ですよ。それはさすがに、気が早い」


 チカチカと眩む視界に難儀していると、男の声がどんどんと大きくなってきた。


「――と、言いたいところだが」


 気付けば傍には、鎧姿の従士が一人。


「この分だと、続行は無理だな」

「続行は、無理って……」

 

 勝手に決めつけるな。

 俺はまだやれる。

 反射的にそう口が動きかけたところで、目の前にいたのがハンサだと気づく。

 

 みれば彼は、床に転がっていたミグの脇腹を鉄靴サバトンの爪先で軽く小突きながら、深々と息を吐いていた。

 

「治療を頼みます、教官」 

「その場合、そちらの・・・・失格となりますが。よろしいでしょうか」

「ええ。部位が部位だけに、例え意識が戻っても無理はさせられませんので」

「了承いたしました」

 

 ハンサの要請に応じて、フェレシーラがミグに『治癒』の神術を施す。

 負傷者への治療行為と、退場。


 その一連の処置を、俺は呆然と見守っていた。

 

「それでは……四級神殿従士ロードミグ・レオスパインを、治療行為によるリタイアと見做します」

 

 これでようやくポイントは互角。

 勝負はここからだと、そう思い込んでいたところに……

 審判フェレシーラの右腕が、高々と振り上げられてきた。

 

「勝者、旅人フラム!」 

「ピピィ♪」 

 

 高らかな宣言に合いの手を入れるようにして、喜びの声があがる。


 ハンサの肩を借りたミグが長椅子の下へと寝かせられたのは、その直後のことだった。

 

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