103.山野の縮図

 

 祭壇の間を後にしてから、北から順に時計回りで……

 

 無数の馬でひしめく厩舎に立ち寄り、馬場を悠然と闊歩していたフレンに声をかけ。

 見張り櫓付きの武器庫を覗かせてもらい、多種多様な武具とその総数に圧倒され。

 平屋建ての兵舎に手荷物を預けて、町の宿とは比べ物にならない広さと整頓ぶりに驚嘆して。

 

 最後に訪れた修練場の入口にて、広大な敷地を誇る野外運動場を見渡しながら――

 

「はぁ……こりゃまた想像してたのと、ぜんっぜん違うな……」 

 

 俺は阿呆のように口を開き、鎧姿で額に汗する従士たちのぶつかり合いを眺めていた。


 そこは正しく町中に突然現れた、『山野の縮図』だった。

 

 平地に山地。

 草野原に荒地。

 果ては湖を模した水場に、滝の流れ落ちる断崖まで。

 

 湖面に接した修練場には、様々な地形条件を満たしたフィールドが円状に六分割で存在しており、その中心には石壁で囲われた建造物が見てとれた。

 小規模ながらも跳ね橋と門を備えたそれは、砦を模した施設なのだろう。

 

 それらすべてのフィールドで、多数の屈強な男たちが訓練に及んでいる。

 いるの、だが……


 その光景は、こちらが想像していたものとは大きくかけ離れた代物だった。

 

 ラグメレス王国時代の騎士に成り代わる形で出現した、神殿従士。

 その成り立ち故に、俺の中のイメージにある彼ら神殿従士は、御伽話の中で語られる騎士道精神溢れる『王国の勇士たち』に近しい存在だった。

 

 だがしかし。

 いま現在、この六つの修練場の至る場所で。

 剣に槍、槌に斧。弓に素手といった、多種多様な武具を駆使しつつ、土埃を巻き上げて「もう一丁!」だの「まだまだ!」だのと。

 泥水を跳ね上げながら「クソがっ!」だの「ざまぁみろ!」だのと。

 あの手この手で同胞を出し抜きつつ、全力でせめぎ合う彼らの姿は、そんな俺のふわっとした幻想をいとも容易く粉砕するだけの生命力に満ち溢れていた。

 

「うっわ……なんか、物凄い盛り上がり様だな。皆して泥だらけの傷だらけだし。ええと、ひの、ふの、みの……ええ……これ一体、何人ぐらいいるんだ?」 

「書面上の下級神殿従士の在籍数は、四十人ちょっとね。教会からの結構参加者もいるっぽいから、それで派手に見えてるんじゃないかしら」


 若干引き気味になってしまった問いかけに、フェレシーラがさらりと応じてきた。

 聖伐教団に籍を置く彼女にとっては、当たり前の光景なのだろうが……


「四十って、また随分と多いな。貴族出身の人たちが集まってるって聞いたから、そんなに多くないと思ってたんだけど。それになんて言うか……もっと整然とした感じで訓練してるイメージだったから」 

「思ってた以上の実戦形式で驚いたってこと? それなら、いつも大体こんな調子よ。魔物とやり合うにも公国の兵士を率いるにも、一にも二にも武勇がものを言うから。勿論、試合形式でやれる場所もあるから。そこは心配しないでも平気よ」

「あ、いや。そこはあんまり、気にしてなかったけど……」


 なるほど。

 職務上、どんな状況下でも自身の実力を引き出せないと、なにをするにもお話にならないってわけか。

 勝手な思い込みで、貴族然とした剣士の集団を連想していたけれど……

 言われてみれば、もっともな話だ。 

 

 それによくよく見れば、従士たちに入り混じって、略式の法衣を纏った男女も散見される。

 フェレシーラの言にあった、教会所属の神官たちだろう。

 おそらくは神殿従士とのペアを組んで、連携行動を磨いているのだ。


 教会務めのイメージで荒事とは無縁に思えた神官も、こうして人目につかない場所で日夜訓練に勤しんでいる、というわけか。


 ……なんだろう。

 こうして彼らの努力を目の当たりにしてみると、フェレシーラが「冒険者ギルドは好きじゃない」と言うのが、ほんのちょっぴりわかる気もしてくる。

 

「一応、言っておきますけど」


 そんな俺の心の内を読んだように、フェレシーラが釘を刺しにきた。 

 

「毎日あんな調子で呑んだくれていても、冒険者でずっとやっていける人たちっていうのは、基本的にごく一部の才能に恵まれた者だけ。ほんの一握りよ。その上で、常に研鑽を惜しまず己を磨いて生き延びる人たちか、なにをどうしても消えていくだけ人たちかに分かれるから。運のあるなしも含めてね」

「つまり……本当の実力者は、素養がある上に努力もしている、ってわけか」 

「そう。だから私は別に彼らが嫌いなわけじゃない。問題なのはギルドの構造よ」


 どうやら彼女は本当に、冒険者ギルドの役割が『仕事の斡旋所』の域に留まっていることが不満であったらしい。

 不満っていうか、単純に「もっと真面目にやれ」って感じなのかもだけど。


 しかし実際のところ、ろくな資金源やバックアップもなしに、個々の冒険者の育成指導までギルドが面倒をみるのは、正直言って難しいだろう。

 それにそれぞれやりたいことが違い過ぎて、足並みが揃わないのも目に見えているし。

 

「でも……そう言われてみると、なんかわかるな」


 それでも、フェレシーラが言いたいことは理解出来た。

 そして思っていたよりもずっと彼女が、冒険者を認めていることも。 


「それにしても、マジでここまでハードな訓練に明け暮れているとは思ってなかったけどさ。これって流石に、皆して飛ばしすぎじゃないか? 皆してオーバーワークでブッ倒れでもしたら、いざってときにヤバくないか?」

「なに言ってるのよ、貴方。ここがどこで、誰が勤めているのか忘れたの?」

「どこで、誰がって――ああ、そっか」


 呆れ顔となったフェレシーラに、俺はすぐに己の見逃しに気づかされた。


「なるほど。それもあって、神官の人たちも大勢参加してるわけか……」

「そういうこと。乱戦時の自衛行動の修練に加えて、神術とアトマの鍛錬も兼ねられるとなれば、中々に効率的でしょ?」


 ふふん、と得意げな表情を見せてきた少女に向けて、俺は頷きを返した。


 神官の存在は、イコール神術による回復治療が可能というとことに他ならない。

 となれば、多少の無茶や怪我どころか、骨折や臓器にまで影響を及ぼしかねないケースにも素早く対応できるだろう。

 むしろ、そうした場面での総合的な経験が積めると考えれば……

 

 神殿従士、神官共に、この修練場が最適な練習環境であることは想像に難くない。

 それに加えて、教会側では万全な状態の神官も複数控えているはずだ。

 万が一魔物の軍勢が町を襲撃してくるような事態になったとしても、治療を完遂して即座に行動に移れる、という仕組みなのだろう。

 

「はー……神殿って、思った以上に最前線を張る人たちが集まってる感じなんだな。もっと兵士を上から指揮して、作戦を立てたりするのが仕事なのかと思ってた」 

「そういうのは従士長や一部の上級従士と、公国軍の将軍職と上級士官、それに準ずる職にある人たちの役割ね。こことは違って、有力な貴族の跡取り息子でもないと縁のない、完全なエリートコースの話だから。平時は公都や三大領都にでも行かないと養成所すらお目にかかれない……所謂ところの、雲の上の存在って奴よ」 

「三大領都に、養成所か。そろそろちょっと、頭に入らなくなってきそうに……」


 自ら招いた情報量の多さに、俺は情けなくも音を上げかけてしまう。


「あ――ご、ごめんなさい」

 

 すると突然、謝罪の声がやってきた。

 

 ……フェレシーラだ。

 彼女は何故だか自分の口に手を当てて、申し訳なさそうな面持ちとなり視線を逸らしていた。

 

「ごめんなさい……いけないわね、私ったらまた……口を開けば、いつもこんなつまらない話ばかり……本当に、ごめんなさい」 

「え――」


 謝罪の言葉が、尚も積み上げられてゆく。

 俺といえば、わけもわからずに彼女を見つめることしか出来ない。


「な、なにいきなり、謝ってるんだよ」


 べつに俺は、お前のことを責めていたわけじゃない。

 単に自分の頭の出来が残念で、話について行けなくなっただけだと。

 

 そんなことすら伝える余裕もなく慌てふためくこちらを見て、しかしフェレシーラはゆっくりとした、否定の首振りを見せてきた。

 

「違うのよ、フラム……いまだって本当は、教団の話とか、公国の話とか……そんな面白みのない話がしたかったんじゃないの。私はただ、貴方との訓練について、もっと明るく前向きになれるお話をしようと思っていただけなのに……いつもの調子で、またこんなにつまらない話題ばかり……」


 面白みのない、つまらない話。

 そんな簡単な言葉の意味もわからずに、俺はポカンと口を開いてしまう。

 

「い、いや……ほんとなに言ってんだよ、お前さ。いつも俺のほうから、色々聞いて、丁寧に教えてもらってるのに……助けてもらってばかりなのに、なんでそっちが謝ってくるんだよ」

 

 彼女に対して、感謝の念を抱きこそすれ、不満を感じることなどある筈もない。

 その意思をなんとか伝えようと、俺は必死で舌を回す。

 

 フェレシーラは、なにも言ってこなかった。

 彼女はただ、なにかを堪える様に悔しげに唇を噛み締めており、哀しげな瞳をこちらに向けてくるばかりで――

 

「――フェレシーラ様!」 

 

 不意に、力強い男性の声がやってきた。


 それに従うように、辺り一帯で打ち鳴らされていた斬打猛進の音が収まってゆく。

 生まれ出でた静寂が、水面を叩いた波紋の如く、広大な修練場を伝播してゆく。

 

 しかしそんな静けさがその場を支配したのは、ほんの僅かな間だけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る