102.- evil voice -
「さて。今回は依頼の達成に向けて、修練場と兵舎の使用許可を得たいとのことだったが……」
落ち着きのある男の声に、俺は我にかえる。
見れば白一色の祭壇の前で、男が柔和な笑みを浮かべていた。
白いものの混じる短く刈り込まれた髪に、紳士然とした佇まい。
ミストピア神殿、従士長カーニンその人だ。
「許可は出してあるから、すぐにでも利用が可能だよ。勿論、フェレシーラの引率は必須だがね」
「あ、ありがとうございます! ぶ、部外者の俺に、ええと、その」
その言葉に、俺は慌てて頭を下げる。
初めて神殿に訪れたせいか。
それとも魂源神アーマを祀る祭壇の、その巨大さと荘厳さに気圧されていたのか。
一瞬、自分がどこにいて、なにをしていたのかが、わからなくなっていたようだ。
「はは。そう堅くならなくてもよいよ。教団が誇る白羽根の聖女たっての頼みごとだからね。これもアーマ神の思し召し。こちらとしても日頃の労に報いる、願ってもない機会だ。自分の家だと思って、遠慮なく滞在するといい」
混乱のあまり言葉を詰まらせるこちらに、従士長は鷹揚な笑みで返してくれた。
そしてその対応は、俺が肩に乗せたホムラに対しても同様だった。
フェレシーラから神殿に向かう旨を告げられた際に、俺は『貪竜の尻尾』での一幕を思い返し、ホムラを同行しての参殿を躊躇ったのだが……
神殿であれば問題はないと断言をされて、なんと普段どおりに連れてきてしまっている。
なんでもフェレシーラに聞いた話によれば、一部の神殿には魔獣や幻獣を調教して使役する『魔幻従士』と呼ばれる者も極少数ではあるものの存在しており、専用の宿舎厩舎まであると言うのだ。
その為、十分に人に懐いている魔獣の類に関しては、許可さえ下りてさえいれば御咎めなし、といった感じで済むらしい。
神殿という名前から、魔物に近しいものには忌避感を持たれるはず……
そんな風に思い込んでいたが、案外と「使えるものは使う」という気風が強い組織らしい。
それは年若い国である公国が、多種多様な力を求めているという証左でもあるのだろう。
ちなみに事前連絡の書類記入では、ホムラの「単位数」の欄……
つまりは 「一羽」か「一頭」か「一匹」かという部分で、地味にフェレシーラと揉めたりもした。
俺としてはどれも納得行かなくて「一人」と記入したかったのだが、さすがに無理があるとのツッコミを受けて何故だか「一体」に落ち着いてしまった。
ぐぬぬ。
「それではフェレシーラ。私は神官長との会議が控えているので、今日はこれで失礼させてもらうよ。機会があれば、事の経緯を聞かせてもらいたい」
「心得ました。本日は無理を聞いていただき、感謝のしようもございません」
「なんのなんの。それよりも、扉のほうを頼みたい。歳をとりはじめると案外と難儀してしまってね」
そう言うと従士長は、言葉とは裏腹に軽快な足取りでこちらの横を通り過ぎていった。
どうやら、主だった話は既に纏まっていたらしい。
俺は扉を再度開き終えると、頭を深く下げて彼を見送りにかかる。
「ああ。それと」
その途中、頭上から声がきた。
なんだろう。
中身のない疑問を覚えてそのままの姿勢で待っていると、続きの言葉がやってきた。
「あまり無理はしすぎないようにね」
「え……あ、はい。ありがとう……ございます」
従士長からの去り際の一言に、俺は途切れ途切れで返事を行うのがやっとだった。
その間にも彼は、俺たちがやってきた回廊をまるで後戻りするように、するすると進んでいった。
お陰でこっちは向こうがどんな顔で言葉をかけてきたのかさえも、まったくわからない始末だ。
というか、もしかしていまの助言って――
「従士長も大袈裟ね。特訓と言っても、基礎的な部分を叩き込むだけなのに」
「……その形容もちょっと引っかかるけどさ。会ったばかりで、いきなり心配されるって……俺ってそんなに、軟弱そうに見えるのかな」
フェレシーラの言葉に、俺はわずかに湧き上がってきた疑問を打ち消し答えた。
「さあ? 従士長ともなれば、外見だけで人を判断してくるとも思えないけど。それよりも、私たちも早く戻っておきましょう。挨拶と案内を兼ねて、神殿内を一回りしておきたいから」
彼女にしてみれば、この場で立ち話とならなかったことは僥倖だったのだろう。
「順調ね」
そう言うと、神殿従士の少女は踵を返して歩み始めた。
回廊に吹き込む夏風に、亜麻色の髪が靡いて揺れる。
足早にこちらの前を行くその後姿に、再び俺は違和感を覚える。
だが、それを口にすべきかは迷ってしまう。
漠然とした感覚のみで、彼女を引き留めても意味はない――
「なあフェレシーラ。あのさ……」
そう考えながらも、結局俺は口を開いてしまっていた。
「ん? なによ、いきなり。ああ。そう言えば、さっきもなにか言いかけていたわね。質問があるなら、いまのうちにどうぞ。これからきっと忙しくなるもの」
「あー……質問って言うほど大したことじゃないし、俺の勘違いかもしんないけどさ……お前さ」
ごにょごにょと言葉を濁すこちらに、フェレシーラが眉を顰めてきた。
それを見て、俺の中の違和感が確かな疑問へと変じる。
意を決して、俺は言葉の後を続けた。
「なんて言うか……いつもより、焦ってるだろ?」
確信に近い思いをもって放ったその疑念に、フェレシーラがはたと足を止めた。
止めて、彼女はすぐに振り向いてきた。
「なに言ってるの。私はいつもどおりよ。貴方がのんびりし過ぎなだけ。たしかにギルドで影人の話を聞いて驚きはしたけど。最初からノンストップでアレイザまで進めるだなんて、そこまで甘く考えてないもの」
「……そっか」
普段よりも、ほんの僅かに早口で行われてきた返答に。
こちらを振り向きもせずにやってきた答えに、俺は頷きで微笑みと返した。
「じゃあ、俺の勘違いだ。お前の言うとおり、こっちがのんびりし過ぎてただけかもな。いきなり変なこと聞いて、悪かった」
「べ、べつにわるいだなんて思わないけど。わかってくれたならそれでいいし……」
再び前を行き始めた少女の後を追うと、その歩調がスタスタとしたものとなり、こちらを引き離しにかかってきた。
それを俺は、小走りとなって追いかける。
「こーら、廊下は走らなーい。ホムラも飛んじゃ駄目よ。一応、部外者だってことはお忘れなく。今回のことだって、特例ってことで通してあるんだから」
「ちょ……そういうこと言うんなら、そっちこそ急がせるなって……!」
「ピ! ピピィ!」
静まり返っていた白の回廊に、一時の喧騒が訪れる。
フェレシーラは、いつもの調子に戻っていた。
どうやら本当にこちらの勘違いだったらしい。
そう思い、彼女のすぐ後に追いつきかけたところに、
「いい気なもんだな」
不意に響いてきた声に、俺は反射的にその場を振り返っていた。
「……? どうしたのよ。いきなり立ち止まって」
今度の声は、前からきていた。
フェレシーラだ。
当たり前だ、それ以外にはありえない。
それを確認して、もう一度、俺は背後へと振り向く。
「――」
そこには誰もいなかった。
当たり前だ、そこには誰もいなかったのだから。当然だ。
「……ちょっと、フラム。本当にどうかしたの? 誰か、中庭のほうにいた?」
「あ、いや……うん。空耳っていうか……俺の、気のせいだったみたいだ」
明らかに心配する様子を見せてきた少女に、俺は迷いながらも答えを返す。
本当に、空耳かなにかだったのだろう。
慣れない雰囲気の場所に来て、無意識のうちに緊張してしまっていたせいだろう。
そう自分に言い聞かせて、ホムラと共にフェレシーラの元へと向かうも。
静寂を取り戻した回廊が、俺にはまるで、己の意思で口を閉ざしたように思えてならなかった……
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