66.『石』

 

「そっちのほうが、いいな」 

「? いきなりなんのこと?」 

 

 知らずのうちに口をついて出ていたその言葉に、フェレシーラが振り向いてくる。

 そんな彼女へと、俺はナップサックの中をご機嫌で転げまわるホムラを後ろ手に撫でつけながら、あとを続けた。

 

「いやさ。さっきみたいにツンツンしてるよりは、いまみたいな顔してたほうが断然いいなって」

「……それってもしかして、私のこと言ってるの?」 

「もしかしてもなにもないだろ。お前以外に誰がいるって言うんだよ」 

「ふぅん。そのほうが、フラムは嬉しいってこと?」 


 やや食い気味で問いかけてきたフェレシーラに、俺は思わず苦笑してしまう。

 こんな聞くまでもない答えを確認してくるだなんて、こいつも結構変わり者なところがある。


「お前なぁ。教会の……メルアレナだったっけか。あの子のこと、変わってるとか言えないぞ」

「……なんでそこで、あの子の名前が出てくるのよ。それよりも、私がニコニコしていたほうが嬉しいの? 嬉しくないの?」 

「そりゃあ嬉しいよ。そうすれば町の皆も、もっとフェレシーラのこと好きになってくれるだろ?」

「――」


 あれ。

 なんか、また急にフェレシーラの目が冷たくなった。

 いや、冷たいっていうか……ジト目ってヤツかこれ。


 一体、俺のアドバイスのどこが気に入らなかったのか……フェレシーラは目を皿みたいにして、ジーッとこちらを見つめてきていた。

 

「おい……なんでそんな目でこっち見るんだよ。俺の言ったこと、ちゃんと聞こえてたか?」

「はーい、聞こえてましたよー。でもどんな顔してようと、私の勝手ですよーだ」 

「勝手って、そりゃそうだけど……って、置いてくなって! ここ、あちこち迷路みたいになってて、すぐ迷いそうになるんだからさ!」


 会話の途中でスタスタと前を行き始めた白い法衣を、俺は追いかける。

 そうして横に並んでみれば。

 なんだかんだ、フェレシーラの表情はやわらかなものになっていた。

 

 そのまま俺たちは、町中を散策してゆく。

 それ自体は特に目的もなく行われているように見えるが……

 それはこれから俺たちが行う『仕事』の為の下準備だ。

 

 聖伐教団に届け出を出した、『影人の調査依頼』。

 それを実行しているフリだけでも、多少なりともやっておく必要がある。

 公都アレイザに辿り着くまでの道のりとは言えど……その間に調査を行った痕跡が皆無とあっては、幾らなんでも不自然すぎるからだ。

 

 だから俺たちはこうして適当に、当たり障りのない相手を選んで影人に関する聞き込みを行わねばならない、というわけだった。

 

「さっきみたいなとき、マルゼス様なら……どうしていたんでしょうね」


 それは、何度目かの曲がり角に突き当たったときのこと。

 フェレシーラが、ポツリと口を開いてきた。

 

「なんだよ突然、師匠の名前なんて出してきて。さっきみたいって……あの露店のでのことか?」

 

 俺からの反問に、俯き加減となっていたフェレシーラがかぶりを振ってきた。

 

「ううん。教会で、貴方に依頼を申請してもらったとき。あのときは、焦って強引な真似をしちゃったから……」 

「ああ。そっちか。そんなの――」


 さして話の流れも理解せぬまま。

 お前はお前だから、頑張ってくれているのだから、気にするなと。

 そんな在り来たりなことを、俺が口にしかけたその瞬間に。

 

 涼やかな通りの空気を「ひゅんっ」と切り裂いて、何かがこちらに飛来してきた。

 

 俺の眼前で、フェレシーラが身を捻る。

 直後、はためき翻された法衣の残影ざんえを何かが掠めてゆき……それはコツンという硬質な音を立てて、横手にあった石壁に跳ね返された。

 

「え……」 

 

 道端をコロコロと転がり続けるそれは、小さな石だった。

 何故いきなりこんなものがと、わけもわからず俺は周囲を見回す。

 すると、曲がり道の先にある小高い塀の上に人影を見つけた。

 

 少年だ。

 浅黒い肌と茶色の髪をもつ少年が、そこにいた。

 

「出ていけ!」 


 そいつはこちらを睨みつけて、赤土を固めたものと思しき塀の上から叫んできた。

 先程の男の子より、もう少し年上だろうか。 

 しかし、身に付けた衣服には大きな差異が見受けられる。


 ボロボロにほつれて、泥土に汚れた麻の上着。

 ところどころ縫い合わされて、左右の丈があわなくなったズボン。 

 

 だが何よりも、露店の男の子とその少年が違っていたのは……爛々とした強い敵意を灯す、異様なまでの瞳の輝きだった。

 

「出ていけって、言ってるだろ!」 

 

 語気を強めて、少年が腕を振りかぶる。

 その手には、路上に転がっていたものより一回り大きな石が握られている。

 

 フェレシーラが、それを見つめたまま再び身を捻り、

 

「シンカンも、ジュウシも、ここから出ていけ! 王国から、出ていけ!」 

 

 続けて叩きつけられてきたその叫びに、彼女はピタリと動きを止めていた。

 

 ――ごっ。

 

「……え?」

 

 路上に、石が転がる。

 今度のそれは、堅い石壁に跳ね返されることなく、ゴトンという重々しい音を立てて。 


 フェレシーラが膝をつく。

 少年へと向けていた額に、微動だにせずに石を受けて、大きくふらつきながら……彼女は俺の眼前で、崩れ落ちるようにして路上に膝をついていた。

 

「あ――」


 そこでようやく、間の抜けたの声と共に俺は硬直から脱する。

 

「フェレシーラ!」

「だ、い……じょうぶ」 

「大丈夫なわけ、あるか!」


 何故だか気丈に微笑みを見せてきた少女の肩を、叫び抱きしめる。

 

 ボタリ、と。

 何かが地面に落ちていった。

 

 その何かが、びっくりするほどの早さで路面を覆ってゆく。

 それがみるみるうちに、大きな輪を形作って足元へと広がってゆく。

 俺はフェレシーラの肩を抱いたまま、その輪っかから目を離せずにいた。

 

 輪は、赤い色をしていた。

 血だ。

 力なく下を向かされたフェレシーラの額から流れた血が――

 

 ぐらりと、目に見えるものすべてが揺れた。

 尖った断面を覗かせていた石ころの表面が、赤色に変じてゆく。

 その光景が、逆に俺の意識を、狭まっていた視界より引き戻す。

 

 血に濡れた石ころと比べてみると、輪の大きさはそれほどでもなかった。


「フェレシーラ……! いま、傷を塞ぐから……!」

「へい、き……これ、ぐらい、自分で……治せるわ……」 

 

 弱々しく発せられた彼女の言葉に、嘘はなかった。

 

「巡りゆく鼓動、瞬く命のしるべ……癒しの、光よ……」 

 

 詠唱と共に、『治癒』の神術が発動する。

 頭部へと投石を受けたことでまだ意識が朦朧としているであろうにも関わらず、それは実行されていった。


 やわらかなアトマの光が、フェレシーラの全身を包み込む。

 同時に術法の効果により劇的に向上した彼女自身の治癒力により、額の裂傷が見る間に塞がれて行く。


 あとに残されたのは、無傷となったこめかみから顎先を伝い、亜麻色の髪をべっとりと汚す赤いぬめり。

 そして俺の腕の中で浅い呼吸を繰り返す、少女の姿だった。

 

 朦朧状態にも拘わらず、強引に術法を実行したことに起因する多量のアトマの消耗。

 本来時間をかけて完治するはずの傷を、一瞬で行ったがゆえの反動……

『治癒』の神術による強力な恩恵の、代償だ。 

 

「ふん……テンバツだ! ざまあみろ!」 

 

 おそらくは、そうした一連の変化に気付くことが出来なかったのだろう。

 誇らしげに胸を反らしたそいつが、塀の上からせせら笑いを浴びせてきた。

 

「おまえ……!」 


 日陰の中よりこちらを見下ろす少年の姿に、俺は赤く濡れた石片へと手を伸ばす。

 その腕を、やわらかな何かが強く押し留めてきた。

 

「だめ、よ、フラム……だめ」


 フェレシーラの、腕だった。

 彼女は俺が石を投げ返すのを見越して、それを窘めてきていた。

 そして口を開くのもやっとのことだろうに、言葉を続けてきた。


「私の怪我なら、もう、なおったから……」

「治ったって……」 


 その言葉に、俺は絶句する。


 治ったから、何だと言うのだ。

 傷が治ったから。塞がったから。元に戻ったから。

 赦していいのだと? なかったことにしていいのだと? いまのを?


 ……フェレシーラが傷ついたことを、お前が傷付けられたことを?

 

「――駄目だ。お前は、ここで待ってろ」 

「……ッ! フラム……!」 


 短く告げた拒絶の声を、遮るいとますら与えずに。


 俺は掌に絡みつく細指を振り払い、薄暗き路地へと向けて駆けだしていた。


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