65.露店にて
霧と水の町、ミストピア。
湖畔の縁にあるこの町を歩いてるうちに、一つ、わかったことがあった。
町の表通りからは二つほど筋を違えた、石造りの民家が立ち並ぶ小道にて。
――ヒュウ♪
道行きすれ違う数人の男たちの中から、口笛と思しき音がまたやってきた。
そう、「また」だ。
「すっげ……新任の神官か? やばかったぞ、いますれ違った子」
「おい、やめとけって。教団の人間相手にちょっかい出すのはよ」
「いやいや。今のは仕方ないでしょ。明らかにレベチだもん」
「え、そんなにだった? おれ、ちょっと声かけてこよっかな」
「ていうかいまの子、どっかで見たことあるような……」
教会を出てから、もう何度目になるかもわからないが……年若い男たちの間で交わされる声が、背中へと届いて来ていた。
陽気で何気ない、しかし明らかにこちらに……
いや、フェレシーラに聞こえるように発された、一時の盛り上がりが。
白い法衣の裾が路面スレスレに進んでゆくごとに、どんどんと遠退いていった。
「……今の人たちも、またお前のこと話してたよな」
「そう? 水路の音が五月蝿くて、耳に入ってこなかったけど。気のせいじゃない?」
後ろを振り向きながらの俺の問いかけに、彼女は視線を一切動かさずに答えてきた。
その表情はクールというには少しばかり冷たすぎるものとなっている。
先程からこの手の話を振るたびに、フェレシーラはこんな調子だった。
俺が気付いたこととは他でもない。
フェレシーラという存在が、俺が想像していた以上に人目を惹くのだという事実だった。
これまでもなんとなく、それを感じることはあったのだが……
こうして霧の晴れた真昼の町を闊歩していると、フェレシーラへと向けられる視線と声は、隣を歩く俺にも否が応でも降りかかってくる。
セブの町ではまだこちらが気付く余裕もなかったというのも、あるにはあるのだろう。
だがしかし、当のフェレシーラはそうした周囲からの視線をまったく気にする様子もない。
いや、まったく、ではないのかもしれない。
さっきみたいな反応を向けられた際の彼女は、何と言っていいのか、こう……
見えない壁を作って、他者を拒絶しているように俺には感じられたからだ。
「あー……そういやさ。教会で言ってた、認証ってなんだったんだ?」
「ああ。アトマ認証のことね。あれは公国では一番確実な身元確認として使われている手法だけど……認証術具のこと、マルゼス様に教わらなかったの? ほんの少し血液を採取してアトマの波長を記録するだけの、単純な仕組みのやつなんだけど」
少々雰囲気を変えたくなり持ち出した話題に、フェレシーラはあっさりと乗ってきた。
「あ、いや全然。というか、こうして町に来てみると知らないものばっかりだよ」
「へぇ。意外ね。術具関係は一通り学んでるものだとばかり思ってけど」
言いながら、フェレシーラは驚いた風な眼差しをこちらに向けてきた。
その反応を見るに、特に機嫌が悪かったわけでもなかったらしい。
「貴方も折角大きな町に来たんだから。つまんないことばかり気にしてないで、もっと目の保養になるものを見ておきなさい」
「目の保養かぁ。そう言われてもなぁ。俺には見るもの見るもの全部、目新しくって……」
無意識のうちに彼女のほうばかり見ていた俺は、その言葉に視線を周囲に巡らせる。
辺りにあるのは、平屋建ての民家と背高い街路樹のみ。
メインストリートを外れたそこには、これといって目を引くものもない。
そう思い、再び視線を戻しかけたところで……俺は小さな人の輪を見つけた。
「なんだあれ……空き地に人が集まってるけど」
「露天商ね。多分、未許可の小さな奴だけど。あれぐらいの規模なら、この町の衛兵もいちいち目くじら立てないはずよ」
「へー。そういうのにも許可がいるもんなのか」
「そうでもしておかないと、土地なんて好き勝手に占拠されるもの。まあ、大通り以外でやっているのを見咎められても、大抵は小銭で解決、って感じでしょうけど」
「え。それって、袖の下ってヤツだろ……? 税収の管理もやってる教団の人間としては、見逃せないんじゃないのか?」
彼女らしくもなく思えたその発言に、俺はついつい批難がましい口振りとなってしまう。
「それはまあ、そうだけど……そこは私の管轄じゃないから。見かける度にしゃしゃり出ていたら、体が幾つあっても足りないっていうか……」
「へー。今みたいにピリピリして歩き回ってるの見てると、『不正はそこまでよ!』って感じで割って入りそうな感じしてたけど。案外ゆるいんだな」
「な、なによそのイメージ。貴方、そんな目で私のこと見てたの?」
「違ったのか?」
「そりゃまあ、そういう対応をするときもあるけれど。いまはそんな気分じゃないし……」
なんだそりゃ。
また随分と、気分屋な神殿従士さまもいたもんだ。
そんなことを考えながら、俺は露店の前へとさしかかる。
するとそこで、空き地に広げられた黄色の敷物の上に転がる、男の子の姿が目に入ってきた。
歳はまだ五つ六つ、といったところか。
綿のシャツに半ズボンといった、簡素だが小奇麗な格好をしたその子は、どうやら両親に露店で売られたいた玩具をねだっている真っ最中のようだった。
「ああいうのって、ここ最近ようやく見るようになってきたのよね」
その光景を、彼女も目にしていたのだろう。
フェレシーラが、露店で繰り広げられる親子のやり取りを指して呟いてきた。
「ようやく見るようにって……なんでまた、そんないいことみたい――っと!?」
「ピィ!」
湧いてきた疑問を口にしかけたところで、背中からホムラが生えてきた。
どうやら、わんわんと泣き始めた男の子の声で目が覚めてしまったらしいが――
「ちょ、おまっ……! いきなり騒ぐなって、ホムラ! こらっ……!」
「ピィ! ピピィ! ピー!」
駄目だ。
幾ら宥めても、まったく治まる気配がない。
昼食の後から爆睡していただけあって、元気が有り余っているようだ。
ていうか不味いぞ、こんな人目につくところで……!
「……トリさんだ!」
突然やってきたその声に、俺は振り向く。
見ればそこには、しわくちゃとなった絨毯の上に立つ、黒髪の男の子の姿があった。
「すごい、おにいちゃん! おっきなトリさん! すごい、おっきい! ぴぃって!」
「あ、ああ……そうだな。こいつは、たしかにちょっとデカイな」
「ピ♪ ピピィ♪」
「わぁ……! トリさん、おもしろい色してるね! あかと、しろ!」
「お、おう。……そんなに、珍しいか?」
「うん! ぼく、はじめてみた!」
男の子が、瞳をキラキラとさせて俺の問いかけに答えてきた。
……そっか。
ナップザックに入ってるところを見ただけじゃ、ホムラの全身は見えないわけだ。
少なくとも、この男の子にとってはグリフォンの雛も「ただのデカイ鳥」という認識になっているらしい。
「ねえ、おにいちゃん……トリさん、ちょっとだけさわってもいーい?」
「へ……あ、いや……それは」
「こんにちは、ぼく。えらいわね。ちゃんとお願いができるなんて。えらいわ」
いきなりのお願いに慌てふためいていると、横から亜麻色の髪がすべり込んできた。
フェレシーラだ。
彼女は法衣の裾を絨毯の上へと広げると、男の子と目線を合わせて話しかけていた。
「ぼく、いまいくつかな? よっつぐらいかな?」
「……ごさい。五才だよ、おれ!」
「あら、ごめんなさい。それじゃもう、立派なお兄ちゃんね。お兄ちゃんなら、おとうさんとおかあさん、行かなきゃいけないところ、わかるかな?」
「いかなきゃいけないとこ……うん! おれ、これからサンパツにいくよ! かみのけ、おとうさんみたいにカッコよくしてもらうんだ!」
「そう……それじゃあ、はやく床屋さんにいって格好良くしてもらわないとね。ほーら、駆け足、出来るかなー?」
「……うん!」
あれよあれよと、言う間のこと。
フェレシーラが真っ黒な髪を撫でつけると、男の子はしゃんと背を伸ばして走り出していた。
その先には、こちらに向かってお辞儀を繰り返す夫婦の姿が見える。
「じゃあね、おにいちゃん、おねえちゃん! トリさん、またね!」
とっとっと、という軽妙な音と共に、少年が手をブンブンと振りながら満面の笑顔で走り去ってゆく。
その後姿を、フェレシーラは穏やかな表情で見送り続けていた。
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