67.逸るほどに、君は遠く

 

 

「ピィ……ピピィ! ピィー!!」 

 

 背中で魔獣がけたたましく荒ぶっていた。

 

「くそ――!」


 湧き上がるドス黒い感情を抑えきれずに、俺は慣れぬ道へと悪態をつく。

 

「くそ、クソッ!」 

 

 土埃に塗れた裏道をどれだけ走り続けようと、許せなかった。

 

「くそ、くそっ――クソッ!」 

 

 時折見えるそいつの背中へと向けてどれだけ息を吐き散らそうと、赦せなかった。

 

 怒りが正常な呼吸を狂わせて、堂々巡りとなった思考が四肢へと絡み付くようにして、動きを妨げる中。

 

「なんで……なんでだ!」


 曲がりくねった下り坂を、転がり落ちるようにがむしゃらに突き進みながらも。


「なんで……なんで、すぐに庇えなかった! この、ウスノロ!」

 

 俺の心の中は、後悔でいっぱいだった。

 

 フェレシーラに石が投げつけられるのを、俺は見ていた。

 それも一度ではない。

 二度だ。

 二度も、彼女は石を投げつけられたのだ。

 

 それを俺はただ眺めていた。

 何をするでもなく。制止するでもなく。あいだに割って入るでもなく。

 

 只々、ぼけっと木偶のように突っ立って、指を咥える赤子のように眺めていたのだ。

 

「チクショウ……なにが、世話になってるだ! なにが感謝してるだ! なにが、努力するだ! この、役立たずが! この……口先だけの、うすらトンカチが!」


 叫ぶな馬鹿。

 叫んだところでなんになる。

 喚いたところでなにがある。

 

 いまお前に出来るのは、黙って前を見てあいつに追いつくことだろう。

 これ以上無能を晒さぬよう、吐いた唾を飲まないよう、あの糞餓鬼の首根っこを引っ掴んで、彼女の前に転がしてみせることだろうと。

 

「……ぐっ!?」 

 

 そんな平静さを装った思考に気を取られているうちに、俺は無様に路面に転がっていた。

 ロクに足元も確認出来ていなかったくせに、全力疾走を行い続けていた結果だ。

 

「はは――あははははは!」

 

 日の差さぬ湿った黒土を頬で直に感じていると、そこに声が降ってきた。

 その源を、首だけを巡らせて探しにかかる。 

 左右を塀に囲まれた袋小路のその奥で、そいつは腹を抱えて俺を指差したまま、笑い転げていた。

 

「なんだおまえ……だっせぇ! いきなり追っかけてきたクセして、勝手に転んで……ぷははっ! だっせえ!」

「うる、せぇ……!」

「ははは……おまえ、あの女のナカマだな」


 浅黒い肌に茶色い髪をしたそいつが……フェレシーラに石を投げつけた少年ガキが、そんな指摘を飛ばしてきた。

 

「おまえ、昨日もあの女と一緒に教会に出入りしてたヤツだな! あのシロバネのナカマだな!」 

「……あの女って、いうな……!」


 刺々しく突き刺さる言葉に藻掻きながら、俺は黒土を掻き毟り身を起こす。

 背中には、ずっしりとした友人の重み。

 

 どうやらホムラは、俺が転んだ際の衝撃で目を回してしまったらしい。

 ナップサックから飛び出してしまわなかったのは幸いだった。

 だがしかし、幼いホムラに負担をかけてしまったことに違いはない。

 

「昨日、教会にって……お前、俺たちの後をつけてたのか……! なんで、そんな真似……なんでフェレシーラに、あんなことしたんだ……!」

「ふん。おまえ……よそ者だな?」

「それが……どうした!」


 赤土の壁に手をつき反問してきた少年へと、俺は叫び、黒土を踏みしめる。

 相手との距離は10mもない。

 あちらの三方は壁だ。逃げ場もない。

 

 心のうちでホムラに「ごめん」と詫びながら、俺は突進の構えを取る。

 両手をぶらりとさげて、標的がすり抜けてゆかぬよう、間合いを詰めてゆく。

 

 とっ捕まえて、ボコボコにしてやる。

 そんなこちらの内心を見透かしたように、少年が笑った。

 

「ばーか」 

 

 べろんと舌を出して挑発する茶色の髪を、俺の掌が鷲掴みにする直前に。

 そいつの手が壁の中へとめり込んで、そのまま後方へと遠ざかっていった。

 

「んな……!?」


 突然間合いを外されたことで、伸ばした両腕が盛大に空振る。 

 空振りつつも、勢いを止めることは出来ぬまま……俺は頭から、壁面へと突っ込んでいた。

 

 正面からの激突。

 避けるのは到底間に合わない。

 せめて腕をあげて頭を庇おうとした、その瞬間のこと。


 俺の脳裏に、路上に膝をついたフェレシーラの姿が過ぎっていた。


 迫る赤色の壁に、目を見開いたままで突っ込んでゆく。

 いいんじゃないか。

 どうせ間に合わなかったぞと、自分自身から嘲笑を受けながら、俺はそこに突っ込んでいた。

 

 ……しかし、来るべき衝撃はいつまでたってもやっては来なかった。

 受け入れるべき痛みと傷が、俺の額には訪れてくれなかった。 

 

「――え?」 

 

 唐突に青々と開けた視界に、俺は間の抜けた声をあげてしまう。

 あの薄暗く辛気くさかった裏路地が、いつの間にか別の場所になっていた。

 

 いや、違う。

 それだけは違う。

 そんなことは、幾らなんでもありえない。


 だがしかし現実に、俺の周囲にあるのは黒土の道と、青々と茂る草木の群れだけだ。

 

 反射的にその場を振り向く。

 そこには赤い色をした壁状の……半透明の物体が浮かんでいた。


「ミストピア名物、霧の壁だよ。ばーか。マジでよそ者でやんの。だっせえ。いまは岸に近いところは全部ギソーされてんだよ。ばーか」


 憎たらしいその声に、俺は再び前を向く。

 真っ黒い道の途切れたその先に、背高い草むらのその向こう側に、あいつがいた。


「待て……!」 

「そう言われて、誰が待つかってんだ。よそ者のくせにしてオレをつかまえようだなんて、百年はやいぜ」


 逃げられる。

 明らかな余裕の笑みを見せてきた少年を前に、俺は無意味に手を伸ばす。 


 少年の体が、ぐらりと左右に揺れる。

 それが繰り返される度に、捕らえるべき影がぐんぐん遠くへと離れてゆく。

 

 遅まきながら、俺は体を前へと進める。

 必死になって草むらを掻きわけていくと、不意に巨大な水面みなもが現れた。

 

 フラフラと彷徨っていた両脚が、緑と青の境目で立ち止まる。


「出ていけばいいんだ!」


 叫ぶ少年は、オールの付いた小舟の上にいた。

 対する俺は、濃霧立ち込める岸辺から一歩も動けずにいる始末だ。

 

「キョーダンのヤツらも、マジョも……皆、この国から出ていけばいいんだ! あいつらの味方をするヤツも……皆、みんな、消えてなくなればいいんだ!」


 ボロを纏った勝者の姿が、小舟に揺られて遠ざかってゆく。


 怒りと敵意に満ちた声を、幾度も幾度も、霧深き湖面に響かせながら……叫び続けるその姿を、俺はただ茫然と見送ることしか出来なかった。

 

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