36.アトマ、暴走


「――!」 


 眩く輝く神術の、その力の炸裂に、抗えず瞼が落ちる。

 遅れてやってきた衝撃に、俺は『束縛』の魔術の統制ごと影人の体を手放していた。


「あ――」 


 否。

 正確に言えば、手放したのではなかった。

 フェレシーラの叩き込んだ一撃により、影人の体は俺の手から強引に引き剥がされて……洞窟の壁面へと強かに打ち付けられていたからだ。


「あ……っぶな! いまの、あっぶな!? おい、今の滅茶苦茶ギリギリだったぞ! 俺の鼻先で、ドゴンッて! 俺に当たったら今度こそ、絶対に首もげてたぞ!?」 

「はい騒がない。自分の足で立った立った」 


 抗議の声と共に体を起こすと、息一つ乱さずに構えるフェレシーラの姿が前方にあった。


「何とか間に合ったみたいだけど。まだ終わりじゃないから」 

「マジかよ……いてて」 


 あちこち痛む体を動かし立ち上がってみると、忌々しいことに影人も同じような体勢をとっていた。

 どうやら敵は未だ健在、といった感じだが……


「流石に、かなり効いてそうだな」

「そうでなければ困るもの。咄嗟のことで半端になったとはいえ、『浄化』を捻じ込んだわけだし」

「え? 『浄化』って、今のが――いや。今は、それどころじゃないな……!」 

「そうね。余裕があれば、傷の治療もしておきたいけど」

「これぐらい、平気さ……!」


 ひんやりとした洞窟の壁面に手をつく。

 それで影人の爪痕を残す腕の痛みも、幾分はマシになってくれた。

 

 あらためて、俺は状況を確認する。

 場所は巨大な滝壺の裏に穿たれていた、縦横3mほどの洞窟の入口。

 緩やかな登り坂となったそこは鈍い銀色の壁面を有しており、奥へと続いている。

 その中に向けて目を細めると、微かな光が見て取れた。


「こんなところをグリフォンが巣にしちゃうだなんて、ちょっと意外ね。有翼種って、もっと開けた場所が好みかと思ってたのだけど」


 言いながら、フェレシーラが前に出る。

 ダメージを受けた影人に対する追撃と、こちらへの壁役を兼ねた動きだ。


「グカ……カカカ!」


 対する影人は、戦槌の間合いより遠く離れた位置で四つん這いの態勢となっている。

 それを見て、俺はフェレシーラの後ろへと下がる。

 然したるスペースの無い洞穴では、二人並んで戦闘を行う余裕はない。

 当然、数の有利を活して挟撃可能な場所におびき寄せるという手も、あるにはある。

 

 しかしフェレシーラには、この場から退くつもりは欠片もないようだった。


「それにしても、今度はグリフォンからねえ……私の『浄化』を受けてすぐに起き上がってくるなんて、かなりのアトマを吸い取ったのでしょうけど。でも、その程度の変身で――」 


 ざり、と硬い岩盤を踏みしめて、従士の少女が戦意を漲らせる。


「この私から逃げおおせられるなんて思っていたら、大間違いよ……!」 


 両足を肩幅より大きく開き、槌と盾を手に放たれたその言葉は、それまでの彼女にない迫力に満ちていた。

 おそらくはそれは、鳥人と化した影人が『浄化』の一撃を耐えきったことに起因しているのだろう。

 魔術における解呪に相当するとされていた『浄化』の正体は、こちらの想像を超える荒っぽい代物だったわけだが……

 

 そっとそれは、フェレシーラにとっても奥の手足り得る大技だったのだろう。


「気を付けろよ、フェレシーラ。多分だけど……そいつが影人たちの大元だ」 

「ふぅん。魔術士の直感って奴かしら? それなら尚のこと……次は決めてみせないとね」


 ……やっぱりだ。

 こいつ、ムキになってやがる……!

 

 しかしまあ、これまでずっと単独で神殿従士として魔物の討伐に明け暮れてきたであろう彼女のことだ。

 自慢の大技を凌がれたとあっては、意固地になるのも当然だろう。


「戦士としての、矜持プライドか……」


 ずきりと痛む両腕を庇いながら、俺は無意識に呟く。

 愚直ともいえるフェレシーラの姿勢は、見る人から見れば不要な代物だ。

 俺を庇うことなく影人へと追い打ちに専念していれば、勝利は彼女のものだったからだ。

 

 だが、そうした足枷ともなりうる意地こそが、時として絶対の死地をも覆すのだろうとも、俺は思う。


「つぅ……骨に罅でも入ったかな、こりゃ……」 


 もしもの際――この期に及んでの分裂体での奇襲だとか、他の影人の出現だとか――に備えて、俺は少女の後方へと控える。

 グリフォンから多量のアトマを取り込んだ影人に対して、負傷した俺に出来ることはそう多くない。

 本気となったフェレシーラが相手をする以上、下手な手出しは無用となる。


「それにしても、あれが『浄化』の正体だなんてな」 


 乱れきっていた呼吸を整えながら、俺は独り言に興じる。

 他者の構築した術法式を解除するための対抗手段である、『解呪』と『浄化』。

 

 最終的な目的を同じくする二つの技法に、ここまでの差異があるとは思ってもみなかった。

 

 解くべき術法式を錠前に例えるとすれば、解除のそれはピッキングによる開錠行為だろう。

 対して浄化のそれは、完全な力技だ。

 

 言うなれば、破城槌による開門行為……いや、壊門行為と言ったほうが相応しいかもしれない。

 正直なところ、同種の技術にカテゴライズされること自体、抵抗がある。 


「まあ……戦闘中に試してみろって言われたら、圧倒的に浄化に軍配があがるんだろうけどな」 


 そんな場違い且つ無意味な思考に耽りながら、俺は地面から顔をあげた。

 あげて、しかしそこで眉を顰める羽目となっていた。

 

 眼前では、フェレシーラが戦槌を構えていた。

 いたが……いつまで経とうとも、彼女は影人への攻撃を再開する気配を見せなかった。


「フェレシーラ……?」

「ごめんなさい。ちょっと、しくじったかもしれないわ」 


 怪訝に思い声をかけると、一瞥もせぬままの謝罪が返されてきた。

 その言葉に、俺は洞窟の奥にいた影人へと視線を向ける。

 異変は『色』となって顕れていた。

 

 血の様に赤く染まった肩羽根。

 黄黒の瞳をした影人から放たれる、可視化されるほどの強烈な翡翠色のアトマ。

 それらが洞穴の中に所狭しとばかりに広げられている。


「カカ、キキ……カキキ……」 


 影人が、首を傾げてきた。

 それも人間であれば、決して曲がらぬほど大きく、真横に近いほどに。

 幾ら相手が魔法生物の類だとしても、明らかに無理のある動きだ。 


「カキ……サガ、カギ、カキキ……!」 

「おいおい……!」


 壊れている。

 何か、大事な部分が機能しなくなっている。

 目の前で狂ったように、壊れたように歯を打ち鳴らす魔物に、俺はそんな印象を抱き声をあげた。


「なんかあいつ、また様子がおかしくなってないか……!?」

「そうね」

「そうね――じゃないだろ! こんなときに冷静ぶってる場合か! なんかやらかした自覚があるんなら、説明してくれ……!」

「……多分だけど」


 チラ、とこちらを振り返り、フェレシーラは続けてきた。


「浄化の決まりどころが悪くて、あいつに仕込まれていた術法式を中途半端に壊しちゃった結果……だと思う」 

「中途半端、って――もしかしなくても、それってヤバくないか……!?」

「でしょうね。さっきあいつの頭をぶっ叩いたときに、矢鱈と強いアトマを感じたから……グリフォンから奪った力が大きすぎて制御不能になったとかかしらね。ま、何にしても危険な状態よ」

「強い、アトマ――」 


 その言葉には、心当たりがあった。

 俺は即座に動けるよう構えながら、彼女の推測に加わった。


「多分だけど……きっと吐息ブレスだ。あいつ風の吐息ブレスで、俺を吹き飛ばそうとしてたんだと思う」

「それは……厄介ね」 

「だなぁ」 


 一瞬の溜めを伴いやってきたフェレシーラの返答に、俺は苦笑するしかなかった。

 吐息ブレス

 火竜を代表とする魔物が用いる火の吐息ブレスを代表格とするその攻撃は、様々な魔物が特殊能力として備えており、その種類もまた多岐に渡る。

 

 炎、氷、雷、猛毒、酸、病魔、呪い、純エネルギー……

 そういった物騒な代物の中にあっては、風の吐息ブレスというヤツは比較的危険度の低い種だと言える。

 ゆえに、このまま影人がその力を暴走させたとしても……神術による防御が可能なフェレシーラと、その庇護下に入れる俺にとっては、死に至るほどのダメージとはならないだろう。

 そんな予測であれば、フェレシーラは済ませていたはずだ。

 なので恐らく、影人の暴走は俺たちにとっての致命打に成り得ない。


「ねえ。今から間に合うと思う?」 


 しかしそれにも関わらず、彼女は俺に問うてきた。 

 明らかな意思確認――行動を共にする者への、意思疎通の為の会話だ。

 目前に対処すべき脅威が迫っている以上、当然の行為だ。

 既に二度も先走った身としては、耳が痛くはあるが……


「わかんないけど……全員・・は厳しいかもな」 


 それに対して俺は率直な感想を述べる。

 すると今度は、フェレシーラが苦笑を見せてきた。


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