37.足手纏いの見た光
「そうよねえ。相手が相手だけに予測がつかなくて、結構手間取るかもだし」
「……ごめん。ほんと付き合わせてばかりでさ」
フェレシーラと言葉を交わす最中、鳥人と化した影人の胸部が大きく膨らみ始めた。
同時に、周囲の大気がビリビリと激しく鳴動する。
まるで洞窟全体から空気を吸い上げるかのような、
「あら、いいのよそんなこと。だって貴方も――」
そこにフェレシーラは戦槌を構え直すと、
「助けたいんでしょ、あの子のこと!」
渦巻く吸風へと向けて、猛然たる突進を開始した。
守りを捨てて標的を屠る。
それだけに特化した踏み込みが、影人との距離を見る間に削り殺してゆく。
そんな少女の背を追って、俺もまた前進を開始する。
それは一見して、無謀な選択だった。
風の
だのに俺たちは、わざわざ危険を冒して影人の攻撃を喰いとめにかかっている。
その理由は、俺とフェレシーラ以外にあった。
「後ろには下がれない――」
それは一体、どちらが発した言葉だったのか。
それとも、双方の口から衝いて出たものだったのか。
「上等!」
背後より届いてきた微かな鳴き声に、二人共に気勢をあげて加速する。
「ピィ……ピィィ……」
弱々しく悲し気なその声は、母の亡骸の傍に蹲る雛のものだった。
グリフォンの子供は、未だそこにから離れらずにいた。
「鳥頭風情が、神殿従士を――『白羽根』フェレシーラ・シェットフレンを、舐めないでよね!」
フェレシーラが、肩越しに戦槌を振りかぶる。
まごつくグリフォンの雛を拾いあげて、素早く洞窟外への退避を完遂する。
もしくは、範囲を大幅に広げた神術による防御を行う。
それが上手くいくという保証は、どこにもなかった。
「ああ、もう……そんなに泣くなって……!」
猛進する少女の影より、俺は標的を見定める。
幼体とはいえ、相手はグリフォンだ。犬や猫を抱えて運ぶのとはまるでわけが違う。
少しでも手間取れば、風の猛威は幼い雛を容易に消し飛ばしてしまうだろう。
それでは何の意味もない。
狙うは一つ、全員の生存なのだ。
ならば、こちらに出来る最善の手は限られていた。
「天に
翡翠の輝きを引き連れ逆巻く颶風に、呪文の詠唱が流れゆく。
再びの『浄化』の一撃。
それも完全なる術法式の構築を経ての、全力の一撃だ。
まともに決まれば、如何に強力な幻獣の力を取り込んだ相手であろうが、有無を言わさず滅するだけのアトマを秘めた光の裁き。
それが白羽根の少女の元へと集い始める。
風が、その勢いを増して彼女を引き寄せる。
「カギギ……カア……!」
狂ったように哄笑をあげる影人の口蓋が、瞬間、ピタリと動きを止めた。
吸い寄せの風が消失する。
勢いに乗っていた少女が、僅かに突進の速度を落とす。
蓄えられた風のアトマが、解放される。
嘲るように貌を歪めた影人が背を逸らして大きく仰け反り――
その無防備に曝け出された喉首へと、一振りの刃が突き刺さった。
「――ひゅブ!?」
ぼしゅん、と盛大に。
間の抜けた息漏れの音を立てて、影人が海老反りとなる。
「わるい、フェレシーラ。また無許可だ」
伸ばした血塗れの右腕の先を見て、俺は呟く。
視線の先には、手甲の力により撃ち出された短剣と、藻掻く影人の姿があった。
「いいえ――」
その呟きに、彼女は最後の一歩を踏みしめる。
一息に、魔を滅する為の神術が解き放たれる。眩いアトマの輝きが、場に満ちる。
「助かったわ、フラム!」
その言葉と共に、少女の手の中に燦然たる光輝が降り立った。
完成した『浄化』の閃槌が、四足の獣の頭上より打ち下ろされる。
影人の頭部が、音すら立てずに消し飛ばされる。
風が吹き荒れる。
ごうごうと音を立てて、残る影人の喉首から暴風の渦が解き放たれ始めていた。
「フェレシーラ!」
今度こそ絶息した影人を前にして、フェレシーラは地に膝をついていた。
「ごめんなさいね。頭を吹き飛ばして、
吹き荒れ始めたアトマの奔流を前に、彼女は身動き出来ずにいる。
「どうやら見立てを誤っちゃったみたい。これだけ大きなアトマを秘めた相手だったなんて……完全に予想外よ」
「しゃべってる場合か! いいから、こっちにこい! あとは俺が何とかする!」
その叫びに、フェレシーラは答えてこなかった。
ただ彼女は優しげな微笑みで応えてきただけだった。
「くそ……こんな風ぐらいで……ぐっ!」
作戦は失敗だった。
影人が風の
それでは、駄目だったのだ。
影人が蓄えていた力は、既にこちらの予想を遥かに超えて暴走寸前となっていたのだ。
しかし、それでこれまでの行い全てが無に帰したなどとは、俺は思わない。
思いたく、なかった。
「まだだ……!」
理屈の上では、こちらは既に敗北した。
巻き起こる風に抗いながらも、防御や退避を速やかに行う方法など、思い付きもしない。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
フェレシーラは、俺に付き合ってこんな無茶に及んでくれたのだ。
なら俺が、そんなフェレシーラを見放していいわけがない。
最後の最後まで、最期を迎えぬよう死力を振り絞らねば、それは嘘だ。
このまま全てを諦めて、皆もろとも冷たい洞窟の岩壁に叩きつけられて息絶えるなど、何があろうと許容してはいけない。
だがしかし、現実は無情だ。
そう思ったところで、名案など浮かんでは来ない。
目の前がじわじわと真っ暗になっていくだけで、何も起こりはしない。
そこに、声がやってきた。
「今から、『防壁』を張ります」
決然としたその声に。
フェレシーラの声に、俺は半ば塞ぎかけていた瞼を開く。
「貴方と私の間に『防壁』を張って風を防ぎます。位置的に私の正面に出せればよかったのだけど……ここまで強烈だと、ピンポイントで防がないと厳しいから。貴方は私が術を維持している間に、あの雛を連れて出来るだけここから離れて頂戴」
「そんな……そんなこと言われて、はい、そうですかって言えるかよ! そんなの、お前だけ残して逃げだすのと同じだろ!」
「我儘言って困らせないで。これは相手の力量を測り損ねた私のミスだもの。それに、私一人分に限定した『防壁』なら貴方がいなくなってから張り直せるわ」
「フェレ――」
「足手纏いだって、言ってるのよ」
そう言って、彼女は満面の笑みを見せてきた。
誰がどう見ても、強がりでしかないその微笑みに、俺は何も言えなくなる。
強かった。こんな状況でも、彼女は強かった。
そして俺は、弱かった。
フェレシーラのように活路を示してみせる強さすら、俺にはなかった。
あるのは、ぐちぐちと屁理屈を捏ね回して彼女を思いとどまらせようと駄々を捏ねる、餓鬼丸出しの気持ちだけだった。
顔をあげれば、そこにはバタバタとはためく影人の姿があった。
一体どういう理屈なのか、そいつの中心からはビュウビュウと音を立てて風が吹き出しており、支えるものもないのに宙に浮かんでいる。
そしてそれはどんどんと勢いを増し、目を開けるのも辛いほどの代物となっていた。
「限界よ」
その言葉に続き、詠唱の声が流れてくる。
目を開こうとすると、頭痛がやってきた。チカチカと、目の前が眩んでいた。
限界だ。
そう感じたことで、全ての意識を闇に投げ出しかけて――
「――」
そこで俺は、光を見た。
それはなにも、抽象的なイメージや、閃きではない。
俺が見ていたのは、影人の成れの果ての奥に灯っていた……洞窟の最奥で瞬く、微かな光だった。
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