31.異術交錯
瞬間、手甲から放たれた煌々とした赤い輝きが場を埋め尽くす。
産み出された無形の力が、行き先を求めて荒れ狂う。
「ぐ……ッ!」
予想を大きく超える反動に、両の指先がビリビリと震えて熱を持つ。
抑えきれない。
式が崩壊して、術が暴走する。
「んなわけ……あるかよッ!」
そんな疑念を、俺は『たかが術具に』という安いプライドで以て吹き飛ばした。
刹那、脳裏に煌々たる火のアトマを纏う女性の姿が浮かびあがり――
ジュゴッという、短い音がした。
同時にやってきた光量が矢鱈と大きかったこともあり、その眩しさに俺は数秒の間、目を開けることが出来ない。
「く……」
流石に動かないと不味い。
相手が、まだ健在かもしれない。
頭ではそう考えてみるも、激しい疲労感に体は全くついて来てくれない。
しかしそれでも、俺は目を開けなければいけなかった。
己の行為が引き起こした結果と向き合わねばならなかった。
それは師匠が――マルゼス・フレイミングが、俺に最初に教えてくれた魔術士の心得だった。
それが力を持つ者の、責務なのだと。
彼女がそう教えてくれていたので、俺は目を開くことが出来た。
「……うっわ」
最初に視界に飛び込んできたのは、焼け焦げた巨大な人型だった。
言うまでもなく、それは先程まで俺を追い詰めていた影人だったものだ。
「狙ったの、顔だけだったんだけどな……いっ、つつ」
慣れない真似を試みたせいだろうか。
不意にやってきた頭痛に顔を顰めつつも、俺はキョロキョロと辺りを見回した。
手甲を用いた術法の行使……ぶっつけ本番、一か八ではあったが、それで何とか窮地を脱することが出来た。
言うまでもなく、フェレシーラのお陰だった。
彼女が与えてくれた不定術法式に、俺は救われたのだ。
「フェレシーラ……!」
最早一歩も動くことも叶わない。
それほどまでに疲弊した体で出来る真似といえば、叫ぶぐらいのものだった。
「どこにいるんだ、フェレシーラ……無事なら、返事してくれ……!」
先ほど彼女に突き飛ばされていなければ、ただでは済まなかっただろう。
出立前の準備が無ければ、影人を打ち倒すことも不可能だったろう。
「フェレシーラ……おい、フェレシーラ! 返事しろって! いつもみたいに、怒っていいから……頼むから、返事してくれよ……!」
ふらつく体と痛む頭で、俺は小さな子供のように繰り返す。
すると、背後から物音がやってきた。
「……! フェレシーラ!」
それに引き寄せられるように、俺はその場を振り返る。
そこに、真っ黒な影がいた。
「――」
頭の中が、からっぽになった。
影は、真っ黒な炭を全身からボロボロと溢しながら、緩慢な動作でもってこちらに迫ってきていた。
つい今しがた俺が倒したはずの、フェレシーラから貰い受けた手甲の力で丸焦げにしてやったはずの、影人。
『ワ、ガ……キミ』
黒焦げとなったそいつが、口を開いてきた。
そこだけは鮮やかなピンク色をした、異様なまでの生気を放つ舌を動かして、そいつは耳障りな音を発してきた。
『ミツ、ケタ……ワガ、キミノ……キミ、ミツケタ……!』
言い様のない怖気を伴う、人ではない何かが無理矢理に人語を発する声を模倣した、異音。
巨人の腕が、大きくゆっくりと振り上げられてゆく。
逃げなければ。
そう考えるも、体はピクリとも動いてくれない。
真っ黒な腕が、万歳をするように持ち上げられて――
「光よ!」
そこに、朗々と響き闇を貫く声と光とがやってきた。
横合いからやってきた無数の閃光が、黒焦げの巨人へと突き刺さる。
「はあぁぁぁぁ――っ!」
肘に、眉間に、膝に、脇腹に。
『カ、カカカ……カカッ! ミ、ミツ、カッ、カカ……!』
拳大の光弾が、無数の光の帯となり押し寄せてくる。
アトマの輝きが拳打の嵐の如く吹き荒れて、よろめく巨人を
「――とどめッ!」
『ッ!?』
その宣言と共に一際眩い光弾が炸裂して、だらりと垂れ落ちていた巨人の舌が、その下顎ごと吹き飛ばされた。
遅れて、ボロ雑巾同然となった巨体が仰向けに倒れ込む。
その光景を俺はアホ丸出しの間抜け面で眺めていた。
そこに一人の少女が近づいてきた。
肩をいからせながらツカツカと俺の目の前にやってきたのは、言うまでもない。
聖伐教団が誇る白羽根神殿従士、フェレシーラさんだった。
「ほんっっっっっっっ、とに! フラム! 貴方って人は! 本当に!」
怒髪天を衝く。
左手に大きく凹んだ小盾を携えながらも、器用に腰に手を当ててきた少女に対して、俺はついついそんな言葉を思い浮かべてしまう。
ちなみに右手では、最早振るう機会もないだろう愛用の戦槌が握りしめられている。
機会がないと、思いたかった。
「よ、よお、フェレシーラ。無事だったみたいで、よか――」
「よく、ない!」
機先を制する腹積もりで放ったこちらの一言は、物の見事に叩き潰された。
「貴方……私の許可なく、不定術法式を使ったでしょう」
「う……! そ、それはこのデカイのに追い込まれてたから、仕方なくで……いえ、すみません。勝手に使いました……」
一応、正当な理由として反論を試みるも、一睨みで沈黙させられてしまう。
いやー……すごい。
あれだけ派手な攻撃術を拝んだ後だと、迫力も普段の三倍増しといった感じだ。
というか、神術士の方って回復や防御が専門じゃありませんでしたっけ……?
「ふー……っ」
どうやらこちらが完全にビビッていることが、伝わってくれたのだろう。
フェレシーラは深々と息を吐くと――努めて、といった風ではあったが――平静な面持ちとなってきた。
「そうね。突然のことで頭に血が昇ってしまったわ。貴方も必死で頑張ったのに、怒鳴りつけたりしてごめんなさい。それと、助けが遅れたことも詫びさせて頂戴」
「あ、うん……それはいいんだけどさ。こっちこそ、ちゃんとそっちの無事も確認せずに手甲の力を使って悪かった。下手したら、フェレシーラまで巻き込んでたかもしれなかったし……」
「ううん。それは元々こっちが――って、なにこれ。話がループしてるじゃない」
そこまで言いかけて、彼女は口に手をあて忍び笑いをみせてきた。
つられて、俺も苦笑いとなってしまう。
どうやら互いの無事を認め合ったことで、緊張の糸が切れてしまったらしい。
「ていうかさ。そっちは今まで何してたんだよ。お前の言葉を借りるわけじゃないけど、いきなり人のこと突き飛ばした後に見当たらなくなるから……ちょっとだけ、心配したんだぞ」
「そ、それはその……そこの大きい奴の攻撃を、貴方と入れ替わる形で盾で防いだら……」
「防いだら?」
そういやこいつの盾、ガッツリ凹んでたなと思いつつも、俺は反問する。
するとフェレシーラが、決まりの悪そうな顔で続けてきた。
「うん。防いだのは、よかったのだけど。どうもそのまま後ろに吹き飛ばされて、大きめの石で頭打っちゃったみたいで。それでちょっとの間、気を失ってた……みたいな?」
「え。なんだそれ。気絶するほど頭打ったとか、ヤバいだろ! すぐに休まないと――」
「だ、大丈夫よ! もう処置は済ませておいたから! 咄嗟の回復って、慣れてるし……!」
焦る俺に、彼女は慌てて両手を広げて大丈夫アピールをしてきた。
よかった。
ちゃんとした回復術も使えるんだこの人。
「にしても……こんなデカブツの接近に、二人揃って気付かないだなんてな」
「あ、それね。私なんかわかっちゃった」
「わかったって……何がだ?」
「周りよ。辺りをもう一度、よく見て御覧なさい」
予想外の指摘を受けて、俺は周囲を見回す。
目に入ってきたのは、巨大な滝壺と幅広い水流、砂利と岩の広がる河原。
後は、傷ついたグリフォンが眠るように蹲っているぐらいのものだ。
「よく見ろって言われても、特になにもおかしな……」
そう口にしかけて、俺は間近に倒れていた影人の上で、目線を止めていた。
「あ、あれ……?」
「気付いた? ま、流石にすぐわかるか」
「いや、気付くっていうか……なんで、なんで無いんだよ……っ」
思い至ってもう一度周囲を――河原の上を重点的に見てみるも、やはり無い。
「嘘だろ……さっきまで確かに、二匹……俺が斃したヤツの死体が……っ」
俺がこの場に駆けつけた際に出くわした、二匹の影人が。
この手で直接喉笛を掻き切ってやった奴らの、血まみれの亡骸が何処にもなかったのだ。
「吸収、もしくは合体したのでしょうね」
慌てふためくこちらに向けて、フェレシーラがボソリと告げてきた。
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