10.起・承・結


 突如フェレシーラから発せられた疑念の声には、何かを非難するような響きがあった。

 その意図を察せずに、俺は何故だか激しく狼狽してしまう。


「あ、いや。ちょっと、言い忘れてたけどさ」


 何か……何か彼女は、勘違いをしているに違いない。 

 それで怒っているに違いない。


 ならば一から説明をしなおして、わかって貰えばいいだけだ。


「俺、魔術は下手糞で使えないけど、アトマを出すだけなら」

「違う。私は、そういうことを聞いているんじゃないの」

 

 そんな思いつきに縋りついて発した俺の弁明は、すぐさま少女に斬って捨てられた。


 その語調の強さと視線の険しさに、俺は今度こそ二の句を継げなくなる。

 理不尽なまでの圧力を受けたせいか、腰かけていた柔らかなベッドが底無しの泥沼の様に感じられた。


「貴方は、正規の呪文を使っても術法を発動出来ないと言った。私はそれを信じた」 


 そこに、氷雨の様に冷たくなったフェレシーラの声が降り注いで来る。

 その鋭さに、俺はただ頷くことしか出来ない。


 頷き、俺は怖くなる。

 これ以上、聞いてはいけない。

 心の何処かで警鐘が打ち鳴らされる。


 これ以上、言わせてはいけない。

 彼女は俺のことなど、大してわかってもいない。

 出会ったばかりの他人に過ぎず、それよりも俺には他に信ずるべき人がいる筈だと、そう俺と言う人間が心の中で喚き立てていたのに、


「なのに、なんで貴方は――」


 だのに俺は、それを押し留めるどころか、身動き一つすら出来ないまま、


「なんで貴方は、術具だけは使えるだなんて……そんな見え透いた嘘を言うの?」 


 俺は結局、目の前の悲しい瞳をした少女を止められずにいた。


 ……ああ、まただ。

 また意味のわからないことを、彼女は言っている。


 思い返せば、さっきもそうだった。

 そう、たしか……俺にアトマが溢れているだなんて、適当なことを口にしてきて……


「あ、あのさ。なんかお前、勘違いしていないか?」 


 思考が纏まらぬ中、俺は何故だか唐突に口を開いてしまっていた。

 

「……勘違いって、なによ」 


 それを聞いたフェレシーラは、何故だか不貞腐れたような顔をしてきた。

 その理由も、俺にはわからない。

 わからぬままに、俺は口を動かし続けた。


「何って……そりゃあ、アレだよ。ほら……そ、そうだ! 風呂釜の、術具の話!」 


 そうだ。アトマの話だ。

 アトマを用いた、術具の話だ。

 そこで彼女は勘違いをしているのだと、俺は考えた。


「ほらさ。術具ってヤツには、用途に応じた魔法陣が刻まれていてさ。その魔法陣が、術法を使う際の呪文の詠唱代わりに働くだろ?」


 以前、師匠に教わった術具に関する知識。

 その断片を頭の奥から引っ張り出してきて、俺は語る。


「だから、例え俺が呪文を上手く使えなくって、魔術が使えなくてもさ。術具だったら、アトマさえ流し込めば」


 正しく、術具に関する初歩の初歩である知識。


「魔法陣の効果は、飽くまでも呪文と同等の働きしかしない。これは常識よ」 


 しかしそれに、フェレシーラは首を横に振ってきた。


 ……なんだそれ。

 いまさら、何言ってるんだ。

 そんなこと、俺がいま、言っただろ?


 こいつ、まさか俺をからかってるのか? 

 年下だからって、何も知らない、半人前にもなれていないヤツだからって……馬鹿にしてるのか?


「いや……だから、わかんないヤツだなお前も!」 


 むかっ腹を立てたことで、俺は思わず怒声を張り上げてしまう。

 だが―― 


「わかっていないのは貴方のほうよ」 

「な……なにを、この――魔術士でもないアンタに、魔術のなにがわかるってんだよ!」 

「魔術だとか、神術だとか……そんな細かい話をしてるんじゃあないって、私は言ってるの!」

「……!」


 尚も声を荒げる俺に、大音声での雷が落とされてきた。 


 あまりの剣幕に、俺はシーツの上で後退りしそうになる。

 そこにフェレシーラが、ぐいと詰め寄ってきた。


「貴方、やっぱり何故だか……ぜんっぜん、まっっったく、術法ってものについてわかっていない様だから。この際キチンと教え直してあげる」


 腰に手を当て上体を前へと突き出してきた体勢で、顔はそれこそ鼻先スレスレ。


「まず、術法の発動には燃料であり素材である、アトマ練り上げることが必要。これを『起』とする」


「次に、呪文の詠唱、または強力な思念を術法式として、現象の構築を行う。これは『承』となる」


「最後に……構築された術法式にアトマを送り込むことで、術法の発露に至る。これが『結』と化す」


 一言一句、はっきりと、胸に響かせる声で物覚えの悪い教え子に、根気よく説いてみせる様にして、


「起・承・結の三動作。この三つのどれを欠こうとも、違えようとも成立はしない」

「規模の大小、種別効果に関係なく、必須となる流れ」

「起承結の実行……これが術法行使の大前提であり、常識よ」 


 繰り返し、繰り返し、同じ文言を重ねて用いることで、彼女は俺に教えを説いてきた。


 そしてそれは、俺が師より教わった内容と一致する。

 一致するが……

 しかし俺の瞳を覗き込んでくるフェレシーラの目は、俺の『術法』に対する認識を否定していた。


 それが一体なにを指しているのかが、俺にはわからない。

 わかることといえば、今しがた彼女が口にしてきた――


「――あ」 


 それを思い返して、俺は我知らず声を洩らす。


 彼女は、俺が魔術を扱えないという話を信用してくれた。

 つまりそれは、俺が『起・承・結』の、その何処かで躓いてしまっているということだ。

 だから俺は、順を追ってこれを考えねばならない。


 なので、まずは『起』だ。

 これはアトマを練り上げるという動作だ。

 つまり、アトマが必須となる。


 アトマとは、万物の根源の力だ。

 その内包量には個体差こそあれ、生物、無生物に関わらず全ての物質が持つ、魂の力だ。

 

 識者の間では、これを持たぬものは不浄の存在だとされており、理外の力である術法を操るためには必須の力だと言われている。

 

 万物の根源、アトマ。

 その力の所在を、その強さを、俺はこれまで疑い続けていた。


 つまり……「俺は他人と比べてアトマの力で劣るから、魔術をまともに扱えない」のではと、疑ってかかっていたのだ。


 だが、フェレシーラはこう言ってくれた。

 俺の体からは、アトマが溢れていると。

 

 俺の言葉を信じた彼女がそう言うのであれば、俺もまた、これを信じなければならない。

 それが筋と言うものだ。

 ゆえにこれは、クリアした問題と見做せる。見做しておくべきだ。


 ならば次に注目すべきは、『承』に関してだ。


 術法式という名のアトマの注ぎ先であり、利用先を造り上げる為の、大儀式。

 望む結果を得る為の、祈りの集約。


 言わば奇跡の設計図を引き、願望を成す為の器を創り上げる、超常精緻の御業。


 ……これに関しては、実を言えば俺には密かな自信の様なものがあった。


 呪文の習得数と理解度。

 詠唱の速度と韻律による補強。

 

 そして……師であった『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングの放つ魔術の数々を寸分の違いなく思い描く、想起力。


 自らの欠点がアトマの不足にあると捉えていた俺は、その不備を可能な限り補おうと考えた。

 ゆえに昼夜を問わず暇を見つけては、それらの鍛錬と研鑽に時間を費やしていたのだ。


 だがしかし……


「そっか……あんたが言いたかったのは、そういうことだったんだな。『承』のことだったんだな」

「ええ。そうよ」


 俺の呟きに呼応するように、亜麻色の髪が微かに揺れてきた。


「俺に『起』であるアトマが十分にある以上、次に注視すべきは『承』である術法式だ。『結』である術法の発動は、その二つが術者の手元に揃った時点でやってくる、純然たる結果にすぎないわけだから……」


 遠ざかる青い瞳を前に、俺は続ける。


「だから、俺に足りないのは『承』である術法式」


 その光景をぼんやりと眺めながら、俺は彼女への答え合わせとして、


「の、筈だった――」


 俺は更に、言葉の先を紡ぎ続ける。


「術具に刻まれた魔法陣は、飽くまで呪文と同等の働きしかしない。それが常識だと、あんたは言った。そして俺も、そう教えられてきた」 


 フェレシーラが抱いていた「術法を行使できない俺が、何故、術具だけは使えるのか」という疑問。

 その意味を、俺はようやく自身の口から導き出せるまでに至っていた。


「でも……今まで俺は、その意味を履き違えていた。魔法陣というものの役割は知ってはいても……何故それが術法式の代わりを果たせるのかを、まったく理解していなかった」


 考えてみれば、それはとても単純で、当然のことだった。


「フェレシーラ」


 少女の名を口に、俺はベッドから立ち上がる。


「あんたに、見せておきたいものがある」


 その呼びかけに、フェレシーラが応ずる気配を見せてきた。

 考えていたことは、きっと二人とも同じだったのだろう。


「ついてきてくれ。今から……浴室に行って、湯を沸かす」


 大真面目で行った俺の宣言に、従士の少女が神妙な面持ちで頷きを返してきた。 



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