9.魔術士未満への疑念
「おぉ……離れの部屋も、本館とそこまで変わんない造りなんだな」
白塗りの内壁に唐草模様の絨毯が敷かれた室内にて、俺はナップサックを床に降ろしつつ、人生初の仮宿をキョロキョロと見回していた。
「離れと言っても、村長も頻繁に使ってるんじゃない? ……こらそこ、ちゃんと汚れも落とさないうちにベッドに転がらない。引き出しなんかも、無意味に開けない」
「えー……これぐらいはいいだろ。こっちは慣れない真似して疲れてるんだしさ」
「自覚があるのなら、少しはじっとしていなさい」
こちらが清潔感のあるシーツを満喫する最中、フェレシーラが手荷物の整理に取り掛かかる。
そんな彼女をよそに、俺は天井から吊るされた豪奢な水晶灯を眺めながら、拳をギュッと握りしめていた。
どうにかこうにか、村長との取引に成功した。
アトマの燃える青い輝きに目を細めながら、俺はその実感を噛み締める。
「それにしても、思いの外上手くいってくれたな……」
あれから俺はこの村の客人として受け入れられた証として、フェレシーラの案内の元、こうして館の離れで羽を休めるに至っていた。
聞けば元々は彼女に貸し与えられていた部屋とのことだが、間取りは広く備品の類も充実している。
ベッドも相応に大きく、こうして手足を広げて転がっても随分と余裕がある。
何故だか窓の類が妙に高い位置にあることを除けば、不便さは全くない造りだ。
この分であれば、二人で寝泊まりするのに何の問題もないだろう。
「でも……あそこでチャドマさんが偶然来てくれなかったら、こんなに上手くいってなかったか」
降って湧いてきた幸運。
つい先程の出来事を思い返して、俺は独白する。
「運に恵まれていたのは、確かでしょうけどね」
そこに、フェレシーラが声をかけてきた。
「あの人が貴方の顔と名前……人となりまで覚えていてくれてたのは、運だけではどうにもならなかったことよ」
「それはまあ、チャドマさん師匠のお気に入りだったし。細かい注文とかも、しっかり対応してくれてたから……べつに俺は、覚えて貰うようなことはしてないよ」
「出会いは宝物。それを大切に、という話ね」
「宝物か……いいこと言うな」
「私の先生がよく口にしていた言葉だから。要は受け売りって奴よ」
フェレシーラの先生……つまり、師匠か。
彼女が属する聖伐教団のことは詳しく知らないけど、役職や決まりごとがある以上、指導体制も出来上がっているのだろう。
時間が許せば、そういったことも一度聞いてみたいが……
「でも、ちょっと驚いちゃった」
「驚いたって……さっき村長と話し合ったときのことか?」
「それもだけど。私が言ってるのは、その前の話よ」
「その前って――ああ」
そこまで聞いて、俺はようやく彼女の言わんとすることを察して身を起こした。
「俺に、あんたの手伝いをさせてくれって話か」
「そ」
短い答えに振り向くと、丁度フェレシーラが胸甲を外しにかかっているところだった。
「幾ら自分と同じ姿の魔物が、そこかしこで暴れまわっているにしても。実戦の経験もないのにそんなこと言い出すなんて……無謀どころの話じゃないもの」
「うん。そりゃあ、ごもっともなご指摘だよなぁ。俺だって、自分でも驚いてるよ」
カチャカチャと金具の鳴らされる音を耳に、俺はその瞬間を思い返す。
「自分と同じ姿をした魔物が暴れまわっているなんて、とても放っておけない」
あのとき、森の分かれ道に差し掛かったとき。
俺はそう言って、彼女に同行を頼み込んだのだ。
これまで一度も魔物と戦ったどころか、出くわしたこともない。
魔術士崩れ未満の、この俺がそんなことを口走っていたのだ。
思い返してみても、我ながら馬鹿げた要求だと断言出来る。
だが、それに対してフェレシーラは首を横には振っては来なかった。
長く、とても長い沈黙の後に、彼女が発してきた言葉を俺は思い返す。
「一緒に来て欲しい――か」
「ん……今、何か言った?」
「あ、いや……腹減ってきたし、昼飯まだかなって。たしか準備が出来たら呼んでくれるんだろ?」
「声がかかるにしても、もう少し先だとおもうけど。もう夕飯のほうが近いし……それより悪いけど、肩の留め金、ちょっと緩めてくれない? 森で貴方を追いかけ回したときの勢いで、ベルトと鎖が締まり過ぎちゃったみたいで」
「勢いって……おま、どんだけ思い切り俺のこと殴りつけようとしてたんだよ……」
ぶつくさと文句を口にしつつも、俺はフェレシーラの手助けをしてやることにした。
「しっかし、こんな重いもの始終下げてるも大変だな。これってほぼ金属製だろ。肩こらないか」
「そう言われてもねぇ。小さい頃から身に付けていて慣れっこだから、負担は感じないけど。それに紋章なしで単独行動してると色々と面倒だから」
「面倒って……ああ、神殿従士の決まり事ってヤツか。あ、留め具って両側のこれか? 確かに鎖がベルトに喰い込んでて……む、この――おっ、いけた!」
「ん……っ」
バックル式のベルトを緩めると、胸甲が勢いよく前へと跳ね落ちた。
「ふぅ……あー、やっと楽になった。ありがと、フラム」
余程留め具が喰い込んでいて、窮屈だったのだろう。
鎧の下から姿を現した、ゆったりとした藍染めの上着の胸元にパタパタと空気を送り込みながら、フェレシーラはこちらに向けて礼の言葉を口にしてきた。
そういや師匠も今日みたいに暑い日には、同じような仕草していたな。
何故だか近ごろは、あまりやらなくなった様な気もするけど。
ともあれ早速、神殿従士様のお役に立てて何よりだ。
奉仕活動から解放されて、俺は再びシーツの上に転がった。
「うーん……でもこういうのを気軽に頼めると思うと、案外ペアで行動するのも悪くないかもしれないわね。今までずっと一人で動いていたから、考えてもみなかったけど」
「一人より二人が楽ってのは当たり前だろ。でもまあ、俺には神殿従士の真似事なんて難しそうだけどな。あんたのことみてたら、結構大変な仕事なんだなって思えてきたし」
「なに言ってるの、苦労するのはこれからよ。んー……次からは私も他の人と組んでやってみようかしら」
どうやら本当に彼女は、今まで一人で従士の職務を果たし続けてきたらしい。
フェレシーラは残る手足の装具を外しながら、如何にも盲点だったと言わんばかりの口調でこちらに返してきた。
「あ、でも今アレイザには相方に困っている人はいなかったような……ざーんねん。そうなると、当分ペアを組むのは無理そうね」
「? なんでペアを組むのが、アレイザの人でないと駄目なんだ? 聖伐教会って、国中の町にあるんだろ?」
「教団の戒律で決まってるのよ。所属が違う教団員は、基本的にペア禁止。少人数で手に負えない事案には、所属不問の混合チームが許可されるパターンもあるけど。報酬面の振り分けだとか、責任問題だとか……諸々の事務処理が発生しちゃうから避けているみたいね」
「なるほど……」
なんだか小難しい話になってきそうな気配に、俺は適当に納得した風を装った。
まあ、教団のことはこの際どうでもいいだろう。
それよりも俺が優先するべきは、明日からの魔物討伐に向けての準備だ。
「んー……ダメね。動きやすい恰好になったら余計に汗が吹き出てきちゃった。今日はもう少し動くつもりだったけど……ここって、浴室も併設されてるのよねぇ」
しかしどうやら、乗り気になってたのはこちらだけだったらしい。
見れば既にフェレシーラは鼻歌混じりで荷袋に手を伸ばし、替えの衣服を取り出し始めていた。
というかこいつの荷物、服の類が随分と多いな……
フレンに背負わせてた荷物の殆どが、衣類なんじゃなかろうか。
「って――おい! 勝手にベッドの上に広げるなよ。寝る場所なのに、汚いだろっ」
「ちゃんと洗濯してますから、汚くないですよーだ。あ、でも貴方のは置いちゃダメだからね。間違って取られて混ざっちゃうと後が面倒だし」
「んなモン、誰が間違うってんだよ! あーもう、風呂入りたいってんなら、俺が沸かしてやるから大人しくしてろって……!」
このままでは本当に、ベッドの上を埋め尽されかねない勢いだ。
まったく、人が寛ごうとしているのにマイペースなヤツだ。
仕方なく俺はフェレシーラに向けて、湯沸かし宣言を行った。
「あら、それはお気遣いありがとうございます」
すると彼女は服の裾を両手で持ち上げて、恭しく頭を垂れてきた。
なんだよそのポーズ。
なんかこいつ、離れに来てから地味にテンション上がってきてないか?
「あ、でも……ここのお風呂って、術具付きだからアトマを利用して沸かせるのだけど。残念ながら最新式の充填式じゃなくって、即時発動式の古いヤツなの。だから、折角の貴方の素敵な申し出も――」
「お、そうなのか。そりゃいいこと聞いた。薪風呂じゃないなら、水だけ汲んでくればすぐにでも沸かせるな」
「ええ。すぐにでも沸くから、お断り――え? いま貴方、なんて……え?」
願ってもないその朗報に、思わず快哉の声をあげる俺。
その俺を、突然素の口調に戻って見つめてくるフェレシーラ。
……何この空気。
今、なんか俺、おかしなこと言ったか……?
突然の沈黙に戸惑っていると、やがてフェレシーラが訝しむような面持ちで問いかけてきた。
「ええと……いま私、即発式って、言ったわよね?」
「あ、ああ。確かにそう言ったけど、それが何かーーあ」
再度風呂釜の構造について言及されて、そこで俺は自らの見落としに気付かされた。
そうだ。
そういやそうだった。
何か短い間に色々ありすぎて、伝えておくのを忘れてた。
「わるい、フェレシーラ。そういや言ってなかったけど……俺、アトマを出すだけなら何とか出来るんだ。だからアトマを魔法陣に送り込むだけで動作する即発式の術具なんかは大体扱えるし、充填型にアトマを補充したりも出来る。だから、ここの風呂釜も」
多少言い訳染みた口調でそこまで一息に言ってから、
「……どういうことなの」
不意に真剣な面持ちを見せてきた従士の少女に対して、俺は続けるべき言葉を失っていたのだった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます