5.神殿従士への願い


「というか……これだけはっきりと、注視してなくてもアトマを感じさせるレベルなのに術の発動が不可能って……出力が高過ぎて、制御に難アリってこと? でもそれなら、アトマの消費上限が低い初歩の呪文まで使えないなんてことは……しかもあの、『煌炎の魔女』が師についていながら? そんなことって、あり得るのかしら……」


 いみが、わからない。

 俺には、彼女の言っていることの意味が、まったく、これっぽっちもわからなかった。


「ねえ、フラム」

「え……あ、な、なに?」


 わけのわからないことばかり言われてしまったせいか、受け答えまでおかしくなっている。

 それもこれも、全部この神殿従士の少女が、こちらの事情にくちばしを突っ込んできたせいだ。


 ……そうだ。

 彼女は神殿従士だ。魔術士ではない。

 部類的には神術士にカテゴライズされる。


 だから彼女の知識とか常識は、あちらよりで当たり前だ。

 だからこちらのことならば、彼女よりは、あの人の教えてくれたことの方が――


「ちょっと――貴方、聞いてるの!?」 

「う、うわっ!? な、なんだよ、こんな近くで大声出して……」 

「なんだよ、じゃないでしょ。話の途中で急にぼけー、ってなるんだもの。そりゃあ、先に私が考えごとをし始めたのは悪かったけど」

「え? 俺……今、そんなにぼうっとしてたか?」

「してた……というか、これじゃ駄目ね。文字どおり話にならないか」

「話にならないって――うぉわっ!?」


 こちらが問い返し終える間もなく、鞍上で不意にフェレシーラが身を翻すと、純白の下衣が鼻先を掠めていった。


 しゅたんっ。


「ふぅ……うん。やっぱり、人と話をするときは目線を合わせて、が基本よね」 

「いや、おまっ……いきなりあぶないだろ! 降りるなら降りるで、一声ぐらいかけろって……!」 

「あら、ごめんあそばせ。今のは確かにぶつかりそうだったものね。次からは気を付けるから」


 こちらの抗議の声もどこ吹く風とばかりに、戦槌と盾を鞍横のホルダーに掛け終えると、フェレシーラは俺の隣へと並んできた。 


 こいつ……ほんといきなりヒョイヒョイと動いてきて、心臓に悪いな。 

 高位の神殿従士を名乗るなら、もっとこう、落ち着きがあるものなんじゃ……

 

「それで、ここからが本題なのだけど」 


 もにょる俺の耳へと声が届く。

 同時にこちらの肩口を、なにかが「ふぁさっ」と通り抜けてゆく。


 ……見ればフェレシーラが、指で髪を掻き上げ額の汗を払っていた。


「貴方、この先の村には寄らずに森を出ていきなさい」 

「うん……へ?」 

「だから。ここで私と別れて、人目に触れずに近くの街を目指しなさい、って言ってるの」


 ……やばい。

 今のは、確かにぼうっとしてた。してた、けど…… 


「あー……フェレシーラ、さん……?」 

「うん、言いたいことはわかるから。そうしたほうがいい、訳を説明しろって言うんでしょう。ええ、と……」


 自らの発した言葉の唐突さに対する自覚はあったらしく、彼女はそう言うと、口元に手を当てて何事かを思案する仕草を見せてきた。


 いきなり人目を避けろだなんて言い出すからには、きっと余程の理由があるのだろう。 

 だが―― 


「私がこの『隠者の森』にやってきた理由。まだ、話してなかったと思うけど」 


 フェレシーラの行ってきた話の切り出しは、こちらの予想とは少し違っていた。


「そう言えば確かに、まだそこら辺の話は聞いてなかったけど……でも、何でそれと」

「私たち神殿従士はね。原則的に、単独行動は取らないものなの」 

「……ッ」


 いいから、まずは黙って話を聞け。

 そう言わんばかりに説明を強行されて、俺は止む無く彼女に従うことにした。


 正直に言えば、その強引さに反感を覚えないでもない。

 しかし、今の俺には色々と知りたいこと、知っておくべきことがあるのも確かだった。


 何故いきなり、この少女が俺を襲ってきたのか。

 何故この先、人目を避けてこちらが行動すべきなのか。


 ……何故この俺を見て、アトマで満ちあふれているだなんて、適当なことを言い出してきたのか。


「街中での見回りや警護、それに人々に害を成す魔物の討伐……どんな任務に就くにせよ、基本は神官ないし従士でのペアか、それ以上のチームで動く。それが教団員の常識」


 そう。

 それぐらいのことは、俺も知っている。教えてもらっている。 


 だからこれから彼女が話すのは、その『常識』の外の話。

 つまりは、今目の前にいる、


「例外は一つ。白羽根の階位に在る神殿従士――回りくどくなったけど、私の様な立場の……ちょっと特別な者だけが、特例として扱われているの」 

「……要は色々とごちゃごちゃいる教団員の中でも、あんただけは単独で動けるって話か」

「そうね。そういう認識で構わないわ」 


 意図的にキツめの言葉を選んだ俺に対して、フェレシーラは特に気分を害した風も見せずに、歩調を少しだけ速めてきた。

 それにこちらも、やや大股なって並びつく。


 チラ、と視線だけを少女が返してきた。


「まあ一人で行動出来ると言っても、基本的な仕事は変わらないから。私がここに来た理由も、そういった職務の一環ってわけね」 

「職務って言うと……今の話からすると、魔物の討伐ってヤツか」 

「せいかーい。さすがフラムくんお利口さん、たいへんよくできましたー」 

「茶化すなって……言いかたキツかったのは謝るからさ」 

「べっつにー。好き勝手やらせてもらってるのはホントのことだしー」 

「図星かよ。それで、その魔物の討伐とやらと、俺に人目を避けて森を出ろだなんて話がどう繋がるんだ? 魔物がいること自体が危険だってのはわかるけど」 

「そうねえ。なんて言ったらいいのか……」


 何事かを言いかねたかと思うと、再びフェレシーラはこちらに視線を向けてきた。


 今度のそれは、はっきりと目を合わせに来ている。

 ……なんだよ急に、そんなに人の顔をジロジロと見てきて。


「髪は暗めの赤色。見た目は十代半ばの少年。背丈は160㎝前後で、やや細身。目の色はこの地域では珍しく、鳶色」

「な、なんだよいきなり。人の――」 

「魔物の話よ。それもここ数週間で、何人もの村人を襲ってきたヤツのね。まあ、そいつには鋭い鉤爪と牙があったって証言もあるのだけど」


 は……?


「うん、そうよね。やっぱりそういう反応になるわよねぇ……」


 突然のことにフリーズ状態となった俺の目の前で、フェレシーラが困り顔となる。

 ……ええと。

 魔物関連で、その手のヤツとなれば――


「それってアレか。話に聞く、鏡像能力持ちの魔物――ドッペルゲンガーってヤツか……?」

「あら。流石は魔術士志望の男の子、ってところかしら。初めにここの村人から事情を聞いたときには、もっと単純な人間の少年を模しただけの魔物か何かと思ったのだけど」

「変身能力持ち――なら、シェイプシフターって線もあるか。でもそれだと……」

「人の姿を真似はしても、特定の人物の細かな特徴まで再現するのは稀――ってことは、調べたら出てきたから。なのでそれよりは……ねえ?」

「ねえ、じゃねえよ……!」


 いつの間にやら他人事な口調となっていたフェレシーラに、俺の声音は知らず知らずのうちに怒気に染まっていた。


「それでかよ! それであんた、いきなり殴りかかってきたのか! なんでそんな厄介そうな話、今まで黙ってたんだよ!」

「それは……当然ながら、貴方がその魔物かもしれないからよ」

「そこは、しれなかった、だろ!」

「そんなこと言われてもー。私、魔物にはそこまで詳しくないからまだわかんないですしー」

「猫かぶってないで、信用しろって! 大体そいつが――」

「うん。そこは、する」

「……っ!」


 不意に……少し前に進んでいたフェレシーラが立ち止まったので、俺は言葉を詰まらせた。


「するの、かよ……」

「ええ。信用するわ」


 思わず疑ってかかった口調となったところに、少女の宣言が重なってきた。


「調べた分には、シェイプシフターのほうに関しては、見た目を人間に似せることは出来ても人間性までは難しいと記されていたし。ドッペルゲンガーについては、まずは写し見をした相手を真っ先に狙って、成り代わろうとする習性があるんでしょう?」

「あ、ああ。てかあんた、俺より詳しくないか……?」

「そりゃあね。幾ら専門でないと言っても、討伐対象にした相手の情報収集は基本よ。基本」

「う……そっか。実際に闘ってなんとかするなら、知らなかったじゃ済まないもんな」

「そういうこと。それに、もし貴方の正体が魔物だったなら……いい加減隙を見て襲い掛かってきてるんじゃないかしら。例えば、今さっき私がフレンから降りたときとかにね」

「……誘いだったのかよ、アレ」 


 その言葉に、俺は思わず苦虫を噛み潰した表情となってしまう。

 フェレシーラはといえば、肯定も否定もしてこない。

 ただ悪戯っぽい笑みを浮かべて手綱を引いているだけだ。

 暫しの間、俺は口をつぐみ彼女の後に続いた。


 なんと言うべきなのか……

 フェレシーラの言葉には、こちらを納得させるだけの力があった。

 

 実戦で培われてきた知の力。

 魔物の溢れる世界で生き抜く為の力、と言い換えてもいいだろう。

 それは塔の中で蔵書を読み漁ってきた俺にはないものだ。

 

 彼女からしてみれば、俺は子供の様に頼りない半人前そのものに違いない。

 違いない、だろうけど……


「さてと。そういうわけだから、貴方とはここでお別れよ。道中、もし自分のそっくりさんと出会っても……今度は慌てず騒がず、ちゃんと走り抜けてみせなさい」 


 数分ほど歩いて分かれ道に出くわしたところで、彼女は愛馬の背を叩いてみせてきた。

 

 それは何も、俺に対する親切心からのみで口にした言葉ではない。

 このまま俺と一緒にいるのを人に見られでもすれば、必ず一悶着起こってしまうからだ。

 

 このまま俺について来られても迷惑になるだけだという事実を、わざわざ口にせず、別れようとしてくれているのだ。

 だが俺は……

 

「じゃあね、フラムく――」

「フェレシーラ」


 今まさにこの場を駆け去ろうとした、彼女の名を口にすると――

 

「あんたに、頼みたいことがある」


 俺は一縷の望みを賭けて、彼女からの温情を跳ねのけにかかっていた。



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