4.道すがらの告白

 

 緩やかな勾配で原野に裾を伸ばす山肌を越えると、そこには緑鮮やかな林道が広がっていた。


「つまり貴方――あのマルゼス・フレイミングから破門を言い渡されたばかり、ってこと?」

「ま、まあ、端的に言うと、そういうことになるな……」

「なるほど。それで『師匠だった人』……ってわけか。そういう話なら、まずは納得ね」


 こちらの掻い摘まみくった説明に、従士の少女はそう言って馬上からの頷きを見せてきた。


 あれから再び川に寄り土埃を落とした後、俺は彼女との和解を兼ねた情報交換を開始していた。

 

 真昼の日差しと雑多な木々の境目を行くその姿は、差し詰め女騎士とそのお付きの従僕といった感じだろうか。

 先程までの緊迫した空気はどこへやら、少女はマイペースに手綱を操っている。


「なーんだ。それじゃ私、あんなに必死になって謝る必要なかったんじゃない」

「いや、そこは必要あっただろ……こっちは危うく撲殺されかけたんだぞ」 

「だからそこは、ごめんなさいってば。さっきも言ったけど、勘違いだったのよ」 

「勘違いであそこまで出来るだなんて、ちょっと俺には理解できないけどな……」


 あまりにあっけらかんとした彼女の返答に、俺は気の利いた皮肉も言えないまま歩み続けてしまう。

 なんていうか、この感じ……


「なあ――あんたまだ、俺のこと疑ってるだろ」 

「あら、バレちゃった? 意外と鋭いのね」 

「そりゃあ、これでも魔術士を目指していたからな。なんとなく、気を張られているのぐらいはわかるよ……はぁ」


 これまた悪びれない返しを前に、今度は流石に溜息が出た。


 まあ、問答無用であんな物騒な真似に及んでくるような相手だ。

 ここは仕方がないと割り切って――


「フェレシーラよ」


 不意にやってきた涼やかな声に、思わず脚が止まる。 

 視線を動かすと、そこには手綱を緩めて青い瞳を伏せる少女の姿があった。


「名前、まだ教えてなかったでしょ。フェレシーラ・シェットフレン。ついこの間十七歳になったばかりだけど……これでもれっきとした、レゼノーヴァ公国聖伐教団、公都アレイザ所属の白羽根神殿従士よ」

「ああ……それはまあ、わかってたけど」


 やっぱり、年上だったか……

 なんてことは口に出来ずに、俺は決まり悪く頭を掻いた。


 先手を打たれてしまった。

 ただの自己紹介だと言うのに、何故だかそんな風に思えてならなかった。


「フェレシーラ、か……」

「珍しい名前だってよく言われるわ」

「あー。そういうのは、あんまり俺にはよくわかんないけどさ……」

「けど?」 


 言い淀んでいるところに、少女からの……フェレシーラからの、問いかけがやってきた。

 考えるまでもない、明らかな催促の言葉だ。

 

 仕方がない。

 つまらないことに拘るのは、もう止めだ。

 流石にここは、しっかりと返しておくのが礼儀というものだろう。


「俺はフラム。フラム・アルバレット。十五歳。知ってのとおり、ただの宿無しだよ」 


 少しだけ悩んでから、俺は彼女に倣う形で名乗ることにした。


「フラム……フラムくんで、十五歳ね。うん……?」

「? あれ。もしかして、こっちもそこそこ珍しい名前だったりしたか?」

「あ、いえ……そうね。確かに、少し珍しい名前だとは思うけど。今までに一人二人ぐらいは聞いた気もするし……そこそこ、ってとこなんじゃないかしら」

「なんだよそれ。べつに、名前の珍しさで競い合ってるわけでもないだろ」


 妙に細かいその言い草に可笑しさを覚えて、俺は思わず苦笑してしまう。


 そんな様子が目に入ったのだろう。

 それまで小首を傾げていたフェレシーラもまた、こちらに視線を合わせてくると、クスクスとした忍び笑いを見せてきた。


「さっきは本当に、ごめんなさいね」

「べつに。もう気にしてないよ……」

「あら。怒らないのね。貴方にはその権利があると思うのだけど」

「権利って……そりゃいきなり鈍器は振り回してくるわ、派手に転がされるわで驚いたけどさ。結果的には、こうしてお互いに無事だったわけだし」

「そうね。お互いに無事だったのは、確かにいいことね」

 

 こちらの言葉を鸚鵡返しに、フェレシーラが再び手綱を動かし始めた。

 そうして俺たちは、夏風の吹き抜ける林道を黙々と歩み続ける。


「ところでだけど……フラムくん」 

「フラムでいいよ。俺も勝手にフェレシーラって呼ばせてもらうから。それぐらい、いいだろ?」

「勿論オーケーよ。お詫びの代わりってことにしておいて」 

「了解。それで? 話を遮って悪かったけど、なにがところでなんだ?」

「ああ、そうそう。ところで君……あんまり魔術士の弟子っぽく見えないわねって。そう言いたかったの」

「ぐ……っ!」


 ちょびっとだけ気になりましたー、みたいな風のフェレシーラの疑問を前にして、俺は不覚にも呻き声を上げてしまう。


 ……落ち着け、フラム・アルバレット。

 ここで効いた様子を見せてしまっては、要らぬ追撃を受けてしまうだけだ。


「そ、そうか? 自分ではそれなり以上に、魔術士っぽいと思ってるけどな」


 少女からの問いかけに、俺は可能な限り素早く平静な面持ちとなると、『質問の意味がわからない』といった風を装って見せた。


「ふーん。その割に私から逃げ出そうとしたときには、魔術の一つも使ってこなかったみたいでしたけど?」 

「うぐ……っ!」


 そんなこちらの対応を受けて、フェレシーラが鋭い指摘を飛ばしてくる。


 くっそー……

 多少は打ち解けた雰囲気になったかと思った途端、人が気にしてることをずけずけと言ってくれやがって。


「あ、あれはちょっと、なんて言うか……あのときは、いい術法がパッと出てこなくってさ。俺、実際に戦うのって初めてだったし」

「へー。そうなんだー」


 如何にも苦し紛れといった回答には、今度は特に何も言って来ない。

 ……ああ、もう。

 やっぱこうなるか。


「はぁ……仕方ないか。そりゃ仮にも『煌炎の魔女』の弟子だったなんてヤツが、あんな無様な姿さらしてたら……気にするなって言うほうが無理だよな」 

「うん。そゆこと。出会っていきなりでこんなこと聞くのもアレかなって思いはしたんだけど……流石に気になっちゃって」 


 そう言うと、フェレシーラは無駄にいい笑顔でこちらに微笑みかけてきた。

 それきり、少女はなにも言ってはこない。


「ああ、もう……わかったよ。話せばいんだろ、話せば」 


 悪く言えば図々しい、よく言えばストレートであけっぴろげなその反応に、俺は早くも根負けしてしまう。

 

 飽くまでこれは、情報交換の一環だ。

 そう思えば、多少の身の上話に興じる程度、さしたる抵抗もない。


「気になるっていうなら、ちょっとだけ話すけどさ。大して面白い内容なわけでもないから、そこは予め断っておくぞ」

「ごめんなさいね。でもありがとう、嬉しいわ。あ、それとね?」

「……?」


 鞍上より自ら話の腰を折ってきたフェレシーラを、俺は不思議に思い見上げる。


「貴方のこと無様だなんて、私まったく思わないわ。私の初撃を躱しきった反射神経といい、そこからすぐに逃げに回った判断の素早さといい、『鈍足化』への対応といい。結果はまあ、ああだったけど。魔術士のイメージとはかけ離れた動きだったから、こうして尋ねてみたっていうのもあるもの」

「……なるほど、な」


 にこやかに告げられてきた澱みの無い賞賛の声に、今度はこちらが押し黙る番だった。


「……言っとくけど、そっちの事情もしっかりと説明して貰うからな」 

「勿論、喜んでそうさせて貰うつもりよ。本気で貴方には悪いことをしたと思ってるから」

「ほんとかよ……」


 にっこりと笑う少女を前に、俺は話の出だしに迷いつつぽりぽりと頭を掻く。


 この流れでは、あんな醜態を晒した理由を言わないわけにもいかないだろう。

 ここは一つ、覚悟を決めるとしよう。


 すぅ、と軽く息を吸いこんで、それから俺は一息に彼女へと告げた。


「使えないんだよ、俺。魔術っていうか、術法全般そのものがさ」


 その答えには、ぱちくり、とした青い瞳の瞬きが返されてきた。 


「使えないって……あ、呪文の覚えが悪かったとか、そういう感じ?」 

「違う」 


 即座に口をいて出てきた否定の言葉に、フェレシーラが首を傾げる。


 こちらが言っている言葉の意味がわからない。

 そんな感じだ。


 しかし、彼女がそんな反応を見せてくるのも無理はない。 


「発動が出来ないんだよ。術法の種別、難度に関わらず、どれだけ練習してもさ」 

「発動出来ないって……正規の詠唱で術法式を練ってアトマを注いでも、術法を完成させられないってこと?」

「そう」 

「本当に、初歩の初歩の……例えば、『照明』の魔術とかでも?」 

「ああ」 


 必要最小限の回答を行うこちらに対して、


「……驚きね」 


 フェレシーラはそんな言葉を口に、納得していない風の眼差しを向けてきた。


「なんに驚くって言うんだよ。あんただって言ってただろ。俺のこと、魔術士の弟子っぽくないって」

「それは飽くまで、外見上のイメージというか、さっきも言ったように動きを見た感じというか……ううん。違うか。今は、そういうことを言いたいんじゃなくって」 

「じゃなくって、って。なら、一体なんだって言うんだよ」 


 口調がどんどん刺々しくなってゆくことを自覚しながらも、俺は我慢出来ずに言い返してしまう。


 頭の中が、やっぱり話すべきじゃなかったとか、そんなこと一々言われなくてもとか、くだらない考えで一杯になってゆく。


 思考がどんどんと、ネガティブになってゆく。

 足元が、何故だか木目の板に見えてくる。


「だって――だってフラム、貴方」 


 そこに声がやってきた。


 はっきりとした、何事かを強く伝えようとするその声に、俺は顔をあげる。


「だって貴方の体……アトマで溢れているじゃない」 

「――」


 見れば鞍上には、きょとんとした表情の少女がいた。


「え……」

「え? じゃないから」


 フェレシーラと名乗ったばかりの少女が、何故、と言わんばかりの面持ちで俺を見つめていた。


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