3.投げ出された戦槌


 向かうは、先程までこちらがいた川方面。

 俺が唯一、多少なりとも地形を把握出来ている場所であり、同時に十分な泥濘と起伏を併せ持ったエリアだ。


 そこなら相手が馬で来ようと、己の足で来ようと――撒ける可能性は、十分にある!

 

 ……但し、それは悲しいかな。

『俺がこの少女を、スタートダッシュで引き離せれば』という仮定においてのみ、成り立つ話だった。


此処ここつかわし、其処そこれ――緩慢なる抱擁よ」

「んなっ……!?」


 背後から、少女の呟きが届いてきたかと思ったその瞬間。

 勢いよく地面を蹴った俺の目の前に、突如として乳白色のもやが立ち込めてきた。


 初めて目にするタイプの、神術の発動。

 厳しい修練を修めた神術士のみが行使可能なその御業みわざを前に、思わず驚愕の声がもれる。


 ていうかこいつ――いま何気に、呪文の詠唱、めっちゃ端折らなかったか!?


 俺と大して変わらないっぽい歳のくせして、事も無げに詠唱短縮だとか、やっぱ白羽根とやらはまともじゃないな……!


 何にせよ、このままでは不味い状況だろう。

 普通であれば進行上に先置きされた術法に突っ込んでいくなど、自殺行為に等しい。


 しかしこちらは既に、道を飛び出し草地に向けて駆けだしている。

 一度ついた勢いはそう簡単に殺せないし、殺したくもない。


 となれば――俺もアトマを体の前面に集中して、このまま強引に突っ切るしかない!


 神術が秘めた効果に関して、俺はそれほど知識を持ち合わせていない。

 だがそれにより如何な被害を被るにしても、ここで足を止めれば結末は見えているのだ。


 今度はきっと、大きく振りかぶってのフルスイングだ。

 それもおそらく、一番的の大きい背中への直撃コースに違いない。


「畜生……恨みますよ、マルゼスさん!」


 容易く追い詰められたことで破れかぶれとなり、本音が出たのだろう。

 師匠の名を口に、俺は両手を盾にして吶喊とっかんを開始していた。


 体が白い靄に包まれる。

 そう感じた矢先、靄は眼前から霧散していた。


 ガクン。


「――ぐっ!?」


 不意に俺の右脚が重みを増す。

 蹴り抜く筈であった踵が、大地に引き留められる。

 それで残る全ての部位がバランスを失い、上体が前へとつんのめる。

 遅れて、右の爪先が地面から解放されていた。


 おそらくそれは本来、標的の全身を覆うことで軽度の『鈍足化』を引き起こす術法だったのだろう。

 そう当たりをつけて、俺もその効果に抗うべき精神を集中させて飛び込んでいったのだが……

 

 やってきたのは、こちらの予想を上回る代物だった。

 一瞬にして消失したかに見えた靄は、その実、素早く俺の利き足のみに集中してまといつき、その効果を遺憾なく発揮していたのだ。


 対して俺は、体の前面広くにアトマを巡らせていた。

 広域防御と、一点集中で裏を掻きにきたひっかけ……


 否。


 おそらくこの神殿従士の少女は、こちらの動きをみてとり、一瞬にして『鈍足化』の神術にアレンジを加えてきたのだ。

 端から、勝負にすらなっていなかったのだ。

 

 それを理解したときには、既に俺の体は宙へと投げ出されていた。


 一瞬の浮遊感。

 続いてやってくる、前のめりでの転倒という無慈悲な結末。


「ぐふっ……!?」


 無様にも胸から地面と激突した痛みと衝撃に、息が詰まる。

 鼻先には土埃の臭い。

 目は、反射的に瞑ってしまっている。


 終わった。

 逃走は失敗だ。

 もうどうしようもない。


 肉体と精神の両面に受けたダメージから、藻掻くことすらままならない。

 少女との距離は、絶望的なまでに近いままだ。


 後はどれだけ苦しまずに『終わらせてもらえる』かを祈るより、他に術がない。

 そんな有様だった。


「……?」


 だが、いつまで経っても戦槌の一撃はやって来なかった。


 不審に思い、一度大きく息を吸う。

 それで、身を捩って背後を窺うことぐらいは可能になった。


 見れば少女は、右手に戦槌を握りしめたまま、俺の間近で立ち尽くしている。

 その表情からは、先程まで敵意は――

 

 いや、まだしっかりあるな、こいつ……!


「今……なんて?」

「……あ?」


 刺すような視線はそのままに問われて、俺は思わずガラの悪い声で返してしまう。

 そう睨むなって。

 こっちは痛いわ辛いわで、余裕がないんだよ……


「……ふぅ」


 そんな俺の様子に気付き、やりかたを変える気になってくれたのだろう。


「もう一度、いまキミが口にした言葉を、言いなさい」


 今度はもっと分かりやすく、それなりに丁寧に、彼女は俺に命じてきた。


 いや……いやいや。

 いきなりそんなこと言われても、ぶっちゃけスゲー言いにくいし。

 いまわの際の叫び声なんてものを、冷静になって口にしろとかどんな罰ゲームだよ。

 

 しかしながら、ここでまごついていても仕方ないだろう。

 地面に転がったままでは、状況が好転しないのは目に見えている。


 未だ標的を求めるように揺れ動く戦槌の圧に負けて、俺は少女の指示に従うことを選択した。


「恨みますよ、マルゼスさん、って……そう言ったんだよ」


 俺が再びその名を出した瞬間、少女の片方の眉がピクリと跳ね上がった。

 敵意が、急速に萎んでゆく。

 代わりとばかりに、すぐに形のよい唇が動いてきた。


「何故、キミがその名前を口にしたのかを……いえ。その人物と、君の間柄を言いなさい」

「おいおい……今の今まで人のこと叩き殺そうとしてた癖して、今後は質問攻めかよ……」

「いいから。場合によっては、謝罪だってちゃんとするから。今は私の質問にだけ答えて」

「んだよ、そりゃ……ったく」


 少女に反発する風を装いながら、俺は地に片膝をつき体を起こす。


 こちらが体勢を整える様子を見せても、彼女は動かない。

 ただ静かに、こちらの言葉を待ち受けている。


 仕方ない。

 見ず知らずの他人に話したいことではないが、ここは素直に答えておこう。


「俺の師匠だった人だよ……その、マルゼスさんは」

「!」


 それは正に、血相を変えるという奴だった。


 俺がボソリと漏らした言葉に、少女の顔から一瞬にして血の気が引いてゆく。

 そしてそのまま、切羽詰まった面持ちとなったかと思うと。

 今度はすぐに、こちらへと向けてツカツカと歩を詰めてきた。


「だった、って……!? まさか……まさかあのマルゼス・フレイミングに……『煌炎の魔女』の身に、何かあったの!?」

「あ、いや……そういう意味の、だった、じゃなくて――」

「じゃあ一体、どういう意味――い、いえ、失礼しました! まさか貴方が、マルゼス・フレイミングの弟子だとは思わずに……!」


 うっわ……

 この人、師匠の話になった途端に露骨に態度変わったよ。

 あ、戦槌と盾、思い切り放り投げた。

 そんな適当に投げて、お馬さんに当たったらどうすんだ。


「申し訳ありませんでした……! どうかこの非礼、お赦しくださいますよう……!」


 続いて少女は、こちら視線を合わせて両手を交差させる形で差し出してきた。

 そしてそのまま、微動だにしなくなる。


 ……これ、アレだ。

 昔、師匠に教えて貰ったことがある。

 中央大陸式の、最大級の謝罪の表現だ。


 ともすれば奇妙に見える謝罪のポーズだが……

 視線を合わせることで、口元を隠して術法の詠唱を行えなくする。

 両手を交差することで、暗器の類を保持していないことを示す。

 この二つを満たすことで、相手に争う意思がないことを伝えている……というわけだ。


 というか、よく見たら肩が小さく震えてるし。

 顔色にしても、ますます蒼白になっているし。

 

 教団きっての狂犬揃いとは何だったのか。

 捨てられた子犬の間違いではあるまいか。


 ……ダメだ。

 何かいきなり、自分が途轍もなく酷いことをしている気分になってきた。

 それもこれも、全部貴女のせいですよ、師匠……


「――はぁ」


 ここは一度、気持ちを切り替えていこう。

 誤解が解けたことを良しとして、仕切り直していこう。


 ここまで極端な真似をするからには、何か彼女なりの理由がある筈だ。

 恨み言を口にするのは、きっとそれを聞いてからでも遅くはない。


「取りあえず、こんなところで話すのもなんだし……まずは顔を上げてくれ。そっちに何か事情があるって言うのなら、後は歩きながらにでもしよう」


 そう言って俺は立ち上がると、少女の謝罪に勇気を振り絞り、握手で応えることにした。


 それまでよりも、若干強気の口調に切り替えつつ……




 

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