第30話

30 八月のオリオン



「...おい...。オシャレして来いと、言っただろ。」


佐々木の視線の先には、汚いパーカーに、ジーパン姿の私。


「え...これ、一張羅なんだけど。」

「嘘つけ!」


なんとなく、この服しかないと思ってしまった。


一年前の、あの日と同じ服。

ケータに初めて出会った、あの日の服装だ。


佐々木は納得いかない様子。

当たり前だろう。

佐々木は私とケータとの出会いを知らないのだから。


佐々木も聞いてこないし、私も今更語るべきことではないと思っている。


今日はサンクラのコンサートの日。


そして、佐々木との最後のデートの日。


ドームに隣接する公園には、一年前と同じ、楽しそうで、幸せそうで、キラキラ着飾った女の子たちであふれている。


この中に、優一と里美はいるのだろうかと一瞬視線を巡らせてみたけれど、到底見つけられる自信はなかった。


去年、二人の姿を見つけられたのは、奇跡的だったのだなと思い知る。


そうケータとの出会いも。


ケータの顔がプリントされたうちわを持っている子と、すれ違う度にドキドキしてしまう。


「はい。これ、二つ目のプレゼント。」


佐々木の言葉に視線を移せば、差し出された物に、思わずプッと笑ってしまう。


それはすれ違った子たちが持っていたものと同じ、ケータの顔がプリントされたうちわだった。


しかも、二つ。


「おまっ!笑うなよ!これ買うのに、何時間も並んだんだぞ!お前が来る前にだらだら汗かきながら並んだんだぞ!」

「そんなに並んだの!?しかも、なんで二つもあるの?」

「俺も欲しいからだ!」

「お前のかよ!」


やばい。


汗をだらだらと流しながら、キラキラしている女子たちに混ざって行列に並んでいる佐々木を想像したら笑いが止まらない。


「いや~。いいわ、ほんと。佐々木面白い。」

「...今更かよ!俺は前から面白いっつうの。ケータが相手じゃなきゃ、負けなかった。」

「それは...そうかも。」

「だろ!?誰がケータと戦えるんだよ。無理だろ。完全に無理だろ!よりによってケータだぞ!K-1選手と、勉強しかしてない中3が戦うようなもんだろ。」

「でも、いい勝負だったんだよ?」

「違うね。最初から負けてたね。そんなん、わかるもんね。」


佐々木が拗ねている。


ケータのうちわに向かって、なんかぶつぶつ文句を言っている。

今日の佐々木は本当に面白い。


ホールが開場して、ドキドキしながら、入場していく。座席は2階スタンド席中央の12列。悪くは無い。


見渡す限りの人。綺麗に着飾った女の子たちが、みんな笑顔ではしゃいでいる。

こんな汚いパーカーを着ているのは、私くらいかもしれない。


SUN CRUSHと書かれたバルーンがいくつもステージに飾られている。


ステージは広い。メインステージから伸びる花道。そしてアリーナの中央にセンターステージ。スタンド席からでも十分にステージを見渡すことが出来る。


もう少しでここにケータが立つのかと思うと、緊張してしまう。


開演までの時間が永遠の様に感じられる。


佐々木ももう何も言わず、ずっと隣に座っていてくれた。

そんな佐々木には1から10まで感謝しかない。


短い間だったけど、傍にいてくれたのが佐々木で本当に良かった。


佐々木と付き合えて、好きになってもらえて、本当に嬉しかった。


「佐々木」

「ん?」

「ありがとう。」

「ん。」


たったの5文字だけど 佐々木に1番伝えたい言葉だった。


フッと会場内の照明が落ちる。


一斉にワァ~っという、唸る様な歓声。スッと一筋の光がステージに伸びて、その先に四人のシルエットが浮かび上がる。


鳥肌が立つくらい、興奮していた。


マサ、ショウ、ヒロ。そして、ケータ。


ケータの姿を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされたかと思う程、苦しくなる。


私の全身が、全細胞が、ケータを好きだと叫び出す。


あぁ。こんなに、好きなんだ。


今でも、こんなに。


ステージの上で、強い光を放つケータ。


どんなに眩しくても、目をそらせない。

その全てを見つめていたい。


会いたかった。


すごくすごく会いたかった。


どんなに豆粒でも、どれがケータなのか、すぐにわかってしまう。

今、この空間に、同じ空間にいられる事が、ひどく幸せだった。


佐々木が不意に私の耳元に口を寄せる。


「俺は木下といられて十分幸せだった。だから今度はケータを幸せにしてやれよ。ケータだって、被害者なんだからな。」


爆音の中、ハッキリと私の耳に届いた佐々木の言葉。


驚いて振り向くと、もう佐々木はステージを一心に見つめて、こちらを見ることはなかった。


あっという間の三時間。


アンコールも終えて、会場が明るくなってしまっても、私は放心状態。


「げ!!!泣いてんの??」


佐々木に言われるまで、自分が泣いている事にさえ、気づけないでいた。


「げって何よ。げって。失礼でしょうが。」


終わった...。


終わってしまった。


なんか、手足の力が入らない。


「ごめん、佐々木...。なんか歩けない。」

「は!?どういう事だよ。っんとにもう!お前はばばぁだなぁ!」


悪態はついたものの、佐々木は肩を貸してくれる。


そして、ホールに隣接する公園のベンチにまで、なんとかたどり着き、座らせてくれた。


「くそ重たいです、みのりさん。30代にむけて、ダイエットなんてものを考えてみてもいいのかと思われます。」


自分の肩をわざとらしくさすりながら、佐々木はつぶやいた。


このベンチは...。


去年もここに座ったっけ。

最低最悪な気分で。


そして、ケータと出会ったんだ。


喧嘩を買わない私を本気で心配したような佐々木は、


「おい大丈夫か?なんか飲む?コーヒーでも買ってくるか?」


と、相変わらずの優しい瞳で私を覗き込む。


「うん。ありがとう。なんかお高いコーヒーが飲みたい。」


私の返事に安心したようにクッと笑って、


「はいはい。お高いコーヒー買ってきてやるから、ばばぁ、ちょっと待ってろ。」


佐々木の姿が暗闇に消えて行く。


傷をもう一つ増やしたはずの佐々木はどうして今もあんなに人に優しくできるのだろう。


人として、尊敬する。


そして、そんな佐々木が用意してくれた、今さっきまで見ていたステージに思いを馳せる。


はぁ...。


ケータかっこよかった。


あんなに素敵な人が、この世に存在してもいいのだろうかと思うほど、かっこよかった...。


佐々木の言う様に、私にケータを幸せにする力なんてあるのかな。


ケータが私を幸せな気持ちにすることは数あれどその逆なんて。


駅まで流れて行く人の波を、ぼんやりと眺めている。


好き過ぎて、おかしくなる。


好き過ぎて、どうにかなってしまいそうだ。


だんだんと、少なくなっていく人の波。

昼間の喧騒が嘘のようだ。

人が少なくなるにつれ、聞こえてくるのは蝉の声。

あぁ。去年もそうだった。


それにしても、佐々木遅いな。

お高いコーヒーなんて冗談なのに。缶コーヒーで十分なのに。


どこまで買いに行ってしまったんだろう。


そのうちに、誰もいなくなってしまった公園。


去年もこうして、人がいなくなっていく様子をボ~っと眺めていたっけ。


世界一不幸な気持ちで。


...いや、ちょっと遅すぎでしょ。


佐々木が帰ってこない。


何だよもう。

さすがに今日は、こんなとこに一人じゃ、怖いんですけど。


佐々木を探しに行こうと腰を浮かせた瞬間、グッと後ろから肩を掴まれる。


佐々木!?と思って振り返ってみると その人は明らかに佐々木…


...じゃ、ない。


帽子を目深に被った、柄の悪そうな男。


「お姉さん、一人?俺らとちょっと遊ばない?」


男は、気味悪く口の端を上げて笑う。


じとっと噴き出した汗は、暑さのせいではないかもしれない。


「...遊ばない。」

「そんな事、言わないでさ。暇なんでしょ。」


これはちょっとまずいかもしれない。よく見ると、木の陰に仲間が何人かいるようだ。


「お姉さん、可愛い顔してるよね。サンクラのファン?コンサートに来てたの?」


男は親しげに、隣に腰かけてくる。


私は反射的にもう一度立ち上がろうとしたけど、グッと肩を仲間に押さえられてしまう。


怖い!


「もしかして出待ちでもしてんの?もうとっくにメンバー出てったよ?」

「違います!人を待ってるんです!」

「さっきから、ずっと待ってんじゃん。もう行っちゃおう!」


そこに他の仲間たちもゾロゾロとやってくる。


「大~丈夫!楽しいトコ行こ?」

「やだってば!!」

「ムダなテーコーで~す♪」

「やだ!...佐々木!!」


どうにもならなくて、帰ってくるはずの人の名前を呼んでみる。


「佐々木!助けて!佐々木!!」


その時、男達の隙間から、力強く私の腕をひいて、救い出してくれる手が現れた。


「走れ!!」


私は、その手に従い、走る。


公園を抜け、表通りを抜け、その手が導くままに走り抜ける。


私の手をひく誰かが、誰であるかは走っている最中に気づいた。


気付いて、胸が張り裂けそうだった。


「だから!!何度言わせんだ...!!あんなとこに、一人でいたら危険だって!」


限界まで走って、やっとたどり着いた懐かしいマンションの下。


肩で息をしながら、ケータは言う。


ケータだ。


ケータが来てくれた。


ケータが、私を助けてくれた。



フゥ~っと、息を整えるケータ。私の息はまだまだ全然整いそうにない。


何かを考えるより先に、呼吸をする事に神経を集中しないと、死んでしまいそうだ。


「あと...言い直せ。」

「...え?...は...??」

「あそこは。佐々木!助けて!じゃなくて、ケータ!!助けて!だろ?」


ケータ...もしかして、焼きもち妬いてるのかな...。

酸素が欠乏中で、頭が回らない。


「だって...ケータが、来る、なんて、思わなかった、し...。」

「お前がピンチの時に助けるのは、俺だろ。」


月明かりの下、とんでもなくかっこいい事を言う。


乱れた髪で。


汗ばんだ肌で。


この人はどこまで私をときめかせれば気が済むんだろう。


「とりあえず、上がれ。話は後だ。」


ケータの大きい背中を追って、久しぶりのケータの部屋に向かう。


「なんで。なんで、来てくれたの?」

「言っておくけど。佐々木に言われるまでもなく、俺はあのベンチに行くつもりだったからな。」

「...佐々木?」

「あいつも無謀だよな。《関係者受付に佐々木って奴が、来てるんですけど。》ってスタッフに言われた時は、誰だよって思ったけど、顔見たら見覚えがあった。」


そうか...。


ケータと佐々木は、お祭りの時や、ケータが会社に来た時に顔を合わせている。


「あんたのせいで振られたと、散々文句を言われたよ。K-1選手となんか戦えないと。俺は勉強のできる中3だとか...なんの話だ?」

「...さぁ...。」


...佐々木...。

そんな話、ケータに通じるわけないのに…。


わざわざの説明も憚られるほどだったので、聞き流しながら心の中でクッと笑う。


「面白い男だよな。みのりを置いてきたから、迎えに行けって言われた。あと高いコーヒーをおごってやれってな。」


佐々木、もしかして初めからそのつもりで…?ほんとに無謀すぎる。

佐々木らしいけど。


そんな無謀な佐々木の言葉が脳内でリフレインされる。


ケータを幸せにしてやれと。


「だから、よくわからないけど、うちにある一番高いコーヒー淹れてやる。」


そういって、キッチンに向かうケータ。


私は、その背中に、思わず抱き付いてしまう。

ほのかな汗のにおいに、頭の芯がくらくらする。


そう、出会ったあの日も私の為にケータは走ってくれた。


「コーヒーなんて、いい!ケータ、聞いて!聞いて欲しい話があるの!」


私はずっとずっと、吐き出せなかった想いをぶつける。


ずっと言えなかった言葉。


ずっと言いたかった言葉。


「ケータ、私、ケータが好きだよ。ケータとずっと一緒にいたいの。一緒にいても、いい?私はケータを幸せにできるかな?」


ケータは、お腹に回した私の手に、そっと自分の手を重ねる。


「...一緒にいるだけじゃ、嫌だね。今まで散々我慢したから。抱きしめたい。キスしたい。それでもいい?」


そう言って笑うケータは、悔しい程にかっこいい。


「私も、ケータを抱きしめたい。ケータが好きなの。すっごく好きなの。」

「うん。知ってる。一年前から。」

「...嘘。一年前は好きじゃなかったもん。」

「俺は好きだったよ。泣いてる汚いパーカー姿見た時から。」


私はケータの背中をパシッと叩く。


「汚いは余計でしょ!」


ケータは幸せそうに笑う。


そして、改めて、私に向き合い、私をその腕の中におさめる。


ケータの腕の中は広くて、あったかくて、幸せだった。


「ケータってオリオンに似てるよね。」

「オリオン?星座の?」

「うん。力強くて、優しくて、悲しい想いを背負ってるのに、冬の夜空の中心で輝いてるの。」

「それが、俺に似てるの?」

「そう。オリオン座ってね。冬の星座ってイメージが強いけど、8月にも夜明けにオリオン座が見えるんだって。」


カオルから聞いた話の受け売りだけど、どうしても、ケータに伝えたかった。


「...じゃあ、一緒に見るか。夜明けのオリオン。27歳になったみのりとな。」


そう言うと、ケータは私の唇にキスを落とした。


深い深いキス。


これから、ずっと一緒に見たいな。

一緒に見れるよね。


八月のオリオン。

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八月のオリオン @salmon_blue

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