第3話 「敗北」という名の実績

 1980年。六歳(現在の表記では五歳)になったプリテイキャストは自己条件のダート戦を三戦して一旦降級していたオープンクラスに舞い戻り、返す刃で重賞ダイヤモンドステークスに参戦し二着に七馬身差をつける快勝で待望の重賞初制覇を達成した。いよいよ本格化か、と思わせたのもつかの間のことで初挑戦の天皇賞(春)では格の違いを思い知らされる十五着に沈み、休養を挟んて夏の北海道に遠征したプリテイキャストは当時は未だダート戦であった札幌記念で二着に入るなど勝てないまでも相応の好走を見せ、秋の大舞台へ向け立て直しに成功する。

 その後、秋の初戦として毎日王冠に出走したプリテイキャストは強い相手との戦いとなったもののここでも三着に食い込み、今度こそはという陣営の期待も込めて前哨戦である秋の目黒記念(当時は春秋の二回開催で、現在のアルゼンチン共和国杯に相当)に出たまでは良かったが、ここでも最下位入線という結果に終わった。

 当然ながら、より強い相手と戦うことになる天皇賞(秋)に出たところで勝ち目など思い浮かぶはずもなかったが、当年の秋天は前年のダービー馬で前述した秋の目黒記念を快勝したカツラノハイセイコと怪我に悩まされながらも本格化を感じさせる走りを見せていた大器ホウヨウボーイの一騎討ちと予想されていたためゲート割れは確実視されており、実際に出走を予定していた馬もプリテイキャストを含めても十二頭ほどしかいなかったこともあり、負けて元々と参戦が決められる。



 伝説は、ゆっくりとその形を整えつつあった。



 天皇賞(秋)を目前に控えたプリテイキャストの調教での動きは絶好で、一番人気に支持されていたカツラノハイセイコを凌ぐ破格の時計を記録していたのである。更に秋天に出走を予定していた同じ逃げ馬のハシハリーが直前で急遽回避することになり、逃げ争いを心配する必要もなくなったことで陣営は幾分か前向きな気持ちでレース当日を迎えた。とはいえ、必勝の確信があったかと言えばそういうわけでもなかったに違いない。うまく逃げられれば二強に食い込めるかもと言うのが本音であったように思える。

 当時のファンも似たような考えであり、プリテイキャストの単勝人気は17.9倍の八番人気に過ぎなかったが、冒頭でも触れたように直前の調教の良さや単騎逃げの展開の利を察知した一部の競馬記者からは本命に推されていた。しかし、予想が多数派の心に届くことはなく、ゆえに誰もが油断しきっていた。それが一定のレベルに到達していた逃げ馬にとり最大級の有利な条件となることにも気づけないまま。

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