第2話 偶然は必然と結ばれる

 プリテイキャストが生まれたのは1975年のことだった。生産者の吉田牧場は2024年現在日本最大の競走馬生産組織社台グループ代表を担っている吉田家とは縁戚関係にあった名門牧場であり、古くはTTGの一角として名高い名馬テンポイントを輩出し、さらに以前には「クモワカ(丘高)伝貧事件」の当事者として馬産の在り方に一石を投じるなど様々な功績を残したことでも知られている。

 そんな吉田牧場がプリテイキャストの生産者となったのは偶然によるところが大きい。母親のタイプキャストは競馬界で格式と栄誉を誇るエクリプス賞を受賞したほどの名牝として活躍、引退後はアメリカで繁殖入りしたものの馬主で牧場主だった人物が事故で他界し牧場は閉鎖、所有馬は全て売却されることになったのだった。

 その話を聞きつけた当代の吉田牧場の主はこのチャンスを逃したくないと考え自ら渡米し、72万5000ドル(当時の日本円で二億円超)もの巨費を投じて購入する。成績もさることながら血統も良く繁殖牝馬として文句のない馬体を持っていたタイプキャストには様々な種牡馬が付けられ可能性を模索されることになった。

 そんな中で選ばれた父カバーラップ二世は競走成績こそ振るわなかったものの伝説的名馬ハイペリオンに連なる血統と馬格の良さを見込まれて吉田牧場で種牡馬入りした経緯があり、結果としてこの見立ては当たりカバーラップ二世からは続々と活躍馬が登場していったのである。牧場期待の繁殖牝馬であったタイプキャストの相手にカバーラップ二世が選ばれたのは必然であり、こうして誕生したのがプリテイキャストであった。

 母タイプキャストに似た面影を見せていた幼き日のプリテイキャストは早速将来を嘱望されていたものの、元々小柄でどうにもならない体質の弱さに悩まれていたらしくデビューは予定より大幅に遅れた上、当時の牝馬にとって最大の目標であった春クラシック二冠にも間に合わずに終わる。順調にレースを使えなかったプリテイキャストはそのままひっそりと引退もあり得たのであるが母タイプキャストも遅咲きの馬であったことから、ひとまず現役を続行することとなった。



 プリテイキャストはその後自己条件をうろうろしながらも少しずつ実績を積み重ねていく。体質が弱かった上に気性が難しく、更には馬込みを恐がるところもあったプリテイキャストは逃げ戦法に活路を見出していたが、戦績は安定せず一着二着に入ったかと思えば着外の連発といった具合であった。そんな事の繰り返しであったことから穴狙いのファン以外からの支持はさほど芳しいものではなく、古馬牝馬も絶えず牡馬に交じって戦わねばならなかった当時のレース体系を思えば、むしろ目を覆いたくなるほどの負け続きながら現役を続行していた名門出身のプリテイキャストは奇異に見えていたかも知れない。牝馬にとって大仕事は引退してからの子出しであるのは競馬関係者にとって周知の事実であり、他人事としてみれば血統的な問題もないのならさっさと引退して繁殖入りさせれば良いようにも見えるのであるが、プリテイキャストの調教師は根気強く成長を待つことを選び何度となく持ち上がる引退話を先送りにしていたそうである。何の確信もあったものではなかっただろうが、彼はもはや論理的には説明のしようがない一流の勝負師のみが持ち得る勘でプリテイキャストの変わり身を予知していたのかも知れなかった。



 そして、時の流れに揺蕩いながらプリテイキャストは運命の1980年を迎えることになる。

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