救われたいんだ僕は。

空間なぎ

第位置話

あーあ、死んじゃった。

そんなふうに軽く死ねたら楽だったのになーと思う。大学を卒業して日々を自堕落に生きてる今も、初めて絶望を味わった小学生の頃もずっと。


安定しないハンドルさばきで進むチャリのおじちゃんをベランダから見下ろしながら、僕は人生について考えていた。22年にわたって「生きる」で皆勤賞を取ってきた僕だけど、いよいよ明日こそは記録を途切れさせたい。クソったれな記録。マンションの3階という遠目から見てもサビているおじちゃんのチャリは、キィキィと耳障りな音を立てながら僕の視界を左から右へ通り過ぎてく。あのおじちゃん、今日は何食うのかなー。取り留めもない思考の海に浸っているのは楽だ。


22歳、無職、女、木多無為きたむい

もちろん偽名、本名であるはずもない。

本日はお日柄もよく、死ぬにはちょうどいい。

などと嘘をぬかしているのが、僕です。


都心にほど近く、僕の住む街はランキングで上位にくい込んでいる。競馬場があるおかげか否か、財政に余裕をうかがわせ駅前も公共施設も新品同然の白さを放っているのが特徴だ。最近では図に乗り、通り過ぎる通勤快速電車をわざわざうちの駅に停めようと議員が四苦八苦しているらしい。既に1本、東京へ直通の電車が走っているのに、強欲である。「住みやすさ」などと聞き心地のよい言葉を使っていても、結局のところ大事なのは大都会・東京にどれだけ近く、快適にアクセスできるかという1点に過ぎない。でなければ、ランキングに僕の故郷である田舎が入らないはずがないからだ。空気も飯もうまいし、景色だって海と山と川に囲まれて田舎最高。だいぶ思い出補正が入って美化された意見なのはご承知おきで。

建物と建物と建物に囲まれた、田舎の対義語としての都会に生きる僕の生い立ちはたった3行で片がつくほど単純であっけない。


田舎生まれ都会育ち。

両親の離婚で父親と同居して鬱。

おや、余ってしまった。


じゃあ最後はこうしよう。

嘘、戯言、虚言、妄言、空音が好きです。


事細かに説明しようと思えばできるし、幼稚園でユウトくんに告白されたとか高校で1週間不登校になったとかエピソードには尽きないけど、細かいことは割愛。そういう小さなひとつひとつが人生を作り上げているんだから自信をもて!とギラついた偉い人に怒られそうだな、無益のぼやき。


まぁつまりだ、要約すると僕はおかしくて普通じゃないという話。こうして希死念慮の隙間をぷかぷか浮いているのがせめてもの救いで、うっかり勢いのままに目の前の選択肢にハイと手を挙げてしまえば僕の皆勤賞は今にでも終わるのだ。皆勤賞以前に、人生が終わるけども。


立ち上がった拍子に膝にコードが引っかかって、無音を両耳に流し込んでいたイヤホンが落ちる。

僕の身体はヤンキー座りから前かがみの猫背になり、無駄に育った170センチの高さから世界を見下ろす。


平日昼間、無職とくれば次の言葉は睡眠か引きこもりの2択しかない。僕も例によって平日昼間、無職、引きこもりの堕落スロットを揃え、10月を迎えた外の世界をぼんやりとベランダから見ていた。イヤホンをなくした両耳で正午を告げるチャイムを聞くと、ペットもかくや正確な時刻で空腹を感じる。犬猫は正確な時刻で腹が減るのではなく、食べる時間を飼い主によってコントロールされているだけなので比喩も比較もできないな。


死にたいのに腹が空くのかお前は?と、脳内で父親からの怒声が響いた。これは正午を告げるもうひとつのチャイムであり、止めようがない。うちの町内に鳴り響く正午のチャイムを止めようがないのと同義だ。クレームを入れたら案外止めてくれるのかしらん?しないけどさ。


気怠い身体を動かし、部屋の片隅に放置された電気ケトルのスイッチを入れた。ただ単に「部屋」というと、僕の部屋が果たして大豪邸なのか六畳一間なのか考察のしがいがあって面白いのかもしれない。戯言をぬかしてみたが、特に意味はないです。正解は大豪邸にわりと近い。駅チカのタワーほどではない高層のマンション、その3階にある305号室の全部で7部屋あるうちの1部屋が僕の住処とされている。部屋の全貌はいかに!なんて煽られても、本に埋もれた部屋、この8文字で部屋の様子をすべて描写できてしまう。まぁ正確には敷きっぱなしの布団とか電気ケトルとか、ペットボトルの入ったダンボールとかもある。部屋は正方形に近く、ドアの対面に僕の唯一の出入口となったベランダが形ばかり存在している。綺麗な木目調のドアは僕がこうなって以降、誰もが手を触れない禁忌の扉と成り果てた。誰もが、なんて大袈裟な表現は避けるべきだな。実際には僕と父親がドアをドアとして扱わなくなっただけ。自分の部屋のドアを開ける、その行為に大きな意味を見出したくはないのに、世間がそう捉えるから僕はベランダに出て隣の部屋の窓を経由し、リビングや台所に忍び込んでいる。隣の部屋の窓の鍵を閉められたら禁忌の扉を開くほかないが、そんなことは一生ないだろう。僕も父も、僕に無関心だから。


僕の世界はここだけで、僕が息を吸えるのもここだけだ。


生きるのは苦手なんだ。

うそぶいてみたところで、それが真実であるかどうかなんて僕にも誰にもわからないんだから嘘をつく価値は果たしてあるのかとしばし自問自答した。嘘とはつまり、何の意味もないなら出勤の機会自体が与えられないのであり、出勤している以上はそこに嘘が存在する余地があったのだろう。逆説的な思考は得意だ、反対に逆説的な思考しかできないともいえる。なんて、あの通りすぎてったチャリのおじちゃんに言ったらどんな反応をするのだろう、少し考えながらケトルが鳴るのを待った。


無意識に布団の周りにリモコンを探して、そういえば捨てたんだったと思い出す。

それまではあったのだ、テレビ。若者にしては珍しく、僕はテレビっ子だったと自称。教育テレビから民放、アニメからドラマ音楽番組ニュース報道番組その他諸々たくさん見ていました、これは詐称。幼少期よりも、大学生の頃がいちばんテレビを見ていたことだけは自他ともに認める事実である。レポートのおともにちょうどよかったのだ、テレビのどうでもよさや雑音のペースそして羅列された情報が。

しかし、無職になってからはテレビから流れて来る音に耐えられなくなった。

番組と番組の隙間には必ずニュースが挟まれていて、日々のどうでもいい出来事から重大とされる出来事まで情報が流布される。それの、人が死んだ報道がどうしても嫌になってしまった。自死にしろ何にしろ、僕が代替できるのならば代替したく思う。

どうして代替できないのかと、世間がゴールデンウィークを騒ぎ立てる頃に考えた。


死にたい人が死に、生きたい人が生きればいいじゃないか。

その技術が、なぜない?

人類にとって、それは理想的なはずなのに。実際、自分の不要な物と誰かの必要な物をマッチングする技術は存在する。その逆もまた然り、だ。

なぜ、命ではそれができないのか。

もし神が存在するのならば、なぜ人類をそういう設定にしたのか。


やがて外の世界を歩く人々がみな傘を差す季節になって、ようやく結論に至った。

死にたい人と生きたい人が必ずしも同数とは限らない。

むしろ、生きたい人のほうが圧倒的に多いのではないか。

そう仮定するならば、納得するなぁと僕はテレビを捨てた。

僕の世界に、もう死ぬ人はいない。


ケトルが鳴る。

未開封のカップ麺を布団をめくり、段ボールの中をのぞき、探したが見つからなかった。在庫切れだ、僕は早々に諦めベランダに出る。ドアは今日も開かない。

ざらりとしたベランダの床を裸足で感じながら、隣の部屋の窓まで移動。そして窓を開け放ち、堂々と僕は家の中に侵入した。いつも通り抜けるこの部屋は、引っ越し業者のマークが入った段ボール箱が数個ばかり置かれているだけの物置だ。なまじ床がキレイなだけに、今日引っ越してきたばかりですと言われても大半の人は信じるだろう。僕の部屋を除く、305号室の残り6部屋は近所の家事代行のパートが掃除しているらしいとベランダから見下ろして得た噂話で知っていた。


父親と出くわすはずもない廊下を意図しない抜き足差し足で駆け抜け、目的地はキッチン。家事代行のパートと父親がどんな契約を交わしているのか知るよしもないが、うっかり遭遇してしまった際の動揺は計り知れない。無論、僕ではなく向こう側の。

幸いなことに、キッチンは今日もまっさらだった。モデルルームかと見間違うほどに生活感のない食器棚からシンク下、天然水と書かれた段ボール箱の中まで一切のちゅうちょなく確認したものの、肝心のカップ麺は見当たらない。ストックがすべて切れたという事実を受け入れるほかなさそうだと判断した僕は、仕方なく外へ向かう。


これまで、キッチンにカップ麺がなかった日はない。

ストックがつきそうになったタイミングで必ず補充されていたし、父親が律儀に僕の昼食および夕食を用意するとは思えない。有力なのは、家事代行のパートが代わり、うまく情報の引継ぎができなかったという見方か。まったく、賃金が発生している以上はきちんと業務を遂行してほしい。無職が言うと説得力が皆無だ。


最後に履いたのがいつかも思い出せない、真っ黒な父親のサンダルをつっかけて僕は玄関を出た。

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救われたいんだ僕は。 空間なぎ @nagi_139

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