第3話 鐘の街の様子を探りたいようです
さて、どこから始めようか。
昼間に行動したところで、すぐに何かが掴めるとは思えない。だけど、手がかりを探すためにも、街を隅々まで見て回る必要がある。案内所で情報を得るか、それとも、適当に歩いて偶然を期待するか。結局のところ、選択肢は多くない。
おかげで案内所も見えてきた。そこで街の地図をもらえば、これからの行動計画も立てやすいだろう。
「はい、こちらが街の地図になります。ご自由にお取りください」
案内所の窓口で、地図を受け取る。さっそく開いて、街の構造を確認してみる。
街の中心部には大きな教会がある。その教会を中心とするように、街全体が東西に分かれているようだ。
地図を見ると、北東の方角に大きな学院がある。研究機関だろうか?
もしかしたら、そこで何か有力な情報が得られるかもしれない。学者たちなら、この世界の仕組みについても詳しいはずだ。
南には市場や商業施設が集中している。人が多く集まる場所だから、耳寄りな噂が聞けるかもしれない。
北部には墓地や祭壇などが点々としている。う〜ん、そういったありきたりな場所には何か強敵がいるかもしれないし、最初の段階でうかつに近づく場所ではない。
東側は緑地が多く、山で奥まった場所のようだ。一方、西側にはジャスミンの住処があるスラム街。なんだか気になる。
あえて穴場を目指すのがツウってもんよ!
地図を片手に、東側へと足を向ける。
情報を少しずつ拾い集めて、街のことを把握していくのも悪くない。
仮想空間の居心地も案外悪くないような気がしてきた。周囲の観察を怠ることなく、NPCと関わっていくことが大切だ。
仮にゲートが閉じるようなことがあったとしても……またこじ開ければ良い。
♦
緑に囲まれた穏やかな風景。そこは住宅街のようであった。木々が生い茂る中に、ゆるやかな坂道が続いている。街の中心部からはやや奥まった地理的に孤立したような雰囲気が漂い、平穏な時間が流れていた。
錬はゆっくりと坂を上りながら周囲を見渡す。ここは街の他のエリアと比べても、特に落ち着いた空気が漂っている。人影も少なく、静かで、緑に囲まれた住宅街。汚染された匂いが充満するスラム街とは対照的だ。そんな中、遠くに見える教会が、周囲の景観と相まって荘厳な存在感を放っていた。
「いやー、絵に描いたような隠れ里って感じだな」とか呟きながら歩いていたら、ふと、一人の女性に出会った。坂の上の道を歩いている彼女と、すれ違う形で視線がバッチリ合う。
「すみません、ちょっといいですか?」錬は旅人らしく、自然な口調で声をかけた。
一瞬「えっ?」って感じで目をパチクリさせたけど、すぐににこやかに足を止めてくれた。長い金髪を風になびかせながら、ゆっくりと歩いている。
「こんにちは。初めて見る顔ですね。旅のかたですか?」
少女はふんわりと柔らかい声で話しかけてきた。錬は「おっ、これはラッキー」とばかりに頷いて、さっそく自己紹介を始める。
「あ、えっと……少しこの街の事情について知りたいのだがな、聞かせてもらえないか?」
とわざとらしく振る舞う。
「はい、生まれも育ちもこの街ですから。何でも聞いてください!」
どうやら、街の案内係のようなテンションで話し始める気らしい。
「ではまず、この街の成り立ちについて教えてもらえるかな。特に、あの教会について気になってるんだ。」
錬が教会の方を指差すと、少女の表情が一気に明るくなった。
「あの教会は、私たちの誇りなんです。この街に平和と安寧をもたらしてくれる、とても大切な場所なんですよ。」
少女は両手を胸に当てて、目を輝かせながら説明し始めた。
まるで舞台女優のような仕草で錬は思わず「おお、力入ってるな」と心の中でツッコミを入れた。
「聖アリオス教会は、この街に住む人々の救いと平和の象徴として存在してきました。単なるシンボルではなく、教会はこれまで世界の秩序を守り、人々の生活を支えてきたのです。」
彼女はこちらに振り返りつつ、木々の間から見える教会に手を向けて続けた。
「この代々受け継ぐ歴史は、遥か昔の『天穹の戦役』という大戦にまでさかのぼります。もちろん、私は古い書物を読んだだけで、詳しいことまではわかりません。ですが、その時代に教会の司祭たちが神聖な力で人々を導き、戦争の終結に貢献した話は有名で、両親からも物心ついた頃からずっと聞かされていました。でも本当なのですよ、『神の鐘』が街中に鳴り響くと、敵対する勢力さえ鎮めてしまうのです。」
錬は「ふ~ん」とわざとらしく大きく頷いた。
「なんだか思ったよりすごそうだね。あ、いや……フッ、すなわち『民の力の供給源』ということだろう?」
「そうなんです!一度話しただけでわかっていただけるなんて、私とても喜ばしい限りです!」
いちいち大げさな反応をされているような気もするが、僕も思わず調子に乗ってしまったせいだろうか。
だが収穫を得たのは間違いない。そして彼女に適当な答えを返し、別れの挨拶を意味深に行おうとした途端、振り下ろした右足が道路の水たまりに嵌まってしまう。
「バシャッ……!」
大胆にも僕だけが水を被った。
「だ、だ、大丈夫ですか……!?タオルご用意いたしますね。」
彼女が手渡したのは白くて上品なものだった。さわり心地も良く、汚れたズボンを拭くには非常にもったいない感じがした。少し申し訳ない気分になりながら軽く水分を拭き取ってから手渡す。
目が合った瞬間、よくよく見れば顔立ちもジャスミンと同じくらい整っていた。
♦
『昨日見に行った教会、もう一回確認しておこうかな。』
そう思い立って錬は住宅街を後にし、一人で教会へと向かうことにした。昨日は夕暮れ時だったけど、今日はもう少し明るいうちに見ておきたい。何か見逃していたかもしれないし、昼間と夜では雰囲気も違うだろう。そう考えながら、坂道をゆっくりと歩き始める。
坂を上りつつ、周囲を見渡すと、やっぱりこの街はどこかのんびりしている。緑が多くて、空気も澄んでいるし、どこか牧歌的な雰囲気だ。住宅街を通り抜けると、家々の間から教会の塔がちらっと見え始めた。
「やっぱり目立つなぁ、この教会。」
一歩ずつ進むうちに、街の中心にある広場が見えてきた。広場はそれなりに広くて、噴水が真ん中に立っている。水がキラキラしていて、ちょっとしたオアシスみたいな感じだ。周りには人がぽつぽつといて、観光客っぽい人もいれば、地元の人たちも囲んでいた。錬は一息つきながら、その風景を眺める。
「昨日は気づかなかったけど、この噴水、誰かがコイン投げてるのかな?」
少し立ち止まりながらも、先に上を見上げる。広場の向こうには、巨大な建造物――教会が堂々とそびえ立っている。やっぱりあれは、この街の象徴だ。
そして真下の方角より少し右側にある噴水。
僕の瞳孔にはパーティクルシステムのように映った。
巨大な建造物の前へと一歩ずつ近づいていたさなか、広場にいる周囲の人々は振り向いて『鐘の塔』へと一斉に見上げる。
「チリンチリン……」
中央にある時計の針が真上に差し昇り、午後6時を知らせる合図だった。
甲高い鐘の音が響き渡る中、錬はその音色に体が反応するのを感じた。まるで音の振動が空気を通して体内に直接入り込んでくるかのように。だが、それ以上の何か――
ただ、空間の「ゆらぎ」だけが彼の周囲で微かに揺れているのを意識する程度だ。
「おっと……来たか?」
錬は眉をひそめ、わずかな不安を覚えながら辺りを見回した。鐘の音が響くたびに、目には見えないが、空気や周囲の空間が揺らいでいるように感じられる。それが何を意味するのか、彼にはまだわからない。街のNPCたちは祈りを捧げる者もいれば、再び平然と歩き出して目の前を通り過ぎ去っていく者もいた。
「次元世界のゆがみ……ふむ、面白い。」
そう言いつつ、錬は自問していた。ジャスミンは教会に何かがあるというヒントをくれたが、あいにく自分の頭脳では答えがすぐに見つかることはないと感じていた。
それでも、空間に何らかの「ゆらぎ」を感じていることだけは確かだ。だが、その正体がゲートとつながっているのか、そしてこの街にどう影響を与えているのかまでは、現段階ではまるで見えてこない。
昨日の夕べ、日が暮れる間際にこの付近まで訪れたときも同じだった。
(なら今回は教会の前に向かおう)
手がかりを得るためには、内部を調査する必要があると考えた。しかし、彼の頭をよぎったのは一つの問題だった。
「僕は今のところ身分証も持っていないけど、門番に怪しまれたらどうすれば?」
錬は深いため息をついた。「身分証もないまま、正面口から教会に入るのはちょっとリスクが……」と思わずつぶやく。
門番に怪しまれて、あれこれ詮索されたらマズい。街の中心にある建物だし、さすがに中に入るには厳しいチェックがありそうだ。正面から入れなかったら、せっかく来たのに何の成果もなし。
「裏口とかあるんなら、こっそり入るほうがいいかもしれないけど、突破スキルなんて持ってないし、バレたら一発アウトだな……」
周りをキョロキョロしながら、他の手段を探してみる。もし運良く裏口を見つけて、うまく突入できれば教会の中を調べられるかもしれない。とはいえ、教会が厳重に守られてる可能性だってあるし、入ったところで罠とかあったらゲームオーバーだ。錬はそんなことを考えつつ、ちょっと悩んでいた。
「……やっぱ正面から行くしかないか」
結局、安全策を取ることにした。正面から堂々と入って、無理なら何事もなかったかのように帰る。それが一番だろう。そうすれば、最悪怪しまれたとしても、追い返されるだけで済む。うまくいけば、中に入れてちょっとでも何か手がかりが掴めるかもしれない。そう考えつつ、教会前の大きな石段を一歩一歩上がっていった。
教会の正面に近づくと、予想通り、門番が立っていた。銀色の鎧をまとった男性が、訪問者をじっと睨んでいる。ちょっと緊張しながらも、錬はできるだけ落ち着いた様子で門番の前に立った。
「何用だ?」
門番は低い声でそう尋ね、錬をじっと見つめてくる。錬は言葉を慎重に選びながら答えた。
「ここ、見学できるかと思って来たんですけど、特別な許可とかいるんですか?」
門番はしばらく黙って錬を観察していた。その視線には、どこか疑いの色があるように見える。「あれ、ちょっと怪しまれてる?」と錬は内心焦ったが、門番はやがて答えた。
「悪いが、ここは一般の見学は受け付けていない。許可証を持っている者だけが入れる。」
錬は予想通りの返答に、軽く頷いた。ここで無理に押し通そうとはせず、さらっと引き下がることにした。
「そうですか、了解しました。」
一礼してその場を離れる。やっぱりさっき住宅街で出会ったあの子を連れていけば通してもらえたのかな?
「何か他に方法があるはず……」
そう思いながら、錬は教会の周りをもう一度見渡した。もし裏口があるなら見つけ出して、そっちから入るしかない。教会の高い壁を目で追いながら、何か手がかりを見逃さないように注意深く観察する。すると、ふと視界に入ったのは、建物の脇に伸びる細い路地。そこには、ちょっと古びた感じの扉が見えている。
「もしかして……これ、裏口か?」
錬は慎重にその扉に向かって歩み寄る。ところが、その扉に近づいた瞬間、またあの「ゆらぎ」を感じた。空間が微妙に揺れているような、あの不思議な感覚だ。しかも、さっき正面で感じたものよりも、ここではさらに強く感じられる。
「ここにも何かあるのか……?」
錬は立ち止まって、扉をじっと見つめた。するとその時、頭の中で鐘の残響が唐突に聞こえてくる。
「……消えた?」
その出来事は一瞬のことだった。あたかも幻のように彼の視界には元の人混みが戻っていったのである。
♦
彼の所持品は一枚の大きめのコイン、ジャスミンから貰った小遣い、地図やパンフレットと合鍵のみであった。
「ふぅ……幸いにも鍵は落としてないようだ。」
ホッと息をつくとドアネジに鍵を差し込む。
「あれ……どっちに回せば?」
カチャカチャさせていると急に扉が開いた。この鍵を開ける時の感覚、なんだかプログラムの脆弱性を見つけるときのようだ。
そう、僕は不法侵入の逃亡者として。
部屋の中はがらんとしている。彼女が不在なのは全く予想外ではない。ここは単に秘密基地……いや避難所だと言っていた。部屋を開けておいたところで、誰かに侵入される心配はない。この中にいる限りは本当に安全なのだろうか?とりあえず家具や置いてあるモノを今一度調べるべきか。
ちょうど四方を見回してたところ、テーブルの上にある置き手紙が目に入った。
それは小さなメモ書きのようで、まるで同棲していた彼女が突如別れを告げる時のような雰囲気を醸し出していた。無論、僕らはまだ出会ったばかりだ。若干重苦しい空気が流れ始めていたが、気にすることはない。
『今晩は用事があるから、部屋の中で待機してて。』
ジャスミンが置き手紙に残していたのはその一言だけだった。
部屋の中で待機するという指示は、スラム街の危険性を案じてのことだろう。しかし僕はあまのじゃくな気質で、そう言われると外へ出たくなってしまった。まだ街中の探索も終わっていない。それにスラム街はいかにも重要な手がかりとかイベントに出会える場所じゃないか。だが急がず、夜の間は行動せずに彼女の助力を得られるまで待つべきだと思ったが、なぜか足はすでに玄関の外に出ていた。
彼女がまたお小遣いをくれるとも限らない。脱出するまでの間、自立も考えねば。
錬金魔術師、市場(マーケット)に君臨す @AlchemistofMarkets
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