第十章
多くの人や馬車が往来する大通り。大通りの中央の馬車道を通る馬車はその殆どが窓のカーテンを閉め切っており、カーテンの開いた馬車に乗る客も特に街の様子に興味は無いようだった。馬車で街を訪れる外の人間がこの街で降りることは殆ど無く、徒歩で歩いてこの街を通る人間も少ない。その為、この街の大通りを歩く人間は大抵がその街に住む人間だった。
そんな中を、フード付きのクロークを来た二人の人間が歩いている。一人はフードを深く被っており、もう一人は白銀のような髪を後ろで結んだ柔和そうな男だった。男は布に包まれた棒状のものを携えており、クロークから覗き見える靴の状態や手に持った荷物から、街の外から来た旅人なのだろうという事が見て取れた。
フードを被った旅人が早い歩調で先を歩き、男はその後ろを早足で付いて歩く。
「この街にはどれくらい滞在するの?」
「……さあな」
そう問いかけられ、殆ど答える気が無いといった様子で旅人が返した。声からして男だということがわかる。問いかけた男はその返答の煩雑さを気にしていない様子で「そっか」と言った。
やがてフードを被った男が足を止め、向かっていた方向とは別の方向へ歩き出した。もう一人の男は不思議そうにその向かっている先を見ると、転んでしまったらしい老爺が立ち上がれずに居るようだった。何の意思表示も無くその方へ向かって行ってしまったが、男はいつもの事だと言うように周りにある露店などを物色し始めた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……ちょっと立てなくてね……」
「手を貸します」
フードを被った男は、先程の男への返答で見せたそれとは違う優しげな声色で老爺に声をかけ、手を貸した。中々立ち上がれない老爺を見て、身体を支え立ち上がらせる。その様子は寡黙ながらも好感の持てる青年のようで、男の本来の善良さを表しているようにも見えた。
「ごめんね、ありがとう」
「いえ」
そのまま立ち上がらせた老爺の服に付いた土を払い、挨拶をしてその場を離れた。そのまま仲間の男が待つ場所へ戻ることも無く進み、それに気付いた男が小走りで合流した。
その後も二人の間に会話は無く、二人で旅をしているというよりも、ただ仲間の男が勝手についてきているような印象だった。
やがて宿の看板が目に入り、フードを被った男は何も言わずその建物へ向かった。仲間の男も何も言わないままそれに付いていき、二人で宿へ入った。
入口の左手にはカウンターがあり、そのまま進んだ先に二階へと進む階段。右手には大きめの食堂のようなスペースがあり、規則的に並んだ椅子とテーブルで数人の客と思われる人間が食事をしていた。
「部屋を一部屋借りたいんですが」
フードを被った男はカウンターへ向かい、肘をついた退屈そうな男にそう告げた。
「ベッドが二つの部屋は銀貨三枚からだよ」
「いえ、ベッドは一つで大丈夫です」
「……ああ?」
二人を見て案内しようとした男が、二人を見比べながら不思議そうにそう返した。
「一人部屋を一つ、お願いします」
その様子を見て、そう言い直した。男が厄介そうに頭を掻く。
「……そこの食堂を使うなら銀貨二枚、使わないなら銀貨一枚と銅貨六枚だよ」
「銀貨二枚でお願いします」
「はいはい。階段を上がって右手の手前から三番目の部屋だよ」
「ありがとうございます」
男は鍵を受け取り、階段を上がっていく。しかし一緒に居た男はついていかず、カウンターに居る男へ同じように話しかけた。
「すいません、俺も部屋を一部屋お願いします」
二部屋を一度に借りない様子を見て、階段を上がっていく男と訝し気に見比べたが、やがて仲間の男の分の支払いを処理していく。それを待つ様子も無く階段を上がり部屋の前に着いた男は、渡された鍵で開錠してドアを開いた。部屋に入って荷物を下ろすと窓際へ行き、窓の外がどうなっているのかを見た。閉められたガラスの窓からは喧噪が漏れ出し、覗くと大通りを見下ろすことが出来た。やがてドアをノックする音がしてドアが開き、一緒に行動していた男が現れた。
「俺、隣の部屋ね。ここの左」
男がそう伝えたが、フードを被った男は一瞥しただけで何も返さなかった。男はそれを気にしていないようで、ニコリと笑みを浮かべてから扉を閉めた。
男はしばらく窓から大通りの様子を見たまま動かず、少し時間が経った頃に窓を離れて部屋を出た。扉を閉めて鍵を閉め、階段へ向かおうとした所で足を止め、男の隣の部屋————仲間の男が自分の部屋だと言っていた場所を確認し、視線を外して階段を降りた。
階段を降りると食堂で作られている物であろうスープの匂いが漂っており、食堂の方を見た。しかし大通りへ向かうことを決めたようで、そのまま歩を進めて大通りへ向かった。宿を出ると右と左を見て、やがて左、街の中心の方へ向かった。
大通りは活気があり、呼び込みの声や人の足音、馬車の音などの喧噪で溢れている。視線の合った出店の店員が男に声をかけるが、会釈だけして通り過ぎた。
男の歩く道の横を馬車が走る。馬車の窓から目を輝かせて大通りの景色を見る子供が見え、その視線の先を見た。その少年の目に映っているであろう大通りの景色と、その奥。大通りに沿うように並び立つ建物の隙間から見える、大通りとは明らかに乖離した景色。子供の目には殆ど映っていなかったであろうそれが、男の目には色濃く映った。
路地裏とでも呼ぶべきその細い道の奥で、生きているのかもわからない男が座り込んでいる。男はそれを見て足を止め、その男の元へ歩み寄ろうとしたようだった。しかしやがてそれを止め、元の方向へ歩き出した。
そして再び、路地裏の光景がただの風景として視界を流れていく。それらを見る男の表情は見えない。しかしその歩みは何かを引きずったように緩慢になっていった。
「走ると危ないよ!」
ふと後方からそんな声が聞こえ、何かが男にぶつかった。振り返って下を見ると、先程注意されていたのであろう子供が尻もちをついていた。
「大丈夫か?」
男の問いに対してその子供は何も答えない。ぶつかった衝撃で少し混乱しているのか、何も言わずフードから覗き見える男の表情を見つめている。その様子を見て、男は子供に目線を合わせるように膝をついた。
「すいません、うちの子が……」
先程の声の主であろう母親らしき女が、駆け寄ってそう言った。そして子供に心配するような声をかけてから男に頭を下げた。その姿を見て子供も遅れて頭を下げる。
「……子供が元気なのは良い事ですから」
子供は謝罪の為というよりも、その女の頭を下げる姿を見て、今は頭を下げた方が良いのだろうと感じてそうしたようだった。男はそれを感じ取っていたが、特に気にすることなくそう返した。
子供が立ち上がり、女が子供の服に付いた汚れを払っていく。手が汚れてしまったのか自分の手をまじまじと見てから軽く手を払った子供を見て、男は「これで拭け」と言ってハンカチを子供に差し出した。子供はその差し出されたハンカチと男を見比べ、そのハンカチを受け取って手を拭いた。
「本当にごめんなさい、ハンカチまで……」
「大丈夫です」
子供は手を拭くと、その汚れたハンカチを見てから男の様子を伺うように顔を見て、遠慮するようにハンカチを返そうとした。男は気にしていないようにハンカチを受け取り、礼を言いながらポケットにしまった。
「あの、もしよろしければ新しいハンカチを……」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
そう言って立ち上がり、軽く挨拶をして男は歩き始めた。
「もう。ちゃんと前見ないと駄目でしょ、ラン?」
「うん、ごめんなさい……」
「あの人は優しかったから良いけど、危ない人も居るのよ? 前にうちに盗みに入って来た人だって————」
そんな親子の会話が耳に入り、男は足を止めた。そして親子を再び視界に捉えようとしたがそれを止め、やがて二人から離れるように歩を進めた。再び大通りの街並みへ視線をやり始めるが、そうすると自然と路地裏へ視線が吸い寄せられてしまうようだった。
それらが景色として男の視界を過ぎていく中、捨てられたものの山から何かを掘り出そうとしている痩せこけた男が見えた。しかし今度は足を止める事なく通り過ぎ、やがて路地裏から目を離した。食べ物を恵み、一時的に空腹を和らげてやることは出来るのだろう。しかし、男が出来る事はそれだけだった。ただ一度助けただけでその男の状況が一変するわけでは無く、一人ではどうしようもない現状がそこにはあった。
路地裏を見るのをやめ、馬車道を通る馬車や大通りを行き交う人々、出店で焼かれる串焼きや建物の看板に描かれた料理を見ながら、ゆったりとした足取りで大通りを歩き続ける。そんな中で再び、ふと気紛れのように路地裏を見た。そして一つの光景を目にする。
その視線の先では、頭や首に血濡れた包帯を巻いた女が大柄な男に髪を掴まれて暴力を振るわれていた。男は足を止め、二人の様子を見る。大柄な男が女の頬を殴った。女は抵抗する様子も無くそのまま地面へと倒れたが、男は女の髪を引っ張って地面から引き剥がすように起き上がらせた。それを見て、二人の元へ歩き出す。
「いっそのこと、首輪でも付けてお前をこの辺りに縛りつけといてやろうか。……そうだな、それが良いかもしれねえ」
膝をついた男が、倒れる女を見下ろしながらそう言っている声が耳に入った。男が手を離し、女が地面に這いつくばる。フードを被った男の歩みが力強さを増し、被っていたフードを深く被り直した。
「おい、なんか言えよ」
そして大柄な男が倒れたままの女をもう一度殴ろうとした所で、後ろからその腕を掴んだ。
絶望のスーパーダーリン 友利有利 @tomori_yuri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。絶望のスーパーダーリンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。