オーロラの空耳に耳を澄ます


「それで、いつ『ざまぁ』するの?」


「?何の事?」


 学校帰りに、親友の優菜ゆなに事の顛末を話し終えたところ、急にそんな事を言い始めました。聞けば彼女の最近よく読む小説のパターンでは、婚約を破棄された主人公は婚約相手とその恋人に復讐を果たすそうです。


「しないよ、そんな事」


 できる訳がないのです。文化祭の後、お姉ちゃんは家に帰ってくると私に泣きながら謝り続けました。「お姉ちゃん、もういいよ」と私は許したのですが、その後も気まずそうにしていて避けられている気がします。優菜は私の心境を知ってか知らずか分かりませんが明るく続けます。


「でもさ、良かったじゃんその順番で」


「順番?」


「そ。順番」


 親友曰く、この順番で良かったと言います。まず私が婚約し、お姉ちゃんは想いを口にすることが出来なくなりました。そして私は振られ失恋し、お姉ちゃんは両想いになれました。でも、順番が逆だったら?


「一目惚れ、だったんでしょ?」


 親友は意地悪く言いました。始めから両想いのお姉ちゃんと大輝くん。ある日結婚すると家に連れてきます。初めて会う大輝くんに私が一目惚れしてしまったなら。


「思いを告げる事もできず。失恋もできないまま。果たしてその後は?ね?良かったでしょ?」


「そうだね」


 私の気持ちの入っていない返答はさぞからかい甲斐のなかった事でしょう。優菜は溜息をつきます。と、そこで急に笑顔になりました。


「よし、こうしよう。昔から失恋を癒すには新しい恋だと相場は決まっている。梨早に男を紹介してあげよう!」


「じゃあ、お願いしようかな」


 思えばこの時私は自暴自棄になっていたのでしょう。人生よ、早く終われとすら思っていました。なので、親友の提案を深く考えずに承諾してしまいました。この時彼女の瞳が妖しく光った事に気づきもしませんでした。


 優菜が男を紹介すると言った日になりました。

 大輝くんとのデートの服選びはとても楽しいものでした。しかし今はただただ億劫です。先方がどのような方か分からないので、単純に無難という理由で服を選びました。

 待ち合わせの場所に着きました。しばらくすると、優菜から連絡が入りました。優菜は来ないそうです。相手は私が分かるそうなので問題ないとの事。さすがの無責任ぶりに抗議しましたが当人はどこ吹く風でした。私が苛々しながら相手を待っていると、ふいに声を掛けられました。


「本田さん?」


 中学の同級生だった川崎くんでした。


「川崎くん、久しぶり」


「どうしたの?こんなところで?」


「優菜がね……」


「ああ、僕もだ」


 なんという事でしょう。紹介してくれるといった男性は、川崎くんという既知の人物でした。どういうつもりでしょうか。


「それで、優菜さんは?」


「来ないよ。二人で出掛けておいでって」


 すると一瞬川崎くんは嬉しそうにも見えましたが、すぐに苦い表情を浮かべました。


「それはマズいでしょ?二人っきりは。本田さんは……婚約者が、確かいたよね?」


 自嘲気味な笑みが浮かんできました。


「もういないんだ。だから、もう平気だよ」


 川崎くんは私の返答に当惑したようでしたが、気を取り直したようで


「ならいいのか。じゃあ、折角だし一緒に遊ぼうよ?行きたいところ、ある?」


「どこでも」


 川崎くんが、チラリと私の足元を見ました。そして目を細めて言いました。


「じゃ、適当にブラブラしよっか?」




 私と川崎くんは目的なく、ブラブラと街中を散策します。思えば大輝くんとのデートでは目的地が決まっていたので新鮮です。雑貨屋を見つけては覗き込み、露店を冷やかし、大道芸人に拍手します。その度に川崎くんは、こういうのが好きと話し、どういうのが好きかと聞いてきます。今日はスニーカーで良かったです。結構な距離を歩きました。


 思えば不思議な時間です。私と川崎くんは中学で同級生で話す機会も多かったですが、外で会った事は結局一度もありませんでした。それが中学を卒業し、違う学校に通うようになって初めて一緒に外に出掛けているのです。

 彼の私服も初めて見ました。結構スポーティーな服装で実は少し驚きました。しかしなかなかのお洒落さんで街中で違和感のない格好です。学校では知らない川崎くんだなぁと思いましたが、そこは高校生になって変わった部分だったのかもしれません。高校生になって半年です。半年で、私も川崎くんも随分変わったものだなと思います。川崎くんは良い方に、私は悪い方に。ふと、今の私が川崎くんにどう映ってるか気になりました。さぞ落胆されてる事でしょう。情けない気持ちになりました。


 無目的に歩き彷徨っていたら、映画館の前に来ました。まだ、大輝さんと観た映画が公開されています。館の壁に大きくワンシーンのイラストが貼り出されていました。


「本田さん、何か観たいのあった?観てく?」


「ううん。ねえ、川崎くん。モーテルの『No Vacancy』って知ってる?」


「知らない。どういう意味?」


「『満席』って意味なんだって。モーテルの扉にそう掛けてすぐ分かるようにしてるんだって」


「へぇ、知らなかった。本田さん、物知りだね」


「うん、そうだよね。物知りだよね」


 大輝くん、やっぱり一般常識じゃないと思います。さも当たり前みたいに仰ってましたが。それともお姉ちゃんとなら、説明不要な知識だったりするのでしょうか。川崎くんが急にポケットを探り始めました。そして、広告の書かれた安っぽいポケットティッシュを取り出して私に渡しました。


「ごめん、ハンカチとか気の利いたものなくって。ちょっと落ち着いたら休憩しよっか」


 私は泣いてました。





 思うに婚約というのは一つの予約だと思うのです。人生の、予約。とはいえ、所詮予約です。席がなければ入り込める余地はないのです。無い袖は振れない、という奴です。どんなに無理して予約を入れようと、埋まっていれば泣き寝入る他ありません。


「大丈夫?」


「うん。もう平気」


 涙が落ち着いた後、私たちは喫茶店に入りました。仕切りがある、個室のようになっています。


「アイスコーヒー」


「アイスティーお願いします」


 店員さんに飲み物を頼むと、程なくして席に届きました。随分歩いたので結構喉が渇いていました。しばらく二人して黙々と飲みます。二人とも半分ぐらいになりました。


「……つっこんで聞いてもイイ?」


「いいよ」


「どんな別れ方したの?」


 私は婚約者になってから、振られるまでの経緯を、川崎くんにも話しました。それを川崎くんは、それはそれは辛そうな表情で聞き入っていました。川崎くんはこんな関係のない話に親身になって聞いてくれるだなんて、本当にいい人なのです。


「なんで怒らないんだよ!!」


川崎くんの第一声はそれでした。


「だってしょうがないよ」


「違うだろ?なあ、僕はその松下さんを知らないし、お姉さんと親しくもないから言うんだけど。それ、本田さん絶対怒っていいだろ!!本田さんさ、松下さんって人からお姉さんが好きだったって聞いた時、どう思った?」


 どうって。そんなの。仕方ないって。そう、仕方ないなって……。


「『なら始めから言ってよ?』って少しでも思わなかった?」


 そう聞かれた瞬間、胸の奥からどす黒い感情が一気に溢れ出て来ました。


「お姉さんに対してもそう。婚約者になった時に『ヤだ』って教えてよと、少しでも思わなかった?」


 それは問いかけでしたが、川崎くんは半ば確信しているようでした。確かに。その通りです。


「……ったよ」


「ん」


「思ったよ。思いましたよ。そんなの当たり前じゃないですか。婚約者になれてたと浮かれてた私バカみたいじゃないですか。本当に本当にバカみたいじゃないですか。とんだ道化じゃないですか。私の気持ち無視ですか、どんだけ人の事バカにしてるんですか、浮かれてた私笑いものじゃないですか」


 一度口にしたら止まりませんでした。


「そもそも始めから断っていたらこんなに関係はこじれなかったのです。なんですか?お父さんの事が恐かったんですか?そんなの私の知った事ではありません、大好きでしたがだからこそいい迷惑なのです。お姉ちゃんもそう。言わないんだったらすっぱり諦めて私に譲ってくださいよ?譲れないんだったら私と取り合うぐらいの意気込みを見せてくださいよ。それすらしないで横からかっさらうような真似しないでくださいよ。卑怯すぎるんですよ。ガチの殴り合い、こちとら上等だったのですよ。それぐらい本気だったんですよ。急に他の人が好きだったなんて言われても納得できる訳もないのですよ、それがお姉ちゃんとあっては尚更ですよ。バカにしてますバカにしてますバカにしてますバカにしてますバカにしてます!本当にチョットは反省してください!!」


 思いつく限りの呪詛にも似た言葉が、口から溢れてきては尽きませんでした。それらを口にしながら私はまた泣いていました。その私の言葉を静かに、そして辛そうにしながら川崎くんは耳を傾けていました。それでもやがて私も言いたかった事が一区切りつきました。呼吸を整えます。そこで川崎くんがおもむろに口を開きました。無表情です。


「じゃ。今言った事、まんま二人に伝えようか?」


「え?」


「婚約者の松下さんと、お姉さんに、今の本田さんの本音、言おう?」


「言え……る、訳ないじゃないですか。言っても、二人が困るだけです。仕方のない事です」


「そのさ、仕方のない事って止めよ?困らせるだけでもいいじゃんか。……たぶんさ、二人も本当は本田さんがどう思ったか知りたいと思ってるよ、きっと。罵られてもいいと、きっと思ってるよ。二人の事、大好きだったんだろ?我儘言ったら離れてしまうような、そんな人たちなの?さっき言った事、まんま本田さんがしてるって自覚、ある?」


 そ……っか。お姉ちゃんたちも、今の私みたく恐かったのか。本音を言って私を傷つけないか、私から嫌われないかって恐かったのか。私は手のひらで涙を拭う。すると、川崎くんはまたポケットティッシュを手渡してきた。


「ごめんね、次があったら今度はハンカチ持ってくるよ」


「ううん、いいよ。十分嬉しかった。あのね、川崎くん」


「うん?」


「話して、みるよ。まだ恐いけど」


「うん」


「言葉は相手に届いてこそ、言葉だもんね。何より、今のままは嫌だ」


「うん。きっと大丈夫だよ。本田さんが大好きになった二人なんでしょ?なら、ちゃんと受け止めてくれるよ」

そう言って川崎くんはニカッと笑った。その笑顔に、私は大丈夫かなって、何の根拠もないのに信じれる気がしました。




 そもそも、音は鳴っていたのです。ハッキリした証拠はないと聞かない振りをしていたのは私の方でした。

 大輝くんが1年経っても手も握らないでいたのは、私のことを大事にしてくれてるからだと思い込もうとしていたからです。大輝くんがお姉ちゃんの話題をよくして、お姉ちゃんが大輝くんの話題をよくするのは、家族仲がよくなって良い事だと思い込もうとしたのです。お姉ちゃんが、大輝くんの話をするときの表情は見ないようにしていたのです。知ってたはずなのに。大輝くんの事を考えてる時の鏡に映ってる私と同じ表情だったのは、分かってたはずなのに。気づかない振りをしてたのは私なのです。声だけが、言葉だけが気持ちを伝える手段じゃないって、分かってたのに。気づかない振りをしていたのは私なのです。



 喫茶店を出て、駅に向かいます。川崎くんには随分恥ずかしい所を見せましたけど、来た時よりも随分気持ちは軽くなってました。駅のホーム、同じ路線、向きは反対方向で互いの電車を待っている間。


「今日は川崎くんありがとう。随分気持ちが軽くなったよ」


「ちょっとは役に立てたようで良かったよ」


「よかったら、連絡先教えて貰ってもイイかな?」


「え?」


「あ、電車来ちゃった。優菜経由でも聞いてイイかな?」


「え、いいけど。え?え?」


「じゃ、川崎くん。またね」


「うん、また……え、また?」


「うん、またね」


 そうして私たちはその日は別れたのでした。動き出した電車の車窓越しに見えた、ホームでガッツポーズを取る川崎くんがちょっと可愛かったのです。

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オーロラの空耳が聞こえる席でオチャしましょ dede @dede2

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