第25話

ベッドに横たわる美春ミハルの左手を取って、明人ライトが言った。

「…失くしたと思っていた。美春が持っていてくれたとは」

赤ん坊の自分が握りしめていたのは、明人あきひとの指輪だったらしい。明人ライトは指を絡ませ、美春ミハルの薬指に口付ける。

「…結婚しよう」

事後のぼんやりする頭で、その言葉を反芻した美春ミハルは、

「……………は?」

と、間の抜けた声を上げた。

その様子に、明人ライトはくすっと笑う。

「あの日、これを渡して、そう伝えようと思っていた」

「あの日…?」

(「別れよう」ではなく?)

美春が前の人世を終えたあの日、会う約束をしていたのに果たせなかった。その前の数週間も、そういったことが繰り返されていた。それなのに。

「約束を反故にされることが増えて、美春の心変わりを疑っていた時に、決定的な場面も目の当たりにして」

休憩室でふらつき、後輩の愛川が抱き止めてくれたところを偶然見られた。

「あ、あれは…」

「…誤解なんだろう?愛川から聞いた」

明人ライトは苦笑いし、ふっと息を吐いた。

「だが、あの時に思った。誰にもやるものかと…」

「……え?…」

「絶対に手離さないと…」

明人ライトの手に力がこもる。

「俺、俺は、愛想を尽かされたと…」

美春ミハルは、信じられないという思いで、表情を歪めた。

「…あんなことで逃がすものか。何年片想いしたと思っている?」

明人ライトは、不敵に笑い、次の瞬間、獰猛さを孕んだ眼差しを向けてきた。

「俺の執着を甘く見ない方がいい。こうやって、違う世界まで追いかけるくらいだ。美春が嫌だと泣いたって、もう離さない」

明人ライトが、本当に自分の嫌がることをすることは決してないだろう。けれど、それほど思われていることに、美春ミハルはうち震えた。

(嬉しい…)

明人のその執着を喜んでしまう。それほど自分だって、明人のことが好きで仕方ない。

「…は、離れない…」

美春ミハルの言葉に、明人ライトは嬉しそうに微笑み、優しく囁いた。

「結婚しよう、美春。前も誰にも邪魔させるつもりはなかったが…。美春はそうじゃなかっただろう?でも、この世界なら、誰にも気兼ねはいらない」

「あ、明人…」

「『はい』と言ってくれ、美春」

「はい…もう、離さないで…!」

「美春…!」

お互いの存在を確かめるかのように抱き合い、唇を重ね、再び二人の体が熱を帯びる。


◇◇◇◇


「っ…」

陽がもう、ずいぶんと高く昇っている。

その場の雰囲気と勢いに任せて、情欲に耽ってしまったことを少しだけ後悔する。体の痛みや重怠い倦怠感は愛された証でもあるが、限度というものがある。美春ミハルは自分に「快癒ヒール」をかけ、やっとのことで体を起こした。

それから、自分と明人ライト、ぐちゃぐちゃになったベッドには「浄化クリーン」の魔法をかけて、床に散らばっていた服をかき集め、急いで身に着けた。

「便利だな」

明人ライトが、横になったままにやにやしている。

「ええ」

下腹部や腰のあたりがじんわりと温かいが、腹痛を起こす気配はない。中で出されても魔力として吸収される、というのは楽でいい。この世界は、自分にとって都合良くできている。

場合によっては魔力酔いを起こすことがあるらしいが、以前なんともなかったから、今回も大丈夫だろう。

臍の辺りをさすり、さすった左手の薬指に目を止め、思わず微笑んだ。

「そんな顔をして…。足りないか?」

いつの間にか起き上がってズボンをはいた明人ライトが、腰に手を回す。美春ミハルは、

「さすがにもう、お腹が空きました」

と言ってかわした。

「…そうだな」

「はい。早く服を着てください」

ライトは渋々シャツに手を伸ばした。


◇◇◇◇


二人連れ立って歩く道すがら、二人は意識して「現在の名前」を呼び合う。

「ライトさん」

「ミハル」

たった数刻のことだったが、先程までの濃密な時間を前世の名前で呼びあったためか、二人とも現在の名前がしっくり来ない、という事態に陥っていたからだ。

「気を付けましょう。ライトさん」

「そうだな。ミハル。ああ、ついでと言ってはなんだが…」

「なんですか?ライトさん」

「…呼び捨てにしないか?あと、口調も、もう少し砕けたものに…恋人同士なのだから」

ライトの提案に、少しためらいながらも、

「…ライト」

ミハルが呼びかけると、ライトが目を細めた。

「…今回は早いな。前は、もっと時間がかかった」

「前」とは、上司と部下だった頃のことだ。

「きっかけを待っていました…」

小さい声でそう言いながら、顔を赤らめるミハルを

「可愛いな、ミハル」

ライトは、嬉しそうに抱き寄せた。


そんな二人の様子に、こそこそと噂をしながら、あるものは微笑ましげに、あるものは妬ましげに、町の人達が様々な感情と視線を向けていた。しかし、今の二人はそんなことは気にならないのだった。


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