第24話

「え…?」

ミハルは、呆然と目の前の男を見つめた。逞しい腕が延び、ミハルを捉える。

美春よしはる…」

耳元で囁くその声に、ミハルの口からこぼれ落ちたのは、かつての恋人の名前だった。

「…明人あきひと…?」

ライトが頷く。

「…え?!…なん、で?なんで?!」

「正直、俺にも、よく分からない…」

ミハルも驚愕したが、ライトの方も困惑しているらしいことが、その表情からうかがえた。

「今までも、時々既視感が掠めることはあったんだ。だが俺はずっと『ライト』だった。昨夜、いきなり『明人』の記憶が覚醒した。そして分かった。『ライト』というのは俺が学生の頃プレーしていた『Another World』のキャラクターだ」

「えぇっ?!」

さっきから驚いてばかりだ。

(学生の頃って?大人になってから、はじめたんじゃなかったの?)

同じ会社ながら接点がなかった自分達が、それをきっかけに話すようになった。そう思っていたが、明人にはすでにプレーの経験があったらしい。

「何から話そうか…」

ライトが…明人が、覚悟を決めたように話し始めた。


◇◇◇◇


ライトとミハル…明人と美春が、前世ではじめて出会ったのは、会社ではなく、それよりも前、大学でのことだった。もっと正しく言えば、明人が一方的に美春のことを知っていた。

二人が大学に入ってすぐの頃に配信が開始された『Another World』は、はじめのうちは知る人ぞ知るというオンラインゲームといった感じで、徐々に人気に火がつき、明人が友達に誘われてユーザー登録をしたのは、人気が出て初回の大型アップデートも終わってからだ。「ライト」という大剣使いになって、魔獣を倒したり、ダンジョンに潜ったりするのはとても楽しかった。

その頃は、配信が開始されてから一年以上経過しており、すでに、ユーザーの間で有名になっているプレーヤーが数人いて、そのうちの一人が「ミハル」だった。派手な髪色をした高ランク、高レベルの魔法剣士で、基本はソロプレーヤーの「ミハル」だが、初心者に親切で、レイドバトルなどへも協力的だったことから、優良プレーヤーとしてユーザーの間で人気になっていた。

一度だけレイドバトルで共闘したが、ランクもレベルも他とは桁違いな上に知識が豊富で、明人は「ミハル」に憧れのような気持ちを抱くようになった。

その「ミハル」が、同じ大学に通う学生だと知ったのは、たまたま大学内の学食で隣り合った学生のグループが『Another World』の話で盛り上がっていたからだ。「ミハル」という名前が上がって、思わず耳をそばだててしまった。


現実世界では、「高遠美春たかとおよしはる」という名のその学生は、ゲームの「ミハル」とは似ても似つかない、大人しい雰囲気の男だった。黒髪で、色白というより青白く、体も華奢。服装も地味。「ミハル」の大胆な戦いぶりそのままをイメージしていた明人は、「美春」に勝手にがっかりし、現実で関わるのはやめようと思った。

だが不思議なもので、一度認識するとその姿をよく目にするようになる。

「美春」は、大学に近いコンビニでバイトをしており、飲み会終わりなどに立ち寄るといつでもいる。また、教授に乞われるらしく、時々ゼミで助手のようなこともしていた。ということは、学業の方もそれなりに優秀なのだろう。どうやら相当お人好しで、バイト先やゼミ、学食で、先輩や友達に頼み事をされると、嫌な顔をせずに応じている。左足が少し不自由なのか、時々庇うように歩いていることがあった。メガネと前髪に隠れた顔は実は表情豊かで、特に笑顔にはどきっとさせられてしまう…。

気付けば明人はそんな「美春」から目を離せなくなっていた。今思えば、それは恋だったのだろう。

しかし、直接話す機会もないまま、明人の留学が決まった。

明人は、家柄や見た目のせいで現実世界では美春よりもずっと有名人だった。だが、おそらく美春からは個別に認識されていない。

そしてそのまま、明人は海外に留学し、忙しさからゲームもやらなくなってしまい、本人も気付かないうちに、その思いはフェイドアウトしていった。


◇◇◇◇


「会社で美春の姿を見かけたとき、あの頃の気持ちが一気に再燃した。これはもう運命だと」

(信じられない…)

「それで、ゲーム初心者を装って美春に近付いて…。まあ、実際ずいぶんゲームから離れていたせいで初心者と同じくらい、何もできなかったが」

(信じられない。その頃から、好意を寄せてくれていたなんて…)

何の取り柄もない自分を見ていてくれたと思うと体が熱くなる。だが、一つ気になることがあった。

「…ここへはどうやって?…」

それが一番の疑問だ。明人ライトは少し考えるような表情をして、

「よく分からないが…。『声』が聞こえた」

「声?」

美春はどきりとした。

「…美春の葬式の日、部屋で一人、酒を飲んでいた。そしたら、『あんたの幸せって何?』と子供のような声が…」

まさか、自分が聞いたものと同じだろうか?

「今思えば、不審でしかないが、酔っていたのだろうな。何の疑問も持たず答えていた。俺の幸せは『美春と一緒にいることだ』と。そして、気付いたら『ライト』になっていた、というわけだ…美春?」

「そんな…。この世界に来る前…俺も『何か』の声を聞いて…『願いをひとつ叶える』と…俺が願ったのは『明人の幸せ』で…。でも、それは、そういう意味じゃなくて…」

いずれ会社を背負い、素敵な女性と結婚して、子どもにも恵まれて…、美春の描く「明人の幸せ」とは、そういう未来だった。

「俺のせい…?俺が明人の未来を奪った…?」

体を震わせ、青褪める美春を、明人が強く抱き締めた。

「そうじゃない!」

強い口調に美春ミハルは体をびくりと硬直させた。唇が渇き、涙が滲んでいく。

「すまん…」

明人の声が、優しい響きに戻る。

「どうしたら分かってくれる?それは、俺が望む幸せじゃない。美春がいないなら、俺は幸せにはなれない、絶対に…。美春は…、美春は俺がいなくても幸せか?」

そう言われて、はっとなる。

明人を思い出にして、ライトと幸せになろうと思っていた。それなのに、時々、無意識にライトに明人の面影を重ねていたような気がする。ライトと過ごす中で、明人との日々がフラッシュバックすることが何度もあった。結局、思い出になどできていなかった。

「…俺、最低だ…。ライトさんを明人のかわりに…」

「違う!姿が変わっても俺を、『明人』をまた、好きになってくれたってことだろう?」

(ああ、この人は…本当に…)

「明人…好き…好きだよ…!ずっと…」

「美春…!」

視線がぶつかり、唇が触れる。

口付けは深くなり、二人は再びベッドに沈む。陽が昇り、明るくなった室内で、誰に憚ることなく、激しくお互いを求める。触れ合うところがすべて熱い。どろどろに溶けて混ざりあってしまうのではないかと思うほどに。今までも幸せを感じていたが、それ以上にもっとずっと満たされた気持ちが、体から溢れた。





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