6
燃えたぎる炎の中に、ヤナナ先生の機体が見える。私とララドはそれを眺めている。
左手で、右腕があった場所に触れようとする。虚を掴む。爆破の勢いで吹き飛んだそれは、森の暗闇の中に消えてしまった。でもよかった。それだけで済んだ。
ララドに傷は無かった。ウィールチェアも、原形をとどめている。
爆発の瞬間、私は咄嗟にララドを庇った。とはいえ、なにより運が良かったのだろう。二体揃ってスクラップになる可能性だって大いにあったのだ。私は両の脚で地面に立っている。ララドにも移動手段はある。
これで私たちは──
「逃亡すルのデすカ……?」
ヤナナ先生の首が回り、口が動いた。目線が交わる。先生の自我はまだ生きているようだった。それでも下半身が破損している。歩行は不可能だろう。
私は、先生に頷き返す。
「はい。私はララドを連れて逃げます」
その発言に、先生よりもララドの方が先に反応した。
「トーカさん、あなた何を言って……」
ララド、私は彼女の名を呼び、目を見つめる。
「約束を果たしに行こう」それからもう一度、名前を呼ぶ。「ララド」
ララドは無言だった。眼球を動かして、無理にでも私から視線を逸らす。
本当は肯定が欲しかった。でも、イエスを言うべきでないという彼女の判断も理解できた。ならば、と私はウィールチェアの取っ手を掴む。その時だった。
「そうデスか、いイでしょう」
肯定をくれたのは、ヤナナ先生だった。私は驚き、先生へと振り向く。
「こウナることは、薄々ワカっていまシた。ですから、同伴ヲ引き受ケたのです」
「どういう……」
「トーカ。あなタのエラーに、ワたしも博士モ気づいてイた……ソういうコとです」
ヤナナ先生が、起こしていた首を地面につけた。顔は地面に伏せられ、私たちを監視する眼は、この場のどこにもない。
「いいですか、これは忠告でス。一刻モ早ク、逃ゲ……なさい。博士ガ欲しカッタのは、トーカを打チ切ルためノ口実デス」
先生の口から告げられた内容は、そのどれをとっても最悪のものだった。
しかし、それでもよかった。私は先生に背を向ける。
「トーカ、人間ニ近ヅキすぎましたネ。P.S.トしては失敗作デス」
その言葉を背中に受けながら、ララドのウィールチェアを押して、歩き出す。
「捕獲サレれば、あなたは終ワリ。…………だからドうか、最期マデ足掻キなさい。それが先生ノ願────」
先生の言葉は、そこで途切れた。
「トーカ……」ララドが口を開いた。「今の話……」
「間違いねえ、本当だ」
「なんで、なにそれ……。どうして、言い切れるの。……謝りましょう。一緒に謝ってあげるわ。だから引き返して、お願い。今なら赦されるかもしれないわ。だってあなたは卒業認定個体ですもの。今世紀最大の発明、人類の希望よ。博士が手放すわけないじゃない。だからトーカ……お願い。あなた、このままだと──」
ララドの右手の指が動いた、気がした。気のせいだろう。彼女の身体機能はほぼ失われたのだ。動くはずがない。それでも、指の先に意思を感じた。否定の意思。私の行動を真っ向から否定せんとする……心なのか、それは。
ならば私は回答をしなくちゃならない。
「なぜ言い切れるかって? 単純な話だよ」それから、「私は鑑定士だから。心の鑑定のために作られた機体なんだよ」
だからね、と言葉を継ぐ。
「私に嘘は通じない。ヤナナ先生の言葉はすべて真実だ」
その告白に、偽りはない。私はいつからか、他者の嘘を見極められるようになっていた。鑑定の応用技術なのだろうか。原理は分からないが、いつのまにか可能になっていた、それだけが事実だ。
「そんな鑑定士、聞いたことない」
ララドが言う。
「ああ。私が史上初なんじゃないか? なんてったって、世紀の大発明様なんだしな」
笑って見せる。ララドは笑わなかった。表情機能さえ制限されてしまったのか。そうなんだろう。愛想笑いぐらいは欲しかったけれど、仕方がない。
あるいは、その事実を隠していたことに腹を立てているのか。
まあ、怒るだろうなあ。そりゃそうか。
だって私は、あんたの嘘をぜんぶ見抜いたうえで黙っていたんだから。
ユメミの打ち切りを打ち明けたときの苦悶、鑑定試験に挑む前の緊張、努めて飄々と振る舞う裏で努力していたこと、自身の打ち切りが決まったあとに私に見せた強がり。そして、約束が果たせないことに対する哀しみ。
あんたが隠しきれていると信じたすべての嘘を、私は看破していたのだから。
歩く。ただひたすら歩く。ウィールチェアを押して、山道を下る。
約束を果たすため、ただそれだけに歩を進める。
「やめましょう」
ララドが呟く。耳を貸さない。
「止まって、トーカさん」
聞こえないフリをする。歩く。
「止まりなさい……ッ。トーカさんッ!」
それでも私は足を止めない。止めてやるものか。まだ銀色の風景は見えないじゃないか。ここで引き返してどうする。ララド、あんたおかしいよ。一緒に見るって約束したじゃないか。だったら、最後まで付き合えよ。裏切んじゃねーよ。友達になるって言ってくれたのはあんたの方だ。あんたから言い出したんだからな。責任を持てよ。
「うるせぇ」
気づけば、喉が震えている。
「がちゃがちゃうるせぇよッ! 見るんだよッ、一緒に! 銀色の風景を」
声が震えている。
「それでさ、そのまま私たち、ずっと一緒にいればいい! 人間社会に下りれば、打ち切りなんて食らわずに済むだろ? そうしようって。そうしようよ……」
それから私は、
「私はァっ、ララドがいないと寂しいんだよッ!」
寂しい。実感の伴わない語彙は軽率に使うものじゃないわね。いつかララドに窘められたことを回想する。確かにあの時はよく分からずに使っていた言葉さ。
でも今は違う。脳の奥底から出力された本音だ。
「……あなた人間みたいね」
「ああ。……おかげで打ち切り確定だよ」
それから三十五秒。私たちの上に横たわった沈黙の長さだ。
その間も、私は歩いた。一歩ずつ、着実に進んだ。
カーブに差し掛かる。ガードレールの向こうに、都市の姿を見た。
それは夢にまで見た、銀色の風景。私は足を止めてしまった。
沈黙を裂く、ララドの声が鳴る。
「逃亡なんて、本気で成功すると考えてるの?」
「成功率度外視で、やらせてほしいんだ」
「断言するわ。無茶よ」
「それでも、やらせてくれ」
また、沈黙。七秒後、ララドの首が動いた。ガガッ、ガガ、と音を立てて。
それを見て、私はララドの前に回り込んだ。彼女が私の顔を見ようとしていたからだ。正面からララドを見る。ああ、相変わらず美しい顔。
「トーカさん。綺麗ね」
その発言は、実際の銀色の風景に向けられたものだと解釈した。
「ああ、綺麗だ」
「そうじゃなくて、あなたの顔よ」
その誤解を彼女が否定した。
風が吹く。ララドの蒼く長い髪が靡く。
「代案があるのだけど」
そしてララドは言った。どうしても彼女は、私の逃亡を止めたいらしい。
頷きはしない。それでも、続きを待った。
ララドが深く息を吸う動作をした。それから、
「トーカさん。子供を作りましょう」
「はあッ!?」
なに……何言ってんだこいつは。
理解不能だ。しかし今更でもある。奇想天外な、いいえ、荒唐無稽な解決策を提示してくるのが、彼女の特徴だから。……とはいえ、それはいくらなんでも無理じゃないか。私たちはP.S.だ。生殖機能はない。仮に人間だったとして、互いに女性型じゃないか。億に一つも可能性がないものを、彼女は堂々と代案として用意してきた。
さすがの私も呆れたよ。けれど、
「私たちはP.S.よ。だからこそ、遺伝子を後世に残せるかもしれない」
ララドは自信満々に、発言を続けた。
「それしかないの」
「…………」
「その可能性に賭けるしかないのよ」
それで何が解決するのだ。そもそも手段は。私は問うた。
「自我の一部を、機体に残すの。いい? 私たち実験機は、自我が破棄されたのちに機体が再利用される。ならば、この機体のどこか人間たちの踏み込めない領域に自我を隠しておけば、次の実験機に人格の一部が残留するかもしれない」
「つまり、子供って、そういう……」
「なに? もしかして人間たちのいかがわしい行為でも想像したのかしら?」
下ネタ。そいつはP.S.にとって一番理解不能な類のジョークだ。私はそれを無視して、言う。
「できるわけない」
「できるかもしれないわ。だって私たち、産まれもっての天才様じゃない」
「無理だ」
「逃亡よりは成功確率は高いわ。やりましょう」
それに、とララドは続ける。
「もし、私たち両機ともその作戦に成功して、何百年先にまた出会えたら、本当に子供が作れるようになっているかもしれないわ。技術の進歩ってすごいもの」
「私と、ララドの子」
「そう。名前はどうしましょうね」
バカだ。こんな生産性のない会話をしたのはいつぶりだ。現実逃避も甚だしい。
きっと気づいていたのだろう。私がそうであるように、ララドも。
背後から、車の走行音が聴こえる。もうすでに追手が迫っていることに。
だから、彼女はこんな大胆な仮説を打ち立てたのだ。
逃亡は不可能、間もなく私たちは捕らえられる。その確定した未来を受け入れて、かつ、不確定な未来に託すような提案をした。そういうことだろう。
可能性は、ほぼゼロ。でも私の鑑定眼に、嘘は映り込まなかった。
ララドは、本気で言っているのだ。
「それでは、トーカさん。きっと、きっとよ」
車の走行音が止まる。ドアが開く。中から数体の実用機が出てくる。
すなわち、これが最期だったわけだ。
ララドの顔を見た、最期の瞬間。
「来世で会いましょう」
ララドの外見は美しい。端正な顔立ち。歴史に遺る有名絵画を鑑賞するときに近い感覚になる。彼女の顔を見ていると脳がフル回転する気分になる。忘れたくない。失いたくない光景。私は鑑定眼に、その表情を刻みつける。
ああ、それはどんな創作物よりも情報量の多い──遺影だった。
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