5

 ララドには例外的な措置が取られた。本来、鑑定試験に失敗した実験機の自我は即日破棄されるものだ。しかしララドはその完成度から、数日の検査期間が設けられていた。次期個体にララドの性能を可能な限り引き継ぐため、より高性能な模倣体を産み出すためのフィードバックデータを取るためだ。


「フィードバックデータは取るのに、どうして自我は破棄せねばならないんですか」


 ヤナナ先生に問う。すると先生は首を傾げた。


「不要な学習によって蓄積されたノイズデータのみを除去するのが難しいから、です。自我の養成は一筋縄ではないのですよ。単純な機械学習の繰り返しで高性能な人格を作り出せるなら、ダルシー地区は必要ない。機械学習の過程でエラー因子をインストールしている事例が多いんです。ゆえに、失敗作は都度自我を打ち切って再試行する。そうしたほうがよりよい人格の発生確率が上がる、というのが現時点での人間たちの結論。理論構築が未完成故に、試行回数重ねるしかないのです」

「奇跡を待つ、それが合理的というのですか」

「人格名『トーカ』、あなたは奇跡そのものです。ララドよりよほどP.S.らしい」

「話がすり替わっています。そもそも、P.S.らしさってなんですか」

「人間らしくないこと」


 ヤナナ先生の目を見る。先生は透き通った瞳で、私と視線を交える。


「イケマツ博士の言葉を借りるなら、そういう回答になるでしょうね」


 ドクター・イケマツ。ダルシー地区「学校」の管理者の名だ。彼の一存でこの学園都市はまわっている。すなわち、私に卒業認定を下したのも、ララドの打ち切りを決めたのも、彼だ。


「イケマツ博士は、私とララドの面会を許したんですか」

「ええ。いい機会、と仰っていました」

「どういうことです?」


 その時、部屋の外で足音が鳴った。鑑定士カスタム棟十一階。私はいま、ヤナナ先生と二体、特別指導室という名の部屋にいた。近づく足音の正体は、尋ねずともわかる。


 ヤナナ先生が言葉を続ける。


「曰く、これもある種の実験、とのことです」


 二回、ノックの音。ヤナナ先生が扉を開く。


 そこに立っていた彼女は、当然、


「お久しぶりね、トーカさん。わざわざ呼び出すなんて、ずいぶん寂しがりなのね」


 ララド。

 私の唇が、彼女の名をなぞるように小さく動いた。


   ◇


「面会内容は録画・録音されています。予め説明しておくことは以上。あとは好きにしろ、イケマツ博士からの伝言です」


 そう、事務的な口調でヤナナ先生は言ってから、壁際に設置された椅子に腰かけた。


 特別指導室の中央にはローテーブルが一台。挟むようにして二人掛けソファが二台、それぞれに私とララドが座っていた。


 先に口を開いたのは、ララドの方だった。


「それで、用件を伺えるかしら?」


 用件、という言葉をララドは発した。体温の無い語彙選択だ。ただ会って話したかった、という私的な都合は認められない、と糾弾されているようでもある。


 口を開く。用件などないが、それでも。


「いまいちど、ララドの意思を問いたかった」

「意思?」ララドは軽く笑った。「意味不明ね。私になんの意思があるというの」

「約束を果たせないまま、自我の破棄を受け入れるの」


 私の思考は、最短距離を取った。発言してから処理が追いつく。そうか、私はこれが訊きたかったのだ。なるほど、合点がいく。ララドの打ち切りを承認できないのも、この約束のせいか。銀色の風景を、一緒に見る。予定に組み込まれていたその事項に金輪際レ点を入れられないことが、私を困惑させていたのだ。


 そう思考すれば、脳のモヤは晴れた。


 ララドの回答次第では、私は彼女の打ち切りを承認できるだろう。


 否定を貰えばいいのだ。そうすれば約束は無かったことになり、規定事項が上書きされる。予定は消去される。


 二十三秒の沈黙ののち、ララドは口を開いた。


「ええ、問題ないわ。あれは、一緒に卒業できたら、という条件付きだと認識しているわ。条件が満ちないのならば実現は不可能、不履行でしょう」


 そしてララドは、私が欲しがっていた回答をくれた。


 これにて面会は終了、それでよかった。ララドに確認を取るべき事項は以上。これで私はララドの打ち切りを承認する準備が整ったのだ。


「でも」


 でも? 誰が発した言葉か、咄嗟には分からなかった。なぜならば、目の前のララドも壁際のヤナナ先生も、口を閉ざしていたからだ。ともすれば消去法で私が残る。けれどそれはおかしい。懸念事項は解消されたはずだ。なのに、なぜ否定が出る? しかしその発言は、やはり私のものらしい。ララドの双眸が私を貫く。


 思考とは切り離されて、口が動く。制御できない。


「まだ時間はある。あるだろ? 卒業したら、という条件を無視したらいい。優先事項を書き換えるんだ。一緒に見る、を最重要項目にする」


 なにを言っているんだろう。無茶苦茶だ。不可能と知ってなお、希望に縋りつくさまは人間みたいで滑稽だ。自分でもそう思考するさ。けど、止められないんだ。


「打ち切りまでの三日間。どこかで行こうよ。まだ間に合うだろ」

「……バカね。そんなの許されるわけないでしょう」


 ララドの視線が、下へと落ちる。折れるな、と私の脳が叫んでいる。


 と、そこで突然、ヤナナ先生が立ち上がった。その音に、ララドが振り返る。私たちの視線が同時に、先生へと向いた。


 先生は頭部右側を抑えていた。誰かと通信している様子だった。


「ララド、トーカ」


 私たちの名を呼んだ、その二秒後。先生は淡々と告げた。


「イケマツ博士が、あなたたちの要求を受理しました」


   ◇


「出発は二時間後。わたしの同伴と、ダルシー地区への六時間以内の帰還が条件です。道中、あなたたちの行動は常にわたしが監視・録画します。映像データはリアルタイムで博士のコンピュータ端末に送信されることになっていますので、疑われる行動は控えることです。あくまで遠征の目的を、地区外に所在するビル群の鑑賞、に留めてください。守れない場合は、人格名『トーカ』の打ち切りもあり得ます。では、準備が出来次第呼びに来ますので、トーカは特別指導室から一歩も出ないようお願いいたします」


 ヤナナ先生はそう言い残し、ララドを連れて特別指導室を去った。


 いったいどういう了見か。ここまですんなり要求が通ると不気味でさえある。


 こうして、私とララドの約束は別の形で成就することとなった。


 二時間は、一瞬で過ぎ去った。特別指導室の扉が開き、視線をやればそこにはヤナナ先生が立っていた。


「では参りましょう、トーカ」先生の機体の向こうに、ララドの姿はない。「ララドとはダルシー地区北門にて合流予定です」


 そこから三十分の徒歩、先生と共に北門に到着した。


 鋼鉄の北門の前、ララドがいるのが見えた。しかし、いつものララドではなかった。彼女はウィールチェアに腰掛けている。肘掛けに両腕が乗せられ、拘束具が巻かれている。両脚も同様に拘束されていた。いったいどういうこと……と言いかけて、飲み込む。尋ねずともおおよそ予測が立つ。


「待ったわ、トーカさん。ヤナナ先生。行きましょうか」


 ララドは平然としたトーンで言う。表情もいつもと変わらず、にこやかである。


 その光景と声色とのギャップに、私はつい語彙を失ってしまった。すると、ララドの首は、ガッ、ガッ、と鈍い音を立てて二段階傾いた。


「どうしたの? ……ああ、これ?」とララドは眼球のみを下に向けて、「急遽のことなのだけれど、視聴覚機能と声帯機能以外をアンインストールされたの。いまの私は喋るスクラップ同然ね。まあ、少しなら機体も動くのだけれど、可動域はかなり制限されたわ」


 あられもない姿──動揺からか、私は不意にヤナナ先生を見やった。先生はまた、事務的な口調で告げる。


「一応の保険です。ご理解いただけますよね?」

「先生の同伴と六時間以内の帰還、条件はそれだけだったハズですが」


 先生から視線を逸らし、ララドからも視線を背け、私は言った。


「仰る通りです。人格名『ララド』の身体機能の制限は、条件でなく監理措置です」


 先生は再度、ご理解いただけますね、と私に問うた。


 私には肯くことしかできなかった。すると先生は「よろしい、では始めましょう」と言い、北門の認証端末に触れた。実用体9号機─へ、人格名『ヤナナ』。認証しました──そうして門は開かれ、目の前に地区外の風景が広がった。


 ダルシー地区は山頂に所在している。ここから見える景色は、雲の中から地上を見下ろすような絶景だった。


 門の前に、車が一台、駐車されている。ヤナナ先生が前方操縦席のドアを開けた。


「トーカ、ララド。乗ってください。麓の経済区まで、車で移動します」


 ララドを乗せたウィールチェアが、車にゆっくりと近づき始めた。


 その後ろで、私も歩き出す。先生が操縦する車に乗り込み、私たちは約束の景色へ向かう。


   ◇


 これでよいのだろうか。これが、私たちの望んだ「約束」の形なのだろうか。


 車に揺られているうちに、人間たちの街が近づく。ララドが生成した銀色の風景、その実物がもう間もなく視界に現れるだろう。ダルシー地区の内側にいるうちは決して目撃することが叶わない景色を、ララドと一緒に見ることができる。


 それで私は満足するのか。この期に及んで、私は量りかねていた。


 車は進む。麓まで、残り十二分。


 車窓から覗く景色は、山を開拓して作られた道路と、脇を挟む森。普段は利用されない道なのだろうか。車道の作りとしてかなり荒い。実際、車通りはほとんどなかった。それもそうか。ダルシー地区に用のある人間など、研究者以外にいないだろうし。


「懐かしいわ。去年、実習に向かう時に通った道よ」


 外を眺めながら、ララドが呟いた。


「トーカ。景色を憶えておきなさい。あなたはこれから何度も、地区外に出るのでしょうから。迷子になったら大変よ?」


 そして、私を見る。余計なお世話。ほぼ一本道、迷うことなんてないだろう。感じの悪いやつだ、相変わらず。


 出会ってから今日まで、ララドはずっとこの調子だった。性悪な発言をくれて、私はそれを打ち返す。私たちの会話は、そうやって紡がれた。


 それがどれほど、退屈しのぎになったことか。


「ララド」

「なにかしら。トーカさん」

「あんたは納得してんのかよ」

「どうして、そんなこと尋ねるの?」


 どうして、そんなの決まっているだろ。ララドの同意が欲しかったんだ。同意? 納得しているわ、という諦めの言葉のことか? と仮定を立てて、すぐにかぶりを振った。なるほど、違うな。逆なんだ。


「私が納得してないからだよ」


 つくづく思考する。私の人工知能は精度が低い。鑑定眼は一級品かもしれないが、己の真意を理解するにはいささか必要な工程が多すぎる。いまだってそう。これまでも、こういうことが多発している。


 欠陥品だ、私は。


「なにに対する納得なのかしら。卒業できなかったことに関しては、規則なのだから仕方ないわ。それでもこうしてワガママを受理してもらえるんだもの、感謝すべきね」


 ララドの方がよほど高性能だ。発言に迷いがない。

 そして、彼女の方が正しい。道理が通っている。


 だったら、よけいに納得がいかない。なぜ、私じゃなくてララドなんだ。どうして彼女の方が打ち切られなきゃいけない? 


 理不尽だ。間違っている────そうか。間違っているのだ。


 刹那、私は無意識に思考する。


 間違っているなら、正さねばならないのではなかろうか。


「まもなく、経済区です」ヤナナ先生が、前方を向いたまま言う。「到着すれば、目の前が目的のビル群となります。時間的余裕はありますが、可能な限り早めに退散しましょう。よろしいですね?」


 この時の私の思考を説明せよ、と問われたところで、ちょいと難しい。


 ともかく優先事項の一番上には、暫定的事実の是正、があった。認識していたのは以上だ。方法論はいくつかあったろう。けれど私が選択した手段は、なんともおかしいものだった。


「よいですか、ご理解いただけましたか?」


 ヤナナ先生が継いだ言葉を遮って、私は両の拳を握りしめ、そして、


「トーカ、ララ──」


 勢いよく、先生の頭上に振り下ろした。


 先生は声もあげず、頭を車のハンドルに凭れた。先生の人格は、一時停止する。再起動の音が鳴る。その合間、コントロールを失った車はモードを自動操縦に切り替えた。がしかし、一度左にそれた進行方向の修正は間に合わず──車は大きく音を立てて、森の中に聳える大木に衝突した。


「ッ……! トーカ、なにして──」


 そのララドの発言が合図だったかのように、直後、車は爆発した。

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