3

 ララドを初めて見たのは、二年前。銀色の風景画のなかだった。


 次の授業へ向かう途中の廊下で、私の足は止まった。止めさせられた、の方が正しい表現かもしれない。展示されていた一枚の絵に、私の鑑定眼は吸い寄せられた。


「トーカ、どうしたのぉ」


 十二メートル三センチ先で、ユメミが私の名を呼んだ。当然、聴こえている。聴覚は正常、だけど風景画が私の自我を掴んで離さない。


 ダルシー地区の中央に所在する「学校」。私たち実験機の養成施設で、人間たちの研究施設だ。「学校」は十二階建ての学棟三棟から成る。そのうち鑑定士カスタム棟の四階ホールには、実験機たちの生成物がズラリ展示されている。


 銀色の風景画は、それら生成物のひとつだった。


 それは地方都市のビル群を描いたものだった。無機質な物体の羅列、色彩は単調で、モチーフの選択も安直だ。独創性に欠ける。しかし、かなり高品質な画だった。なにより、違和感が欠片もない。私の鑑定眼が騙されるほどの自然性。


「……ああ、これね」ユメミの声が十七センチ横で鳴って、ハッと我に返った。「模倣体イミテートクラスのララドちゃんが描いたものらしいよ。同じ一年生なんだって、凄いよね」


 ユメミは、その風景画をまじまじと見ながら、そう言った。


「ぜんぜん生成物には見えないよ」


 ユメミの発言に百パーセント同意した。私にもそうは見えない。誰がどう見ても、人間の創作物じゃないか。いったい、どんな学習をすればこうなれるのだ。


 私に模倣の技能はない。それでも数多の生成物を鑑定してきたし、実力には自信がある。すでに鑑定試験だって二度クリアしている。だのに、私の鑑定眼は同期の生成物を見抜けない。


 ともかく、私は一枚の絵の中に、ララドという人格を見た。そして想像する。

 ララド。彼女はいったいどんなP.S.なのだろう、と。


   ◇


 P.S.が産み出す芸術を生成物、人間が産み出す芸術を創作物と呼び、明確に区別されている。これらの区別は、「芸術とはヒトの心が創り出すものだ」という信仰からくるものだ。私たちP.S.はAIが操縦する人を模した機械であり、心が無いと理解されているってわけだ。


 それはそうだろう。トーカという自我が産まれてから今日まで、私は自身の機体の中に、心の所在を認めたことはない。感情も思考もプログラムされたもの。心を証明せよ、だなんて不可能だ。不可能ならば不在なのだろう。オカルト信仰は人間の専売特許で、P.S.にはちょいと理解が難しい。


 だから、我々の芸術が生成物って呼ばれることに異論はない。むしろ、人間たちの傲慢さに驚かされるね。君たちのそれも生成物だろうがよ。だなんてね。


 しかし、そう思っていたのは、この時まで。

 創作の価値を、ララドの絵の中に見出すまでの話だ。


   ◇


 ララドとの邂逅は、それから一週間と五日後のことだった。誤解されたくないのだが、私から懇願したのではない。ララド側も同様だ。これはユメミの希望だった。彼女が、私とララドを会わせたがったのだ。


 本来、模倣体クラスと鑑定士クラスの交流は皆無に等しい。禁止されているわけではないが、学棟も別々だし、単純に接点が無いのだ。


 ゆえにユメミも、ララドにコンタクトを取るのは困難だったらしい。ならば早々に断念すべきだったろう。なぜそこまでして私たちを会わせたかったのか、と問うと、


「ウチと向こう、エース同士のツーショットが見てみたい、って考えるのは、普通のことじゃないかな?」


 とまあ、えらく低俗な回答が返ってきた。低俗な、という表現は、そもそも人間社会に属さないユメミに対する最大限の皮肉である。


 私とララドは、ダルシー地区南の図書館で会うことになった。その場にはユメミも同席した。仲介人の役割を果たすため、と彼女は言っていたが、まあ十中八九、興味本位だろう。


 約束の場所に現れたララドは、美しい蒼い髪を腰まで伸ばしていた。ショートへアにデザインされた私のビジュアルとは対照的で、なんだか仲良くできなさそう、というのが第一印象だ。一応言っておくが、外見は先天性で人格は後天性、そこに相関はない。しかし、とっさにそう考えてしまったんだな。ある種の防衛思考かもしれない。


「あなたがトーカさん? なんだか聞いてた話と違うのね。軽薄な印象を受けるわ」


 そしてララドは開口一番、そう言った。印象は最悪。直感は正しかったようだ。


「初対面で言ってくれるじゃん。……どういうイメージだったんだよ」


 訊くと、ララドはわざとらしく顎に手を置いて、斜め上へと視線をやり、


「そうね……。白衣にメガネの堅物をイメージしていたわ。なんでも、鑑定士クラスの首席だって伺っていたものだから」


 人間顔負けの偏見を、私にお見舞いしてくれた。


「そうかい。こっちも、あんたみたいな奴が出てくるとは計算違いだったよ。模倣体クラスの首席様が、まさかこんな性悪女だとはね。あれかよ、生成ってのは、性格の悪さまで人間に寄せないといけないのか?」

「ヤダ。芸術には心が必要だって言いたいの? それ、人間の戯言よ。生成とは、心じゃないの。高度な学習から生まれるものよ」

「おー。なんか、ガリ勉委員長って感じにも見えてきたわ。人間様の古典アニメでよく見るよ、あんたみたいなやつ。嫌われ役でさ、報われないんだよな」


 とまあ、こんな感じで初対面の空気は地獄。


「はわっ……えっと、トーカちゃんも、ララドちゃんも……あの、落ち着いてっ」


 間に立つユメミが慌てふためいていたけど、お構いなしに私たちは火花を散らした。


 ちなみに、これは後から聞いた話なんだけど、どうやら模倣体と鑑定士の性格相性は噛み合いが悪いようにプログラムされていたらしい。だから、こうやっていがみ合うのも当然っちゃ当然で、計算外の事象が挟む余地は本来なかったってわけ。


 なのに、だ。私には、彼女に関連して興味のある事柄が一つだけあったのだ。


「……まあ、せっかくだし。訊きたいことがあるんだけど」

「なにかしら?」

「銀色の風景画。ビル群の絵。あれ、どこの風景がモデルなんだよ」


 ララドはまたしてもわざとらしい沈黙を挟んだ。

 しばらくして、口を開く。


「あの生成物は模写だって言いたいのかしら?」

「あんたの専攻は模倣だろ。そう考えるさ」

「言っておくけれど、模写と模倣は厳密に違うわ。あの絵は一次生成物よ。モデルはない。でも、」

「? なんだよ」


 それから、ララドはこの日初めて微笑んで、


「現実のどこかに、こんな風景があるかもしれない、って考えさせることができたなら、生成した甲斐があったってものね」


 なんて、言った。


   ◇


 ララドは不思議なやつだった。まず、生成に対するプライドがある。単なる機械処理の産物と捉えず、己の感性と努力の結晶体であるかのように、あるいは腹を痛めて産んだ人の子のように、それを愛でる。聞いてもないのに「本作のこだわり」を語り出すし、ほんの少しでも褒めると勝ち誇ったような笑みを浮かべる。だから私は、ララドと会う時は気を抜けない。あいつがそのモードに入ったときの面倒臭さったらないから。


 ララドは不思議なやつであり、奇妙なやつでもあった。あいつを見かけるのは、たいていが地区南の図書館の中だ。まるでそこが定位置であるように、一階読書スペースの窓際三列目に座って小説を読んでいる。どうやら、読書が趣味らしい。そこが奇妙だ。機械の身であるのに、物理メディアを好む。


 百歩譲って、物語消費が好きなのは理解できる。しかし、わざわざ紙の本で摂取する必要性がどこにある? アーカイブにアクセスすれば、簡単にテキストファイルをダウンロードできる。データメディアならば、物語のはじめからおわりまでをものの数秒で機械的に読解できる。一冊の物語に数時間もかける必要はない。


 なんてことを言えば、ララドは真顔で反論した。


「分かってないわね。確かにデータメディアで読解するのが最も効率的ね。けど、それって何が楽しいの? 私はね、こうやって時間をかけて、一枚一枚ページを捲って、ゆっくり物語を咀嚼するのが好きなの。読書って体験よ? 機械学習じゃないの」


 総じて、ララドは普通じゃない。

 なによりも、私の来訪を拒まず受け入れるところが普通じゃない。


 邂逅以来、私は毎日のように図書館を訪れていた。目的はララドだ。それ以外にあるかよ。私は、この奇妙な特等生の正体が気になって仕方がなかった。


 いったいどうやってあの精巧な生成物を産み出したのか。日々、どんな学習をしているのか。そいつを紐解ければ、私は鑑定士としてもう一ランク上にいけるんじゃないかと考えた。いわば敵情視察だ。


 銀色の風景画を目撃してからの私は、ララドという模倣体を目標にしていたんだろう。彼女を超えることが、なにより重大な使命だと考えたのだ。


 しかし、彼女は一向にタネも仕掛けも明かしちゃくれなかった。


   ◇


 ララドに会いに行くようになって、四か月が過ぎた。季節は冬だった。


「毎日、ご苦労様ね。そんなに退屈なのかしら」


 その日もララドは、私を拒みはしなかった。軽口じみた挨拶だけして、すぐに読書に戻った。


 私はララドの向かいの椅子に座った。正面から彼女の顔を見る。ふと、やけにまつ毛が長いな、と思考した。開発者の趣味だろうか、なんてジョークが浮かぶ。ララドの外見は美しい。端正な顔立ち。歴史に遺る有名絵画を鑑賞するときに近い感覚になる。情報量が多い。彼女の顔を見ていると脳がフル回転する気分になる。


「なにかしら?」


 私の視線を疎ましく考えたのかもしれない。ララドが尋ねた。彼女の視線は、手元の本に落ちたままだった。


「なんでもねーよ。暇つぶしに、ちょっと眺めさせてほしい」

「なにそれ。おかしな機体ひとね」

「こちとら鑑定士だからな。視覚情報の収集にいとまがねえんだ」

「よほど退屈なのね。友達と遊びにでも行けばいいのに」


 ララドが発言したとき、外で強い風が吹いて、窓ガラスがガタガタと音を立てた。だから彼女のセリフを聞き逃したことにしてもよかったんだけど、どうしてだろうな、無機物の胸の内に空いた穴に響いたのかもしれない。私は、ララドから視線を外して、


「友達なら、ただいまゼロでしてね」


 らしくないセリフを吐いてしまった。


「ちょうど一昨日のことだよ」


 ララドにとっては不必要な情報を付け足す。


 七秒後に、ララドが尋ねた。


「あの子は? ユメミさんって言ったかしら」


 会話を誘導したみたいになって、自分に嫌気が差す。みたい、というか、実際そうだった。私は、ララドにこの話をしたかったのだ。なぜ? 原理は不明。それでも情報共有しておきたかった。


 おそらく、四か月間も私を拒まず受け入れてくれたこいつなら、という打算もあったのだろう。


「実は、」言って、私は一拍置いたのちに言葉を継いだ。「打ち切られたよ」


 また、窓ガラスがガタガタと音を立てる。音と音の隙間、無音のタイミングで、ララドが「そう、」と相槌を打った。


「鑑定試験、上手くいかなかったの」


 ララドの質問に、私は肯く。


「元々、覚悟はしてたみてーなんだ。成績は低空飛行だったし、卒業認定はまず無理だろう、って考えていたらしい。で、予測通り」


 鑑定試験。それは、私たち実験機の養成実験を継続するか打ち切るかを決めるための査定システムだ。三か月に一度行われ、精度が低かったり、プログラムに問題が認められたりした場合には「打ち切り」の判定を食らい、自我の破棄が決定される。


 打ち切りとは、人間でいうところの「死」に近い。

 近いだけで、等しくはない。破棄されるのはAIの学習データのみだし、機体は別の自律型AIを搭載して再利用される。


 養成実験は、最長で三年間。すなわち、全部で十二回の鑑定試験をクリアした実験機のみが卒業認定個体となり、人間社会で実用化される。しかし一定の水準に至らなかったP.S.は自我が打ち切られ、機体のみ再利用され……それを繰り返して、高精度のP.S.のみを出荷するのが、P.S.Laszloピーエス・ラズロが運営する研究施設「ダルシー地区」の目的だ。


 合理性のみを追求したシステムだと私は考える。


 とはいえ、スクラップ&リユースのサイクルが早すぎやしないか、と少々懐疑的でもある。鑑定士クラスに所属しているのは四体のみで、そのうち一体は三か月ほどで打ち切りを食らっていた。ユメミも一年もたなかった。もう一体も合格基準ギリギリを水位している。私だけ取り残される日も近いだろう。


 いや。私だけが取り残されることは、元来どうだっていいはずだ。


 私の懸念はそこにはない。そこにはないはずだ。しかし、だとすればなにを危惧している? 今日の私は、回答不明な自問に悩まされていた。


 おそらく、これだ。ララドと情報共有したかった理由。処置困難な問いを発見した。発生原因はユメミの打ち切りと推測できるが、未だ解決策は無し。そのうえ、脳構造に深刻なダメージを負わせる危険性が認められる。実際、現時点で私の自我は混乱している。あんたも気をつけろよ、あるいは解決法を存じていたら教えてくれ。


 言語化すれば、おそらくこういうことになる。


 私はララドの回答を待った。しかし、彼女が発したのは、


「なるほどね。孤独が耐えられないのね」


 そして、


「だったら、今日から私が友達になってあげましょうか?」

「…………は、」


 理解不能。パターンにない返答に、私の自我はさらに混乱した。


「……嫌ならよいのだけど」


 脳には回答パターンが無数に浮かび、そのくせ取捨選択に一秒以上費やしてしまって我が事ながら呆れた。まったく、革新的な感性度を誇る人工知能が搭載しているんじゃなかったか?


 ひとまず、そ、と発音。次に、この場において適切な文章を自動出力。


「そんなこと言ってねーだろ。てか、なんだよ。寂しがりかよ、あんた」


 ララドが本を閉じた。それから、私の目を見る。


「寂しい? なにそれ? まるで心があるみたいな言い方ね。人間みたいよ」

「……こういう場合に使う言葉じゃないのかよ」

「実感の伴わない語彙は軽率に使うもんじゃないわね。でも、ま、私が適任かもしれないわ。寂しがりのあなたには、私みたいな成績上位者の友達が必要ね」


 ララドは変なやつだ。そして、奇妙なやつだ。総じて、普通じゃない。


 でも、だからこそ、だろう。奇想天外な、いいえ、荒唐無稽な解決策をララドは提示できる。おかげで、混乱状態にあった私の自我は緩やかに正常値へ回復していく。


 なんなんだろう、マジで。ララドってほんと、おかしなやつ。


 それから彼女は、


「絶対、打ち切られない自信があるもの」


 私の処理能力が追い付かないほど美しい微笑みを、ただそれだけを、くれた。

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