第22話 隠しごと

 乾いた風が、身を震わせるほどの寒さへと変わる、霜月の折。

 玄関から聞こえてくる声に掃除の手を止めた雅月あづきは、そこ見つけた見たこともない組み合わせに目を瞬いていた。

 広い石畳の玄関には、丸い顔立ちの少女と詰襟制服姿の青年が並んでいるのだが、雅月が知る限り、この二人が一緒にいるところは見たことがない。思わず、声音に不思議さが滲む。


維南いなみさんに真緒まおくん……。不思議な組み合わせ。本日はいかがなさいまして?」

「ご無沙汰しております、お嬢様。翔和とわに例の件での報告に伺った次第なのですが、在宅しておりますでしょうか?」

「例の件……?」


 すると、雅月の声掛けに丁寧に頭を下げた真緒は、辺りをはばかるような声で切り出した。

 まるで雅月が事情を知っているような口ぶりだが、例の件とは一体なんだろう。

 言われてみれば、最近の翔和は呉服屋の仕事以上に何かを熱心に取り組んでおり、自室に籠っていることも多かった。

 さりげなく聞いても仕事としか言わない以上、詳しくは分からないが、取りえず、真緒の来訪を知らせに行こうと思う。


「私は雅月さんとお話ししたいなと思いまして。お邪魔なら出直しますわ」


 その一方、たおやかに笑んだ維南は、久方ぶりの来訪理由をそう告げる。

 彼女は以前から、定期的に雅月の元を訪れては何気ない女の子同士の話をしていた。おそらくまた裕也ひろなりが結婚に踏み切ってくれない……のような文句付きだろうが、彼女と話すのは雅月にとっても良い気分転換となっている。

 真緒を気にする素振りでまなじりを下げた維南に、雅月は首を振った。


「お邪魔だなんて、とんでもありませんわ。どうぞ二人ともお上がりになって。今、翔和にも声を掛けて参りますから」





 パタパタと着物の裾を揺らし、翔和に声を掛けると、彼はどこか焦った顔で真緒を自室に引き入れた。

 例の件とは、恐らく雅月には知られたくない何かなのだろう。

 翔和の性格や真緒が事情を知っているあたり、決して後ろ暗いものではないと思うが、初めて見た反応に、ちょっとだけ戸惑ってしまった。


(翔和は一体、何をしているのかしらね……)


 もちろん、誰だって他人に知られたくない物事のひとつくらい、あると思う。そして翔和が望むなら、深く考えないようにするつもりだが、寂しくなっている自分に気付いて、雅月はふるふるとかぶりを振る。


「お待たせしました、維南さん」


 そうして維南の元へ戻った雅月は、先程まで掃除を手伝っていた奉公人が淹れてくれたお茶と、お土産のショートケーキを前に席へ着いた。

 矢絣やがすり柄の着物に身を包んだ維南は、嬉しさと申し訳なさを合わせたような表情をしている。


「いいえ。また突然お邪魔してごめんなさい。まさか警官の方と鉢合わせるなんて……。翔和様のご友人? なのですか?」

「ええ、彼は萩岡はぎおか真緒くん。私の幼少時代の知己でもあるのですが、翔和の尋常小学校時代からの先輩で、仲も良いみたいです。維南さんが知らないということは、桜庭おうば様はあまり接点がなかったのかもしれませんね」

「まぁ、それも不思議なご縁ですね。ヒロにもあとで話してみますわ。ところで雅月さん、翔和様とご旅行に行かれたと聞きましたが、本当ですの?」


 すると、気持ちを落ち着かせようとお茶を含む雅月に、維南は申し訳なさから一転、ぐいと身を乗り出して問いかけた。

 思わぬ問いかけに、雅月はお茶を零しそうになってしまったが、何とか堪えて前を向くと、目を輝かせる維南がこちらをじっと見つめていた。


「えっ。ええ。西洋菓子博覧会に招待された翔和に同行して、乙姫つばきまで」

「きゃあ、やっぱりお泊り旅行でしたのね。ヒロから少し話を聞いて、ぜひ、詳しく聞きたいなぁと思ったのです!」


 両頬に手を添え、嬉しそうに身をくゆらせた彼女は、急に声を張り上げた。

 相変わらず恋の話が大好きな維南は、雅月と翔和の乙姫お泊り旅行に興味津々のようだ。

 もっとも、翔和曰く変態作家の裕也が維南にどんな話をしたのかは怖くて聞けないが、雅月は言える範囲で思い出を語っていく。


 その途中、先日翔和の母君が現れ、結婚を期待されていることをうっかり話すと、維南は一層目を輝かせてしまった。


「お義母かあ様公認! では結婚も秒読みですね」

「え。あ、いえ……」

「あっ、そう言えば、今菊乃井きくのい百貨店でウェディングドレスの見本市をやっておりますの! 今度行きましょうよ! もちろん御代みしろ家の品には敵いませんでしょうけれど、下見だと思って!」

「維南さん」

「でもやっぱり雅月さんは、白無垢の花嫁衣裳の方が似合うかしら。翔和様と並ばれたお姿、想像しただけで美しいですわ……!」


 ついうっかり口を滑らせたせいでどんどん進展していく維南に、雅月は肩をすくめると、暫し妄想に入る彼女を黙って見守ることにした。

 確かに翔和の婚礼衣装は端正な顔立ちも相まって様になるだろうが、維南と違って想像なんてしたら身が持たなそうだ。





「翔和。お嬢様にこの件、伝えていないのか?」

「ん?」


 そのころ。

 自室に幾つもの資料を広げ、真緒と何やら話し込んでいた翔和は、不意を突く問いかけに首を傾げて呟いた。

 真面目な顔でこちらを見つめる真緒は、どこか不満そうな顔をしている。


「俺が翔和を訪ねてきたことに、お嬢様はひどく戸惑っておられた。この件をお嬢様に隠し立てする理由は全くないと思うのだが」

「うーん」

「翔和にとってお嬢様は大事な人なのだろう? 不安にさせるな」


 歯切れの悪い翔和の答えに苛立っているのか、はたまた胸の奥に抱く別の感情からか。

 真緒と資料を交互に見つめる翔和に、彼は改めて問いかける。

 すると、ここでようやく顔を上げた翔和は、何と言うべきか迷うように口を開いて。


「大事な人だから、かな。雅月は強がりだからね。本当に真面目で清く生きたいって、頑張りすぎてしまうところがある。今回の件も、僕が調べているなんて知ったら、逆に気を遣わせてしまうよ」

「……!」

「だからせめて、結果が分かるまでは伏せておきたい。そう思っていたのだけれど、それで不安にさせてしまうのは良くないよね」


 顎のあたりに指を添え、黙っていた理由を告げる翔和に、真緒は大きく目を見開いた。

 おそらく翔和にとって雅月は、初めて甘味以外で心からの愛を注ぐものなのだろう。だからこそ、感情論と理性といろんなものが混ざり合って、空回っている部分がある。

 微笑ましいようなもどかしいような、そんな気持ちで真緒ははぁとため息を吐いた。


「一緒に暮らしていれば、否が応でも変化には気付くものだ。お嬢様の性格をおもんぱかって話さないのは分かったが、それで心が離れてしまっては元も子もない。せめて安心させるだけの何かをすべきだ」

「……ヒロと一緒で艶事めいたことを言ってる? 真緒ってそんなだっけ?」

「阿呆。あんな変態と一緒にするな。まだあれとつるんでいるのか。悪影響だぞ。……とにかく、言葉でも何でも、想いは伝えておけ。俺も次回までには確証を得てくるから」


 不器用に、それでも彼らの幸せを願うように、真緒は言葉を紡ぐ。

 裕也に対する辛辣さは、そりが合わないのか昔からだが、その思いは十分に伝わったようだ。

 頼もしげに真緒を見つめ、コクリと頷いた翔和は、穏やかに笑った。


「ありがとう、真緒。できることをする。雅月が大事なのは本当に、本心だから」

「ああ」





「雅月。ちょっといいかな」


 真緒の言葉を受け、即座に行動に出ることにした翔和は、その夜、雅月を部屋に呼び出した。

 火鉢と洋灯、そして月光に彩られた部屋は、仄明るさを湛えている。


「あの、どうなさいまして? 翔和」

「ここ最近、部屋に籠ることが多かったから、雅月に心配をかけているかなって。ごめん、本当はずっと一緒にいたい」

「……!」


 すると、何事かと戸惑う雅月の手を引き、翔和は不意に彼女を強く抱きしめた。

 寝間着用の着物越しに、彼の大きな手と体温が伝わって来る。

 それを感じた途端、雅月の頬が一気に赤らんだ。


「とっ、翔和……!」

「好きだよ、雅月。きみを大事に想っている。僕も早く、今抱えている案件を終わらせたくて仕方がない。だからもう少しだけ待っていてね」


 胸の中で小さくなる彼女の耳元で囁いた後、翔和は林檎のように染まった頬に口づけた。

 熱を帯びた柔らかな頬に触れ、彼女のうるんだ瞳に胸がいっぱいになる。

 近い将来、歯止めが利かなくなるんじゃないかと思うときもあるけれど、少なくとも今はまだ……。


「……っ。ありがとうございます、翔和。私こそ、変にお気を遣わせてしまったようで失礼しました。翔和がお忙しいのは分かっています。でも、伝えてくれて嬉しいです」

「雅月……」

「私も翔和が大事です。何をしているのかは聞きませんが、ご無理なさらないでくださいましね。またお風邪でも召されたらと思うと、心配になってしまいます」


 彼女を胸に抱き寄せ、必死に理性を保つ翔和に、雅月はふとすり寄りながら呟いた。

 確かに真緒が訪れたときは、隠しごとをしている様子の彼に寂しくなってしまったけれど、言葉に嘘がないのは分かっている。信じて大丈夫だと思う。今はもう、彼を心から信頼していると断言できる。

 だから平気と呟くと、抱きしめてくれる腕に、少し、力が入ったような気がした。


「……雅月は狡いなぁ」

「え?」

「ううん。気を付けるよ。雅月に看病してもらえるのは嬉しいけれど、心配はかけたくないからね。でも嬉しいから、もう少しだけこうさせて」


 胸に頬を寄せ、ぎゅっと埋まる雅月がこちらを見上げないのは幸いだろう。

 普段はちょっと抱きしめただけで恥じらうのに、本音を言い合うときの彼女は素直に言葉を紡ぎ、その身を自分に任せてくれる。

 行動が無意識だからこそ、強く求めてられている感じがして、本当に理性が危うくなった。

 雅月は時々狡い。そう思い髪を撫でながら抱きしめていると、雅月はいつの間にか寝てしまったようだ。


 規則正しく聞こえる寝息に、翔和は今日ばかりは一睡もできない気がした――。

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